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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第三章 鴉天狗の里編
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十八話 前に進んで足踏みを

 翌日、桐の部屋に辿り着いた緋月とハクが見たのは、ぼうっとしたまま明後日の方向を見つめる桐の姿であった。


「……? 桐ちゃん、どうかしたの?」


「――わっ!? あ、緋月さん……ハクさんも、おはようございます」


 不思議に思った緋月が声をかければ、桐は飛び上がって驚いた。緋月とハクが部屋に来ていた事ですら気が付いていなかった様だ。


「おはよぉさぁん。……あっちにあるんは訓練場やけど、何か気になるん?」


「へっ!? え、あ、いや、その……!」


 桐の見ていた方向に思い当たりがあったハクは、ニヤニヤと口元を吊り上げながらからかった。「訓練場が気になるのか」とピシャリと言い当てられ、桐は同様しながら目を逸らす。


「……その、思っていたよりも、温かい人達だな……と、思ったんです」


 そのすぐ後、少し恥ずかしそうにしながら、桐は観念したかの様に白状する。その声に混ざっているのは恐怖では無く、照れと興味の感情。その明確な変化に、ハクは嬉しそうに破顔した。


「温かい……んふふ、そうなんねぇ。あん子ら、みぃんな太陽みたいな子ぉらやったもんなぁ」


 そう言うハクの脳裏に浮かんでいたのは、当然疾風の姿であった。緋月と同じく、居るだけでその場を明るく照らし、元気を安らぎを与える者。それが疾風だとハクは考えていた。



「――あ、そうだ! あのねあのね、あたし思ったんだけどね! もしかしたら桐ちゃん、後宮のお姫様だったんじゃないかなって!」


 と、そこで、もう一つの太陽は何かを思い出したかの様に嬉々として声を上げる。その思い付きを聞きながらハクは、そう言えば昨日何やら晴明達と話していたな、とぼんやり思い返していた。


「こう、きゅう……? …………! 確かに、何だか聞き覚えがあります!」


 その「後宮」という単語を耳にした途端、何故だか桐の胸の中に懐かしい物が込み上げてきた気がして、思わず顔を綻ばせる。


「えー! 本当!? 紅葉もじー様も『それにしては服装が軽装すぎる』って言うから間違ってるのかと思ったけど……可能性あるよね!?」


 とは言え、桐が纏うのは姫が纏う裳唐衣(もからぎぬ)小袿(こうちぎ)では無く、緋月の物とよく似た巫女装束の様な服だ。例え桐が姫であったとしても、ただの姫だとは考えにくいだろう。


「はい……! ふふっ、何だか少しだけ……何かを思い出せそうな気がします!」


「やったー! これって一歩前進って事だよね!? この調子でお互いのこと思い出そーねっ!」


 だが記憶の無い二人にとっては、僅かに耳馴染みのある言葉が出てきただけでも大きな進歩であった。甲高い歓声を上げる二人を見ながら、ハクは和ましげに目を細めている。


「もちろんです! ……と、そう言えばヤタ様はどちらにいらっしゃるのでしょうか? その、昨日の御礼が言いたくて……」


 桐はふと不思議そうな顔付きになると、自身の護衛であるはずのヤタの姿を探した。


「ん〜? せやねぇ、アホガラスは……多分、もう訓練場におると思うんよぉ。さっき疾風に『今日こそは勝つ〜!』って言われて、まんまと乗せられとったから……」


 その問いに、ハクは大して似せる気もなさそうな物真似を挟みながら答えた。

 細められた琥珀色の瞳が宿しているのは、勿論呆れの感情。「自分から代わると言ったのに」という思いがありありと現れていた。


「訓練場、ですか……」


 恐らくヤタが居るとされる場所は、訓練場。桐は何やら思う所がある様で、ポツリと呟いて目を閉じた。

 その表情にはいつもの様な色濃い恐怖は無い。そこには確かな緊張と、少しだけ、何かに期待する様な感情があった。


 ――もし。


 ――もし、私が抱えている感情が、恐怖では無かったとしたら。


 ――もし、それが恐怖だとしても、対象が未知である事に関しての恐怖だとしたら。


 ――もし、彼らの事をちゃんと分かって、一方的に怯えるのを止められるのだとしたら。



 ――私が一歩踏み出せば、全てが変わるのではないだろうか。


「……あの!」


 それは、新たな始まり。桐はこの時から、確かな勇気の一歩を踏み出し、しっかりと前に進み始めたのであった。


****


 それから、桐は少しずつ変化していた。毎日毎日、緋月かハクを伴って訓練場に赴く。つまり、緋月達との語らいの場を、与えられた部屋から訓練場へと変えたのだ。


 兵士達も最初は戸惑っていたが、徐々に少女から溢れていた恐怖が薄まっていくにつれ、好意的に受け入れる様になった。

 緋月が居る事によってヤタの指導は一層厳しい物になったが、なんだかんだ言いながら彼らはそれに着いて行っている。



 その桐の変化――成長は目覚しいものであった。

 それはある時。いつもの様に緋月やハクと共に、訓練場へ向かっていた時。


「――ぁ」


「――――!」


 正面からやって来たのは、何やら役人と話しながら歩いてくる疾風だった。彼はこちらに気が付くと、しまったと言わんばかりに目を見開いて、すぐ様その役人を伴って踵を返そうとする。


「ぁ……、っ! ……っ、ぉ、おはよう……っ! ご、ざい……ます……」


 そんな背中を引き止めたのは、絞り出された挨拶だった。疾風は、まるで長年油の刺されていない機械の様に振り返ると、驚愕を顔に貼り付けながら何度も口を開閉させる。


「…………! ……は! うん、うんっ! おはよう、おはようっ! おはよーっ! 今日もいい風だね!」


 驚愕は徐々に歓喜へと変わっていった。そうして疾風は隣に居た役人を嬉しそうに何度も叩きながら、何度も何度も挨拶を返す。

 それはあまりにも大きな声であった為、桐は驚いた様に身を竦ませてすぐにハクの後ろへ隠れてしまったが、それでもこれは確かな進歩であった。


 故に、緋月は見ていた。ハクの後ろに隠れてしまった桐が、何処か安堵した様に、踏み出した一歩に喜ぶ様に口元を微笑みに染めているのを。


****


 しかし、それでも気がかりな事はある。彼女にはどうしても乗り越えられない壁が一つあった。


 それは、蒼嵐と言う存在だ。

 桐が訓練場に通うようになってから、それまで来ていたはずの蒼嵐は一切訓練場に現れなくなっていた。

 普段訓練場へ向かう時でさえ、彼とすれ違う事は無い。まるで、意図的に避けられているのではとさえ感じる程だ。


 ――でも、もし今彼とすれ違ったとして、私は彼に謝罪と感謝を伝える事が出来るのだろうか?


 また、桐の心の中には常にそんな不安が渦巻いていた。未だに蒼嵐の事を考えようとすると、恐怖が身体を支配し震えさせる。

 夜、一人。自身に与えられた部屋に戻る途中、震える指先を見つめながら、桐は情けなさに泣きたくなっていた。


「――――ッ!」


 そんな時、だった。正面から慌てた様な息を飲む音が聞こえたのは。

 桐が顔を上げれば、そこには脳内に浮かんでいた姿がそっくりそのまま存在していた。脳裏の映像と違うのは、彼が驚愕の表情を浮かべている事。


「ぁ……」


 何か言わなくては。そう思っていたはずなのに、喉が締まってひゅっという掠れた息しか出てくれない。焦るまま、思わず後ずさってしまった。


「…………」


 勿論、そんな態度を取ってしまえば勘違いされる事も必然だった。蒼嵐はバツが悪そうに目を逸らし、最上階での唯一の逃げ場――大空へと飛び立ってしまう。


「――っ!」


 そんな彼を、桐は呼び止める事が出来なかった。

 恐怖に打ち勝つ事が出来なかった。


「……私、どう……すれば……」


 桐を、どうしてか負傷していた桐を、この里へ連れて来てくれたのは蒼嵐だと聞いている。

 彼は自分の命の恩人なのだ。そんな事くらいは分かっている。


 だからこそ、こんな態度を取ってしまう自分が不甲斐なくて、情けなくて――申し訳が立たなくて。桐はその場に崩れ落ちて、掠れた声で呟く事しか出来なかった。

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