十六話 鴉天狗と八咫烏
「何です? お前達、豆鉄砲をくらいやがった様な顔をして」
訓練場。しばらく姿を見せなかったヤタの姿に、嬉々として挨拶をしようと群がった兵士達は、皆同様に絶句していた。
「ゃ、た……さま、そ、それ……それ以上……っ!」
それは教官の背後で、必死に彼女の羽に顔を埋め、可哀想な程に震える一人の少女の姿があったからだ。
少女の名は桐。出自は分からないが、とにかくこの里で保護しているらしい、人間の少女。男性を酷く怖がり、最上階の部屋から決して出てくる事の無い少女。
それくらいは、この里の誰もが知っている事だ。
それなのに何故、この教官はその少女を連れているのだろうか。その理由もヤタの真意も読めず、兵士達は呆然と固まる他無かった。
「え、や、ヤタ様……え?」
その呆然とする兵士達の中に、疾風も居た。彼は自身の見間違いかと目を擦り、何度も瞬きを繰り返し、そうして困り果てた視線をヤタへとぶつける。
「な……何でその子の事連れ出して来ちゃったの!? しかもこんな所に!」
彼は自分の存在が桐を怖がらせてしまう事を理解しているのか、少し離れた所から声を荒らげていた。それでもその声は十分に大きく、桐はびくりと肩を震わせている。
「なんでって――」
「あっ! 本当にいたぁ! ちょっとヤタ、桐ちゃん困ってるってば! この前ヤタが捕まえてた鎌鼬みたいになってるよ!」
ヤタが疾風の問いへ答えようとした矢先、緋月の甲高い声がそれを遮る。
緋月が話しているのは少し前、陰陽亭にて悪さをしていた鎌鼬をヤタがひっ捕らえた時の事だ。その鎌鼬は鬼の様な形相のヤタを前にして、可哀想な程に震えていたのだが、今の桐はまさにそれそのものだ。
言い当て妙だと、緋月の後ろを歩いていたハクはぽやぽやと考えていた。
「おや緋月、ちょうどいい所に! ヤタさんは今から疾風と模擬戦を行いますので、桐の事をお願いしてもいいですか?」
主の姿を認めたヤタは、片割れと同じ様に破顔すると、自身の背後で震える桐を頼んだと前進する。
盾を失った桐はか細い悲鳴を上げると、慌てて次はハクの後ろへと駆け込んだ。同じような身長のハクには些か隠れ切れていない様にも見えるが、恐らく自分から兵士の面々が見えて無ければいいのだろう。
「ひ、づき、さん……あの、その、私……っ!」
そうして桐はそのまま、もういいので帰りたいと告げる為に口を開いたが、混乱と焦りから上手く言葉が出てこない様であった。
「――! 大丈夫だよ桐ちゃん! ほら、あたしも横にいてあげるから!」
「――っ!?」
その桐のしどろもどろな呼び掛けを、自信満々に間違った方向に解釈した緋月へ、桐は何かを訴える様な視線を投げかける。だが、それもハクの白い髪に遮られ、しっかりと伝わる事も無かった。
「とりあえず……あそこの長椅子に座ろ! ……あっ、あの時のお団子貰ってくれば良かったなぁ」
「んもぅ、歩きにくいんよ桐ぃ」
跳ねる様に歩きながら、ハクの手を引く緋月。その後ろには必死にハクの背にしがみつきながら、小さな声で何かを呻いている桐。
傍から見ればとても奇妙な状態の三名は、のんびりゆるゆると普段休憩や観戦に使われる長椅子へと歩いて行く。
「動けへん……」
桐は座ったかと思いきや、がっちりとハクの腕を掴み、そこへ自身の顔を埋めている。片手を拘束されたハクは辟易とした様子で呟いた。
「ほれ、何をチンタラしとるんですか疾風! サッサと準備して下さい!」
「いやいやいや、模擬戦なんてヤタ様が急に言い出したんだからね!? これでも十分早い方だって!」
と、訓練場で言い争う声。疾風は形式的にヤタを様付けで呼んでいるが、その話しかけ方はどう聞いても友人のそれだ。ヤタもそれに対して気にしている様子も一切無い為、いつの間にか彼女は兵士達と仲良くなっていたのだろう。
「そら、行きますよ! ――我が名は八咫烏のヤタ、緋月の式神が一柱! いざ尋常に!」
そうしてヤタは何処からか三又焔に似た竹槍を取り出すと、それをくるくると器用に回転させながら、大声で名乗りを上げる。
「何!? なんて!?」
疾風は空気がビリビリと震えるのを感じながら、突如として名乗りを上げ始めたヤタに心底驚く。恐らくヤタが名乗りを上げたのは初めてなのだろう。彼女が唐突にそんな事をし始めたのもきっと、傍で緋月が観ているからだ。
「勝負――――ッ!」
咆哮。それと共にヤタは駆け出す。目にも止まらぬ速さで疾風の間合いへと飛び込んで、勢いのままに竹槍を振り上げた。
「――ッ!? っぶな!」
空気さえも振動させる大声に怯んでいた疾風は、驚きながらも間一髪の所で彼女の攻撃を受け止める。手にした木刀がミシリと音を立てて、慌てて真正面からぶつかってくる力を横へ流した。
「ふん、そんなもんですか!?」
しかし、それだけで終わるヤタでは無い。流された勢いを利用して、華麗な回し蹴りを繰り出した。これは美藍の得意技なのだが、いつの間にか彼女はそれを教わっていた様だ。
「ちょま――ぉぶっ!」
攻撃を受け流し、体勢を整えようとしていた疾風は、目の前に迫る足に目を剥き、そしてそれを横腹で受け止めた。思わず漏れた苦鳴は情けなく、周りで見ていた兵士達からも「何をしてるんだ」と野次が飛び始める。
だが、疾風もやられっぱなしという訳では無い。木の葉の様に飛ばされた彼は宙返りを何度か繰り返し、まるで猫の様に上手く着地をした。
「ヤタ様、いつも以上に本気だ……ねっ!」
始まるのは反撃。次は疾風が身体を縮こまらせ、まるでばねの様に大地を蹴って飛び出した。弾丸の様な彼が放つ斬撃は、スレスレの所でヤタに受け止められる。
「ぐっ……! あったり前、でしょう! なんてったって、緋月が見てるんですからね!」
「あはは、確かに! それは頑張らなくちゃ、俺も皆が見てる!」
熱い攻防の最中に交わされる応酬は何処か緩く、その温度差に両名とも気が緩みそうになった。ただ、背中に突き刺さってくる期待と興奮の眼差しが、それをさせない。
大切な主が、志を共にする仲間が、己を観ている。――その事実こそが両名を熱くさせる主たる理由であった。
「ですがッ! ヤタさんはァッ! 負けませんよ――――ッッ!?」
想いは、ヤタの方が強かった。
ぶつかり合う得物を押し切って、空いた疾風の腹に蹴りを一つ。彼が苦鳴と共によろめいた瞬間を狙って、竹槍を真横に振り抜いた。
「――づっ! ぅゎぁぁぁああぁあぁぁああッッ!?」
里中に響き渡る大きな悲鳴。次いで、思い切り訓練場の入口近くの武器立てへと衝突し、それがガラガラと崩れる音。そうして立ち昇る土煙。
呆然と静寂が訓練場を包み込んだ。
「――あぁッ!? す、すいません! 熱くなりすぎましたッ! ぶ、無事ですか疾風ッ!?」
一呼吸置いて、ヤタが我に返った。彼女はハッとすると、慌てて疾風が沈んだ武器置き場へと駆け寄る。それを見た周りの兵士達も、ようやく驚きの声を漏らしながら駆け寄って行った。
「ぃ、てててて……へへ、油断しちゃったなぁ。はは、へーきへ……いっ!?」
疾風は呻きながらも起き上がった。思い切り突っ込んだ為か、置かれていた木刀や武器立ての幾つかは壊れてしまっている。
そして、助け起こされる彼の右腕から流れる赤い液体を認めた時、ヤタの瞳は驚愕に揺れ動いた。
「っ、お前! それ……! 血が出てるではありませんかっ! 本当に申し訳無いです……! ごめんなさい、すぐに晴明を呼んで参りますので、治癒術を……!」
反射的にヤタは疾風の右腕を掴む。そのまま顔を苦しげに歪ませ、何度も謝罪の言葉を口にした。猛省しているのが見て取れる。
「えぇっ!? いいよいいよ、これくらいよくある事だし、すぐ治るって!」
だが、疾風も「よくある事だ」と譲らない。訓練に怪我は付き物であり、更には戦場でそんな事を言っている暇は無いのだ。
「いえ、いけません! 頭ならヤタさんが幾らでも下げますので、今すぐ晴明の――」
「――っ、ぁ、の……っ!」
そんなどちらも引かないやり取りを遮る声。両名がその声の発生源へと顔を向ければ、そこには困った様に立ち竦んでいるハクの姿が。
「――? 何です虎、今は少し立て込ん……いえ、今の声は……桐、ですか?」
それを認めた途端に、ヤタは顔を顰める。「お前に構っている暇は無い」と言う様に頭を振るったが、ふと遮った声がハクの物では無い事に気が付いた。
そうしてまじまじとハクを観察してみれば、確かにもう一人――桐が後ろに隠れている事を看過する。彼女の影は小刻みに揺れており、相当無理をしている事が伺えた。
「ええと……どうしたんです?」
何故、桐は無理をしているのだろうか。その理由が読めず、ヤタは彼女を怖がらせない様に優しい声で問い掛ける。
「ぁ、あの……ゎ、たし……そ、そのっ! ち、治癒……治癒術、つ、っかぇ……ます……!」
酷く怯えた、けれども心配している様な声。その心配は、紛れも無く疾風に向けられていた。
再び訓練場へ沈黙が訪れる。
ハクは桐が真後ろにいる所為で全員の注目を浴び、辟易と瞬きを繰り返すばかりであった。




