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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第三章 鴉天狗の里編
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十五話 いざ行かん、少女を連れて

「…………はぁ」


 あれから数日後、静かに書物を読み進めていた桐は物憂げな様子で溜息をついた。その場に居たハクとヤタは何事かと顔を上げたが、彼女が溜息をついたのは無意識だった様だ。


「――? どうしたんです桐、溜息なんかついて。何だか憂鬱そうですが……」


 その証拠に、キョトンとしたヤタがそう問えば、桐は驚いた様に口元を押さえていた。


「あっ、ご、ごめんなさい! その、何でもないですから、気にしないで下さい……!」


 桐は慌てた様に謝罪を口にするが、その顔に浮かんでいるのは明らかに「何でもない」表情ではない。落とされた視線に混じっているのは憂鬱、何かを思い悩んでる事は明確だった。


「うぅん、その顔で何でもないは嘘なんね? 一体何を悩んどるん? アホガラスの騒がしさ?」


 そんな桐の下手な嘘を見抜いたハクはゆるゆると彼女の傍まで寄りながら、「何でも話してみぃ?」と優しく声をかける。


「んなぁっ!? んな訳ないじゃないですか、ぶち飛ばしますよ!? 緋月も居ませんし、今日は静かにしてたじゃないですかぁ!」


 とばっちりを受けたヤタは声を荒らげて抗議する。確かに今日、緋月は紅葉に呼ばれた為この場には居ないのだが、そうであってもヤタの声はとても大きい。恐らく隣の天嵐にまで聞こえているのでは無いか、と思う程だ。


「はぁ(やかま)して適わんわぁ〜。もう少し静かにしてほしいんよぉ」


 現に一度外に出た時、苦笑している天嵐と鉢合わせた事があるハクは、半分冗談半分本気で苦言を呈する。

 このまま緋月の格が落ちたらどうすると言うのだ。ハクの琥珀色の瞳はそんな事をありありと語っていた。


「ふふ……。そうでは無くて……その、ええと……私、このままではいけない、と思いまして……」


 その苦言にヤタが噛み付く前に、桐がやり取りに笑いながらも心の内を吐露した。歯切れの悪い言葉には、どうすればいいのかという苦悩の気持ちがハッキリと滲んでいる。


「このままでは……? それは……どういう事です? 記憶喪失のままではいけないって事ですか?」


 ヤタは難しそうな顔をしながら首を傾げた。彼女には隠された思いを読み解くなどと言う高度な技術が出来るはずも無く、ずけずけと無遠慮に踏み込んでいく。それを見つめるハクの目は冷ややかな物であった。


「あ……、それもあるんですけど……えぇと、その、蒼嵐さん……の事、です」


 そう言う桐の瞳が、蒼嵐の名を呼ぶその一瞬だけ痛切に揺らいだ。

 ヤタによって護衛の任を解かれた彼は、現在はヤタの代わりに訓練場にて教官をやっているらしい。何とも不似合いだとハクは密かに感じていた。


「まぁだそんな事気にしとったん? あん子もこいつ(ヤタ)も、気にせんでええって言うとったやんか」


 そんな失礼な事を考えながらハクは、終わった事に頭を悩ませる桐を優しく叱咤した。過ぎた事にいつまでも頭を抱えるというのは、やはり精神的にも宜しくない。


「そうなんですが……やっぱり、このままだといけないと思うんです。ヤタ様だって、いつかは緋月さん達と一緒に帰ってしまいますから……。だから私、変わりたいな……って」


 だが、そんなハクの心配とは裏腹に、桐は空色の瞳に強い意志を宿して言い放った。相変わらずその表情に不安は付き纏っていたが、彼女は後ろめたい思いで悩んでいる訳では無さそうだ。


「ふーむ……まぁ、変化を求めるのはいい心掛けですね。いいでしょう、ヤタさんが協力してやりますよ!」


 不安げに、しかししっかりとこちらを見据える瞳に射抜かれ、ヤタは暫しの逡巡の後に肯定の意を示した。それだけではなく、「協力する」と手までも差し伸べる。


「本当ですか……!? ありがとうございます……!」


「協力って、具体的には何するん? 記憶を取り戻すのと同じくらい難しそうやけど……」


 ここで冷静に異を唱えるのはハクだ。記憶ですら取り戻せていないのに、また新たな問題を解決しようとするなど無謀に近い。


「そうですね、まずは――」


 しかし、ヤタにもヤタなりの考えがあるらしく、彼女はパチンと指を鳴らすと自信満々に口の端を吊り上げるのであった。


****


「む……っ無理……っ! 無理です……っ! 絶対に、無理……っっ!」


 数分後、桐は早速、ヤタへと協力を仰いだ己を呪っていた。押し問答が行われているのは桐が拠点としている部屋の前。開け放たれた(ふすま)を境目に、桐は涙目で何かを拒んでいる。


「なんです、変わりたいと言ったのは桐じゃないですか! 物は試しと言う奴です、抵抗してないで早く行きますよ!」


 彼女が拒んでいる物――それはヤタだ。正確に言えば、ヤタが手を引いて、何処かへ連れて行こうとしているのを拒んでいるのである。


 何故こうなっているのか、その理由は単純明快だ。ヤタが自信満々に提案した事、それは――。


『まずは、訓練場に行って男という存在に慣れちまえばいいんですよ!』


 何とも脳筋という言葉が似合う荒療治。その言葉を聞いた桐は流石に飛び上がって逃走を目論んだが、それをヤタがあっさりと阻んだのである。


「は、ハク様っ……たすけ……っ!」


 尋常ではない程のヤタの馬鹿力に引かれ、痛みと焦りと恐怖から桐は半泣きでハクを頼る。最後の砦はニコリと笑い、桐の肩に手を優しく置くと、


「はいはい、ウチもついとるから平気なんよぉ。ちょっとだけ、な?」


 と慈悲深い笑顔のまま悪鬼の如き言葉を放った。桐の喉が絶望に鳴る。だが、二柱の神はそれに気にすることなく、片やぐいぐいと、片やにこにことしながら桐を連れ出そうとしていた。


「ほれ、ちゃんと捕まってて下さいよ!」


 そうしてようやく回縁(まわりえん)まで桐を連れ出し、ひょいと抱きかかえたと思えば、ヤタは形のいい眉を(ひそ)めながらバサリと羽を打つ。

 あっという間にヤタの小脇に抱えられた桐は、自身の身体に強い重力がかかるのを感じて、思わず叫び声を上げた。


「えっ!? あっ!? きゃぁぁああぁあっ!」


 素っ頓狂且つか細い悲鳴が木霊(こだま)し、城内に居た面々は何事かと回縁(まわりえん)から顔を出す。そんな彼ら彼女らの視界を奪うのは、桐を抱えて飛び立ったヤタでは無く、最上階から飛び降りて来たハクであった。

 ハクは何事も無かった様に着地すると、周りで腰を抜かしそうになっている鴉天狗達へ手を振る。


「――は、ハク!? 何してんの……!?」


 否、腰を抜かしそうになっていたのは鴉天狗達だけでは無かった。聞き馴染みのある声に振り返れば、縁側に座り、団子を片手に呆然としている緋月が。


「ん〜緋月ぃ〜! あんなぁ、今桐を訓練場に連れてこうとしとったとこなんよぉ」


 主の姿を認めたハクは、今まで以上に破顔し、吸い込まれる様に緋月の元まで駆け寄る。ニコニコとしたまま鬼畜の所業について語るハクに、緋月は心底驚いて素っ頓狂な声を上げた。


「く、訓練場ぉっ!? 大丈夫なの!?」


「へーきへーき。やって、克服したい〜って言ったん桐の方やもん。ウチらはただ協力しとるだけなんよぉ」


 物は言いようである。嘘は言っていないのだが、何とも語弊が生まれる言い方だ。こういう誤解を与える言い回しをするのは、流石元晴明の式神というべきだろう。


「う、うーん……? なんか心配だなぁ……。ん、むぐむぐ…………ん、よぉし! あたしも行く! 行こ!」


 流石に絆され切らなかった緋月は、片手に持った団子を一気に頬張ると、串を傍に置いてあった皿の上へ置く。そうしてしっかり咀嚼し、それを飲み込むと、満足そうに縁側からぴょいと飛び降りた。


「ほら、ハク、早く! ヤタが桐ちゃん困らせてるかもしれないから!」


 緋月の背中はあっという間に小さくなる。小さく見える主がぴょんぴょんと跳ねるのを眺めながら、ハクは楽しそうに笑いながらその後を追うのであった。

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