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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第三章 鴉天狗の里編
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十四話 護衛の貴方は

「――ハク、ヤタ! 早く早く!」


 青の里へ来てから何度目かの朝。緋月は式神達を急かしながら最上階へと続く階段を駆け上っていた。


「こら緋月! 一番乗りはヤタさんですよ!」


 それを注意するでも無く、思い切り張り合っているのはヤタだ。彼女はやろうと思えば、こんな階段など使わずに最上階へと辿り着く事も可能なのだが、やはり緋月と張り合う事が楽しいのだろう。彼女自身の強みである空へと行かず、純粋に足の速さだけで勝負していた。


「阿呆、張り合ってどうするん? 走ったら危ないんよぉ、緋月ぃ」


 その様子を後ろから見守っていたハクは半眼になってヤタに叱責を飛ばした後、やんわりとした口調で緋月を注意する。


「あっ、そー兄だ! おはよーっ!」


 しかし、その声は緋月の耳には入らなかった様だ。最上階まで駆け上がり、そこで目に入った蒼嵐へと挨拶をし、彼の横を駆け抜けて行く。


「――っ!?」


 風の様に駆けて行く緋月とヤタに驚いたのか、蒼嵐は咄嗟にその挨拶を返す事が出来なかった様だ。普段から変化に乏しい表情にも、僅かに困惑と驚愕が張り付いている。


「んもぅ、聞いとらんし……あ、おはようさん」


「あ、あぁ……」


 不服そうに呟き、一人のんびりと歩くハクとすれ違った事でやっと状況を飲み込んだらしい蒼嵐は、結果的にハクの挨拶だけに返事をしながら、緋月とヤタが消えて行った部屋へと目をやるのであった。


****


「よーっしあたしの勝ちっ! 桐ちゃ〜ん! おっはよーっ!」


「くっ……負けました……!」


 スパーンと(ふすま)を開ける音と共に部屋へ飛び込んで来たのは、緋月。続いてヤタ。


「――! 緋月()()……それに、ヤタ様。ふふ、おはようございます」


 部屋の中で一人、絵巻を眺めていたらしい桐は、突然の訪問者に驚いた様に瞬きを繰り返していたが、やがてその正体が二人だと理解し、すぐ様顔を綻ばせる。

 既に桐は、緋月の事を「緋月様」とは呼ばなくなっていた。それは勿論、緋月が「もう友達だから」と言ったからだ。


「はい、おはようございますです、桐!」


 それを聞いていたヤタも「呼び捨てで構いませんよ」と言ったのだが、桐はそれを「神様を呼び捨てにする訳には……」とやんわりと断った。どうやら彼女も、神や妖を視る目を持ち合わせているらしい。


「おはよぉさぁん。朝から騒がしゅうて堪忍なぁ?」


「あ、ハク様も……おはようございます。ふふふ、流石にもう一週間もこれですから、すっかり慣れましたよ」


 後からのんびり現れたハクも、二人の騒がしさについて謝罪しながら桐と挨拶を交わした。

 桐の言う通り、緋月がここに残ると言ってからもう既に、一週間程が経過している。だが、緋月と桐の記憶が戻る事はまず無かった。


 そもそも記憶を取り戻すと言っても、緋月も桐もどうしていいか皆目見当もつかなかった。その為、この一週間ずっとこうして桐の元へ通っては他愛の無い会話をし、そのまま日暮れまで過ごすという生活を送っていたのである。

 故に、記憶が戻らないのも仕方の無い事なのだった。


「うーむ、それにしても今日で三勝三敗一分けですか。おかしいですね、ヤタさんは速さにも自信があったのですが……」


「えっ、ヤタって飛んでない時でも足速かったの!?」


「はっ! そうです、それです! そうでした、ヤタさん飛んでませんでしたね!」


「はぁ〜流石やねぇ、アホガラス……」


 それに、いつも()()なのだ。基本的に緋月とヤタが頭の足りない会話をし、ハクがそれにツッコミを入れる。桐は、それに対してずっと楽しそうに笑っている為、自分から話をする事があまり無いのだ。


 傍から見れば何とも無為な時間を過ごしている訳だが、緋月は焦っていても仕方ないと考えている為、こうしてまた一日が過ぎていくのであった。



「……あ、そう言えばさ!」


 そこで、ヤタとくだらないやり取りを交わしていた緋月が、何かを思い出したかの様に声を上げた。残りの三人はキョトンとした顔つきで、緋月の次の言葉を待つ。


「あたし、この前からずっと気になってたんだけど……そー兄っていっつも外にいるよね! あそこでずっと何してるのかなぁ?」


 緋月が思い出したのは、ここへ来る前にすれ違った蒼嵐の事であった。この一週間、毎日彼の真横を駆け抜けて桐の元まで来ていた事を、何となく思い返したのである。

 それに現在も尚、部屋の外――つまり回縁(まわりえん)に彼の気配を感じるのだ。この部屋にも、一つ隣の棟梁(とうりょう)の間にも入る事無く、何故かずっと回縁に留まっている。


 そんな蒼嵐は一体何の為にそこにいて、一体何をしているのだろうと気になった次第だ。


「あぁ、そう言われればそうやねぇ。ずっとあっこにおるみたいやし、何しとるんやろねぇ」


「言われてみればそうですね? 疾風とは違って、昼間訓練場に現れる事もありませんし」


 ハクもヤタも、緋月の純粋な疑問に口々に声を上げた。ちなみにヤタは、緋月達と共に桐の元へ来てしばらくすると、一時離脱をして訓練場へと足を運んでいる。

 どうやら初日に吹っ飛ばした兵士に懇願されたのがきっかけで、この里の兵士達に訓練をつけているらしい。


「だよねぇ。桐ちゃんも何か知らな……桐ちゃん?」


「――っ! す、すいません……!」


 二柱(ふたり)を持ってしてもその理由は分からなかった為、仕方無くここの住民とも言える桐に話を聞こうとした緋月は、その桐が硬い表情のまま俯いていた事に気が付き、どうかしたのかと声をかける。

 桐はそれに驚いたのか、薄い肩口をびくりと震わせて、慌てて謝罪を口にした。


「……? なんか知っとるん?」


「あ、その……」


 その態度に疑問を抱いたのか、ハクは遠慮する事無く問いかける。その口調は決して厳しい物では無く、寧ろ優しい物であったのだが、桐は今にも泣き出しそうな表情になって口ごもった。


「……あの人は、私の護衛……なんです」


 やがて、震えた声で桐が告げたのはそんな言葉。消え入りそうな声を聞き届けた三人は、お互いに首を傾げながら顔を見合わせる。


「護衛、ですか? ……護衛なのにアイツ、外にいやがるんです?」


 そう問うたのは、この中で一番護衛に縁があるヤタだった。その声にいつもの様な爽やかさは無く、僅かに咎める様な厳しさが宿っている。


「え、えっと……」


 ヤタの刺す様な問い掛けに、桐は再び口を噤んだ。やがて意を決した様に顔を上げると、泣きそうなまま静かに語り始める。


「……そ、その……私……怖いん、です。男の人が。前に緑嵐様が発作を起こした時、あの方達もいらっしゃって……その時私、本当に怖くて……倒れてしまったんです」


 そこで桐は一度言葉を切り、蒼嵐が居るであろうと予測される方向へと視線を向けた。揺れる浅葱の瞳には、当時の恐怖が色濃く現れている。


「その時から、あの人はずっとああやって外に……。私だって、凄く申し訳ないと思ってるんです。でも、私、謝る事すら出来なくて……!」


 それが瞬時に申し訳なさそうなものに変わり、絞り出される声も己の不甲斐なさを責める様な悲痛さを帯びた。

 緋月は何と声をかけるべきか分からず、ただ静かに「桐ちゃん……」と彼女の名前を呼ぶ事しか出来ない。ハクも言葉を選びあぐねている様子だった。


「ふむ、なるほど? 要はアイツを解放してやればいいんですね? なら、しばらくはヤタさんが護衛を引き受けてやろうじゃないですか!」


 しかし、ヤタだけは簡単な事だと言わんばかりに言い放った。本神(ほんにん)は名案だと目を輝かせていたが、それを聞いたハクが浮かべた表情はヤタと真逆のものであった。


「はぁ? 何言うてんアホガラス。そんなん、勝手に決める訳には……」


「ふむ、それもそうですね。なら今から言って来ますよ! ――ほい蒼嵐、話があります!」


「え? ちょ、待ちぃ阿呆!」


 何故かハクの制止を肯定的に捉えたヤタは、身体を振り子の様に揺らして立ち上がると、ハクが止める間も無く襖を開け放って外へと飛び出して行く。

 僅かに蒼嵐が息を飲む音が聞こえた気がした。


「いいですか? これからしばらく桐の護衛はヤタさんにお任せ下さい。お前は稽古なり何なりして好きに過ごすといいですよ! ……いえ、礼なんていいです。――え? 代わりに兵の訓練はつける? あぁ、わかりました! えぇ、ではその通りに!」


 しかし、それ以降一切蒼嵐らしき声は聞こえなくなる。襖は開け放たれたままにも関わらず、だ。

 ただ代わりにヤタの大きな声も筒抜けになっていた為、二人が一体何を話しているのかおおよその検討は付いた。


 やがて話し声が途切れた途端、蒼嵐の気配が急速に遠のいていくのを緋月は感じ取る。恐らく、回縁(まわりえん)から飛び立ったのだろう。


「お待たせしました! 結果は――」


「言わんでも丸聞こえやったんよぉ……。まぁ、お前の声だけやったけど」


 何処か冷めた目をしているハクは、まるで凱旋を行うかの様に戻って来たヤタの言葉を遮って、堂々と皮肉をぶつける。


「煩い虎ですね、少し黙りやがれ下さい! とにかく、しばらくはヤタさんが桐の護衛を務めますから! どうかしばらくよろしくお願いしますね!」


 ヤタはハクを睨みながらそれをピシャリと一蹴すると、気を取り直す様に無い胸を張って桐へと手を差し出す。


「――は、はい……っ!」


 少しの間それを呆然と見つめていた桐であったが、何度か瞬きを繰り返してようやく状況を飲み込んだのか、少し上擦った声で慌ててその手を握り返した。

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