十三話 気になる人の子
「あ、ごめんなさい……! その……あたし、やっぱり桐ちゃんのことが気になっちゃって……」
全員の視線を一身に浴びた緋月は、慌てた様に手を振って謝ると、しゅんとした様に耳を下げた。その脳裏に浮かんでいるのは、やはり自身を知る少女の顔。
「桐……? あぁ、もしかして緋月を知っていると言う人の子の事かい?」
申し訳なさそうな緋月から零れた桐と言う名前に、晴明はもしかしてと反応する。自身の知らない名前、そしてこの短時間で緋月が気にする様になったと考えれば、その結論に至るのも容易い。
「――! そう! ってあれ? なんでじー様、桐ちゃんが人の子ってこと知ってるの?」
緋月はパッと瞳を輝かせたと思えば、すぐ様それも一転。キョトンとした顔になって祖父に問う。その姿はまさに百面相だ。
「ふふ、さっき天嵐君から聞いたんだよ。何らかの事情があって人の子を置いているとね。それで……、どうして、その彼女の事が気になるのかな?」
それがあまりにも面白くて、可愛らしくて、晴明はニコニコと破顔しながら、居るはずの無い人の子がこの隠り世に居る事を知っていたと白状する。
「あ、えっと……あたしね、桐ちゃんのこと知ってるみたいなの。あ、でもでも、記憶が戻ったとか思い出したとかじゃなくて……うぅ、なんて言えばいいんだろう? 桐ちゃんのこと見た瞬間に、桐ちゃんだってパッと名前だけ思い浮かんで……」
晴明に促される様に、緋月はポツポツと話し始める。しかし、自分でもひどく曖昧な思考回路のままの様で、その説明はどこか不明瞭であった。
緋月自身も自信が無さげな表情だ。再び耳も下がってしまっている。
「……? 何だよ緋月、その桐って人と話したんじゃ無いのかよ?」
その姿に違和感を覚えたらしい紅葉が口を挟んだ。
今話題に挙がっている桐と言う人物と話したのなら、その桐自身からある程度の事は聞いていてもおかしくない。お前は一体何を話していたんだ、と言う困惑が彼女の視線から見て取れた。
「あ、じ、実は……桐ちゃんもあたしと一緒で記憶が無いみたいで……でも、桐ちゃんもあたしの名前だけは覚えてたから、自分のことを教えてもらおうとあたしを探してて……」
紅葉の言及を受けた緋月は、観念した様に白状する。自分を知っているはずの少女が、自分と同じ様に記憶喪失である事を。
それを聞いた鴉天狗の一行は、「あたしと一緒で」と言う言葉に僅かに動揺し、
「えぇっ!? 記憶喪失!?」
緋月の一行は桐も同様であった事に声を上げた。晴明と天嵐の視線が交差する。お互いに、「何故言わなかった」とでも言いたげだった。
「それって……お互いに、お互いの名前は知っとって、せやけど自分の記憶はあらへんからお互いに頼ろう思ってたんに、その肝心な記憶がお互いに無かったって事……なんね?」
動揺に包まれる場の中、のほほんと状況を纏める者が一柱――ハクだ。彼女は言いながら「複雑なんねぇ」と頷いている。
それはどこか呑気な物言いだったが、ハクが口にした状況は明らかに絶望的。全員が戸惑った様に押し黙る。
「そう、そういうこと! ……もし、桐ちゃんがあたしの大事なお友達で……もし、今そのことを思い出せてないのなら、あたしはちゃんと思い出したい。忘れたままなんか嫌だよ……」
そんな中、緋月は懸命に声を上げる。まるで今にも泣き出してしまいそうな声色に、再び緋月がその場の視線を集めた。
俯いたままの緋月の表情はよく見えない。懸念と戸惑い、そして静観の視線が緋月へと突き刺さる。
「あのね、だからもう少しここに居たい! ……いい、かな?」
瞬間、緋月はパッと顔を上げた。そのべっ甲の様な瞳に宿るのは、駄目だと言われてもこの場に残りそうな程に強い意志。
真っ直ぐに見つめられた天嵐は、黙ったままそれを見つめ返していた。
「僕は勿論構わないけど……。どうかな、天嵐君」
「はは、そんな風に言われて追い返せる訳ねぇだろうが」
その真剣な表情も、旧友に声を掛けられてフッと和らいだ。どうやら緋月の意志の籠った瞳は、棟梁の心をも動かしたらしい。
「――ただ、最近赤や黄の一族の動向が怪しくてな。もし戦が始まりそうだったらその時は……」
しかし、次の瞬間には天嵐の顔付きはまた真剣な物に戻っていた。その口が紡いだのは「戦が始まるかもしれない」と言う事実。左右に控えた彼の息子達はどちらも目を伏せ、どこか苦しげな表情になっていた。
「勿論! 喜んで手を貸すよ!」
そんな中でも空気を読まないのが晴明だ。彼はパンと手を叩くと、「任せてくれたまえ」と言わんばかりの笑顔を見せ付ける。あまりの傍若無人振りに紅葉は思わず「おい!」と声を上げてしまった。
「馬鹿野郎、その前に帰れって言ってんだ。もうしばらくは平気だろうが、あまり悠長にさせてる時間は無いかもしれん。それだけは念頭に置いといてくれ」
天嵐は眉間に皺を寄せて首を横に振る。その顔には呆れの色が浮かんでいたが、紺碧の瞳には「他を巻き込む訳にはいかない」と言う頑なな意志も示していた。
そのまま彼は緋月へとその目を向けると、ゆっくりと子を諭す様に語り掛けた。
「……! うん、分かった! ……あ、じゃなくて、分かりました! あたし、頑張って桐ちゃんのこと思い出すね!」
強い瞳に真っ直ぐ射抜かれた緋月は、少しだけ身を固くして頷いた。これが単なる口約束では無い事は緋月でも理解出来る。
その為か、緋月は一度口調を改めようとしたが、それも上手くいかなかった。すぐ様いつもの調子に戻った緋月を見て、天嵐は堪えきれないと言わんばかりに笑い声を漏らす。
「はは、そうか、随分と元気良いもんだな。さてどうする? 俺と晴明は他の細かい事を話し合うが……」
「そうだね、少し込み入った話になるだろうし、緋月も紅葉も自由にしてもらって構わないよ?」
そうして、晴明と天嵐はお互いに視線を交わすと、まさに阿吽の呼吸の様に話を進めた。
「あ、じゃああたし、もっかい桐ちゃんのとこ行ってくるね! 紅葉も行く?」
解放された緋月は、パッと表情を明るくしながら立ち上がると、もう一度桐の元へ行くと宣言した。そのまま傍に座っていた紅葉へと手を差し伸べたが、
「んー、いや、俺はいいよ。俺も細かい話とか、色々聞いておきたいことあるし。……それに、爺さんと棟梁様が顔見知りっぽいのも気になるからな」
彼女は首を横に振り、その手を取る事は無かった。その理由もしっかり者の紅葉らしい。チラリと彼女の視線を浴びた晴明は、ニコリと意味深長に微笑んだ。それを見た紅葉は、まるで十六夜の様に半眼になる他無かった。
「そっかぁ、わかった! じゃあ……ハク、ヤタ、一緒に行こ!」
そうなれば、緋月は特に無理強いはしない。ニパッと笑顔になると、傍に控えていた式神の二柱へと声を掛けた。
「ん〜、ええんよぉ」
「はい、もちろんです!」
両名とも、勿論答えは決まり切っている。ハクもヤタも緋月に続いて立ち上がった。三人――一人と二柱はわちゃわちゃと会話をしながら、桐が待つ隣室へと去って行く。
「……さて、教えて貰うぞ! 爺さんと棟梁様は一体何を知ってるんだ?」
「あはは、紅葉、何だか顔が十六夜みたいだよ?」
緋月と式神達が出ていったのを確認した後、紅葉は立ち上がり、ずいと晴明へと詰め寄った。当の詰め寄られた本人は楽しそうにケラケラと笑っている。
「あ、そうそう! 何で父様と晴明様は知り合いなの!? ね、蒼も気になるよね!?」
今まで静かにしていた疾風も、ようやくと言った風に口を開いて、未だ押し黙ったままの蒼嵐へと賛同を求める。
「……俺は知ってる」
「あれぇ何で!?」
それを皮切りに、再び棟梁の間は賑やかになって行く。やいのやいのと騒がしくなっていく一同を眺めながら、隠形したままの美藍はふわりと欠伸をした。




