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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第三章 鴉天狗の里編
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七話 似た者同士、行き止まり

「――――!」


 名を呼んだ瞬間、少女――桐は更に目を見開き、ポロポロといくつもの雫を零していく。


「ひづき、様……!」


 桐は再び緋月の名を呼ぶ。彼女が自分の何であったのかは思い出せない。それでも、彼女に名前を呼ばれる度に心が震えるのだ。


「ずっと、ずっと……! お会い、したかった……っ!」


 桐はしゃらしゃらと鈴を転がす様な声で、思いの丈を絞り出している。彼女が何者かは分からない。でも何故か、「()()()()()()()()()()()()」と強く感じているのだ。


「あたし……」


 様々な感情が緋月の脳内を支配して、上手く言葉が出せない。口から零れるのは微かな吐息だけ。


 ――どうして? あたし、桐ちゃんのこと何も分からないのに、すごく会えて嬉しいって思ってる。


 ――そうだ。あたし、桐ちゃんに謝らないと。


 ――なんで? 何を?


 ――分からない、分からないよ。桐ちゃん、貴女は一体あたしの……。


「――っ、ぅ……けほっ、ごほ……っ!」


 銀糸の様な嗚咽と、僅かに荒い呼吸音が支配していた空間を裂いたのは、とても苦しそうな咳の音。


「――! 緑嵐(りょくらん)様……っ!」


 咳をしたのは蒼嵐の母らしき女性。その音に我に返った桐は涙声のまま鋭い声を上げた。緑嵐と呼ばれた彼女は身体をくの字に曲げ、何度も苦しそうに咳き込んでいる。


「……っ! そー兄のおかー様、大丈夫っ!?」


 同じく我に返った緋月も慌てて緑嵐へと駆け寄った。先程までは遠くて気付かなかったが、彼女の顔はいつもの十六夜よりも青白く、今にも倒れてしまいそうであった。


「げほっ……、ぅげほ……っ! っ、は……ごめん、なさいね……ご心配を……っげほ!」


「緑嵐様……っ! 無理に喋らないで下さい! 今医師と薬師を呼びますから!」


 緑嵐は何度も咳き込みながらも謝ろうとする。桐はそれを(いさ)めながら立ち上がると、傍にあった鐘をゴンゴンと鳴らす。


「――どうかこの者に安らぎと癒しを、急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」


「えっ……」


 そしてすぐさま緑嵐の手を取ると、まるで祈る様に()()()を掛けた。緋月はそのことに驚いて、思わず緑嵐の背をさする手を止めてしまう。


「――緑嵐様!」


 それって、と緋月は小さく漏らしたが、それも駆け付けたらしい医師と薬師の声に掻き消されてしまう。その為、緋月は呆然としたまま桐を見つめることしか出来なかったのである。


「……あ、えっと……緋月、様。皆様のお邪魔になっちゃいますので、隣のお部屋に移動しませんか?」


 医師や薬師に囲まれた緑嵐を心配そうに見つめていた桐は、緋月の視線に気付いてハッと我に返ると、優しく緋月の手を取って微笑みながら語りかける。


「あ、う、うん!」


 とにかく緋月は陰陽術のことについて尋ねたい気持ちでいっぱいであったが、桐が言うことが最もだ。慌てて頷けば、桐はニコリと可愛らしい微笑みを見せて「こちらです」と緋月の手を引いた。


****


「……ねぇ桐ちゃ……あ、桐ちゃんって呼んでもいい?」


 別の誰も居ない部屋に移った途端、緋月は堪えきれないと言う様に口を開く。陰陽術のこと、彼女のこと、そして、何よりも()()()()のこと。何もかもが疑問で、頭の中がいっぱいになってしまいそうなのであった。


「……っ、はい!」


 桐は瞳を潤ませながら力強く頷いた。名前を呼んだだけでこの反応なのだ。きっと彼女は、自分の大切な存在であったに違いないと緋月は予想していた。


「えっと……あたし、色々聞きたいことがあって……」


 それにしても何から聞けばいいのだろうか。緋月はしどろもどろになって言葉を探す。だが、聞きたいことが多すぎて上手くまとまりそうに無かった。


「……ふふ、ゆっくりでいいですよ」


 そんな緋月の様子を見てか、桐は小さく笑い声を上げて口元を(ほころ)ばせる。その表情には彼女の「嬉しい」という感情が色濃く現れていた。


「えっと、えっと……! そうだ! まず、陰陽術のこと! さっきのって治癒術だよね!? あれ、すっごく難しくて紅葉でも使えないのに、なんで使えるの!?」


 まずは一つ。先程見た治癒術についてだ。本来「生」という物は陽の気に満ちているものだ。治癒術はその陽の気に働きかけることにより発動されるものの為、半妖――つまり陰の気を人間よりも多く含む緋月や紅葉には扱いが難しいのである。


「……陰陽術と、言うのですね。この力がどうして使えるのかは、私にも分からないんです。でも……この里で目が覚めて、()()()()()()()()()私に……この力だけがたった一つ、当たり前の様に残っていたんです」


 瞠目、直後見開かれた瞳はゆるゆると閉じられる。一つ一つ噛み締めるような言葉。再び開かれた(まなこ)には、絶望と不安、そして僅かな希望が宿っていた。

 桐は言いながら己の(てのひら)を注視する。その手に柔らかな力が灯るのが感じられた。混じり気の無い、純粋な陽の気。つまり――。


「……桐ちゃんは、人間?」


「え……?」


 緋月の出した結論に、桐は心底驚いたかの様に顔を上げた。その顔はまるで、「どうして知らないのか」と言いたげで。緋月はチクリと胸が痛むのを感じた。


「ご、ごめんね桐ちゃん! あたし、実は昔のこと何も覚えてなくて、桐ちゃんのこと何も分からないの! でも、でもっ! どうしてか、貴女が桐ちゃんだって言うのは分かるの。だからお願い、桐ちゃん……どうか桐ちゃんのことも、昔のあたしのことも教えて!」


 緋月はまるで鳳仙花(ほうせんか)が弾けるかの様に言葉を放った。キュッと目を(つぶ)って、勢いに任せるかの様に。


「――――」


 小さな部屋に閑寂(かんじゃく)が訪れる。

 怒らせてしまったのだろうか。緋月は恐る恐る目を開け、そっと桐の方に視線を向ける。


「――そん、な……」


 桐から零れた一言。その声は震え、動揺と絶望が共に吐き出されていた。彼女は震えながら手を胸の前にやり、静かに俯く。彼女の黒髪がその表情を隠した。


「……っ」


 その様子に緋月は何も言えなかった。ギリと奥歯を噛み締めて、ただただ桐を見ていることしか出来なかったのだ。


「……緋月、様」


 静かに絞り出された、己の名前。緋月はびくりと肩を震わせた。そうして、何を言われてもいいように覚悟をする。こんな自分、「帰ってくれ」と言われてもおかしくないのだ。

 探し求めていた者が、自分のことを覚えていなかった。そんなこと、あっていいはずがない。容易に受け入れられるはずが無いのである。


「ごめん、なさい……っ!」


「……へっ!?」


 しかし、桐が放ったのは謝罪の言葉であった。予想していた言葉たちとあまりにも違い過ぎて、緋月は思わず素っ頓狂な声を上げる。


「え……、ええっ!? 何で桐ちゃんが謝るの!? 桐ちゃんのこと忘れちゃってたのはあたしなんだよ!?」


 緋月はワタワタと手を動かしながら訴える。いくら桐が優しい心根の持ち主だとしても、彼女が謝ることは何一つ無いのだ。


「違うん、です……!」


「ち、違うって何がぁ……っ!?」


 俯いたまま叫ぶ桐。その表情は髪に隠れて伺えない。緋月はすっかり困ってしまって半泣きだ。頭の中は既にごちゃごちゃになっている。


「私……私も! 記憶が無いんです……! だから、緋月様に……自分のことも緋月様のことも、お伝え出来ないんですっ!」


 そう言って、桐はパッと顔を上げた。彼女の表情は悲痛なものであった。そう、それは先程まで緋月がしていた様な表情。罪悪感と不安に彩られた、苦しげに歪められた顔。


「……ぇ?」


 理解が追いつかず、形だけの困惑が声として、緋月の口からこぼれ落ちる。


 桐は「私も記憶が無い」と言った。それはつまり、今の緋月と同じ状況だ。記憶が無い、だから、唯一覚えていた「緋月」という存在に頼ろうとした。それは緋月も同じである。

 しかし、ようやく見つかった「緋月」は自分と同じく記憶喪失。その上無くした記憶について教えてくれないかと言っている。


「え、え……そ、それってつまり……」


 徐々に理解が追いつき始めた緋月は、口をわなわなと震わせながら(かぶり)を振る。顔から急速に血の気が引いていくのを感じていた。


「あたしたち、お互いの名前しか分からない者同士ってことぉっ!?」


 (とどろ)いた素っ頓狂な絶叫は、虚しく部屋に響き渡るのであった。

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