二話 思い出した!
「はぁ助かったよ。二人ともありがとうね」
「いえいえーっ! また困った時は陰陽亭にお越しくださいね!」
安堵したように微笑む猫又に見送られ、緋月たちは古民家を後にした。
ここは妖街道の肆番街道。清く澄んだ川沿いに数多の妖怪たちの住処が建ち並んだ住民街だ。
そのため、基本的に陰陽亭への依頼はこの肆番街道から持ち込まれることが多い。
とはいえここは住民街だ。そんなに重大な依頼が持ち込まれることは滅多になく、大体が失せもの探しや住処の些細な修繕程度の依頼であった。
現在緋月と紅葉は、便利屋としての陰陽亭の役割を果たすためにここまで赴いてきたのである。
「……おし、これで玉緒さん家の屋根修理は終わりだな」
紅葉は依頼がまとめられた帳簿に、細々と特記事項を書き込みながら呟いた。
ビッシリと細かい文字が刻まれたこの依頼帳簿を管理しているのは勿論紅葉だ。
緋月に任せると何一つ伝わらない依頼記録が出来上がるため、十六夜直々に紅葉が任命されたのだった。
「ほんと!? はぁ良かった〜。玉緒お姉さんはいつでもいいって言ってたけど、流石に何日も屋根に穴空いたまま寝るのはやだもんね!」
緋月はその紅葉の呟きを聞いてほっとしたように息をついた。
事実、屋根修理の依頼が持ち込まれたのは数日前で、緋月は早めに何とかしたいと思っていたのだ。
「っはは、まあなー。……うし、今の依頼で午前中の予定は最後だな。陰陽亭戻って飯にしようぜ!」
紅葉はパラパラと依頼帳簿を確認してからそれを閉じると、満足気な笑顔になって緋月に呼びかけた。
ちなみに妖街道で言う午前は、現し世で言う午後だ。妖街道には朝も昼もないが、皆何となくそう呼ぶのが習慣になっていた。
「やったぁ〜! あたしもうお腹ペコペコだよぉ……」
緋月は心底嬉しそうな歓喜の悲鳴をあげると、ぐるぐると主張を続けるお腹を押さえた。
それからどちらからともなく取り留めもない話を始め、二人は関所へと向けて歩き出した。
関所というのは、伍番まである全ての街道と、妖街道の役所的存在である『月楼』を繋ぐためにある門の事だ。
伍番までの各街道には、壱番からそれぞれ土、火、木、水、金といった五行の力が割り当てられている。
その為その力が混ざり合わないように、妖街道はしっかりと区域が分けられているのだ。
そうしてしばらく歩き続けた後、不意に緋月はピクリと耳を動かした。
「……あ、ちょっと待って紅葉!」
そして何かに気付いた様子の緋月は、慌てて紅葉にそう告げてどこかへ駆け出して行った。
「は? ……あ、おい! どこ行くんだよ!?」
唐突に関所とは別の方向に駆け出した緋月に驚いて、紅葉は声を荒らげつつ後を追いかける。
「八百屋のおじちゃーんっ!! 大丈夫ーっ!?」
「アイタタタ……うん? おぉ、安倍んとこの嬢ちゃんじゃねぇか! 今日も元気そうだなぁ! ……イテテ」
緋月が駆け出した先には、普段壱番街道で八百屋を営んでいる化け狸が腰をさすりながら座り込んでいた。
狸は緋月を見るといつもの朗らかな笑顔を浮かべて返事をしたが、その顔はすぐにまた腰に走る痛みに歪んだ。
「あたしは元気だけど、おじちゃんは大変そうだね……大丈夫?」
そんな八百屋の狸を緋月は心配そうに覗き込む。腰の痛みのせいか、彼の変化は半分ほど解けてしまっており丸い耳と尻尾が見えていた。
「おい緋月、一体何が……って三郎さん!? 大丈夫ですかっ!?」
そこでやっとのことで紅葉が追い付いたようで、座り込んでいる狸を目にし慌てて駆け寄ってきた。
「おぉ、従姉妹の嬢ちゃんもいたのか! いやぁ、はるばる肆番街道まで野菜を売りに来たはいいが、ちょいとすっ転んじまってなぁ。そん時に腰をやっちまった様で……イテテ」
化け狸――三郎は紅葉の姿を目にし再び嬉しそうな顔になる。
そして彼は困ったように笑うと、自分に呆れている様な口調でこうなってしまった経緯を口にした。
「うわぁ痛そう……」
緋月はまるで自分の事のように顔をしかめた。困った事に緋月も紅葉も治癒術は使えず、この場で彼の痛みを取り除く事はできなかった。
「……あ! いいこと思いついた! あの、あたしたち壱番街道まで残りのお野菜運びますよ!」
しかし直後、緋月は名案を思いついたと目を輝かせ、腰をさすっている三郎へ嬉々として聞かせた。
「えぇ? いやいや、流石にそこまでは……」
突拍子も無い提案に、三郎は目を丸くしつつもそんな事はさせられないと断る。
「遠慮しないで大丈夫ですよ! 俺、こう見えても力持ちなんで。それに丁度帰るとこだったんです、気にしないでください!」
それを見た紅葉は、彼の心配を振り払うように微笑んで、お任せ下さいと胸を叩いた。緋月もそれに続いてうんうんと頷く。
「そうかぁ? ……うーん、そこまで言うなら断れねぇ、ありがとなぁ」
三郎は自信ありげな二人の態度に折れ、申し訳なさそうに、しかしどこか安堵したように笑った。
「よーしっ! それじゃ壱番街道に帰りましょーっ!」
緋月はにっこり笑って三郎の手を握ると、元気よく宣言する。紅葉も野菜の入った籠を難なく持ち上げつつおーっ、と続いた。
そうして三人は世間話を交えつつ、関所へと続く道を進んで行ったのだ。
****
「いやぁ、助かったぜ二人とも。本当にすまねぇなぁ」
「いえいえっ! 困った時はお互い様ですよ!」
そうして壱番街道、大通り。
無事に八百屋まで三郎を送り届けた緋月と紅葉は、本当に助かったとお礼を言われていた。
「頼りになるなぁ……、ウチにもこんなに頼れる孫娘がいりゃ良かったんだがな! わはは!」
すっかり上機嫌になった三郎は、豪快な笑い声をあげながら緋月と紅葉の肩をバシバシと叩いていた。
「あはは、俺たちは孫娘にはなれないけど、何時でも力になりますんで陰陽亭の方もよろしくお願いしますね!」
紅葉はその言葉に笑いながら、ちゃっかりと陰陽亭の宣伝までしていた。三郎もおうとも、と白い歯を見せながら頷く。
「……? 孫娘?」
一方の緋月はキョトンとした表情を浮かべていた。
何故かは分からないが、孫娘という言葉が引っかかって消えない。
たった今初めて話題にあがったはずの言葉なのに、つい最近にも誰かに言われた覚えがあるような……。
「……おい緋月、何ぼーっとしてんだ、行くぞ!」
「へ? あ、うん! おじちゃんまたね!」
緋月は物思いにふけっていたが、横から紅葉に小突かれて我に返った。慌てて返事をすると、紅葉は怪訝そうな顔をこちらに向けた。
「おう、ありがとうな!」
緋月の様子に気付いていない三朗は、朗らかに笑いながら二人を見送る。そんな彼に緋月は手を振り、紅葉は軽く頭を下げてから八百屋を後にした。
「うーん孫娘……?」
陰陽亭に帰る道中、依然孫娘という言葉が引っかかる緋月は頻りにうんうんと唸っていた。
「何だよ、そんなに孫って言われたのが気になんのか?」
そんな緋月の様子を見た紅葉は、再び怪訝そうな顔で緋月を見つめた。彼女の視線には若干の呆れの色が見えた。
「へ? あ、そうじゃなくね! なんかあたし、最近他の人にも孫娘って言われたような気がして……」
思案していたところに突然話しかけられ、緋月はぱちくりと瞳を瞬かせた。まるで変な物を見るかのような紅葉の視線に気付き、緋月は慌てて言葉を付け加える。
「はぁ〜? 何だよそれ……」
しかし彼女の怪訝そうな顔は深まるばかりで、正直何の解決策にもならなかった。紅葉はため息をついて眉をひそめた。
「うぅ、本当なんだよぉ……はぁ、誰だったっけなぁ……」
緋月は情けない声を出して紅葉に縋るが、知らんわと冷たくあしらわれてしまった。
孫娘。
無論それは何の変哲もない言葉だ。比較的歳をとった妖怪が多い妖街道で生活をしていれば、おそらく自然と耳に入る回数も多い言葉だろう。
だがしかし、どうしても緋月はこの言葉が引っかかるのであった。
誰かの会話から聞こえてきた訳ではなく、それは自分に対して言われた言葉のような――
『今はお眠り、安倍晴明の孫娘』
「あーーーっっっ!! 思い出したぁっっ!!」
と、そこまで考えた途端、緋月の脳裏に再び老婆の声が蘇って、緋月は思い切り声をあげた。
「うわーーっっ!? なんだよ急に!?」
唐突に大声を出した緋月に呼応するように、紅葉も声を荒らげて反応する。既に大通りに到達していた為、何事だろうと周りの視線が二人に集まった。
「ちょ、な、なんだよ緋月。どうしたんだよ?」
その数多の視線に気付いた紅葉は、慌てて緋月を路傍まで引っ張り小声で話を聞いた。
「おばぁさんだよっ! あの妖街道が滅びるって言ってた……あたし、あの人に『安倍晴明の孫娘』って言われたんだよ!」
緋月は少し興奮したような口調で紅葉に告げる。
そうだ、そうだった。あの時の記憶があやふやで目覚めた時には覚えていなかったが、確かに老婆は『安倍晴明の孫娘』と言ったのだ。
これがもし本当のことならば、妖街道が滅ぶ事と同じくらい重大な事では無いだろうか。
緋月はそういった気持ちで紅葉の言葉を待った。
「…………はぁ〜…………ったく何だよ、また夢の話かよ? 真剣になって損したぜ……」
しかし、彼女はやはり今朝の話を信じていないようで、再三心底呆れ返ったようなため息をついて緋月に呆れの視線を向けた。
「なっ、だから夢じゃないってばぁっ!! 信じてよぉっ!」
「へーへーそりゃ凄いですねー、安倍晴明様の孫娘さーん」
そんな取り付く島もない様子の紅葉に緋月は悲しそうな顔で懇願するが、彼女は適当な返答をして陰陽亭へと足を進め始めてしまった。
「あーっ! 絶対に馬鹿にしてるでしょそれ!」
緋月の悲惨そうな叫びが壱番街道に響き渡り、静かにその様子を見守っていた観衆達は、なんだいつもの事かと笑いながら各々いつもの生活に戻っていった。
****
「……え、今なんて……」
昼休憩を迎えがらんとした陰陽亭に、静かに困惑する兄の声が落とされた。
陰陽亭に帰るやいなや、緋月は一目散に思い出した事を十六夜に告げたのだ。返ってきたのは先ほどの微妙な返答。
「うぅ、だから! あたし、妖街道が滅びるって言ってきたおばぁさんに、『安倍晴明の孫娘』って言われたの! 本当なんだよぉっ!」
どうしても信じて欲しい緋月は藁にもすがる思いで困惑する兄を見上げた。
「あべの、せいめい……」
「ほーんと笑っちゃうよなー。いくら何でもそりゃないだろ。な、夜兄さん?」
一方椅子に腰かけ頬杖をついた紅葉は、否定的な横やりを入れながら十六夜の同意を求めた。
安倍晴明。
それは平安時代に生きていた陰陽師の名だ。いくら緋月が半妖とは言え、そんな大昔に生きていた人物と祖父と孫の関係があるはずがない。
緋月だってそれくらいは理解していた。
だからせめて、夢ではないことだけでも信じてもらおうとありのままの記憶を話したのだが、もしかしたら逆効果だったのかもしれない。
緋月は後先を考えずに話をしてしまった事を若干後悔しながら、兄の返答を待っていた。
「…………まさか…………有り得ない……」
しかし十六夜は、緋月の言葉にも紅葉の言葉にも反応しない。
口元に手を当て、どこか青ざめた顔で頻りに独り言を呟いている。
これは十六夜が何か大切な事を思案する際の癖の一つだった。
「……? 夜兄さん……?」
「……あぁ、ごめんね紅葉、大丈夫だよ。…………ねぇ緋月、その話もっと詳しく聞いてもいいかな?」
不安に思った紅葉が声をかけると、十六夜はハッとしたように顔をあげた。
どこか不安げな従妹の顔を見た十六夜は、まず紅葉を安心させるように微笑んで、それから緋月に真剣な表情で語りかけた。
「えっ、信じてくれるの!?」
「んなっ!? どうしちまったんだよ夜兄さん!?」
十六夜のその言葉には緋月の話を信じる、という意味合いが含まれていた。思いもよらない十六夜の発言に、紅葉だけでなく緋月までもが驚いた。
「あ、いや、その……何と言うべきか………………はぁ、仕方ない……どうせいつかは分かることだったんだし……」
十六夜はどこか歯切れの悪い様子で言葉を発して押し黙る。やがてその後、まるで何かを諦めたかのようにため息と独り言を零した。
「…………二人ともよく聞いて。その……、二人には、言っておかなきゃいけない事があるんだ」
十六夜はそう言うと真剣な空気を纏う。ピリ、と陰陽亭に緊張が流れた。
緋月と紅葉はお互いに顔を見合わせると、息を飲んで十六夜の次の言葉を待った。
「僕達はね、正真正銘安倍晴明の孫なんだよ」
静かに、ただ静かに紡がれた言葉は、しんと静まり返った陰陽亭に大きな衝撃を落とした。