六話 天原学園中等部、一年生
あれから約一週間後、緋月は陰陽亭内の鏡の前でうんうんと唸りながら、とある服を着ることに大いに苦戦していた。
「く、くれはぁ……! これであってる……?」
ようやくそれが終わったかと思えば、一足先に準備を終わらせていた紅葉の元へぱたぱたと駆け出した。彼女の前でくるりと一回転すれば、茶を基調にしたワンピースの裾がふわりと揺れた。
「んー? ……っ、はははっ! お前、どうやったらそんなにタイがぐちゃぐちゃになるんだよ」
紅葉は緋月の姿を見た途端、思わず吹き出した。何故なら緋月の首元のタイは、まるで飛び起きた後の布団の様な惨状であったからだ。対する紅葉の首元のタイはピッシリと綺麗な状態である。
二人が今着ているのは、少し前に訪れた『天原学園』の中等部の制服だ。宵霞が言うには、二人の着るこれはセーラー服と言うらしい。彼女曰く、「この色と形は結構珍しいけど、めっちゃ可愛いんだよね」だそうだ。首元のタイは学年によって色が違うらしく、緋月たちがしているのは一年を表す橙色であった。
「えぇっまだ変!? うぅ〜もう紅葉直してぇ……」
緋月がやり直しを喰らうのはこれでもう三度目だ。緋月は半べそをかきながら、紅葉の前の椅子に座り込んだ。紅葉がおかしそうに笑うのを聞きながら、緋月はこんなに難しい制服を着ることになった経緯を思い出すのであった。
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「お二人共、この学園に在籍してみるのはどうでしょう!」
次に全員の鼓膜を叩いたのは、道真のそんな言葉であった。緋月以外の表情が驚愕で固まるのを見届けて、満面の笑みのまま彼はこう続けた。
「もちろんこちらにも準備がございますので今すぐにという訳にも行きませんが、私の神の力である程度のややこしい問題は解消することが可能です。こうすればお二人は自然に調査を進めることが可能ですし、何より私は人の子達が現在まで積み上げて来た学問に触れて頂きたいのです!」
その言葉の意味を少しづつ理解し始めた緋月の顔は、徐々に青ざめていった。いくら阿呆の緋月でも、学校――学び舎に在籍することの意味は分かっている。
「……い、いいん……ですか」
再び訪れた沈黙を破ったのは紅葉だった。緋月と同じく少しづつ言葉の意味を理解した彼女は、緋月とは違って嬉しそうに頬を赤らめていた。
紅葉の武器はその知識だ。その為現し世の学問を学ぶ機会というのは、彼女にとってはまたとない機会なのだろう。
「えぇ、もちろんです! 人の子の記憶を誤魔化すことくらい、私たちにとっては朝飯前も同然ですからね」
道真はニコニコと笑いながら、サラリと恐ろしいことを口にした。
紅葉はそんなことも出来るのかと感心している様であったが、緋月は先程からそれどころではなかった。ちらと紅葉の顔を確認した際に、その表情が期待と歓喜に満ち溢れていることを見てしまったが為に、どんなに嫌であっても嫌だと言う訳にいかなかったのである。緋月の頭の中は苦手な勉強とどう向き合うかでいっぱいだったのだ。
「……緋月ぃ、なんか顔が真っ青なんよぉ〜?」
「へ!? あ、だ、大丈夫!」
そうして緋月がぐるぐると思案してると、何かを察した様なハクは楽しそうにこそこそと緋月に話しかけた。緋月は慌てて笑みを浮かべて答えたものの、その口の端が引きつっていることをハクは見逃さず、くすくすと小さく笑い声をあげるのであった。
ちなみにこの間にも道真は何やら説明を続けていたようだったが、必死に思考している緋月の耳には一切入っていなかった。
「それでは、この方向で話を進めましょうか! 晴明殿、色々話しておきたいことがございますので少しよろしいでしょうか?」
「もちろんだ! ……ただ、僕一人だと心許ないからね。宵霞も一緒で構わないかい?」
「うん、おっけー! てか、元からそのつもりだったし、任せて!」
緋月が一人で頭を抱えている内にどうやら話はまとまった様で、道真は締めくくるように手をパンと叩いた。
「多分時間かかると思うから、緋月たちは先に戻ってていいよーっ! ……って、道わかんないか」
「ん、平気なんよ〜。ウチが覚えとるから、任せてほしいんよぉ」
そこから緋月一行は再び晴明の術に包まれて帰路に着いたのだが、その間ずっと興奮したような紅葉が長々と喋り、時折緋月がそれに相槌を打つといういつもとは真反対の構図が出来上がっていたのであった。
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「……よし、出来たぞ緋月」
「ほぇ? わぁ、ありがとう!」
絶望の記憶を思い起こしている内に、どうやら紅葉の手直しは終わったようだ。声をかけられた緋月がハッと意識を引き戻せば、目の前で紅葉が満足そうな笑みを浮かべていた。
「ん、問題無さそうだな……そろそろ時間だし行くか!」
紅葉はもう一度満足そうに頷くと、チラと時間を確認して沢山の教科書が入った鞄を難なく持ち上げた。緋月もそれに倣って軽々と持ち上げようとしたが、思っていたより鞄が重たくて少しよろけてしまった。
「……おや、二人共もう行くのかい?」
まさに出ようと一歩踏み出した瞬間、今更起きてきたらしい晴明が姿を現し、二人へと声をかけた。彼は二人の制服姿を見ると、ツイと目を細めて「似合ってるよ」と口にする。
「ほんと!? ありがと! じー様……じゃなかった、とー様!」
緋月は嬉しそうに礼を告げる。祖父をじー様とでは無くとー様と呼んで、だ。
これは現し世で過ごすにあたって三人と宵霞で取り決めたことである。何せ今の晴明の姿は、祖父として扱うには若すぎる見た目なのだ。その為、晴明は緋月の父親、紅葉はその兄弟姉妹の娘と言う設定を宵霞が決めた。もちろん緋月と紅葉が従姉妹同士なのは元からである。
「そんじゃ行ってくるな、じ……晴さん」
紅葉はまだ眠そうな晴明に片手を上げると意気揚々と外へと向かい始めた。緋月も慌てて後を追う。
晴というのはもちろん晴明のことだ。流石に安倍晴明という名前をそのまま使う訳にもいかず、晴明は安直に現し世での名前をつけたのである。
「うん、行ってらっしゃい!」
緋月と紅葉は手を振る晴明を横目に、陰陽亭から直接現し世へと飛び出した。これに関しては晴明が「空き地を道真殿から借りて、そこに陰陽亭を丸ごと顕現させたんだ」と言っていたが、緋月にはちんぷんかんぷんであった。
「わ、同じ服……!」
緋月たちがこれから通う天原学園は相当数の生徒が在籍している様で、通学路の商店街へと出れば緋月たちと同じ制服を纏った人々が皆同じ方向へと歩いていた。
『あんまりはしゃいだらあかんよ〜緋月ぃ。あと、ウチの声に大きく反応するのも無しなぁ?』
緋月が嬉しそうに辺りを見回していると、ハクが隠形したまま語りかけてきた。その言葉にハッとした緋月は、小さくこくこくと頷いた。
もちろん緋月の特徴的な狐耳は、晴明の術を込めた札を持つことによって隠されているが、それでも挙動不審になるのは得策ではない。
「この集団について行けば何とかなりそうだな」
『なんね〜。ウチはお役御免なんよぉ、よよよ』
紅葉が苦笑しながら一言。それに同調しながら、「一度辿った道は忘れない」と豪語していたハクはさめざめと泣き真似をした。もちろん彼女は隠形したままなので、二人には見えなかったが。
二人が談笑しばらく歩いていると、ようやく天原学園が見えてきた。二人が他の生徒と同じように正門をくぐると、横から一人の女性に声をかけられた。
「おはよう! えー、貴女たちが転入生の安倍緋月さんと安倍紅葉さん……だね? 私は鈴鹿あさひ、緋月さんのクラスの担任だよ〜」
鈴鹿と名乗った小柄な女性は、人好きのするような笑みを浮かべていた。動きやすそうな黒い上下の似たような服――ジャージに、さっぱりとした印象を与える短髪が似合っている。
「あ、はいっ! あたしが緋月です! こっちは紅葉!」
緋月は鈴鹿の問いに胸を張って答えた。実は今まで親戚に囲まれて生活していた様な緋月は、全くと言っていいほど敬語が使えなかったのである。その為、今日までの約一週間緋月は現し世の勉強概念と共に敬語の使い方を猛勉強したのである。その結果、勉強概念については散々だったが敬語はある程度使いこなせるようになったのであった。
「はーいよろしく、それじゃあ早速クラスまで案内するね? 緋月さんが一組、紅葉さんが三組ね、覚えといて! ……三組の先生は少し忙しいから、私が代わりに案内するね」
鈴鹿は緋月の答えに満足そうに頷いて、颯爽と二人の前を歩き始めた。最初二人は鈴鹿の後に付いて行っていたが、説明をするからと手招かれ、教室に着くまでの間鈴鹿の両隣に各々並んで話を聞いていたのだった。
「そろそろ三組につくよ〜! ……あっ、木場先生! おはようございます!」
そう言いながら鈴鹿は、今にも三組に入ろうとしていた長身の男性に声をかけた。その人はまるで偉人のような立派な髭をたくわえている。
「ぐっもーにん、みす鈴鹿……ん? その子たちは?」
晴明ほどあるのではと感じる、木場と呼ばれた男性はのろのろと振り返って鈴鹿に挨拶を返す。そして見慣れぬ生徒――つまり緋月たちを見つけて首を傾げた。
「ちょ……ちょっと、何言ってんですか! 今日から私のクラスと木場先生のクラスに加わる子ですよ! 職員会議でも言ってたじゃないですか!」
眠たそうな目を瞬かせる木場に向かって、鈴鹿は前のめりになりながらツッコミを入れる。
「そうだった、忘れてた。安倍氏はどっち? よろしく」
その言葉を聞いて木場はポンと手を打った。それからおもむろに手を差し出して、安倍はどちらかと問う。もちろんどちらも安倍なので、緋月と紅葉は困ったように顔を見合せた。
「もう、どっちも安倍さんですってば! 木場先生のクラスは紅葉さん……こっちの子が入りますよ!」
憤慨しながら鈴鹿は、紅葉の肩に手を置いて彼女がそうだと告げた。唐突なことだったので、紅葉はビクリと肩を震わせて驚く。木場はかなり抜けているようで、大丈夫かと考えていた矢先の出来事であった。
「おぉそうか、よろしくね、紅葉氏」
木場はそう言うと、行き場を無くしていた手を紅葉へと向ける。彼は表情の変化が乏しい様だったが、声色はとても優しく、心から歓迎しているのを紅葉は感じ取った。
「えっ、あっ、はい! お願いします!」
紅葉は綺麗な一礼を返してから、差し出されたままの木場の手を握った。鈴鹿はやれやれと言ったように、ふぅと安堵のため息をついていた。
「じゃあ行こう……ぐっもーにん皆の衆、転入生だよ」
木場がそう言いながら入って行くと、三組からは割れんばかりの歓声――否、驚愕の声が上がった。くるりと振り返った木場は、こっちにおいでと紅葉に手招きをする。
「行ってらっしゃい紅葉! また後でね!」
「……! おう!」
紅葉は少し戸惑っていた様であったが、緋月が笑顔で背中を押してやれば、緊張が解れたように笑って教室へと消えていった。
「よし、次は緋月さんの番だね! 一組は端っこだからこっちだよ、おいで!」
紅葉が教室に入ったのを見届けた鈴鹿は、再び歩き始めながら緋月を呼んだ。名を呼ばれた緋月は慌てて返事をして、鈴鹿の元へと駆け寄った。
緋月は鈴鹿に連れられて建物の一番隅にある教室までやってきた。引き戸の近くに「一組」と書かれた札がかかっている。
「じゃあ少し待っててね、入って来て良くなったら言うから!」
鈴鹿はそう言い残すと教室の中へと入っていく。彼女の声はよく通る為、扉を閉め切られた後でも何を言っているのかよく聞こえた。
「はーい、皆さん、今日からこのクラスに新しい仲間が増えまーす。仲良くね! ……緋月さん、おいで!」
緋月は緊張した面持ちで引き戸を開け、教室の中へと入った。僅かな歓声と好奇の視線が緋月へと集まった。
耳は見えていないだろうか、妖気は漏れていないだろうか。緋月の胸は不安と緊張でいっぱいであった。
鈴鹿が何かを言った気がする。緊張で聞き取れなかった。自己紹介と言ったような気もする。
緋月は一度深呼吸をして緊張を吐き出した。思い切り息を吸えば、新鮮な空気が肺を満たした。
そのまま緋月は、とびきりの笑顔を浮かべて自分の名をハッキリと告げた。
「安倍緋月です! よろしくお願いします!」
こうして暖かな拍手と共に、緋月の潜入調査――もとい、学校生活が始まったのであった。




