一話 帰還はまさに矢の如く
朝、妖街道の肆番、一等地の外れにて。仰々しくそびえ立つ鳥居の通り道がぐにゃりと歪んで、一人の女性が姿を現した。
「やっば〜い、本当に超久しぶりだな〜! ……あれ? 知らないうちに沢山家増えてるし! うわ〜、だいぶ変わったな〜!」
その女性――宵霞はきゃいきゃいと楽しそうな声をあげると、知らぬ間に変わっていた肆番街道を見回した。
前居た時はこんな建物無かった、この建物はなんだか見覚えがある、などと宵霞は一人呟きながら目に映る風景を楽しんだ。
「……っと、じゃなくて! とにかく、陰陽亭に行かなきゃだよね。……んと、こっちかな?」
しばらくキョロキョロと辺りを見回していた宵霞だったが、陰陽亭に行かなくてはならないことを思い出してハッと我に返ると、ほとんど見たことの無い風景に等しい肆番街道を一人歩き始めた。
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「待って、この道さっきの通りじゃん! ヤバ、アタシ普通に迷子じゃね?」
「……アンタ、珍しい服装だね」
宵霞が朧気な記憶を頼りにフラフラと歩き回り、ようやく大通りまで辿り着いた時、彼女は案の定見知らぬ風景に囲まれて辟易としていた。
そんなすっかり困り果てた様子の宵霞に、背後から訝しげに声をかける者が一人。
ちなみに今の彼女の服装は現し世の装いで、それを見慣れぬ妖街道の住人たちからすれば、一人で騒ぎ立てながら立ち尽くす彼女の姿は怪しい以外の何物でもない。
「ひぇっ!? こ、これは違くてその……って、あれっ!? もしかして玉緒さん!? 玉緒さんですよね!?」
もちろん宵霞もそのことは重々承知だ。そのため宵霞が慌てて弁明しながら振り返れば、そこには見知った人物が立っていた。
それは玉緒だった。宵霞は嬉しそうに破顔すると、ぽかんとしたままの玉緒の手を取った。
「……? ええと……あれ! アンタ、よく見たら宵ちゃんかい!」
手を取られた玉緒も最初こそ困った様な視線を宵霞に向けていたが、しばらくして記憶の中の人物と合致したのかびっくりした様に宵霞の名を呼んだ。
今でこそ現し世で生活している宵霞だが、もちろん現し世に移る前はこの妖街道で生活をしていた。それも十六夜の相棒として、だ。そのため彼女も妖街道ではかなり有名なのである。
「そうです〜、宵ちゃんです〜! アタシのこと覚えててくれたんですか〜!?」
「当たり前だよ。その目と髪色、一度見たら忘れられないからねぇ」
覚えて貰っていたことを口角を吊り上げて喜ぶ宵霞をみて、玉緒はおかしそうに笑いながら答えた。
というのも、彼女のふわりとしたウルフカットの髪も、ニコニコと笑みに細められた長いまつ毛も、どちらも淡雪の様に真っ白なのだ。
玉緒にそう言われて、一瞬呆気に取られた様に開かれたその目はほんのりと赤い。そう、何を隠そう彼女はアルビノと呼ばれる存在だったのだ。
「あっはは、ですよね! 嬉しいな〜、ありがとうございます!」
宵霞は神の使いとも言われるこの容姿を気に入っているため、笑顔で玉緒の言葉を受け取った。
「にしても宵ちゃん、アンタ現し世に行ったんじゃなかったのかい? どうしてここに?」
思いもよらぬ再会に頬をほころばせていた玉緒だったが、ずっと前に現し世に行ったっきりになっていたはず彼女がここに居ることに疑問を覚えた。
「いやぁ、そうなんですけど〜、十六夜に話があるって呼び出されちゃったんですよ! 今から陰陽亭に行くところです! ほら、なんか最近色々あったみたいじゃないですか。でもアタシ、なんも知らなくて! マジで置いてけぼり〜って感じなんですよねぇ、あはは!」
宵霞は彼女のその疑問に笑顔のままハキハキと答えた。そうしてそのまま続けて、普段から現し世に居るせいで何も知らない自分の現状にケラケラと笑い声をあげる。
「あぁ、そうだったのかい。確かに最近色々あったからねぇ」
宵霞の楽しそうな言葉に、玉緒も思わず口元を緩ませて目を細めた。そうやって玉緒が思い出していたのは、数週間前の大地震を伴う妖街道の大浮上だった。
「……あの、所で……陰陽亭ってどっちでしたっけ? もーアタシがいた頃と風景が違いすぎて、全っ然分からないんです!」
話が一段落した所で、宵霞は言いにくそうに別の話題を切り出した。彼女の記憶の中の肆番街道と現在の肆番街道は全くの別物で、事実この大通りに来るまでにだいぶ時間を使ってしまっていたのだ。
「はは、そりゃそうだろうね! アタイが案内してあげるから付いておいで」
玉緒はほぼ迷子に等しい宵霞の現状を豪快に笑い飛ばすと、手招きをしながら陰陽亭の方向へと歩き始めた。
「うぅ〜、ありがとうございます〜っ!」
宵霞は芝居がかったように大袈裟に目元を拭うと、嬉しそうに前を歩く玉緒の横へと並んだのであった。
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同日、開店前の陰陽亭にて。緋月はるんるんと鼻歌を歌いながら開店準備を進めていた。鼻歌を歌うのは彼女の癖で、気分が乗るとついつい無意識のうちに歌ってしまうのである。
不意にからんころんと緋月の鼻歌と不協和音を奏でる音が鳴り、緋月は慌てて振り返った。
「あっ! ごめんなさい! まだ開店前で……」
その正体は訪問者が来たことを表す、扉に付けられた鐘の音だった。
今は開店前だ。緋月は慌てて入ってきた客の元まで駆け寄り、申し訳なさそうに声をかけた。
「……? お姉さん、なんかどこかで……?」
しかし緋月は言葉を途中で止めて、訪問者である女性をまじまじと見つめた。何故だかは分からないが、扉の前に立つ女性に見覚えがあったからだ。
「えぇっ!? ちょ、ちょっと待ってよ〜! 緋月、アタシのこと忘れちゃったの!?」
その言葉に弾かれたように女性――宵霞は情けない声を上げると、衝撃を受けたようにガクリと膝を着く。彼女はゆるゆると顔を上げると、信じられないと言った様な表情で緋月を見つめ返した。
「へ!? な、なんであたしの名前を!? え、えぇと……その目と髪の毛……、はっ! も、もしかして宵姉っ!?」
緋月からすればひとりでに崩れ落ちた様なものだったので、状況が読めずにあたふたしていた。だが彼女に名前を呼ばれると、驚きながらも慌てて自身の記憶を探って目の前の女性の正体を突き止めようと奮闘した。
むむむと唸りながら改めて彼女を凝視していると、ふとその真っ白な髪とまつ毛に思い当たる人物が浮かび、緋月は素っ頓狂な声で宵霞の名を呼んだ。
「そうだよぉ〜、宵姉だよぉ〜っ! 酷いよ緋月〜っ! アタシのこと忘れちゃうなんて〜っ!」
やっとのことで名を呼ばれた宵霞はうりうりと緋月にすり寄ると、大袈裟な泣き真似をしながら柔らかく緋月を非難した。
「うひゃあ!? ご、ごめんってばぁっ! あたしの覚えてる宵姉は髪の毛長かったんだよぉ!」
「あー、これ? 確かに現し世に行ってからバッサリ切っちゃったけど……」
抱きつかれた緋月はそのくすぐったさに悲鳴を上げながら、ごにょごにょと弁明をする。
宵霞はその言葉にぱちくりと瞬きをして一旦動きを止めると、自慢の白い髪の襟足をさらりと撫でた。
「おい緋月、開店前から何騒いでんだよ? ……って、誰だその人!?」
二人がそうしてきゃいきゃいとじゃれあっていると、紅葉が騒ぎを聞きつけて食料庫の方から現れた。最初こそ呆れた様な顔をしていた彼女は、見慣れぬ宵霞の姿を目にして驚愕の表情を浮かべて後ずさる。
「あ、紅葉じゃ〜んっ! 久しぶりぃ〜っ!」
紅葉の姿を見止めた宵霞はぱぁっと顔を輝かせると、サッと緋月から離れて紅葉の元へ駆け寄った。さっきの泣き真似は何処へやら、彼女の表情はすっかり嬉しそうなものになっている。
「へっ!? どわっ! ど、どちら様っ!?」
急に飛び付いて熱い抱擁をかましてきた宵霞に対し、紅葉は愕然とした顔のまま体を捻って抜け出そうとする。彼女からすれば得体の知れない人物から抱きつかれた様なものだ、恐怖も覚えるだろう。
「あはは、流石に紅葉はアタシのこと覚えてないかぁ。アタシは宵霞! 名前は知ってるかな? 緋月のお姉ちゃんで十六夜の妹だよ〜」
あまりにも嫌がられたため宵霞は苦笑しながら紅葉を離すと、立ち上がってポーズを決めながら自己紹介をした。
「しょ、宵霞さん……って、現し世で生活してるっていう!? えぇ……いや、ごめんなさい、俺知らなくて……!?」
流石に名前は知っていたのか、紅葉はその名を聞いた途端目を丸くして驚く。驚きのあまり何歩か後ずさった後、ハッとして抱擁から逃れたことを慌てて謝った。
「んも〜気にしてないから、緋月みたいに宵姉って呼んでよ! そうそう、今は現し世で歌手やってま〜す!」
宵霞は気にしてないよと手を振ると、呼び方について言及した。そのまま一回転して再びポーズを決めると、楽しそうに笑って自己紹介を続けた。
「えぇと……じゃあ宵霞姉さんで」
「うんうん! これからよろしくね、紅葉!」
紅葉は何だか前にもこんなことがあったな、と笑いながら宵霞のことを姉さんと呼んだ。宵霞はその言葉に心底嬉しそうに笑うと、満を持した様に紅葉へ抱きつく。もちろん今度は紅葉も嫌がらず、少し照れたように笑ってそれを受け止めた。
「二人とも何騒いで…………、は? 宵霞?」
不意にタンタン、と階段を下る音と共に、十六夜の不審がる声が聞こえてくる。さらりと暖簾をかき分けて顔を出した彼は、宵霞の姿を見止めた途端ピシリと動きを止めて信じられないというような表情を浮かべた。
「おぉ〜、十六夜! たっだいま〜っ!」
「え、あぁ、うん、おかえり……いやいや、違う、早くない? 君に帰って来てって話したの、昨日だよね?」
呑気に挨拶をする宵霞に対して、十六夜も律儀に挨拶を返すが、すぐさま頭を振って彼女が居ることへの疑問を口にする。
確かに呼んだのは十六夜だが、まさかその翌日に現れるとは夢にも思っていなかったのであろう。
「え? うん、社長に言ったら『しばらくレッスンしかないから別にいいわよ』ってすぐに休みくれたんだよねー。だから今日来たって感じ!」
「え、いや……そんなあっさり……」
宵霞はケラケラと笑いながらあっけらかんと言い放った。彼女のその突飛すぎる行動力に、晴明の血が色濃く表れていることを悟った十六夜は、ただでさえ良くない顔色を困惑の色で染め上げる。
「どうしたんだい皆? ……おや、宵霞じゃないか。久しぶりだねぇ」
そこへ二階で置いてけぼりを喰らい、暇になった様子の晴明がひょっこりと顔を出す。彼も十六夜同様、宵霞の姿を見つけて嬉しそうに破顔した。
「あ、やっほ〜おじぃ様! 久しぶり! ……って、おじぃ様ぁっ!?」
宵霞も同じ様に笑顔で久しぶり、と手を振ったが、途端に晴明がこの場にいるはずのない人物であることを思い出し、大声で驚愕の声をあげた。
「……? うん、そうだよ?」
当の本人は何故宵霞が驚いているのか分かっておらず、キョトンとしたまま首を傾げていた。
「え、ちょ、ちょっと待って! な、なんでおじぃ様がここに居るの!? アタシが現し世に行った後、同じように現し世行ったって、十六夜言ってたじゃん!?」
宵霞はあたふたと手を動かしながら困惑の言葉を並べていく。あまりに突然のことだったのか理解が追いつかなかった様で、宵霞はぐるぐると目を回しながら十六夜に説明を求めた。
「あー、宵霞落ち着いて……宵霞を呼んだのはこのことを話したくてなんだ。えっと、どこから話したらいいかな……話すことが多すぎて……」
十六夜は彼女を宥めつつもどう説明を始めていいか分からず、眉をひそめたまま困った様に頭をかいた。もちろんその目は死んでいる。
「あー……オッケーオッケー、とりあえず……事の発端から聞こうかな? どうして、おじぃ様が戻ってくることになったワケ?」
このままでは話が平行線になってしまうことを咄嗟に理解した宵霞は、未だ混乱が残る頭で助け舟をだした。彼女は気配り上手なのである。
「……! うん、分かった。えぇとまずは……」
十六夜はその言葉を聞くと、ハッとしたように頷いてから事の発端を話し始める。
妖街道が滅びると言われたこと、それの真偽を確かめる為に晴明を呼び戻したこと、そしてその為に妖街道を現し世に近い場所まで押し上げたこと。十六夜は宵霞が居ない間に起こった全てを、事細かに淡々と告げていく。
「な、なるほどね〜……アタシが知らない間にそんな大変なことが……」
全てを聴き終わった後、宵霞の顔に浮かんでいたのは驚愕と困惑、そして若干の呆れが混ぜこぜになった表情であった。彼女は緋月にそっと、なんて無茶を、と言いたげな視線を送ったが当の本人は気付いていなかった。
「言うのが遅くなってごめん。僕の方も色々やることが重なっちゃって……後は……うん、多分全部言ったはず……あ、あれ終わらせてないな……」
十六夜はすっかり疲れ果てた様な表情のまま宵霞に謝った。彼は何か言い忘れたことは無いかとぶつぶつと呟くと、仕事が終わっていないことを思い出して表情を死なせた。
「いやぁ、僕としては楽しかったよ!」
「……っ、アンタは黙っててください。元はと言えば貴方のせいなんですから……」
その直後、横から飛んできた空気を読まない祖父の言葉に青筋を浮かべていたが。
「とりあえず、妖街道が滅びるって言われて、おじぃ様を呼び戻したって感じだね……って、それかなりヤバくない!?」
宵霞はすらすらと状況を整理しながら、現在置かれている状況がかなり厳しいことに気付いて切羽詰まった様な声を上げた。
「あぁそれは……この爺さんによればしばらくは平気らしいんだけど……今は少しでも情報が欲しいんだ。現し世のことでもいいから、何か変わったこととか知らないかな?」
宵霞のその言葉を受けて、十六夜はまだ猶予があることを告げる。そうして藁にもすがる思いで宵霞に何か情報は無いかと問うた。
「現し世で? うーん、そうだなぁ……あっ、そう言えば! 最近また現し世で『コックリさん』が流行っててさぁ……」
突如飛んできた質問に、宵霞は目を閉じてうーんと困った様に首を捻る。そして何か思い当たった様な顔になると、現し世でコックリさんが再び流行し始めていることを告げた。
「コックリさんって、……降霊術の?」
捻り出された宵霞の言葉に聞き覚えがあった紅葉は静かに呟いた。
「こっくりさん……? 紅葉、知ってるの?」
同時に、ぽかんとしたまま話を聞いていた緋月がコソコソと紅葉に話しかける。緋月には現し世の知識は全く無いのである。
「おう、確か紙と十円玉を使って狐とかの霊を呼び出して、質問に答えてもらうって遊びだったはずだぜ。ちょっと前になんかの本で読んだ」
袖をちょいちょいと引かれた紅葉は、緋月と同じく声量を少し落とすと、いつか本から得た知識を緋月へと伝えた。基本的に妖街道にある書物は江戸時代のもので最後なのだが、時折本などの無機物は落ちてくることがあるのだ。彼女はそのうちの一冊を読んだらしい。
「へぇ〜! なんか楽しそうだね!」
「ふふ、但し呼び寄せられるのは低俗な霊のことが多いから、あんまりお勧めは出来ない危険な遊びだねぇ」
狐という言葉に目を輝かせた緋月に、晴明はクスクスと笑いながら補足をつける。彼は何故か懐かしい物でも見るように目を細めていた。
「なんで貴方はそんな詳しいんですか……えぇっとそれで、それがどういう風に流行ってるの?」
十六夜は過去に前科がありそうな祖父を思い切り睨み付けると、ため息をつきながら再び宵霞へと水を向けた。
「んっとねぇ〜、ちょっと待ってて。アタシ確か、SNSで流れてた動画保存したはずだから!」
どうやら説明を放棄した様子の宵霞は、懐から携帯電話を出しながら言葉を連ねていく。
緋月と紅葉、そして晴明は見慣れぬ携帯電話に興味を持って、目を輝かせながら宵霞の持つそれへと近寄って行った。
「え、えすえぬ……?」
「あっはは、掲示板みたいな感じの奴だよ! ……あっ、あった! これこれ!」
そして宵霞は、一人眉をひそめて呟く十六夜をおかしそうに笑い飛ばしながら、手元の携帯電話をツイツイと操作して全員に画面が見える様にそれを見せた。
「……?」
全員が不思議そうにその画面を覗き込む中、その奇妙な現象を捉えた動画は始まった。




