プロローグ
「ね、ねぇ……やっぱりやめようよ……、何だか嫌な感じがするの……危ないよ……」
一人の背の低い女学生が、前を歩く長い黒髪の女学生を追いかける。恐る恐ると言った様子で声をかける少女の顔は青ざめており、今にも泣き出してしまいそうであった。
「私もそうしたいけれど……、他の子たちか心配なの。それに、秋奈も行っちゃったし。だってあの子、驚いた拍子に十円玉から手を離しちゃいそうでしょ?」
声を掛けられた黒髪の少女は、困った様な表情を浮かべて振り返った。それから声に不安を滲ませる友人を安心させるように、肩に手を置いて優しく笑った。
「た、確かにあきちゃんも心配だけど、ゆりちゃんも危ないんだよ……!?」
それでも納得のいかない少女は、瞳をうるませながら必死に説得をする。肩に置かれた手の温もりを感じながら、少し大きなサイズのカーディガンの袖をギュッと握りしめた。
「ゆりちゃん……!」
「……! ……わかった、じゃあ……秋奈に帰るように言ったら、私も帰るから。それならいいでしょ? 千里」
ゆりちゃん、と縋る様に名前を呼ばれて黒髪の少女は瞠目した。しばしの間の後、少女は再度優しい笑みを浮かべて妥協案を示した。
「で、でもゆりちゃん……」
それでも納得のいかない、千里と呼ばれた少女は遠慮がちに食い下がった。自分の嫌な予感はよく当たる。それが故に、どうしても不安が拭えなかったのだ。
「大丈夫、ちゃんと帰るから。千里は先に帰ってて。じゃあね、また明日」
しかし黒髪の女学生は大丈夫と断言すると、不安そうな表情を浮かべる少女に向かって手を振って、他の生徒が待つ教室へと行ってしまった。
「……ゆり、ちゃん……」
千里と呼ばれた少女はしゃがみこんでポロポロと大粒の涙を零しながら、弱々しく去って行った友人の名を呼んだ。何の力も持たない弱い少女は、ただただ友人たちの無事を祈る他なかったのだ。
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妖街道中心街、月楼にて。
『もっしもーし? おーい、いざよーい? 聞こえてるー?』
不意に軽快な声が、月楼内にある十六夜の仕事部屋に響き渡り、彼は驚いた様に顔を上げた。
「……あぁ、宵霞か。うん、聞こえてるよ」
慌てて立ち上がって連絡鏡を覗き込んだ十六夜は、画面に映る一人の少女の姿を見止めて笑った。
画面に映っていたのは宵霞だ。彼女は、安倍の妖狐三兄妹の真ん中だ。つまり、十六夜の妹で緋月の姉なのである。
『ごっめーん! アタシさっきまでレッスンでさぁ、連絡来てたの全っ然気付かなかった! ホントに疲れたよ〜。マジでコーチが怖くて……ってごめん、アタシばっか喋ってるね!? 十六夜と話すの久しぶりだからさぁ、ついつい……』
宵霞はまるで歌うかのようにペラペラと言葉を重ねていく。現在現し世で生活をしている彼女からは、十六夜には伝わらない言葉がポンポンと飛び出してくるのであった。
「ええと……それはお疲れ様、でいいのかな?」
十六夜はぱちくりと瞬きをしながら、伝わらなかった言葉たちに困惑するように聞き返した。
『いやジェネレーションギャップ〜! って言っても伝わんないのか! あはは、ごめーん!』
困り果てた様な十六夜の呟きに、宵霞はケラケラと笑いながら、またしても現し世に流通する言葉を口にする。そしてすぐさまその言葉も伝わらないことに気付いた宵霞は、一層楽しそうな笑い声を上げた。
「はは……、宵霞が現し世を楽しんでるようで何よりだよ」
十六夜はのべつまくなしに喋り続ける宵霞に対して苦笑すると、すぐにいつも緋月や紅葉に向けるような優しい笑顔を向けた。
『それはそうとして話って? なんかヤバいことでもあった? キングオブ緊急事態って感じ?』
ひとしきり笑い終えた様子の宵霞はパッと表情を変えると、普段は多忙な宵霞を案じて連絡してこない十六夜が、珍しく連絡をしてきた理由を問うた。
「ええと……、現し世語は分かんないけど、多分そんな感じ。ここで話すのは色々大変だから、宵霞には悪いけど一度妖街道に帰ってきて欲しいんだ」
十六夜は飛び出してきた現し世の言葉に戸惑いながらも答えた。ため息をつきながら言葉を続ける彼の表情は、どこか疲れているようだった。
『ちょ、現し世語って! これは英語! もー、これテストに出まーす』
宵霞は十六夜が呟いた言葉に笑いながら反応すると、からかうような口調で現し世の言葉を再び口にしていた。
「てすと……? ふふ、何それ。もう、宵霞ってば……話、ちゃんと聞いてる?」
どこか誇らしげな宵霞の様子に、十六夜は思わず吹き出した。珍しく笑い声をあげる彼の笑顔は、いつものような微笑ではなく大輪の花の様な笑顔であった。
『あはは、ごめんごめーん! 聞いてるよ、とにかく一旦帰ればいいんだよね?』
兄の表情が柔らかくなったのを見て、宵霞も同じように笑って話を続けた。
宵霞と十六夜は苦楽を共にした気の置けない仲だ。十六夜は彼女の前でだけ、唯一神としての責任も兄としての責任も少し横に置いて、気を抜いて話すことが出来るのであった。
『……って、そう言えばどうやって!? アタシ、おじぃ様みたいにすっごい術とか使えないんですけど!? まさか、百年とかかけて歩いてこいとか言わないよね!?』
先程までニコニコと笑っていた宵霞であったが、帰り道がどこにも無いことに気付き慌てて十六夜に問うてきた。無論、現在は妖街道と現し世を繋ぐ道が普通に使えてしまうことを彼女は知らない。
「あー……、それに関しては気にしないで。もう普通に通り道使えるから……それに時間に関しても気にしなくていいし……本当色々あって……」
十六夜は再びどこか遠い所を見つめるような顔になると、目を伏せながら呟いた。理由を掻い摘んで説明しようにも、どこをどう掻い摘めばいいのか分からず、自然と言葉を濁す形になってしまった。
『……はっは〜ん、なるほどね? こりゃ沢山聞くことありそうだな〜』
その歯切れの悪い言葉とうんざりしたような十六夜の表情を目の当たりにした宵霞は、パチンと指を弾いて苦笑した。
「理解が早くて助かるよ……ごめん、迷惑かけるね、本当」
『だいじょーぶ! それじゃあアタシは社長と交渉してくるから! またね〜、おやすみ!』
宵霞は申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする十六夜に向かって片目を瞑ると、何も問題ないと言ったように笑顔を浮かべ、別れの挨拶をした。
「うん、おやすみ」
十六夜は微笑を浮かべながら、休みの交渉へと消えていく妹を見送った。
「……あれ、おかしいな。現し世は今、朝のはずなんだけど……」
ふと宵霞が寝巻きを着ていたことに気が付いた十六夜は、連絡鏡に映りこんだ自分の姿を見ながらぼんやりと呟いた。
色々あり非公開にした話を編集し、再び公開しました。ここから二章の始まりです、よろしくお願いします!




