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人でなし、ご飯を食べる



 

 イグルが供したのは簡素な食事だった。

 肉を焼き、土を捏ねて作った土器を用いて山菜を茹でて食す。

 木の実と水だけの生活が続いたヨゾラには、久しく食事と言えるだけの量であり、篤く礼を言って野菜から口にした。

 胃が驚かないよう、よく咀嚼する。

 その間にイグルが肉へ少量の塩をかけた。

 ヨゾラはその手付きに目を瞬かせる。


「塩?」

「うん」

「どうやって手に入れたの?」

「獣の肉と交換してもらえるんだ。父からの教えだと、塩が足りないと体がうまく水を吸収?できなくなったり、頻尿になるとか」

「知恵深い父君だったのね」

「そうなのかな」


 イグルは小首を傾げる。

 その表情にはかすかな翳りが兆した。

 肉を豪快に食べつつ、神妙な面持ちをする様子が可笑しくてヨゾラはくつくつと笑う。何事か分からないイグルはますます疑問に眉根を寄せた。

 やはり、未知の生物だ。


「俺には原理がわからないけど」

「そうなの?」

「うん、体が大きくなってくると十晩ほど水を摂らなくても喉は乾かなくなったし」

「…………頑丈なのね」

「そうかな」


 イグルはまた肉を一切れ平らげる。

 そのときにはヨゾラも肉を食んでいた。

 固い筋が処理された後でも、やはり固い。難儀しつつも食いちぎり、一口ずつ胃に流し込む。

 粗雑な料理に悪戦苦闘するヨゾラの様子を見て、イグルはせめて次はもっと工夫を凝らす必要があると考えさせられた。

 いつも自分一人だった。

 誰かとの食事は父以来である。


「ヨゾラ」

「なに?」

「これから君はどうするんだい?」

「できれば西へ向かいたいの」

「西…………西か」


 イグルが眉をひそめる。


「どうしたの?」

「いや、少し危険だと思って」

「なぜ」

「この前、その方角で狩りをしていたときに珍妙な生き物を見たんだ」

「…………」

「あれは一目で分かる」

「何が?」

「あれに食べられるところがない」

「……………」

「更には凶暴だ」

「あなたは襲われなかった?」

「うん、何とか」


 イグルはその生物の特徴を説明した。

 全身が黒い大きな野犬だが、頭頂に一本の角がある。なお、尾は細長く辺りの木々を一振りで払い除けてしまう威力だった。

 その危険さは山の獣の比ではない。

 遠目に見ただけで退散した。


「あれは何なんだろう」

「魔獣ね」

「…………マジュウ?」


 イグルは初めて聞く生命の名称に目をぱちりくりとさせる。

 ヨゾラは可笑しそうに笑いながら説明をした。


胎窟(たいくつ)という不思議なところから産まれて、人を攻撃する怪物のこと」

「そんな獣がいるのか」

「世界には沢山いるわ」

「この山の近辺じゃ何年もいなかったのに」

「そうなの?」

「何匹かいるし、冬越のための備蓄にするか悩んだけれど…………うん、止めた方がいいな」


 仕方ない、と嘆息する。

 残念そうなイグルの隣でヨゾラは思案顔だ。


「どうかしたのか?」

「わたし、山を抜けたいんだけれど…………西側へ」


 それを聞いて、イグルは思考する。

 予定していた進路に凶暴な障壁が立ち塞がっている。独り身のヨゾラでは通るのを避けるべき難路である。

 人里離れた山中では助けを求めることもできない。独力で突破しなくてはならないのだ。

 それは今のヨゾラに対して、あまりに酷というものである。

 本来なら、そんな危険を冒さずとも下の人が作った道を使うべきだ。

 だが――。


「人目につく道は通りたくないの」

「どうして?」

「人に追われてるから」


 その一言にイグルは小首を傾げる。

 人に追われるのは獣だけだ。

 人が人を追う、なんて状況が一体どうしてそうなるのか無知ゆえに全く見当がつかない。


「わたし、悪いことしたから」

「なんと…………ヨゾラは悪い子なのか」

「ええ、そうよ」


 口の前に人差し指を立てる。

 ヨゾラはにやり、と笑ってみせた。


「わたし、悪い子だから」

「む」


 誰もが見惚れてしまう妖艶な笑みだった。

 今は食欲に傾いているすべてが、別の欲求に塗り潰されてしまうような強大な魔力を秘めている。

 だが、イグルはやや険しい顔でヨゾラを見た。

 意外な反応に、ヨゾラは面白くて距離を詰める。


「ふふ、なに?」

「俺はもしかしたら、判断を誤ったのだろうか」

「わたしを家に招いたことを後悔したの?」

「いいや」


 イグルが首を横に振る。

 沈痛な面持ちで床を睨んでいた。

 深刻なことを匂わせる雰囲気だが、イグルは肉を噛むことを止めない。


「悪い子には躾が必要だと父が言った」

「うん」

「だから、次の食事は肉を茹でて柔らかく解そうと考えていたんだけど、改めるべきか」

「固いお肉でお仕置きってこと?」

「悪い子なんだろ?」


 大真面目な表情でイグルが問う。

 対して、ヨゾラはきょとんとしていた。

 罪状の詳細はともかく、刑罰というにはあまりにも愛嬌に満ちた対応である。

 たしかに固い肉はつらい。

 体力の落ちた今のヨゾラな尚更だ。


「ふふ、イグルは厳しいのね」

「悪いことをしたら駄目だぞ」

「そうね、ごめんなさい」

「うん、謝れるのは良いことだ」


 腕を組んで満足げだった。

 イグルは自身の沙汰が正しかったのだと誇る。

 固い肉の刑が執行されることとなった。…………が、反省したヨゾラの態度に少しは肉を解してやろうと緩和することも念頭に置いて。

 詳しい罪状は聞かない。

 自分は人の世と無関係な立場だ。

 考えること自体が『無駄』なのだ。


「人に追われてるって」

「ん?」

「その人たちもここへは来るのかな」

「上手く撒いたから山へは来ないわ」

「そうか、良かった」

「どうして?」

「いや、俺がもうお仕置きしたのに別の人がまたヨゾラを躾けるのは行き過ぎているだろう」

「…………」

「それと、その人たちまで迎えて食事をするには備蓄も心許ない。君一人で限度いっぱいなんだ」


 世知辛い台所事情が明かされる。

 思いの外、重大さを欠いた告解だった。

 ヨゾラはもう笑いを堪えきれない。


「イグルって面白いのね」

「む、笑われるのは心外だぞ」

「ええ、そうね。ご相伴に与る身としては、これ以上あなたに負担をかける前に出ていくわ」

「山道を一人で行くのか」


 イグルはぎょっとして訊ねた。

 獣道で倒れるほど疲弊したヨゾラである。

 また山の中へと放り出して、生きて安全に抜けられる保証が無い。

 道行を案じるイグルに。


「でもあなたに迷惑はかけられないわ」

「…………」


 迷惑、とは。

 その一言にイグルが固まる。

 一人ならば決して被らない災いだ。

 二人になったからこそ新たにできた常識の一つだと察したイグルは、ヨゾラを送り出した後のことを考えて顔が険しくなる。

 送り出した先で――もし後日に山中で死体を発見したらどうか。

 今までは幾度があったが、それは面識のない者ばかり。山へと不用意に入って、山の理の前に斃れた、何一つ不思議ではない一つの自然現象である。

 ただ、知己ならば話は別だ。

 ヨゾラの死体を発見するという未来に直面した自分が想像できなかった。


「ヨゾラ」

「なに?」

「少なくとも、今日は控えた方がいい」

「そうなの?」

「冬の夜山は危険だ。それと、あのマジュウ?とかいうのがいない道を俺が探しておくから、それまではここにいるといい」

「…………」

「どうかした?」


 ヨゾラから笑顔が消える。

 また、あの見透かすような視線にイグルもはたと口を止めた。

 互いに無言で見つめ合う。

 果てが無いような思い沈黙が流れた。

 イグルには破れない。

 ひたすら、ヨゾラの反応を待つ。


「わたしが心配?」

「ええと、そうなのかな?」

「どうして」

「ううん、と」


 イグルは頭を掻いた。

 自身でも整理がつかない感情がある。それを数少ない知識と照らし合わせて、ゆっくりと言葉にしていく。


「どうなんだろう」

「…………?」

「一緒にご飯を食べたばかりの相手が、後で別の獣の餌になってるのを見たら、こう…………」

「怖い?」


 指摘されて、イグルは目を大きく開く。

 すると、やっと自分の本音を見つけられたことに安堵するような笑みを浮かべてうなずく。


「うん、きっと『怖い』のかも」

「………ぷっ」


 真剣なイグルが捻り出す回答。

 本人なりに考えて出した。

 誰かと死に別れることが怖いと感じたことはない。父が死んだときにも、イグルはいずれ命は終わるし、山の土に還るのだと当然のように考えるほど達観していた。

 初めて抱いたのは、『あのとき』の己に対してだ。


 だが、ヨゾラに抱いた恐怖はそれとは異なるようにさえ感じる新鮮な感情。

 他人を慮った末の恐怖など、独りのときは思いもしなかった。

 己の不明に向き合って考えた末の解答。

 それをヨゾラに笑われてしまった。


「ぷ…………あはははは」

 それに対して……………ヨゾラが噴き出して肩を震わせる。

 神妙な空気をヨゾラの笑声が掻き消した。


「む、笑うこと無いだろ」

「イグル、あなた天才よ」

「…………それは褒めているのか?」

「ええ」


 ヨゾラは腹を抑えてひぃ、ひぃと鳴く。

 イグルはその言葉を鵜呑みにして、的外れな称賛に追及の矛を収める。

 良いことなら別にいい。


「でもイグル」

「ん?」

「そんなに苦労をかけて良いの?」

「ああ。だって――」


 イグルは朗らかに微笑んだ。


「きっと、これも二人だからする常識なんだろう?」

「…………」

「相手のことを考えるのは当然なんだ」


 ヨゾラは虚を突かれて固まる。

 初めての何かを見るような、そんな驚愕を表情に表していた。


「どうかした?」

「………いえ」


 ヨゾラは首を横に振る。


「なら、しばらく宜しくね。――イグル」

「うん、こちらこそ。――ヨゾラ」


 互いに相手を考える。

 山には不要だと考えていた新たな常識に、イグルは胸が弾んでいた。

 ――と。


「む」

「………どうかした?」


 イグルが頭上を睨め上げる。

 木組みの天井には虫一匹もいない。


「イグル?」

「いや、気の所為みたいだ」


 イグルは何事も無かったように、再び柔和な笑みを浮かべてこれから始まる短いヨゾラとの生活について考え始めた。





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