13.血の復讐
日差しの零れる窓際に立ち、青年は溜息を吐いた。側近から「幸せが逃げますよ」等と言われる事は理解していたが、それでも溜息を吐かずにはいられない――それもこれも、たった今聞いたばかりの耳を疑う知らせのせいだ。
「はっきりと、そう言ったのか」
振り返って、視界に入った金色に尋ねる。きつい眼差しでこちらを見つめる愛娘は、小さく頷いて拳を強く握った。
その手には一筋の赤い跡――恐らく、鞭で締め付けられたという痕跡だろう。いつの間に、あの男はこんな乱暴者になったのか――と、また溜息が洩れた。
「まさか、ガーランドはともかくあれが裏切るとはな」
溜息以外には感情の変化を悟る術はない。至極無表情のまま、青年は「下がれ」と呟いた。金色は、その命令に背く事もなくすぐに姿を消す。
「おやおや、裏切り者が出ましたか。内乱勃発もそろそろですかね〜?」
「……物騒な事を言うな、クロセル」
カーテンの陰から出てきた黒い影、それが踊るように傍に歩み寄り、茶化すように青年の周りで囁く。歌うように、だが嘆く演技をするように。
全身を黒い衣服で覆った赤い瞳の青年は、物騒な事をさらりと口にする。そうそう簡単に内乱など行われてたまるものか。
振り返って相手を見れば、その表情からは凶器にも近い笑みが浮かぶのみ。裏切り者が出たという事すら、気にかけていないようだった。
「いやしかし、確かに驚きますねえ、あの子、八百年の付き合いだったんでしょ」
彼にとっても、突然の部下の裏切りは青天の霹靂だったのだろう。だがしかし、ふざけるような態度でそう言われても、全く驚いているようには見えない。
少なくとも、そんな波乱を楽しんでいるように見える――いや、事実楽しんでいるのだろう、これはこういう男だ。
くすくす笑いながら自分に纏わりつく「黒」に、青年は紫色の鋭い瞳で睨みつける。だが、それすら彼には効果がない。予想も理解もしていたが、脅しが通じないのは詰まらない。
「やですねルシオン『様』。そんな怖い顔なさらないでくださいな」
やはり薄ら笑いを浮かべながら、クロセルは青年の頬に手をかける。それを振り払い、ルシオンと呼ばれた青年は窓の外に出た。
城下に広がる広大な街並み――広さで言えばクライストよりは若干劣るだろうが、それをさらに下回るほど、この街には人間が少ない。長きにわたる神の代行の影響で、基本的に住人は多い方ではなかった。最近では、原因不明の異常気象のおかげでクライストに避難している国民さえいる始末だ。
それが意味するものは、兵力不足――。少ないとはいえ、溢れるように人間はいる。だが、そこから有能な兵を探すのは雲を掴むような話だ。
クライストよりも軍事力に劣るこの国が、立地的にも有利な彼の国に正面から突っ込んで行く事はまず自殺行為――
だからこそ、参謀であるクロセルが働いている。クライストを破滅に導くために、ひいては互いの目的を遂行するために。
「盗賊でもその辺のごろつきでも構わん、傭兵を雇え。今までの倍、クライストに代行者を派遣する」
やはり溜息交じりに呟けば、クロセルから「幸せが逃げますよ」等と言われる。そんなもの、もう残っていると思うのか――自問して、ルシオンは目を伏せた。
「……あれの捜索はどうなってる」
バルコニーに寄り掛かり、ルシオンは背後のクロセルに問う。くすくすと笑いながらも、クロセルは「ご安心を」と囁いた。
「クライストに一つ、渡ってしまいましたが――あと一つ集めれば、奪い返す事も容易でしょうね」
そうすれば、あんな国など一息に滅ぼすことが出来る――
背後の黒が、とても楽しそうに笑う。それに合わせるように笑みを浮かべれば、ルシオンは城下の街並みに囁くように言葉を発した。
「――ルシウス、これは私からの復讐だ。せいぜい、お前が選んだ道の愚かさを知ればいい」
呪詛のように囁かれた言葉は、背後のクロセル以外誰も聞いていない。軽く肩に手を置かれ、「雨が降りますよ」と囁かれる。
もう一度溜息を吐き、ルシオンは部屋の中へと戻っていった。
―― 第五部 了 ――