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Double.第五部  作者: Reliah
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11.蛇の覚悟



 ほんの僅か聞こえていたはずの虫の声――それが、唐突に消え去った。

 その事にすぐに気が付いたのか、まだシャインに食ってかかっていたサンジェルマンすらも黙って窓の外を見る。


「――外に、何かあったようです」

 静かに、クレアが呟いた。場の全員――先程まで机に突っ伏して眠っていたガーランドすら、顔を上げて外を見る。

 窓の外は闇に染まっている。これから真夜中だというのに、安眠すら妨げてしまいそうな張りつめた空気が漂っていた。


「……窓の外に、代行者がいるよ」

 不意に、リビングの端から穏やかな声。全員が振り向くと、そこには紫の髪の青年――アンドロマリウスが、上着も纏わないまま立っていた。腹に巻かれた包帯には、傷口からあふれてかたまった血がべっとりと付いている。

 そして、その後ろには不安そうな少女の姿。


「動けるんですか?」

「……傷の治りは早い方だから」


 クレアの問いに、青年は静かに答える。そして、目聡くソファーに置かれていた自分の鞭を手に取った。

「おい紫、どうする気だ?」

「……」


 その様子に、慌ててガーランドが尋ねる。が、一言も答えることなくアンドロマリウスはドアに手をかけた。





 木の扉を開いて外に出れば、冷たい空気が肌を撫でる。それ以上に冷たい――殺気もまた、肌をちくちくと刺し、貫いて行くようだ。

 軽くあたりを見回せば、視界の端に鮮やかな金。それに視線をやれば、鋭く青い眼がマリウスを捕らえた。

 シトリー・マルコシアス――


 目の前の金色を再認識して、マリウスは鞭を地面に垂らす。既に彼女の目的は、代行だけではないという事くらい解っていた。

「父さんからの命令。――あんたの安否と状況を確認してこいってね――けど、その必要はなくなった」


 シトリーは特に悲しいというような様子もなく、薄ら笑いを浮かべたまま斧を振り上げた。恐らく彼女の事だ、マリウスと戦う口実が出来た事の方がよっぽど嬉しいのだろう。少なくとも、好かれてはいないが実力自体は認められている――その彼女が自分に思うことなんて、「むかつく」か「ぶちのめしたい」くらいのもの。今は恐らくその両方を存分に実行できる時だ。

 ほんの一瞬、ガーランドの事を思い出す。シトリーの事を未だに気にかけている彼がここに出てきたら、もっともっと厄介なことになる。

 が、その懸念は早くも大当たりすることになった。

「おい、紫――って、げっ」


 考えなしに自分を追いかけてきたガーランドに、マリウスは心の底から「馬鹿」と、声にも出して呟いた。反論が返る前に、シトリーの青い眼がさらにつり上がった。

「てめぇら……二人揃って裏切りか。ご丁寧に、敵さんとも仲良くしてるみたいだしねぇ……」


 静かに囁かれた言葉は、重いというよりも恐ろしい――その場にいる大半の人間がそう思っただろう。これは相当に怒りに火をつけたに違いない、主にガーランドが居るという事実で。

「最悪すぎる……」

 がっくりうなだれて、ガーランドは頭を抱えた。そのすぐ近くでは、やはり追いかけてきたイオンがうろたえている。

 下がってるんだよ、と声をかければ、イオンはほんの少し俯いて、それから小さく頷いた。


「本気で裏切るつもり?」


 が、シトリーも多少主からの命令を重んじている所があるらしい。改めての確認に、マリウスはやや考えた後、もう一度背後を振り返った。

 縋るような、済んだ緑の眼と視線が合う。

 不安そうにこちらを見上げるイオンに微笑みかけると、緑がはっと見開かれる。それだけで、確認は充分だった。


「アンドロマリウス・ルシオン・レディエンスは、クライストで死んだ。『主様』に、そう伝えてくれるかな」

 自分にしては珍しい、満面の笑顔。鞭をぴんと伸ばして一歩前に出れば、シトリーは眼鏡の下の瞳を細める。

「……わかった。なら、そう伝えておく――けど……

 父さんに報告するためにも、あんたの首落として持って帰らせてもらうよ!」


 威嚇するかのように斧を振るい、構える。シトリーの殺気が、先程以上に膨れ上がる。

「――手出し無用だよ」

 背後にやってきていた者達に、小さく呟く。鞭を地面に打ち付け、マリウスはもう一歩、前に歩みを進めた。


 突如、猛獣が突進するかのように金色が地を蹴る。金獅子の異名は間違いではない、彼女の男勝りのパワーはマリウスにとっては大変な脅威だ。

 高く跳び上がり、民家の隣の木の枝につかまる。コートの懐のナイフを取ろうとするも、今は鞭以外の武器がない。肉弾戦ではかなり不利だ。

 すぐさま飛び降り、苦手な詠唱を始める。追いかけてきた金色から逃げながら、手の中に収束した光を言霊と共に投げつけた。


 それを難なく斧の一振りでかき消し、シトリーはまたマリウスを追う。

「お兄さん!」

 イオンの叫ぶ声。駆け寄ろうとする彼女を、ガーランドが制止したのが視界の端に見えた。イオン一人が出てきて勝てるような相手ではないだけに、ほんの少しその配慮に安堵する。

 鞭を軽くまとめて、マリウスは距離を詰めてくるシトリーから出来るだけ遠くへ逃げる。近くに寄られなければ彼女に自分を傷つける術はない。しかし、容易に鞭を放ってもシトリーの斧に断ち切られれば全てが終わる。そうそう生易しい相手ではないだけに、攻撃するタイミングも慎重に考えねばならなかった。


「逃げてばっかりいないで、かかってきたらどうだい!」


 痺れを切らしたのか、シトリーが挑発するかのように叫ぶ。だが、その挑発に乗るつもりはない。

 どう考えてもシトリーと戦うには、装備といい状況といいかなり不利な状況である。もう一度短い詠唱をはじめると、マリウスはシトリーに向かって小さな火の玉の雨を降らせた。

「――はぁっ!」

 気合一閃――その彼女の斧の一振りで、いくつかの火球がはじけ飛ぶ。地に落ちる前に霧散する程度の火球は、数が多いだけに数発、シトリーの髪や肌を掠めた。

 焼けた部分を払いのけるシトリーに、漸く鞭を打つ。すぐさま飛びのくシトリーの足元を穿つ鞭は、柔らかい土を簡単に抉る。


「やっとその気になったか!」

 次々と足元を狙い鞭を打てば、やや楽しげに金色が飛びのく。斧を持っているというのに、シトリーは軽々と飛び退き、ときにはこちらに近寄るために地を蹴る。

 このままでは勝つか負けるか、そのどちらも非常に怪しい。多少危険を冒してでも、早々に決着をつけた方が良いだろうか――

 意を決して、マリウスはシトリーとの間合いを詰める。斧とどちらが早いか。鞭を振るい力強く打ちつけると、鈍い痛みが肩に走った――。



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