第76話 仇
翌日。
袋いっぱいの水晶鳥の羽根を見て、ティティは歓声を上げた。
「よーし、あとは任せて! 世界で一番きれいな翼を作ってみせるよ!」
ベルを筆頭に、後宮の姫たち総出で翼作りが始まった。
「ねえ、こっちにも糸回して! 羽根、余ってるところない?」
「みてみて、すっごく綺麗に縫えた~! ベルちゃんにお裁縫習って良かった~!」
「ベルさま、仕上がりのチェックをお願いいたします」
あちこちで賑やかな声が行き交う。
そして一週間後。
王都から半日ほどの距離にある草原。
青く澄んだ空の下、俺は神姫たちと共に丘の上に立っていた。
姫たちが見守る先、天馬の姿をしたメルが、風に頭を擡げる。
純白の毛並みは美しく艶めき、額に戴いた幼角が眩く輝く。翳っていた碧い瞳はまっすぐに前を向き、溢れるほどの生命力が満ちていた。
天獣たちが涙ぐむ。
「メルさま、すっかり見違えて……」
ティティと手分けしながら、メルの胴にベルトを固定する。
「きつくないか?」
メルが頷く。
寸法は完全オーダーメイド、素材にもこだわり抜いたおかげで、しっかりと固定されている。
そして、一対の翼が完成した。
眩いばかりの魔力が、小さな身体の内側に溢れている。
燃えるようなたてがみを、サーニャがそっと撫でた。
「あなたなら大丈夫」
メルがサーニャの頬に首をすり寄せる。
草がそよぐ。
メルが風に向かって翼を広げた。
細い四肢が地を蹴る。
白い尾が風になびき、徐々に加速していく。
蹄がふわりと浮き、そして、空へと舞い上がった。
「……!」
白い天馬が蒼穹を駆ける。優雅に、美しく、伸びやかに。
「ああ……!」
天獣たちが声を震わせ、神姫たちが歓声を上げた。
「わあ、すごい、すごーい!」
「メルさま、うつくしいです……!」
ティティが飛び跳ね、シャロットが両手を組んできらきらと目を輝かせている。
天獣たちが手を取り合い、涙を流して喜び合う。
白い両翼は風を掴み、軽やかに青空を舞う。
やがてメルは高度を落とすと、地面すれすれを滑空しながら近付いてきた。
着地する直前で少女の姿になる。
片翼の天使が、俺の胸に飛び込んだ。
「ロク、さま……!」
はっと耳をそばだてる。
細く繊細な、笛の音のような声。
「もう……もう、自分の力で飛ぶことはできないと、あきらめていました……!」
俺を見上げる碧い瞳から、宝石のような透明な雫がこぼれ落ちる。
「ありがとう、ございます……!」
俺はそっとその涙を拭って、柔らかな髪を撫でた。
メルは俺に微笑み掛けると、隣のサーニャに抱き付いた。
「サーニャさま……!」
声を震わせるメルを強く抱きしめて、サーニャが目を細める。
「とてもきれいだった」
メルが声を詰まらせて目を閉じる。
神姫たちが手を取り合って飛び跳ね、天獣たちが抱き合って感涙にむせんだ。
「みなさま、本当に、本当に、ありがとうございました……!」
メルが涙ぐみながら神姫たちに頭を下げた時。
大地が鳴動した。
「……!」
地面が揺れ、天からばりばりと落雷じみた轟音が轟く。
マノンがはっと空を指した。
「あれを!」
空に開いた、縦長の穴。
――天の裂け目から、巨大な目が覗いていた。
「ひ……!」
息を呑む神姫たちの視線の先で、タールのような粘液がぞろりと溢れ出す。
巨大な眼球がぎょろりと蠢き、歪な口から怖気立つような濁った声が溢れた。
『ああ、餌だ餌だ。オレの飢えを、渇きを満たす為の最高の餌。ようやく見つけたぞォ』
天獣たちの悲鳴が渦巻いた。
「あれは、『貪食のフムト』……! 半年前にメルさまを襲った魔族です!」
「まさか、天界を通って追ってきたというの……!?」
震えるメルを、サーニャが背後に庇う。
どろどろと黒く巨大な質量が天と地を繋ぎ、やがてべちゃりと丘に降り立った。
天に届くほど巨大な、ぶよぶよと形の定まらない半個体状の身体。その真ん中で不気味に光る一つ目の眼球と、不揃いな牙の覗く口。奇妙に折れ曲がった不格好な手足。
ただ獲物を喰うためだけの機能に特化したおぞましい怪物が、歌うように口を開く。
『喰ってやった、喰ってやった。竜も、エルフも、人間も。だが、天獣が一番旨いィ』
魔族――フムトは、鋭い牙を舐め回すようにして舌なめずりした。
『さァ、大人しく丸呑みにされるか、苦しみながら噛み砕かれるか。好きな方を選ばせてやる』
「シャロット、天獣たちを!」
「はい!」
シャロットが天獣たちを一箇所に集めるのを横目に、俺は祝福の剣を引き抜いた。
「後宮部隊、戦闘配置『アイギス』! 盾の陣形を取れ!」
神姫たちが俺の指示に応え、瞬時に天獣たちを護る防御陣形を展開する。
「護りの乙女の銘に於いて、絶対にメルさまたちに手出しはさせません! 盾花部隊、『魔壁』展開!」
リゼの号令と共に魔術障壁が発動。
俺は背後で魔力を練り上げている弓姫たちへ声を張った。
「弓姫部隊、斉射構え!」
「攻撃準備、構えーっ!」
ティティが復唱し、横隊を組んだ弓姫部隊が魔族へ狙いを定める。
「撃―――――ッ!」
号令と同時に魔術の矢がフムトへ殺到し、着弾。
「やった! 全弾命中!」
泥のような巨体には無数の矢が突き立っている。
しかし。
黒い肉が盛り上がり、瞬く間に魔術の矢を呑み込んだ。
「な……!」
『いいぞォ、もっともっと魔力を寄越せ! オレのために、魔王様のためにィ!』
赤い単眼が笑みの形に弧を描き、肺を灼くような瘴気が噴き付ける。
「フェリス!」
俺が叫ぶが早いか、右翼から稲妻のような閃光が疾走った。
「その図体、切り裂いてやるわ! 『雷牙一閃』!」
フェリスの神器が発動、雷光の如き剣閃がフムトに迫り――
切っ先が届く直前、フムトの巨体が二つに分かれた。
「ッ!?」
黒い肉が二体の大蛇となって、左右から大地を削りながら迫る。
「散開!」
神姫たちが天獣を庇いつつ散開する。
地面に二筋の巨大な爪痕を残し、魔族は再び合体して巨体へと戻った。
『ひひひ、威勢が良い。食べ応えがありそうだなァ。だが、まずはこいつだ』
赤い双眸が、怯えるメルを捉えた。
舌なめずりしながらゆっくりと手を伸ばし――その腕を、サーニャの短剣が切り刻んだ。
『!』
黒い肉片がぼとぼとと地面に落ちる。
魔族を睨み付けるサーニャを、不気味に光る眼球が捉えた。
『変わったにおいがするなァ。この魔力のにおい――あの時食い損ねたガキかァ?』
「……!」
サーニャが息を呑む。
こいつまさか、ビルハの人々を襲った……!
『いひっ、いひひひっ! やはりそうか。オマエの家族の味、よォく覚えているぞ?』
左右に裂けた口が愉悦に歪む。
『久々に歯ごたえのある餌だった。噛み砕かれながら、オレを内側から斬り裂こうと最後まで暴れてなァ。大人しくオマエを差し出せば苦しまずに済んだものを、無惨に喰い散らかされて、見物だったなァ!』
「……!」
祝福の剣を握る手がぎしりと軋む。
サーニャの双眸が怒りに燃え上がった。
「ゆるさない……! よくも、よくもわたしの家族を……!」
『ひ、ひひひ、今度こそ逃がすものか。その類い希な魔力、魔王様への極上の献上品となるだろう。さァ、オレたちの糧となれ!』
刹那、切り刻まれた肉片が、黒い蛇と化して一斉に飛び掛かった。
「迎撃用意!」
「弓姫部隊、迎撃構え! 用意! 撃―ッ!」
弓姫部隊が無数の蛇へ掃射を浴びせ、盾花部隊が再び護りを固める。
姫たちが陣形を取る中、サーニャが単身飛び出した。
襲い来る蛇たちを斬り捨てながら本体へ迫る。
「サーニャ!」
声は届かない。
「マノン、指揮を頼む!」
「かしこまりました!」
サーニャは怒れる獣のように銀髪を逆立て、フムトへと突進する。
「おまえが、すべて奪った……!」
襲い来る蛇たち回避しながら、地面を蹴ってフムトの巨体へと跳躍。
しかし、サーニャが狙いを定めた先。
黒い肉が裂け、新たな口ががぱりと開いた。
「ッ……!」
「サーニャ!」
魔力でブーストを掛け、フムトの巨躯を駆け上がる。
手が届いたのはほとんど奇跡だった。
魔族の牙がサーニャに食らい付こうとした寸前で、サーニャを掻っ攫う。
着地するが早いか、フムトがぐわりと身を乗り出した。
『いひひひひ! 旨そうだなァ、旨そうだなァ!』
巨大な口が地面を削りながら迫る。
俺はフムトへ向かって加速し、跳躍した。
剥き出しの眼球に祝福の剣を突き立てる。
そのまま渾身の力で横に薙ぎ――
「……ッ!」
不気味な予感に全身が総毛立つ。
刀身は確かにフムトの半身を裂いた。
だが、手応えがない。
フムトの魔力が不穏にざわめく。
傷口が一瞬で再生したかと思うと、ぶよぶよと蠢く肉から無数の手が飛び出した。
黒い手が俺を抱き込もうと絡みつく。
「ロクちゃん!」
ティティが弓姫部隊へ号令を掛ける。
「撃―ッ!」
魔術の光がフムトへ迫り――無数の口が開いて、魔術の奔流を呑み込んだ。
誰かの「だめ、通じない……!」という悲痛な悲鳴が響く。
拘束が緩んだ隙に、俺は絡みついた腕を引き裂いて、サーニャの元へ降り立った。
「怪我はないな、サーニャ?」
「ごめん、なさい……」
「いいよ。サーニャが無事なら、それでいい」
無数の口が一斉に嗤った。
『オレたちが餌を喰らえば喰らうほどに、魔王様の覚醒が近付く! 魔王様の復活とともに全ては無に帰す、そうなる前に喰らい尽くしてやろう!』
フムトの手足が分裂、新たな蛇の群れと化して神姫たちへ殺到した。
俺とサーニャは援護に向かおうと振り返り――黒い巨体が行く手を遮った。
『貴様らは特別に、オレが相手をしてやろう』
「ッ……!」
フムトの肉が盛り上がり、無数の腕が伸びた。
サーニャと背中を合わせ、風を切って襲い来る腕を左右に斬り払いながら目を懲らす。
巨大な肉の内側、黒い魔力が渦巻いている。
魔族も魔力回路がある限り、突くべき弱点があるはずだ。
だが、どこにも見当たらない。
(一体どこに――)
ほぞをかんだ時、視界の隅で、ちかりと黒い光が走った。
「――!」
フムトの腕を薙ぎ払いながら声を上げる。
「サーニャ! 魔族にも弱点が――核がある! 俺じゃ追えない、君に任せる!」
サーニャがはっと振り返った。
「相手をよく見るんだ、サーニャならできる」
深い哀しみと怒りを湛えた瞳に笑いかける。
俺はアンベルジュに魔力を注ぎ込むと、フムト目がけて振り抜いた。
白銀の光刃が、巨体の上半分を消し飛ばし――すぐに黒い肉がうぞうぞと再生していく。
『ひひひひ! 無駄だ、無駄だァ! どんなに抗おうと、貴様らはオレの糧となる運命なのだ!』
嵐のように襲い来る腕を斬り落とし、攻撃を引き受ける。
「行ってくれ、サーニャ」
ビルハの仇を取り、大切な人たちを守るために。これからも君らしく、凛と首を擡げて、前へ進むために。
サーニャが頷き、身を翻した。
いつも温かい応援ありがとうございます。
もしよろしければ、評価等していただけますと今後の励みになります。
どうぞよろしくお願いいたします。
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