幕間2-4 ある平凡な少女が呪いを解いて神姫になるまで4
「あ、ぇ……?」
間の抜けた声を残して、メリッサがふらりと後ずさる。
顔色ひとつ変えず立っているロクを見て、取り巻きたちが狼狽えた。
「メリッサの『魅了』が効かない!?」
「な、なんで!? 何をしたの!?」
当のロクは怪訝そうにしていたが、やがて「ああ」と呟いて、ポケットを探った。
「このお守りのおかげかな」
それは、あの日ベルが刺繍を施したハンカチだった。
「その刺繍は……」
少女たちの目が、驚きに見開かれる。
色とりどりの糸で刻まれた繊細で美しい模様は、ベルの家に伝わる願いの象徴。
――ベルに宿ったスキル、『精霊の息吹』。
幼少時には見落とされていたその特殊スキルは、創造物に魔力を込め、持ち主に対する魔力干渉を跳ね返す効果を持つ。
「っ……」
ベルは高鳴る胸を押さえた。
ロクであれば、『精霊の息吹』がなくともスキルを無効化することなど容易いはずだ。
それでも、ロクがあのハンカチを大切に持っていてくれたことが嬉しかった。自分の力で大切な人を守れたことが嬉しかった。
「ベルに、そんな力が……」
元同級生たちが呆然と立ち尽くす中、メリッサはわなわなと唇を震わせ――甲高い声で吼えた。
「嘘よ、嘘よ! あたしのスキルが、あんたなんかに負けるわけないッ!」
縋るようにロクの腕にしがみつくと、『魅了』を重ねた。
異様につり上がった目がぎらぎらと凶暴な輝きを放つ。
嫌な予感が背筋を駆け抜けて、ベルは思わず声を上げた。
「メリッサ、もう……――」
「うるさい!」
メリッサの咆哮と共に、脳を貫くような高音が路地に響き渡り――
「か、はっ……!」
メリッサが喉を押さえた。
苦しげに悶えながら、糸が切れた人形のように頽れる。
「メリッサ!? やだ、どうしたの!?」
ただなだぬ様子に、取り巻きの少女たちが青ざめながら後ずさった。
「あ、ぁぁ、あああ……ッ」
メリッサは地面に這いつくばりながら獣のような呻きを上げる。大きく見開かれた目は血走り、喘ぐ口の端から、だらだらと涎が零れていた。
ロクが即座に膝を付き、その脈を測る。
「魔力がひどく乱れてる」
低い呻きに、マノンが強ばった顔で頷いた。
「『魅了』は本来、異性にのみ効力を発揮するスキルです。自分に跳ね返ったことで効果が暴走したのでしょう」
「うあぁ、あ……゛あぁぁ゛ぁあ……!」
苦悶の声を上げながら髪を掻きむしり、毒を喰らった犬のようにのたうち回るメリッサを前に、ベルは立ち竦んだ。
「あ、あ……ど、どうしましょう、私……」
「ベルのせいじゃない。心配いらない、すぐに治すよ」
ロクはメリッサに目を凝らしながら、傍らのマノンに問う。
「マノン、『魅了』の効果は」
「異性を一定期間虜にし、支配下に置きます。持続効果はおおよそ数時間から数日。単純に行動のみを支配する『支配』『隷属』とは違い、情緒や感情に働きかけるため、より高度で複雑です」
「『反転』は使わない方が良さそうだな」
少女たちが怯えながら見守る中、ロクは束の間考え込み、やがて目を上げた。
「『魅了』を上書きする」
「そんなことできるの……!?」
驚愕する少女たちに頷いて、メリッサの胸元に軽く触れる。
「さっきので模倣できた、ただ上手くいくかどうか……」
「ひっ、ぎぃぃっ……あ、゛う、ぁ゛ァ……!」
メリッサがガチガチと歯を鳴らしながら悶え苦しむ。
綺麗に塗った爪がロクの腕に食い込み、皮膚を削った。
ロクは眉ひとつ動かさず、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったその顔を覗き込む。
「俺の目を見て」
メリッサの血走った目が、ロクを見上げる。
ロクが小さく頷くと同時、キィィィンと高音が鳴り響き――メリッサの双眸がとろりと蕩けた。
引き攣り強ばっていた顔から、嘘のように表情が抜け落ちる。
「き、効いた……?」
「嘘でしょ、あんな特殊スキルを……しかも上書きするなんて……」
「は……」
人形のように脱力したメリッサに、ロクは静かに語りかける。
「力を抜いて。俺のカウントに合わせて息を吐くんだ。一、二、三……そう、もっと深く。いいぞ、少し止めて……今度はゆっくり吸って」
ロクの指示に合わせて、少しずつ呼吸が落ち着いてくる。
やがて、土気色だったメリッサの顔が血色を取り戻した。
「はっ……はぁっ……」
「俺の声が聞こえるな?」
メリッサは茫洋とロクを見上げて、微かに頷いた。
張り詰めていた空気が緩む。
ロクが息を吐いて身を起こした。
「どうにか成功したな。あとは大丈夫だ」
「勇者、さま……」
メリッサの熱に蕩けた双眸が、恍惚とロクを見上げる。
「勇者さま、ぁ……」
甘く鼻に掛かった声に、上気した頬。熱っぽく潤んだ瞳――
その表情を、ベルは何度も見たことがあった。
そうだ、メリッサに『魅了』を掛けられた男の子たちも、同じような目をしていた。ただ一人の神さまを讃えるように。暗闇に差し込んだ一筋の光に縋るように。
自分を求めて伸びてきた腕をかわして、ロクは穏やかに告げた。
「君に掛かった『魅了』は数日で解ける。俺のことは忘れるだろう」
「そん、な……」
「君はきっといつか、心から愛する人に出会う。その時までに、君がその力を正しく使えるように願ってる。どうか、誇り高い道を歩めるよう」
遠くうねる波のように静かな、けれど確固たる断絶を孕んだ声だった。
「いや、やめて、行かないで、お願い……」
絶望に染まったメリッサの顔が、彼女が使い捨ててきた男たちの姿と重なる。
「この子を頼む」
ロクは、取り巻きの少女たちにメリッサを任せて立ち上がった。
「行こう、ベル」
ロクに促されて、背を向けた。
呪詛のような呻きが地を這う。
「いや、いやよ、勇者さま……あたしを見て……! そんなグズの役立たずより、あたしを……!」
ヒステリックな叫びが、ベルを無力なコーニーに引き戻そうとする。
幼い頃から心を苛み続けた、心臓を握り潰すような呪いの言葉に、ベルは身を縮め――
ロクが立ち止まった。
振り返り、静かに口を開く。
「ベルが君に何をした?」
メリッサが「ひぅっ」と喉を鳴らした。
聞いたことのない低い声。殺気にも似た、冷たい空気。
吹き付ける圧に肌がびりびりと震えて、ベルはその時初めて、優しい主の内側で激しい怒りが燃え滾っていたことを知った。
ロクが一歩踏み出す。
強く踏みしめられた靴の下で、小石がギチリと悲鳴を上げた。
「ベルはただ優しかっただけだ。繊細で柔らかい心を持っていただけだ。他者を傷付けず、決して踏みにじらず、君の言葉でさえも真摯に受け止めて自分を責め続けた。――そんなベルに、君は何をした?」
「あ、ああ……」
メリッサが目を見開き、蒼白な顔で喘ぐ。
「ご、ご、ごめんなさい、二度としないわ、ああ、わた、私が馬鹿だった、あ、あああ謝る、謝るわっ、だから――」
「謝らなくていい。俺は君を許さないし、許す権利もない。相手が違う」
その表情は、ベルの位置からは見えなかった。
強く握られた拳の周囲に、バチバチと白銀の火花が弾ける。
低く静かな声が告げる。
「俺の、俺たちの大切なベルに、二度と近付かないでくれ」
ベルは、自分とメリッサの間に立ち塞がる、大きな背中を見上げた。
温かい太陽のような人だと思っていた。
傷付いた命を包み込む陽だまりのように、穏やかで優しい人だと。
けれどそれだけではない。
群れを護るただ一人の雄として相応しく、研ぎ澄まされた牙と爪を備えた人。
大切な仲間を傷付ける者を打ち払う、力強い翼を宿した人。
「あ……あ……あぁ……」
メリッサが放心したように地面を掻く。
ロクはそれきり振り返ることなく歩き出した。
「さあ、ベル」
マノンに促されて路地を後にしようとして、ふと振り返る。
遠ざかるロクの背に、メリッサは這いつくばりながら手を伸ばしていた。
「あぁ、待って、お願い……許して……あたしを、連れて行って……」
呪詛にも似た愛の言葉――ロクの言う通り、スキルの効果だけなら、数日で解けるかもしれない。
けれど。
「行かないで……好きなの……本当に、好きなのよ……お願い、お願い……」
メリッサはか細い声を震わせながら、ロクを追おうとみっともなく這いずる。
可愛い顔は涙と埃で汚れ、髪はぐちゃぐちゃに乱れている。
生まれながらの強者だった彼女は、生まれて初めて、手に入らないものに出会ってしまったのだ。
遠く遙かな光。決して手の届かない幻。
先の見えない暗闇で、理想に焦がれて藻掻くその辛さは、よく知っている。
ベルはスカートを翻し、メリッサに駆け寄った。
爪のひび割れたその手を取る。
「私、ちゃんと幸せになれたから。――あなたの幸せも祈ってる」
さようなら、と告げると、あとはもう、振り返ることなく路地を後にした。
メリッサの元に駆け戻るベルを見ながら、マノンが朗らかに微笑む。
「ロクさまがいらしてくださって良かったです。私一人だったら、魔術で隣町まで吹き飛ばしてしまうところでした」
「それは危なかったな」
「それにしても、罪な方ですねぇ。出会ったばかりの女の子を、あんなにも夢中にさせてしまうなんて」
「あれは『魅了』の効果で――」
「本当はお気付きでしょうに」
マノンが流し目を送ると、ロクは答えず曖昧な笑みを浮かべた。
メリッサの手を握るベルを見つめるその横顔に、目を細める。
「償いと許しは別のもの。どんなに言葉で償おうとも、許されない罪がある。よくぞ鮮やかに斬り捨ててくださいました。……と、言いたいところですが。まさか、後悔していらっしゃる?」
歌うように問いかけると、ロクは「いや」と小さく首を振って、低く呟いた。
「ただ、他にもっと、やりようはあった」
「――それは、どちらの意味ででしょうか?」
マノンのいたずらめいた笑みに、ロクはちょっと瞠目して、苦く笑った。
――おそらくロクの力を以てすれば、生涯消えない呪いを掛けることさえ可能だった。それをしなかったのは、偏にベルのためだろう。
マノンはふふ、と喉を鳴らして優雅に膝を折った。
「その一線を含めて、此度の処遇、ご果断と申し上げる他はなく。それでこそ、私たちの主さまです」
息せき切って合流したベルを、ロクとマノンが笑顔で迎える。
「すみません、お待たせしてしまって……」
そう言いながら、ベルはロクを見上げた。
敬愛する主の顔には、いつもと変わらない優しい表情が浮かんでいて。
ベルは少し躊躇って、その袖をそっと摘まんだ。
「あの、ロクさま。ありがとうございました。……嬉しかったです。私のために、怒ってくださって」
ロクが目を見開き――大好きな夜色の双眸が、ふわりと弧を描いた。
大きな手が頭を撫でる。
「ベル。これからは、俺たちがついてる。みんな君の味方だ」
「はい」
降り注ぐ日差しのような、温かなまなざしに目を細める。
ずっと怯えながら生きてきた。心ない牙に晒され、強者の爪に弄ばれて。
傷付き続けた過去を乗り越えて、今、大きな翼に護られた雛のように、本当の安らぎと幸せを得て、ようやく自分の翼で羽ばたける気がした。
「さあ、ベルのお母さんに会いに行こう」
ロクはそう言いかけて、ベルが化粧をしていることに気付いたらしい。
小さく首を傾げて、柔らかく笑う。
「いつも可愛いけど、今日は一段と綺麗だな」
「っ……」
心臓がきゅうっと引き絞られて、頬に熱が昇る。
その時、マリニアの間延びした声が響いた。
「あっ、ロク先生~! ナターシャがまた変な魔具買おうとしてます~! 温泉を掘り当てるスコップとか、ぜったい詐欺です~、止めてください~!」
「懲りないな、ナターシャは」
「なぜ怪しいものにばかり惹かれるのでしょうねぇ?」
笑って歩き出すロクとマノンに続いて、ベルは軽やかに地を蹴った。
****************
一陣の風が吹き抜ける。
ベルはまぶたを開いた。
後宮の広場に、神器が並んでいる。
――ロク率いる神姫たちと共に王都を防衛したあの日から、後宮部隊の一員として、ダンジョンを制覇し、多くの魔物を退けてきた。
何もないと思い続けてきたこの手には、『天見の水晶』さえ見抜けなかった力が宿っている。
グズでのろまだと誹られた自分。
神器を手に入れるのだって、結局最後になってしまった。
それでも、と胸を張る。
もう揺らがない。
自分の価値を知っているから。
自分のために怒り、大切に慈しみ、ありのまま受け止めてくれる人がいることを知っているから。
きっと自分だけではない。
それぞれの事情を抱え、後宮に集った少女たち。ただ一人の勇者と出会い、過去を乗り越え、決別し、苦しみさえ糧にして咲き誇る花となった。
――誇り高くありたい。
彼女たちと並び立てるよう。あの優しい人に仕える神姫として、恥じないよう。
居並ぶ神器の一角から、金色の粒子が立ち上る。
淡い光の塊が、ベルの前にふわりと集まった。
光の蕾が解け、神器が現れる。
それは、美しいオーロラ色の糸巻きだった。
糸巻きは祝福するように宙を舞うと、腕輪となってベルの手首に収まった。
息を詰めていた少女たちから、わっと歓声が上がる。
ナターシャやマリニア、たくさんの姫たちが、同じく腕輪と化した神器を掲げて笑いかける。
「ベル!」
愛おしい声が響いた瞬間、ベルは迷いなく駆け出していた。
全力で飛び込んだ身体を、ロクはしっかりと抱き留めてくれた。
「よく頑張ったな」
温かな胸の中で、「はい……!」と笑う。
身も心も捧げるという言葉の本当の意味が、今なら分かる。
主を信じ、己を信じ、仲間を信じて力を尽くすこと。誇りをもって仕えること。
自分を包む優しい腕が、声が、瞳が、呪いは解けること、傷は癒えることを教えてくれた。
もはやベルは、無力なうさぎではない。
かけがえのない主を得て、大切な仲間を得て、眩い力を宿す神姫となった。
呪いから解き放たれた少女は、真っ新に生まれ変わった身体で、自分の選んだ道を歩き始める――
幕間のおまけ
ナターシャ「えっ、ベル、食用うさぎって呼ばれてたの?」
ベル「はい……」
ナターシャ&マリニア「いいなー!」
ベル「えっ」
ナターシャ「可愛いじゃん、うさぎ。あたしなんか、子どもの頃のあだ名、毒蠍だからね」
ベル「!?」
マリニア「わたし、殺人わたげ~。昔は髪の毛がくりくりしてたのと、お昼寝している兄さまの口にたんぽぽを詰め込んで殺しかけたから~」
ベル「!? !?」
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幕間が想定した以上に長くなってしまいました、申し訳ございません!
いつも応援ありがとうございます!
真の勇者ロクと、彼を一心に慕う神姫たちの物語、
引き続き温かく見守っていただけますと幸いです。





