第60話 幸せの形
波がさざめき、海の香りを含んだ風が吹き渡る。
全員の無事を喜び合うと、フェリスは兵士たちに頭を下げた。
「みんな、ありがとう。私を信じてついてきてくれて」
「そ、そんな! フェリスさまと共に戦えたこと、自分たちの誇りです!」
兵士たちは感激に目を潤ませている。
何人かが俺のもとに掛け寄って手を握った。
「勇者さま、本当にありがとうございました!」
「空を駆け、魔物の大群をたった一人で引き受けるあのお姿、まさしく我らが待ち焦がれた英雄……! どうぞフェリスさまをよろしくお願いいたします!」
「しかしまさか、いくら勇者さまとはいえ、ドラゴンを召喚なさるなんて……」
兵士たちの畏怖の視線を浴びながら、ザナドゥが鼻息を吹いた。
『この黄金竜に曲芸飛行の真似事をさせるとはな。まさに大器小用。こんなものは飛竜に任せれば良かったものを』
「ザナドゥが良かったんだ、一番頼りになるから」
そう言って見上げると、ザナドゥは「んん?」と片眉を跳ね上げ、喉を鳴らした。
『んん~、そう、そうか。なるほどなぁ。……ふ、ふ。そうよ、我こそが最強最速にして、あまねく生命の頂点に立つ覇者! 分かっておるではないか!』
ザナドゥは愉快げに翼を広げると、地に響く哄笑と共に飛び立った。
『また会おう、ドラゴンたらしよ!』
リゼが「ザナドゥさま、たらし込まれた自覚があるのですね……」と呟きながら、遠ざかる黄金の竜を見送る。
その時、背後から足音が近付いてきた。
振り返ると、商人たちが居並んでいた。
中央に立つのは、立派なひげを蓄え、上質な服を着た身なりのいい男。
トルキア国有数の豪商、レーグ商会会長ヴォルグだ。
ヴォルグはフェリスの前に立つと、胸に手を当てて片膝を付いた。
驚くフェリスに深々と頭を垂れる。
「フェリスさま。此度の戦い、全て見届けさせていただきました。戦いの女神の如き、美しく勇ましい戦いぶり。そしてあの怪物を前に怯むことなく兵士を鼓舞し、指揮するお姿。フェリスさまこそ、まさしく上に立つに相応しい御方。お父上もお喜びになるでしょう」
「お父さまが……?」
「ザカリーさまはお厳しい方ですが、それも由緒正しいアルシェール家の血筋に生まれたフェリスさまを案じるが故のこと。フェリスさまを守り切れず手放されたこと、悔いておいででした」
明かされた真実に、フェリスは声もなく胸を押さえている。
ヴォルグは小さな目を細めて、俺に向き直った。
「異世界の勇者さま。ドラゴンを駆り、幾多の魔物を駆逐するあの勇姿。貴殿こそが、世界を救ってくださる救世主と確信いたしました。我がレーグ商会、微力ながらお力になりたく。お困りの際は、どうぞご贔屓に」
口ひげを歪めてにやりと笑う。
一筋縄ではいかなそうな笑みとは裏腹に、その魔力回路は素直に流れている。ある意味、商人としては信用できる男のようだ。
ヴォルグと握手を交わした時、人垣が左右に割れた。
商人たちに囲まれるようにして現れたのは、イザベラだった。よれた扇を握り締め、顔を赤くしたり青くしたりしながら俺たちを睨み付ける。
その後ろでは、ミゲルがびくびくと怯えた目を泳がせていた。
すべての目論見が裏目に出たばかりではない、魔術というただひとつの支柱を海獣に粉砕されたショックと屈辱が大きいのだろう。
歯ぎしりするイザベラを、ヴォルグが促す。
「イザベラ夫人。城に逃げ帰る前に、フェリスさまにおっしゃることがあるのでは?」
「ぐ、ぅ、うぅ……ッ」
歪んだ口角から獣のような呻きが漏れる。
拳を握って立ち尽くすイザベラに、フェリスが向き直った。
「お母さま。私の勇者さまとお友だちの力、ご覧いただけましたか?」
「ッ……!」
イザベラがぶるぶると唇を震わせる。
フェリスは誇らしげに俺たちを見渡した。
「私は、魔術は使えません。けれど、共に歩んでくれる仲間がいます。私を信じてくれる、大切な人がいます。フェリス・アルシェールは、もう俯きません。持って生まれた力や、血筋のためではない……愛する方々に誇れるよう、胸を張って生きます」
金色の籠手に包まれた手を胸に当て、微笑む。
その笑顔は晴れやかで美しく、溢れるような輝きに満ちていた。
「魔術は使えないけれど、私、幸せです」
「う、ぎ……! ふぎィ、ぃぃぃ~~~~ッ……!」
イザベラの顔が真っ赤に染まる。
痩せた手の中で、扇がべきりとへし折れた。
食い縛った歯の間から凄絶な呪詛が溢れる。
「許さない、許さない、許さないぃぃ~……ッ! 魔術も使えない出来損ないが幸せになるなんてェェ~~っ!」
「やっちゃってよ、ママぁ!」
涙目のミゲルが叫び、イザベラが折れた扇を振り上げる。
俺はフェリスを背に庇い――
刹那、フェリスの籠手が光を放ったかと思うと、イザベラとミゲルを黄金の火花が取り巻いた。
「あぎゃァア゛あァ゛ああ゛アァあ!?」
ばちばちと凄まじい火花が荒れ狂い、獣の断末魔に似た絶叫が上がる。
唖然と立ち尽くす俺たちの耳に、遠雷のような咆哮が轟いた。
『我が名は春雷の籠手! 守護神イリアより遣わされた神器がひとつ! 我が勇者、我が神姫への侮辱、即ち神への冒涜と知れ! 我が加護ある限り、二度とその穢らわしい面を向けること許さぬ!』
「あ、がぁ……」
イザベラとミゲルが、白目を剥いて倒れ伏した。
慌てて脈を確認する。
「……大丈夫、生きてる」
息を吐きつつ告げると、フェリスが胸をなで下ろした。
「いやはや、本物の神罰をこの目で見ることになろうとは。恐れ入りました」
兵士に支えられながら去って行くイザベラとミゲルの背中を眺めながら、ヴォルグが痛快そうに喉を鳴らした。
「後のことはご心配なく。彼らが妙な動きをしないよう、目を光らせておきましょう。何しろ弱味はたんまり握っておりますので」
油断ならない笑みに苦く笑う。
と、ヴォルグがそそそ、と寄ってきた。
口元を袖で隠しつつも、聞こえよがしに囁くことには、
「勇者さま。もしもフェリスさまと結ばれ、領主となられた暁には、ぜひ当商会をお引き立てくださいませ」
「ヴォルグさま!?」
フェリスが真っ赤になって慌てている。
ヴォルグは呵々と豪快に笑うと、一礼して背を向けた。
悠々と帰って行く商人たちを見送って、兵士たちが誇らしげに胸を張った。
「我ら一同、フェリスさまのお帰りを心よりお待ち申し上げております!」
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城に戻って馬車に荷物を積み込み、王都へ帰る準備を整えている中。
「ロクさま。ありがとうございました」
フェリスがやって来て、頭を下げた。
絹のような金髪がさらりと零れる。
「ロクさまが信じてくれたから、自分を信じることができました。あの強大な魔物に立ち向かい、大切な領地の皆を守れたのは、すべてロクさまのおかげです」
そう言って、凜と首をもたげて笑う。
「――最後まで私のことを信じてくださって……全てを託してくださって、嬉しかった」
透き通る翠の瞳は、星のような輝きを湛えていた。
出会った時は、あんなにも怯えて、縮こまって、今にも儚く消えてしまいそうだったのに。
胸にこみ上げる温かい感情のままに笑いかける。
「あの戦いで勝てたのは、他でもない、フェリスが頑張ったからだよ。みんなを率いて戦う姿、本当に綺麗だった。勇敢で、可憐で、自慢のお姫さまだ」
「……っ」
フェリスが胸を押さえる。
白い頬に朱が散っているのを見て、自分が何を口走ったか気付いた。
「あっ、いや、今のは領地のみんなにとって自慢のっていう意味で! いやいや、もちろん俺も自慢だけど、別に自慢できる立場にないと言うか、うんっ??? あの、とにかく誇らしかったことを伝えたくて、その……!?」
しどろもどろになって視線を彷徨わせる。――何よりも、フェリスが胸を張って、幸せだと言ってくれたことが嬉しかった。そう伝えたいのだが、言葉が詰まって出てこない。
頭をひねりながら貧弱な語彙を絞っていると、細い手が俺の手を取った。
熱に潤んだ瞳が俺を見詰める。
「……フェリス?」
「ロクさま」
しっとりと柔らかな手は、ひどく熱い。
翡翠色の瞳が俺をひたむきに見上げ、淡いピンクの唇が春を迎えた桜のように解ける。
「……ロクさま、私、神姫として……いえ、フェリス・アルシェールとして、ロクさまのこと……――」
吐息のように紡がれる言の葉。
痺れに似た予感に、心臓が甘い脈を刻み――その時、春雷の籠手が眩い光を放った。
「きゃっ!?」
籠手の輪郭がほどけ、光の粒となって立ち上る。
宙に舞い上がった光が、みるみる人を形作り――
「ふぁ~あ」
空中に現れたその少女は、大きく伸びをした。
春の空を思わせる薄青色の瞳。陽光を集めたかの如く燦然と輝くブロンド。そして薄手のローブから今にも溢れてしまいそうな豊満な肢体。
「ロクさま、フェリスさま、どうなさいました、か……!?」
駆けつけたリゼたちが、思わぬ光景に唖然と立ち尽くす。
金の光を纏った少女を見上げて、フェリスが呆然と口を開いた。
「しゃ、春雷の籠手……?」
「! フェリスちゃん!」
ブロンドの少女――春雷の籠手は、フェリスを見るなりぱっと顔を輝かせた。
両腕を広げてフェリスを抱きしめる。
「ひゃふ!?」
「全部聞いてたよ! 辛かったね、悲しかったね、でもすっごく頑張ったねぇ~! もう心配ないよ。お姉ちゃんに、ぜーんぶお任せっ! えへへ、一緒に頑張って行こうねぇ」
「ふ、ふぁひ」
豊かな胸に押しつぶされて、フェリスは目を白黒させている。
これが春雷の籠手に宿った初代神姫か。
シャンディエは俺に気付くと、ふわりと降りて膝を付いた。
「異世界より来たりし勇者、ロクさま。千年の時を超えてお仕えできること、光栄に存じます。『春雷の籠手』、ここに参上いたしました」
「力を貸してくれてありがとう。どうぞ、よろしくお願いします」
頭を下げる。
イザベラに神罰を下した時は過激な神器かと思ったが、どうやら優しくて愛情深い女性のようだ。
シャンディエは俺を見上げて目をきらきらさせていたかと思うと、勢いよく抱きついてきた。
「わぁい、フェリスちゃんの勇者ちゃん、可愛い~っ!」
「むぐ」
「わぁぁ~、黒い目きれい~! 髪さらさら! 大きいわんちゃんみたいだねぇ! 可愛い、可愛いっ! えへへ、私のこと、お姉ちゃんって呼んでいいよぉ~。末永くよろしくねぇ~」
豊かな胸に頭を抱かれながら、犬の子のようにわしゃわしゃと撫でられる。
……可愛げとは無縁の成人男性だと自覚していたが、千年生きた神器から見ると可愛いという部類になるのだろうか。
いや、それよりも、顔に押しつけられる柔らかくむにむにとした感触といいにおいで、頭がぼーっとしてきた。遠くに綺麗な花畑が見える。そうか、ここが天国か……
「ろ、ロクちゃん、顔色がっ!」
「空気を! 空気を吸ってくださいませ!」
シャンディエは俺を解放すると、もう一度フェリスを優しく抱きしめて頬ずりした。
「私の力が必要な時は、いつでも呼んでね!」
艶やかなウインクを残して、籠手の姿に戻る。
「……まるで、春の嵐みたいだったわ。とても可愛らしくて、頼りになる神姫さま」
籠手を撫でて、フェリスが笑う。
思いのほか個性的な神器だったが、フェリスと仲良くやっていけそうで良かった。
後宮がまた賑やかになりそうだ。
「すごいです、フェリスさま! 私も一日も早く神器を解放できるよう、頑張らなければ!」
リゼが盾を手に意気込む。
――けれど。いつも通りに見える、その表情の奥。
微かな焦りが浮かんでいる気がして。
「……リゼ?」
声を掛けるよりも早く。
「準備できたよ、出発しよう!」
ティティの元気な声に、リゼが顔を輝かせて手を差し出す。
「ロクさま、参りましょう!」
「……ああ」
俺たちは使用人や兵士に別れを告げ、王都へ向けて出発したのだった。
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