第12話 新たな出会い
大陸樹を祀る銀果宮、その一角。
箱に収められた神器を見下ろしながら、リュウキはいらいらと呻いた。
「鹿角勒……っ」
忌々しいその名をかみつぶす。一晩経っても怒りがおさまらない。魔術もスキルも使えない役立たずのくせに。なぜオレが追い返されなければならない。オレはただ一人の勇者だぞ。
美しい宝玉が埋め込まれた剣。その柄に手を伸ばす。しかし。
「く……!」
激しい火花と共に、手が弾かれた。
「くそ……!」
オレは最強だぞ、勇者だぞ。何が気に入らない。何が足りないというのだ。
歯がみしていると、神官が入ってきた。リュウキの前に跪く。
「リュウキさま。大陸史学のお時間です」
「そんなもん必要ねぇ」
「しかし、旅に出る前に、一通りの知識をお修めいただきたく……」
「それより、仲間はまだ揃わねぇのか。神器を手に入れるためにはレベルを上げなきゃなんねぇんだろ。大陸の平和が掛かってんだろうが? なんで集まらねぇんだよ、無能が」
「それが……リュウキさまが、宮廷魔術士たちを全員クビになさったことが広まり……さらに、パーティーメンバー候補として集めた手練れの冒険者たちを追い返されたため、他の冒険者が恐れを成し……」
「はァ?」
あんなへぼい花火を打ち上げる無能が悪い。集められた冒険者とやらだって、極大魔術のひとつも使えなかったではないか。
「なら、仲間なんかいらねぇから、さっさと魔族とやらを狩りに行かせろ。いるんだろ、近くに」
「恐れながら、北方に巣食う『暴虐のカリオドス』は強敵。いかなリュウキさまとて、お一人では……。まずは仲間をお集めいただき、神器を手に入れていただきたく……」
「ふざけるな!」
咆哮と共に極大魔術を放つ。
「何が神器だ、何が仲間だ! 充分だろ、オレのこの力さえあれば! 違うか!」
石床は無惨に砕け、深い穴が穿たれている。神官はほうほうの体で逃げていった。
いつの間にきていたのだろう、王女が気遣わしげに声を掛ける。
「リュウキさま、そう焦らずとも」
「うるせぇ!」
そう吠えて、再び神器に伸ばした。やはり激しい電流と共に拒絶される。
「ぐ……っ! くそォ……っ!」
焼け付くような屈辱と焦燥が、身を焦がしていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
後宮にきて四日目の朝。
早くも悩みが発生していた。
「…………」
俺は下半身の違和感から目を逸らしつつ、天井をじっと見つめた。
勇者のために用意された部屋、『金獅子の間』。
昨日まで泊まっていた空き部屋も充分豪華だったのだが、さらにグレードアップしている。
繊細な刺繍が施されたソファに、一目で高級と分かる目の細かい絨毯。天蓋の付いたベッドはやたらと広く、十人はいっぺんに眠れそうだ。
その、ベッドの中。
そっと布団をめくる。
腰に、ティティが抱きついていた。安心しきった顔ですーすーと寝息を立てている。
「ティティ」
名前を呼ぶと、ティティはくしくしと目を擦りながら笑った。
「ん。おはよー、ロクちゃん」
「おはよう」
俺が寝ている間に潜り込んだらしい。素足に青い寝間着がひらひらとまとわりついて、熱帯魚みたいだ。
「自分の部屋に戻ったかと思ってたんだが」
「だって、ロクちゃんと一緒に寝るの、気持ちいーんだもん」
細い腕で俺に抱きついて、ごろごろと喉を鳴らす。
俺は苦笑しながら身を起こした。
「ええ~、起きるの~?」
「起きるよ」
「もっと寝てようよー」
魅力的なお誘いだが、俺はその頭を撫でながら笑った。
「ほら、早く部屋に戻って着替えないと」
ティティは「んー」と俺の腰にぐりぐりと顔を押しつけて名残惜しそうにしている。
「あ。そういえば、昨夜の騒ぎ、何だったんだろうな」
宴が終わった深夜、門の方が騒がしくて急いで見に行こうとしたのだが、なぜかティティがボードゲームを抱えて「勝負だー!」と押しかけてきたので、うやむやになってしまった。
「えー、なんだろ? 知らないよ~」
ティティはあくびをしながらベッドから降りると、
「今日の魔術講座も楽しみにしてるネ、ロクちゃんせんせっ! ちゃお!」
と小さな投げキッスを飛ばし、元気に出て行った。
俺も身支度をして部屋を出る。眠気覚ましの、朝の散歩だ。あと、一日でも早く後宮に馴染んで、間取りを覚えなければ。なんたって街ひとつ分くらいあるのだ。
まだ早いのに、すでにそこかしこで、宮女たちが忙しく立ち働いていた。
「あっ、ロクさま!」
「ロクさまー、おはようございます!」
みんな気軽に手を振ってくれる。昨夜、みんながあまりにも丁寧に傅くので、「気軽に接してくれたら嬉しい」とお願いしてから、フランクに接してくれるようになった。ありがたい。
……それにしても、本当に女の子ばかりだ。俺、この中で生活するのか。よく考えたらすごいな。
と、中庭に小さな人影があった。小柄な少女だ。後宮には珍しく、簡素な服を着ている。侍女という雰囲気でもない。
「おはよう」
声を掛けると、少女が振り返った。
氷の彫刻を思わせる細い銀髪に、色素の薄い金色の瞳。肌はきめ細かくて陶器人形のようだ。
「ええと、名前は……」
「……サーニャ」
透き通るような声だった。まだあどけなさが残る顔には、しかし表情らしい表情が見当たらない。
「サーニャ。どうしたんだ?」
尋ねてから、ふと気付く。
両手に何か乗せている。ぽわぽわした塊――鳥の雛だ。
傍の木を見上げる。
「巣から落ちたんだな」
枝に掛かった巣から、ぴいぴいとかすかな声が聞こえてくる。梢では、親鳥だろう、小さな鳥が心配そうに俺たちを見下ろしている。
「…………」
心細げに鳴く雛を、サーニャはじっと見つめている。
「家族のところに帰してやりたいな」
そう呟くと、サーニャは俺を見上げて、小さく、けれど確かに頷いた。
とはいえ巣の掛かっている枝は細く、下手に登れば折れてしまいそうだ。
サーニャの魔力を視てみる。量も多いし、流れも均一だ。不思議な色の魔力で、属性は判別が付かないが、かなり安定している。
「魔術、使ってみるか」
サーニャが頷く。
おれはその隣にしゃがむと、魔力回路に目をこらした。
「ゆっくり、深く呼吸して。俺が合図したら、『浮遊』って唱えるんだ」
『浮遊』は物を浮かせる魔術だ。
サーニャが言われたとおりに深い呼吸を繰り返す。魔力回路が輝き始めた。
「よし、いいぞ。唱えて」
「『浮遊』」
サーニャが呟く。
雛の身体が、ふわりと浮かんだ。
「よし。そのまま、巣までゆっくり運ぶんだ」
雛はふわふわと空中を漂い――やがて、ぽすりと巣におさまった。
無事に戻った雛に、親鳥が一目散に駆けつける。雛は嬉しそうに鳴いていた。
成功だ。
俺は思わず、サーニャの髪を撫でた。
「やった! すごいな、サーニャ!」
「…………」
サーニャは俺を見上げて、なにやら驚いているようだ。ガラス玉のような瞳が、ほんの少し見開かれている。初めて使った魔術に驚いているというよりは、もっと別の――
と。
「見つけました、サーニャさま! お召し替えを!」
侍女が駆けつけたかと思うと、あっという間に連れ去られてしまった。
「……サーニャか」
なんだか気になる子だった。