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彼女が草を刈る理由

作者: 173


 少しずつ、意識が戻る。まぶた越しの景色が青い。涼しい風が、生い茂る草に形を借りて、むき出しの肌をさわさわとする。空と、草の、青い匂いに、もう少し微睡んでいたくなる。んん、と身体をよじって、言葉が詰まる。喉が、声の出しかたを忘れたようだ。

 風向きが変わる。いっそう濃くなる草の匂いに、排気ガスのそれが混じる。なぜ排気ガス、と考えるより早く、けたたましい音が答えを告げる。

 ぞばばばば! ぞばばばばばば!!

 その轟音は、近づいている。それが意味するものは、半覚醒の頭でも、容易に答えを導き出した。神経系を強引に接続して、上半身を跳ね起こす。かくして開いた目の前で、金属の刃が回転していた。


「うお!?」

「あら、こんにちは」


 幼い声が降ってくる。逆光で顔は伺えないが、一○歳(とお)に満たない少女のようだ。草刈り機が、唸りを止めて着地する。額へずらされたゴーグルは、きらりと陽光を反射した。


「こ、こんにちは」

「お兄さん、ここでお昼寝?」

「と言うか、ここは、何処だ?」


 自分の間抜けな質問に、白いTシャツから伸びる左手が、オーバーオールの腰を持つ。持ち上げられた金属の刃が、所在なさげに鈍く光った。


「ああ、迷子さんね」

「いや、違うが?」


 迷子だなんて子供じゃあるまいし。しかも相手は少女とあって、反射神経でそう言った。だが、少女には、ばれているようだった。だからこそ、彼女は先の疑問に答えてくれた。


「ここは、お墓だよ」

「お墓」

「そ」


 何で墓場で昼寝なんか、と思ったが、それを口にするのは迷子と認めるようで気が引けた。それに、少なくとも彼女には、自分がここにいることを疑問に思っている様子は無い。


「じゃ、行きましょ?」

「ここはお墓で、じゃあ、きみは」

「お墓の掃除をしてるのよ」


 草刈り機を肩に担いで、彼女は右手を差し出した。一瞬だけ迷ったが、どのみち行くあても無い。握った手は、ひやりとして、小さくて、華奢で、そして、なぜか暖かかった。黒くて大きな目が、満足そうな光を帯びている。つんとした鼻は少し生意気そうで、よく動く口からは、白い歯が見えた。

 得意気に身を翻せば、一つに結んだ長い黒髪が弧を描く。もちろん、担がれている円い刃も一緒に踊る。


「あぶねえ」

「あら、失礼」


 気も無い調子でそう言うと、草刈り機の始動紐ロープを引っ張った。何度目かの試みで、エンジンが力強く咆哮する。ぐおん、ぐおん。草刈り機氏は、俄然やる気という調子で、自慢の刃を閃かせ、雑草どもを斬り据えていく。それに彼女が続くので、小さな背中の後を追う。


「すげー草だな」


 独り言のように、だが少女に聞こえるように、少し声を張って言う。何せ草刈り機氏が元気なもので、独り言だと本当に独り言になってしまう。


「ほんとにね。ちょっと目を離すと、すぐに伸びちゃう」


 少女も大きめの声で応える。肩から吊った草刈り機が、小さな身体に大きく見える。それが軽々と振り回されて、草と排気ガスの匂いを撒き散らす。そのたび道が斬り開かれて、二人は歩を進められる。


「いつも草刈りしてんのか?」

「うん、まあね」

「へえ」


 見渡す限り、草の海が続いている。時おり吹く風が、青々とした波を呼ぶ。波は、生まれたり、無くなったり、合わさったり、分かれたりしながら、二人のところにも押し寄せた。草と排気ガスの匂いを洗い流すと、少女の匂いが、一瞬、香る。


「何よ、それ」


 気の無い返事に、他意を汲み取った少女が、ぴくりと眉を動かした。本当に他意は無かったのだが、それは今さら問題ではない。相手は凶器を持っている――その焦りから、果たして出てきた雑な言葉は、さらに少女の不信を買った。


「いや、別に」

「何か言いたいんなら仰って?」


 にこりと笑い、少女は身体ごと振り向いた。凶刃一閃、数本の前髪が風の波へと溶けていく。勢いで、無様に尻餅など衝いてしまう。


「あぶねえ!」

「あら、失礼」

「今のはわざとだよな?」

「うふふ」


 悪戯っぽく少女は笑い、再び草を刈りながら歩き始めた。

 やれやれと立ち上がるべく、地面に手を着くと、大きめの石に触れた。それは黒っぽい石、もしくは石のようなものだった。何が書いてあるでも、彫ってあるでもないが、それが「墓」なのだと直感した。そうやって見てみれば、彼女と草刈り機の足跡は、大小色々の「墓」を辿るものだった。今の彼らの頭上には、涼やかな風が通り抜けていく。

 なるほど。何となく理解した気持ちで、身体を起こす。だとすると気になることがあるし、確かめたいこともある。小さな背中の後を追う。


「なあ。いったい、いつから草刈りしてるんだ?」

「レディに年齢としを訊くのは失礼なのよ?」

「別に年齢としを訊いてるわけじゃないんだが……」

「まあ、特別に教えてあげるけど、わたしは、ずーっとやってるよ」

「そうか。まあ、この墓、広そうだもんな」

「あら?」


 何かに気付いたのか、彼女が軽く振り向いた。目が合ったので、そのまま軽くうなずいた。彼女は視線を前に戻して、足を進めながら口を開いた。


「お墓の草って、何で伸びるか知ってる?」

「さあな。墓守がサボってるからか?」

「スキンヘッドがお望みかしら?」

「失礼しました」

「分かればよろしい。――で、昇ってくはずの魂を、繋ぎ止めてるからなんだって」

「ふうん」

「だから、昇ってったはずの魂も、草が伸びてると降りてきちゃうの」

「おれみたいにか?」

「そういうこと。もう降りてきちゃ駄目よ?」

墓守おまえがサボらなきゃ降りてこねえよ」


 ざくりと彼女が刈り払う、その足元に、石があった。あれが恐らく、おれの「墓」なのだろう。神経の接続が急速に解かれていく。それは微睡みにも似て、心地よく、幸福で、少し寂しかった。

 少女が手を振る。


「じゃあね」

「ああ、またな」

()()は駄目って言ってるのに」


 ありがとう。最後の言葉は、声になってはいなかった。それでも彼女は笑ってくれた。

 ひときわ強い風が吹き、緑の波は、ぐるりと星を一周りした。そうして風が収まったとき、少女の頬を、雨が濡らした。


  ◆ ◆ ◆


 彼女は草を刈っている。いつからだかは覚えがないが、少なくとも、終わる気配は全く無かった。だから、今日も草を刈る。相棒にガソリンを飲ませてあげて、今日の作業現場へ向かう。始動紐を引っ張ると、エンジンが高らかに声を上げる。うん、今日もいい感じ。

 自分の背丈くらいもあるような、高い雑草を、ぞばぞばと刈る。調子が出てくると楽しくて、楽しくなると調子も出てくる。

 そんなときだった。ひとかたまりの草の束を斬り伏せると、その向こうから声がした。


「うお!?」

「あら……って、もう!!」


  ◆ ◆ ◆


彼女が草を刈る理由

      ―了―

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― 新着の感想 ―
[良い点] 香りが風と合わせて印象的に描かれているのが何ともよい。間延びした緑の匂いとうたた寝で見る夢のようなぼやけた輪郭の情景がじわっと来るものがあります。
[良い点] 僕も、こんな優しくて可愛い墓守のいるところで眠りたいなって思っちゃうのです。
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