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落ちこぼれ子竜の卵



 閣下が私の懐妊を竜神の神殿に報告してからおおよそ半年後――妊娠八ヶ月目に入った頃のことである。

 シャルベリ辺境伯領の空がまたもや彩雲に覆われた日の翌朝。

 夫婦の寝室で突然産気付いた私は、元気な赤ん坊、ではなく――


「た、たまご……」


 卵を一つ産んでしまった。

 シャルベリの竜神の鱗みたいに虹色に光り輝く卵である。

 そして、それを取り上げたのは、産婆でも、主治医でも、お義母様でもなく――


「はわわわわわ! た、卵!? パ、パパパ、パティが、卵をっ!?」


 ちょうど寝室で身支度を整えていた閣下だった。

 卵は、人間の頭くらいの大きさをしている。

 ベッドの上にちょこんと乗ったそれを前に、閣下の表情は愕然としたものになった。

 とたん、私の全身からさあっと血の気が引く。

 私が身籠っていたのは閣下の子供で、シャルベリ辺境伯家の長子である。

 それなのに、人間の赤子ではなく卵として生まれてきてしまったのだ。

 

(私が、落ちこぼれの先祖返りだから……? だから、赤ちゃんの姿で産んであげられなかったの……?)


 私がぐっと唇を噛み締めて俯きそうになった――その時だった。

 閣下がいきなり私をぎゅっと抱き締めて叫んだのである。



「――ありがとう! ありがとう、パティ! なんっっっって、可愛い卵を産んでくれたんだ!!」

「えっ……?」



 ポカンとする私の頭にスリスリと頬擦りしながら、閣下はなおも続けた。


「いやはや、こんなに大きな卵をお腹に抱えているのも、産むのも、さぞかし大変だったことだろう! 身体は大丈夫なのかい!? すぐに、医者を呼ぶからね!!」

「は、はい……」

「しかし、ご覧よ、パティ! こんなに美しく愛らしい卵を、私は今まで見たことがない! まさしく奇跡の賜物だね!!」

「閣下……」


 我が子が卵で生まれてしまったことを、閣下は少しも厭う様子はない。

 それどころか、両手でそれを恭しく持ち上げると、私にするように頬を擦り寄せてうっとりと呟いた。


「はじめまして、可愛い可愛い卵ちゃん……私が、君のパパだよ!」


 つまるところ、閣下は今日も通常運転だったというわけである。






 私が卵を産んだ事実は、元々メテオリット家の事情を知っていた面々に加え、どうあっても協力を得る必要のある主治医と、古くからシャルベリ辺境伯家に仕える家令およびメイド長にも共有することとなった。

 もちろん、主治医も家令もメイド長も、それはもうひっくり返りそうなほど驚いたものだ。

 とはいえ、シャルベリ辺境伯領には竜神のおかげで日照りから救われたという伝説が根付いていることもあり、おそらくは他の土地より竜という存在に対して愛着があるのだろう。

 彼らは早々に、私の産んだ卵とメテオリット家の事情を受け入れてくれた。

 しかしながら、彼ら以外には依然秘密にしておきたいため、私は本来の産月までお腹に詰め物をして過ごすことに。

 そして、肝心の卵はというと……


「私が! 抱いて! 温めて! 孵すっ!!」

「はぁあああ!? 正気ですか、閣下!?」


 閣下のお腹にだっこ紐でくくりつけられていた。

 それを隠すように軍服の上着を羽織ってはいるが、正直言って不自然なことこの上ない。

 そんな状態で通常業務をこなそうというのだから、当たり前のようにモリス少佐が補助を務めることになった。

 

「閣下、急にお腹が出てきたって噂されてますよ。どうせ幸せ太りでしょって言っときましたけど」

「ははは、違いない。この膨らみに私の幸せがいっぱいに詰まっているのは事実だからな。モリス、お前も撫でていいぞ。優しくな」

「はいはい……ってコレ傍目には、私が閣下のお腹を撫でているみたいに見えませんか?」

「見えるだろうな」


 お馴染み、軍の施設三階にある軍司令官執務室。

 閣下と相変わらず上司を上司とも思っていないような少佐のやりとりに、私は少佐の愛犬ロイと顔を見合わせる。

 閣下のお腹が膨らんでいるのは周囲にばれてはいるが、彼が抱いているのがまさか卵だとは――しかもそれが私達夫婦の第一子をだなんて、誰も夢にも思うまい。

 

「こうやって卵の鼓動を感じていると……僭越ながら、身籠った女性を体感しているかのように錯覚するな。自分は本当に親になったんだという実感がどんどん湧いてくる」


 執務机の前に座った閣下は、ぽっこりと膨らんだ腹部をそれはもう愛おしげに撫でながらしみじみと呟く。

 それから反対の手で私を抱き寄せ、満面の笑顔でもって続けた。


「ここまで、この子をお腹の中で育んでくれてありがとう、パティ。ここからは、私にもその役目を担わせてほしい」

「閣下……」


 シャルベリ辺境伯と軍司令官という二つもの重責を背負っている閣下に、これ以上負担をかけることは憚られる。

 彼を補佐する少佐にも、きっとさらなる面倒をかけてしまうだろう。

 だから本当は、卵を閣下に任せてしまうべきではないと思うのだ。

 けれども……


「卵を抱かせてもらえる人間の父親など、世界広しと言えど私くらいなものだろう。卵で産んでくれたパティには、本当に感謝してもしきれないよ。なぁ、モリス。そう思うだろう?」

「はいはい、そっすね。まあ、卵を他に任せてしまったら、閣下はきっとそちらに入り浸ってしまうでしょうし。それなら、最初から閣下のそばに置いておいた方がよっぽど仕事が捗るでしょう」


 閣下は卵を離す気はこれっぽっちもなさそうだし、彼をよくよく理解している少佐も反対する気はなさそうだ。

 何より……


「可愛い可愛い卵ちゃん。殻の中から見ていておくれよ。パパは、君とパティのために今日も頑張って働くからね」


 優しい声で卵に語りかける閣下があまりにも幸せそうで、それを取り上げることの方がよっぽど酷な気がした。

 我が子を卵という形で産んでしまったことを、私はやはりどこか負い目に感じている。

 けれども、閣下は今回もまた特大の肯定でもって、何もかも全部包み込んでしまった。


「私、閣下と出会えて……閣下と夫婦になれて、よかった……」


 閣下がいてくれるから、落ちこぼれ子竜の自分も、我が子を卵で産んでしまった事実も、私は受け入れることができるのだ。


「この子のお父様が閣下で……本当に、幸せです」

「うんんん!? なんだい、パティ! どうして急に、そんな嬉しいことを立て続けにっ……!? 待って!? 幸せ過ぎて胸が苦しいんだが!?」

「パトリシア様、いけません。供給は小出しにしていただかないと、閣下が死んでしまいます」


 胸を押さえて悶える閣下と、大真面目な顔をして窘めてくる少佐に、私はたまらず吹き出してしまう。

 そんな私達を、少し離れた場所からじっと見つめる目があった。


「……」


 シャルベリ辺境伯軍司令官執務室の隅には、子供用の小さなベッドが置かれている。

 少佐が頻繁に、一歳になったばかりの一人息子ルカリオ君同伴で出勤するためだ。

 この日は少佐の両親が自宅で子守をしているためベッドは空のはずが、何やらシーツがもぞもぞと動いている。


「えっと……ジジ様……?」


 ベッドを占領しているのは、ぽっこりお腹のちんちくりん。真っ白い肌と金色の瞳の子竜、ジジ様ことルイジーノ様だ。

 小竜神が憑依したピンク色の子竜のぬいぐるみを鷲掴みにしたジジ様は、頭からすっぽりシーツを被り、目だけ出してじっとこちらを見つめていた。


『パ、パト、パトリシア……』


 たすけて、と言外に訴えてくる小竜神を見かねた私は、おそるおそるジジ様に声をかける。


「あの、ジジ様……どうしたんですか?」

『……なんでもないよ』


 どう見ても、なんでもない風ではない。

 ジジ様のらしからぬ様子に私達が戸惑っていると、それまで少佐の横で大人しくお座りしていたロイがのっそりと立ち上がり、尻尾をフリフリ子供用ベッドに近付いていった。

 そうしてシーツの中に鼻面を突っ込んだかと思ったら、白い子竜の首根っこを咥えて引っ張り出してしまう。


『わーっ、ちょっと!?』


 驚いたジジ様が手を緩めた隙に、これ幸いと小竜神が逃げ出した。

 ロイはとことこと閣下の執務机の側まで戻ってくると、咥えてきたジジ様を私に向かって差し出す。

 慌てて彼を受け取れば、ロイはやり切ったような得意げな表情をして、黒い尻尾をパタパタと振った。


「ジジ様、いかがなさいましたか?」


 私と少佐がロイの頭を撫でる一方で、閣下はジジ様の丸い後頭部に向かって問いかける。

 すると、しばしの沈黙の後、ジジ様は私の胸に顔を埋めてボソボソと呟いた。


『パティの卵を見てさ、思い出しちゃったんだよね……娘のこと』

「ジジ様の娘って……人間の王子様と結婚した……?」


 むかしむかしも大昔。

 生贄として差し出された初代アレニウス国王の末王子は、ちょうど卵を産んだばかりだった母親の竜に助けられ、やがて兄妹のようにして育てられた娘の竜と夫婦になった――それが、私の実家メテオリット家の始まりである。

 その言い伝えに父親の竜であるジジ様が登場しないのは、生贄の末王子を食らおうとしたことが母親の竜の逆鱗に触れ、巣穴から追い出されてしまったからだ。

 当時、ジジ様の娘竜はまだ卵の中だったが、それが孵る瞬間に立ち会えないどころか、子供達が大きくなるまで近づくことさえ許されなかったという。


「まー、自業自得ですよねー」

「こらー、モリスー」

「だーって、閣下。子供が産まれる直前の一番大事な時期に戦力外だったどころか、敵に回るなんて――父親として、ありえないでしょう」

「ド正論で殴りつけるのはやめて差し上げろ」


 夫婦で平等に子育てを分担し、全力でルカリオ君の父親をやっている少佐の言葉は容赦がない。

 ジジ様は彼を恨めしげに睨んだものの、反論できないまま再び私の胸にしがみ付いてしまった。

 

『あの時、人間の子を食らって力を得ようなんてバカなこと考えなければ……ぼくも、シャルロみたいに娘が入った卵を抱けてたんだろうな……』

「ジジ様……」


 気の遠くなるような長い時間を生きてきたジジ様は、きっともう何度も何度もこんな後悔を繰り返してきたのだろう。

 彼の愛する妻たる母親の竜も、娘の竜も、もちろんただの人間に過ぎなかった末王子も、当事者はもう誰もこの世にいない。

 一人残されて生き続けるジジ様は、この先もずっと後悔を背負っていくのだろうか。


(ううん、違う。だってこうして、私達は出会ったんだもの)


 私の脳裏に、サルヴェール家の洞窟の湖底に眠る、大きな竜の骨が浮かんだ。

 ジジ様の番だったという母親の竜――私と同じパトリシアという名を持つ竜の骨だ。

 私が閣下達とサルヴェール家を訪ねたのは国王陛下の命で、本当の目的はジジ様を今一度表舞台に引っ張り出すことだったと聞いている。

 しかし、今ふと、私を本当に呼び寄せたかったのは――ジジ様を怠惰な日々から抜け出させたかったのは、かの竜ではないかと感じた。


(そうでしょう? おばあ様――)


 ジジ様が、子孫であり同じちんちくりんの子竜となる私に無償の愛を注いでくれるように、私もこの〝おじい様〟が愛おしく、そして幸せを願わずにはいられない。

 閣下もまた、同じ気持ちを抱いていたようだ。

 閣下は抱っこ紐から卵を取り出して、ジジ様の前に差し出した。


「ジジ様、抱いてやってください」

『……いや、いいよ。ぼくは所詮、父親になり損ねた男だ。そもそも卵なんてどう扱ったらいいかわからないし、割れちゃったら大変だし……』

「そんな心配はしておりませんよ。普段、パティを大事にしてくださっているあなたを見ているのです。ジジ様に私達の卵を預けることに、何一つ不安などありません。そうだよね、パティ?」

「はい、閣下」


 それでもなお躊躇するジジ様を、私はぎゅっと抱き締めて言った。


「ジジ様、どうか抱いてあげてください」

『パティ……でも、でもねぇ……』

「大好きなおじい様に、私の卵を抱いていただきたいです。だって、ジジ様もこの子を愛してくださるでしょう?」

『あーん、ずるい! その言い方はずるいよ、パティ! でもかわいい-!!』


 とたんにぎゅっと私の首筋にしがみついたジジ様は、思う存分頬を擦り寄せる。

 そうして、小さな翼を羽ばたかせて私の腕から閣下の膝に移ると、意を決したみたいに小さな両手を差し出した。


「ん」


 万が一、億が一、手が滑って卵を落としてしまったとしても絶対に受け止めてくれる――そんな、閣下に対するジジ様の信頼がひしひしと伝わってくる。

 長きを生きる生粋の竜からも頼られる閣下が誇らしくて、私はきっと同じ思いであろう少佐と顔を見合わせて笑った。


『あああ……な、なんてこと……』


 ついに閣下から卵を受け取ったジジ様は、小さな両手でそれをひしと抱き締めて声を震わせる。

 卵の表面を優しく撫でて頬擦りをする彼の金色の瞳から、ぽろりぽろりと涙が溢れた。


『はあ……可愛い……まいったね、なんて可愛い子なんだろう……』


 慈愛に満ちた感動的な光景に、私まで涙が込み上げてくる。

 膝にジジ様を乗せた閣下が、そんな私をそっと片腕で抱き寄せてくれた。

 少佐も優しい表情をして、傍に寄り添うロイの頭を撫でている。

 部屋の隅まで逃げていた小竜神も、そろりと首をもたげてこちらを見ていた。

 

『ねえ、早く出ておいで。早く、おまえに会いたいよ』


 私達の注目を一身に浴びつつ、ジジ様が続ける。


『ぼくの可愛いひひ、ひひひひ、ひひひひひひ孫――あーん、やっぱり孫でいいや!』


 けれども、次の瞬間――


 私も閣下も少佐も、そして小竜神も息を呑んだ。



『おまえのことはおじいちゃんが、世界中を敵に回したって守ってあげるからね



――アビゲイル!』





 〝アビゲイル〟





 それは、かつてメテオリット家からシャルベリ家に嫁ぎ不遇な人生を送った、最初に竜神の生贄となった娘の名前。

 そしてまた、負の連鎖を断ち切るために生まれ変わり、七人目の生贄として再びその身と人生を竜神に捧げた娘の名前でもあった。



 遠く雲の彼方から、雷鳴が轟いた気がした。





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[良い点] あー素敵すぎて一気読みしてしました! アビーちゃんは何度も生まれ変わってるのですね! 不遇な人生 ↓ 贖罪から救済の人生 ↓ パパ、ママ、ジジ、ババ、叔父、叔母などなどから 溺愛される人…
[一言] また続きが読めるなんて嬉しすぎます!閣下は相変わらずですね…笑 パティがこれからも幸せでありますように…!
[良い点] 更新ありがとうございます。 パティの全てを肯定して愛でる閣下が大好きです♪ ジジ様も卵を抱かせてもらって良かったね。
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