24話 守るべきもの
半年前に即位した新国王陛下、ハリス・アレニウス。
歴代の国王が受け継いできたという寝室には、豪奢な天蓋付きのベッドとこぢんまりとした木の机と椅子がある。
机の上には相変わらず大きな琥珀の塊が無造作に置かれ、ベッドの側の壁には黄金の額縁に入った絵が飾られていた。
長い黒髪をした若い女性の、ちょうど等身大くらいの上半身の絵だ。
その青い瞳がぱちくりと瞬いて――
『あっらー! ひっさしぶりー! よく戻ったわね、マーティナ! 元気にしていたの?』
閣下が抱えてきたマーティナの絵に向かって猛然としゃべり始めた。
『んっもー、聞いてよ、マーガレット! カビくさい宝物庫の中で埃まみれにされて散々だったわぁ!』
『こっちも、あなたがいなくてつまんなかったわ! 国王達の寝言や歯軋りにも飽き飽きしていたところよ!』
『あらまあ! それじゃ、私が宝物庫の先輩達から教えてもらった話でも聞く? ざっと五十年分くらいあるんだけど!』
『聞く聞くぅ! ちょっと、ハリス! あんたも一緒に聞きなさいよ! 今夜は寝かせないわよ!』
シャルベリの竜神に捧げられた五番目と六番目――叔母と姪の関係にあったらしいマーガレットとマーティナをモデルに、対として描かれた彼女達は二人で一つ。
ようやく再会叶って、お互い積もる話があるのだろう。
きゃっきゃと楽しそうな彼女達に対し、現在アレニウス王国を統べるこの部屋の主はというと――
「うわあああ……余計にうるさくなった……っ!!」
目の下にくっきりと隈を拵えて頭を抱えていた。
洞窟に突入してきた王国軍本隊によって、気絶したマーティナと家令は呆気なく捕えられた。
斥候役を任せたもののやはり心配だったのだろう。ウィルソン中尉はボルト軍曹の無事な姿を確認したとたん、上官ではなく伯父の顔になって彼を強く搔き抱いた。
王国軍は事後処理のために、この後数日はサルヴェール家に滞在するらしい。
ボルト軍曹も然りで、アイアスは当たり前のように彼の側に寄り添っていた。
一方、その日のうちに帰りの汽車に飛び乗った私達は、翌日の午後には王都に到着。
私と閣下、少佐とロイ、それから子竜のぬいぐるみに憑依して付いてきた小竜神――前回と同じ顔ぶれでもって、陛下に謁見することとなった。
案内役はこちらも前回同様、王国軍大将ライツ殿下である。
マーガレットの絵に急かされたライツ殿下が、マーティナの絵を並べて壁に飾ると、陛下は絶望したような顔になった。
「ね、ねえ、シャルロ君。相談なんだけど……この絵、やっぱり二枚ともシャルベリ家で引きとってもらうわけには……」
「参りません」
「いやでも、もともとシャルベリ家のものなんだし、彼女達も里帰りがしたいんじゃ……」
「お断りいたします」
どうにか穏便に絵を遠ざけたいらしい陛下の提案を、閣下は食い気味に否定する。
そうして、にっこりと微笑んで続けた。
「そんなことより、陛下――マーティナの絵の回収と銘打って、我々をマーティナ・サルヴェールの摘発に利用なさいましたね?」
穏やかな口調であったにもかかわらず、そこに含まれた閣下の怒気に腕が粟立つ。
うわ、閣下めちゃくちゃ怒ってる……、と少佐も小声で呟いた。
にもかかわらず、怒りの矛先を向けられたはずの陛下、そしてライツ殿下はさすが肝が据わっている。
涼しい顔をして、閣下の怒りを受け流した。
「あははー、やっぱりばれたかー」
「俺は正直、パトリシアを巻き込むのは反対だったんだが……陛下は言い出したら聞かないものでな」
悪怯れる様子のない陛下と、肩を竦めるライツ殿下。
そんな二人に対し、閣下は笑顔のまま続ける。
「私は、曲がりなりにも軍人ですので、陛下や殿下の手駒となることに不満はありません。モリスも――私の部下もそれは同じでしょう。ただ――」
マーガレットとマーティナの絵を飾った壁に背を向けて陛下が椅子に座り、その側にライツ殿下が立っていた。
そんな二人の前に、閣下は一歩進み出る。
その一歩の重みを表すように、固い軍靴の踵がカツンと音を響かせた。
「私にとって、部下は守るべきものでもあります。部下自身も、そして彼の帰りを待つ家族も、私が守るべきシャルベリの民です。たとえ陛下であろうとも、その命を自由にしていいはずがありません」
この時、私と少佐がいたのは閣下の背後。
けれども、陛下とライツ殿下の後ろの壁に丸い鏡が掛かっており、そこに映り込んでいたがために閣下の表情がよく見えた。
その顔からは、すでに笑みは消えていた。
鏡に映った閣下の口が動いて、それから、と一切の温もりを排除したような声が続ける。
「軍が派遣されるような事案に、パティを――妻を巻き込まれたことに、強い憤りを覚えております。彼女は私にとって命より――僭越ながら、お二方への忠誠よりも勝る存在。飼い犬に手を噛まれたくないのであれば、とくとご留意くださいませ」
毅然とした閣下の言葉に溢れんばかりの愛情を感じて私は胸が熱くなる。
隣では少佐が、ひゅう、と茶化すみたいに口笛を吹いた。
一方、陛下とライツ殿下は顔を見合わせて困った顔をする。
「うん、まあ、悪かったよ。君がパトリシアに骨抜きだってことはちゃんと肝に銘じるから、噛まないでもらえるかな?」
「言い訳に聞こえるだろうが、お前達――特にパトリシアには傷一つ付けるつもりはなかった。そのために、六十名もの人員をこの作戦に投入したんだからな」
「最初から事情を話してくださりさえすれば、こちらも快く従えたでしょう。それとも――お二方は、私が信用ならないとでも?」
「「悪かったって」」
さらに一歩前に踏み出した閣下に、陛下とライツ殿下はついに降参とばかりに両手を上げた。
「パトリシアとモリス君もごめんね。怒ってる?」
閣下の向こうからひょいと顔を出した陛下が、苦笑いを浮かべて問う。
少佐は即座に姿勢を正し、陛下に向かって敬礼をした。
「いいえ。私は今後も、閣下を信じてついていくだけでございます」
私達を庇うように立つ閣下の背中を見つめ、少佐が誇らしげに答える。
そんな彼の隣で、私もきっぱりと――
「――はい、怒ってます」
そう告げた。
「「「「えっ!?」」」」
陛下とライツ殿下と少佐、それから閣下までもが目を丸くして私を見る。
自分に視線が集まったことに一瞬怯みそうになったものの、私はぐっと両手を握り締めた。
閣下と、その向こうにいる陛下とライツ殿下から目を逸らしてしまわないよう踏ん張って言葉を続ける。
「閣下が私を思ってくださるように、私にとっても閣下は大切な人なんです」
「パ、パティ……」
「守られているばかりじゃない。私も、閣下を守りたい。少佐も、ロイも、シャルベリの皆を守りたい。だって、私は閣下の――シャルベリ辺境伯閣下の、妻ですもの!」
「パ、パティー!!」
ふんす、と鼻息荒く言い切ったとたん、私は閣下の腕の中にいた。
ぎゅうぎゅうと、苦しいくらいに抱き締められる。
抱き返そうと腕を回した背中は大きくて、とてもじゃないが私の手には余った。
子竜のちっちゃな手ならば余計にだろう。
それが歯痒く思うことが、きっとこれからもたくさんあると思う。
その度に、私はまた自分の落ちこぼれっぷりに悩むに違いない――けれど。
「パティ、とおとい……」
こうして、惜しげもない肯定をくれる閣下と一緒ならば、なんとかなりそうだと思えた。
「ううっ、ぐすっ……立派になったねぇ、パトリシア。お兄さんは感動したよ」
「お兄さんじゃなくて、おじさんだろ」
閣下の肩越しに、泣き真似をする陛下と呆れ顔のライツ殿下が見える。
私はそんな二人ににっこりと微笑みかけると……
「とにかく、今回のことは詳しく報告しておきますね? ――姉に」
「「やめてっ……!!」」
とたんに蒼白となって悲鳴を上げた陛下とライツ殿下を見て、少しだけ胸のすく思いがした。




