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23話 黒歴史



 湖底に尻を付いて座り込んだジジ様の真上では、一つの巨大な球体となった水の塊がゆっくりと回転している。

 水がなくなったことで、湖底に横たわる竜の骨――私と同じ名前だったという、初代アレニウス国王の末王子を育てた雌竜の遺骨をはっきりと見ることができた。

 骨は最初真っ白に見えていたが、強い光沢があって光を浴びると虹色の輝きを帯びた。

 頭の骨はそれだけで、子竜のジジ様よりもまだ大きい。

 頭頂部からは二本の角が突き出ており、大きな口にはぞろりと鋭い牙が並んでいた。

 そんな頭蓋骨の頬の辺りをちっちゃな手で撫でながら、ジジ様が語りかける。


『ねえ、パトリシア。ご覧よ。ぼくらの孫……いや、厳密には孫じゃなくて、ひひ、ひひひひ、ひひひひひひ孫――あー、もう! 数え切れないから、やっぱり孫でいいや! ほら、パティもおいで! おばあちゃんに、はじめましてしなさいっ!』

「お、おばあちゃんって……ええええええっ!?」

『そこのケダモノの眷属! おまえも、ぼくの奥さんに挨拶することを許そう!』

「ありがたき幸せ」


 突然呼びつけられて慌てる私を、閣下が抱きかかえて湖の底に下りてくれた。

 骨を踏まないように気を付けながら側までやってきた私達に、ジジ様は満足そうにうむうむと頷いてから、また頭蓋骨へと向き直る。

 そして、しみじみと言った。

 

『立派だろう、パティ。おまえのおばあちゃんは』

「はい……」

『彼女はね、黒い竜だったんだ。強くて、美しくて――そして、気高かった』

「パティの姉君のようですね。もしかして、パティはおじい様、姉君はおばあ様の隔世遺伝なのでしょうか」


 閣下の言葉に、ジジ様は傍らにしゃがみ込んだ私の顔をまじまじと見上げ、へえ、姉? と首を傾げる。

 ここで、ふいに口を挟んだのは少佐だった。

 彼は顎に片手を当て、それにしても、と思案するような顔をする。


「反対勢力に生贄にされそうになった初代アレニウス国王の末王子が、母親の竜に助けられ、兄妹のように育てられた娘の竜と夫婦になった、って言い伝えられてるじゃないですか。あの伝説の中で父親の竜について語られないのはどうしてなんでしょうね? ルイジーノ様、子育てに参加しなかったんですか?」


 とたん――洞窟内の空気が凍り付いた。

 ぞぞぞ、と足下から寒気が這い上がってくるような感覚がして身を竦める。

 そんな私の旋毛に、追い打ちをかけるみたいに、ぴちゃん、と冷たいものが降ってきた。

 驚いて頭上を仰げば、湖の水を集めて浮かせた巨大な球体からポツポツと雫が垂れ始めているではないか。


「ジ、ジジ様……」

『……仕方がないじゃないか。ぼくは子供達が大きくなるまで巣穴から放り出されていて、近付くことさえ許されなかったんだから』


 上を見上げて戦く私とは対照的に、ジジ様はぎゅっと眉間に皺を寄せて湖底を睨みつつ、押し殺した声で呟く。

 彼の心の乱れを反映したみたいに球体の表面が波打ち、次々と雫が落ちてきた。

 それは竜の遺骨にも当たって、ぴちゃん、ぴちゃん、と洞窟内に音を響かせる。

 明らかに不穏な空気に、ジジ様に話を振った少佐は口を噤んだが……


『へー、巣穴から放り出されたって、どうして? あなた、一体何をやらかしたのかしら?』


 代わって、そう容赦なく畳み掛けるのはマーティナの絵だ。

 ますますひどくなる雨から、閣下が私を抱き寄せ庇ってくれる。

 けれども、ジジ様がぽつりと続けた言葉を耳にしたとたん、私はその腕の中から身を乗り出していた。



『ぼくが……贄に差し出された末王子を食おうとしたからだ』

「「「「『――えっ?』」」」」



 私と閣下、少佐とボルト軍曹、そしてマーティナの絵の声が重なる。

 ジジ様はばつが悪そうな顔をして、私達から目を逸らして続けた。

 曰く、初代アレニウス国王は、竜の目から見ても異質なほどに生命力に溢れた人間であったという。

 そして、その血を受け継いだ子供の命ならば、大きな力を得るための糧になるとジジ様は考えたらしい。


『だけど、その時ちょうど卵を抱いていて母性が強くなっていたパトリシアに反対されて、喧嘩になって……ぼくが負けるに決まってるよね。この体格差だもん』


 肩を竦めてそう言うジジ様に、なぜ、と問わずにはいられなかった。

 だって彼は、私と違って生粋の竜で、水を自在に操るような大きな力をすでに持っているではないか。

 お腹を満たすためというならまだしも、力を得るために人間の赤子を食らおうとするなんて。

 しかもそれを棚に上げ、理性もまだないケダモノだったシャルベリの竜神が飢えに苛まれてアビゲイルを食べたことをひどく責めるのは、どうにも理不尽に思える。

 そんな思いが顔に出ていたのだろう。

 ジジ様はますますばつが悪そうな、不貞腐れたようにも見える顔をした。


『パティには、姉がいると言ったね。ぼくの奥さんみたいな立派な竜らしいじゃないか』

「は、はい……」

『おまえ、姉と自分を比べて辛くなったことは?』

「それはもちろん、いっぱいありますよ。今だって……」


 言いかけて、私ははっとする。

 長い間、私は劣等感に苛まれてきた。

 同じ親から生まれた同じ先祖返りなのに、どうして姉みたいになれないんだろう、と。

 姉に確かに愛されている自信があっても、私自身が彼女のことがどれだけ好きでも、羨望や嫉妬を完全に拭い去ることなんてできなかったのだ。

 そしてそれは、強く美しく気高い伴侶を持ったジジ様も同じだったのだろう。

   

『パトリシアの隣に並ぶにふさわしい竜になりたかった。だって、こんなちんちくりんじゃ……きっといつか見限られてしまうと思ってたんだよ。彼女は、ぼくはぼくのままでいいって言ってくれたのに、あの頃はまだ信じられなくってさ……』

「ジジ様……」


 私達はそっくりの子竜姿に生まれ付き、そして同じ悩みに苦しんだ。

 私は堪らず、湖底に座り込んでいたジジ様を両手で掬い上げ、ぎゅっと抱き締める。

 そんな私の背中に両手を回してしがみついたジジ様は、胸元にぐりぐりと額を擦り付けて叫んだ。


『うあーん、やだやだ、かっこわるい! あの時のことは、ぼくにとって最大の黒歴史だよ! 後世に語り継がれてなくて心底ほっとしてるんだから、今の話は他言無用で頼むよ!!』


 その瞬間である――パチンッ、と頭上で何かが弾けるような音がした。


「えっ……」


 ジジ様の力で浮き上がっていた湖の水が、巨大な球体からただの水に戻ったのだ。

 まるで頭の上で大きなバケツをひっくり返されたみたいに、ザーッとすさまじい音を立てて一気に降ってくる大量の水を、湖の底に座り込んだ私は唖然として見上げるばかり。

 一方、いち早く状況を把握したのは閣下だ。

 閣下はジジ様をだっこした私を抱えて素早く湖の縁へ駆け上がる。

 おかげで、間一髪のところで水に呑まれずに済んだ。

 それにほっとしたのと時を同じくして、にわかに上の方が騒がしくなる。

 どうやら、サルヴェール家に突入した王国軍が、マーティナ達の痕跡を辿ってこの洞窟にまでやってくるようだ。


「――やれやれ、騒がしいことだ。パトリシアの眠りを妨げないでもらいたいね」


 気が付けば私は、人間の姿になったジジ様に反対にだっこされていた。

 ジジ様は、この場にいる人間以外に正体を晒す気はないのだろう。

 間近にあるその顔は、相変わらず恐ろしいほどに美しいが、私の中でご先祖様――もとい〝おじいちゃん〟という認識が高まったせいか、不思議ともうどぎまぎすることもなかった。

 姉のそれとそっくりなジジ様の金色の瞳が、傍らに立った閣下を捉える。

 二人はちょうど同じくらいの身長だった。

 

「パトリシアから離れ辛くてずっとこの地で過ごしてきたけれど、自分そっくりの子孫にはやっぱり思い入れも一入でね。ねえ、ケダモノの眷属。おまえがぼくのパティを蔑ろにしないか、側で見張っていてもいいよね?」

「もちろんでございます。無用な心配だったと笑っておられる未来しかありませんがね。ところで、〝あなた様のパティ〟ではなく、〝私のパティ〟ですので、そこはお間違いのないようお願いします」


 黒髪の閣下と白髪のジジ様――対照的な二人の視線が、私の頭上で交わる。

 元に戻った余韻で波打っていた湖の水が、一瞬にして凪いだ。

 そうこうしているうちに、遠くからしきりにボルト軍曹を呼ぶ声が聞こえてくる。

 今回派遣された王国軍一個小隊を率いているという、ウィルソン中尉のものだろうか。

 幾人もの慌ただしい足音がすぐそこまで迫っていた。

 そんな中、ジジ様から私を受け取ろうと両手を差し出しつつ、ところで、閣下が口を開く。


「おじい様――服は、どうなさいました?」

「ん? あー、そういえば……うん、破れたね」


 このまま全裸で王国軍を迎えたとて何ら問題ない。

 そう主張するジジ様を、もう一度子竜に戻って少佐の外套に包まるよう、私達が一丸となって説得したのは言うまでもない。



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