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22話 閣下の大前提



 言葉を無くした私達が見守る中、ジジ様の身体は洞窟の天井近くにまで到達する。

 その背から突き出たのは、大きくて真っ白い翼――竜の翼だ。

 それがバサリと羽ばたいた拍子に、鍾乳石が砕け散ってボロボロと湖に降り注いだ。

 竜だ、と掠れた声で呟いたのはボルト軍曹。マーティナの絵を抱える彼の手は、カタカタと震えていた。

 ボルト軍曹の言う通り、ジジ様は私達の目の前で竜へと変化した。

 けれどそれは、私と色違いなだけの、あのちんちくりんの子竜ではない。

 姉よりもまださらに立派なーー言うなれば、さっき閣下と湖の底に見た骨のような、大きな大きな竜だった。


「ル、ルイジーノ!? いやああ!!」

「ひっ、ひい! 化け物!!」


 そんな竜と、突然間近で対峙することになったマーティナと家令の衝撃はいかほどか。

 前者は腰を抜かしてその場に尻餅を付き、胸ぐらを掴んで吊り上げられた後者に至っては、真っ青な顔をしてブルブルと震えるばかりだった。

 ジジ様はーー白い大きな竜は、金色の目を細めてそれを眺め回す。


『まずは、ぼくの可愛い可愛い孫をぶったその手から捥いでやろうかな』

「ひ、ひい……ひい……」

『しかし、おまえはまずそうだねぇ。ぼくはこう見えても美食家でね』

「た、たすけて……」


 命乞いをする相手ににやりと笑ったジジ様が、かぱりっと大きく口を開ける。

 ぞろりと並んだ鋭い牙を目にした家令は、とたんに泡を吹いて気を失ってしまった。

 下の段にいる私達からは確認できないが、どうやら同時にマーティナも気絶したようだ。

 ぐったりとした家令の体をぽいっと放り出したジジ様が、おーい、こんなところで寝ていていいのー、なんて言いながら鋭い竜の爪の先で彼女をツンツンしている。

 私や閣下達は、ただぽかんとするばかりだった。

 ところが時を経たずして、またもや驚くべきことが起きる。

 大きく膨らんでいた白い竜の身体は一転、みるみるうちに萎んで、あっという間に下の段にいる私達の視界から消えてしまったのだ。

 誰も彼もが呆気にとられ、洞窟の中が一瞬しんと静まり返る。

 その時だった。



『あーあ、時間切れになっちゃったよー』



 そんな台詞とともに、ひょこっと上の段から顔を出したのは、小型犬くらいの大きさの真っ白い竜。

 私とは色違いなだけでそっくりの、ちんちくりんの子竜となったジジ様だった。

 その背の翼は、先ほど鍾乳石をへし折ったものよりもずっとずっと慎ましい。

 それをパタパタと羽ばたかせて下りてきた彼に、私はとっさに両手を差し伸べていた。


『ふー、やれやれ』

「ジ、ジジ様……あの、さっきのお姿は……?」

 

 私の腕に収まったジジ様は、見た目に似合わず年寄りくさいため息を吐く。

 その吐息に触れた瞬間、湖に落ちて濡れていた私の髪や身体が一瞬にして乾いた。

 それに満足そうな顔をしたジジ様が、すりすりと胸元に擦り寄ってきて甘える素振りをするが、先ほどの大きな竜の姿の印象が強過ぎて、手放しに可愛いとは思えない。

 すると、彼は唖然としたままの私達の顔を見回してから、小さく肩を竦めて言った。


『ぼくだってね、気合いを入れまくったら竜を名乗るにふさわしい姿にもなれるんだよ。ただ……まあ、三分と保たないんだけどさ』


 とたんに、閣下が自身の外套に包まれた私の両肩をガシッと掴んだ。


「……パティ」

「は、はい、閣下」

「パティがだっこしているその方は、いったいどちら様なのかな?」

「あ、あの……ジジ様、ルイジーノ様は私の、メテオリット家のご先祖様……だ、そうです」


 メテオリット家のご先祖様!? と、閣下が素っ頓狂な声を上げる。

 そんな彼の両手を私の肩からぺいっと叩き落としてから、ジジ様はツンと澄ました顔をして言った。


『ごきげんよう、ケダモノの眷属。おまえが、ぼくの可愛い可愛い孫ちゃんを嫁にもらったという果報者かい?』

「ケダモノの眷属……孫……?」


 閣下が訝しげに眉を顰めたのを見て、私は慌ててジジ様について補足する。

 ちなみに、ジジ様に両手を叩き落とされたと同時に、びしょ濡れだった閣下の全身も乾いた。

 ジジ様は、初代アレニウス国王の末王子と番ってメテオリット家の祖となった娘竜の父親で、水を司る竜である。

 それを聞いたとたん、あっと声を上げたのはボルト軍曹だった。


「もしかして、この辺りの土地で真しやかに囁かれていた〝始まりの竜は今もこの地で生きている〟って話……この竜のことだったんじゃ……」

『まあ、ぼくはずっとこの周辺で過ごしていたからね。竜の姿を見られたことも、あったかもしれないな』

「いやー、それにしても、本当にパトリシア様そっくりじゃないですか! 子竜とさっきの大きい竜、それからあの怖いくらい綺麗な男、一体どれが本来の姿なんですか?」

『ぼくがパティにそっくりなんじゃなくて、パティがぼくにそっくりなんだからね。そこ、大事だから間違えないで? 本来の姿は、もちろんこのかわゆい子竜ちゃんだよ』


 まじまじと顔を覗き込んでくる少佐に一言釘を刺してから、ジジ様はふふんと鼻を鳴らして得意げに言う。

 私にとっては長年劣等感しかなかったちんちくりんの子竜姿にも、誇らしげに胸を張るジジ様が何だかとても眩しく見えた。

 少佐も、へー、と感心したように頷いていたが、急にはっとした顔になって閣下に向き直る。


「ちょっと、閣下! 大丈夫ですか!? パトリシア様お一人でもデレッデレのドロッドロに骨抜きにされてるのに、子竜ちゃんが二人になっちゃいましたよ!? どうするんです? 死ぬんです!?」

『へえ。おまえ、ぼくの孫にデレッデレのドロッドロになるの』


 驚きと興奮でめちゃくちゃなことを言い出す少佐と、私の胸元にすりすりしながら面白そうな顔をして閣下を見上げるジジ様。

 ボルト軍曹はマーティナの絵を抱えたままうろうろと視線を彷徨わせ、ロイとアイアスは仲良く並んでお座りをして成り行きを見守る。

 小竜神は、いつの間にかロイの背中に避難してプルプルと震えていた。

 そして――閣下もまた、ジジ様に怯える小竜神とはまったく別の理由によって震えていた。


「か、可愛い……」


 絞り出すような声で、閣下がそう呟く。

 この時、私の胸の奥にモヤッとした思いが生まれた。

 ちんちくりんの子竜の私も、誰に憚ることなく受け入れ肯定してくれる閣下のことだ。

 私と色違いなだけでそっくりなジジ様に対しても、きっと好意的な反応を示すだろう、と疑いもせずに思っていた。

 それはジジ様の身内として、私にとっても喜ばしいことのはずなのだが……


(……いやだ)


 閣下が私以外に対して、少佐の言うところの〝デレッデレのドロッドロの骨抜き〟になってしまうのはちょっと、いや、正直めちゃくちゃ嫌だった。

 ようは、嫉妬である。

 閣下が愛でるのは自分だけであってほしいという強い気持ちが、私の中で大きく渦を巻く。

 けれども、そんな醜い思いを抱いていると閣下に知られるのもまた、嫌だった。

 ぐっと唇を噛み締めて溢れ出しそうな思いを押し止める私を、胸元に抱き着いたジジ様が上目遣いで見つめている。

 ところが、ふいに伸びてきた閣下の手が彼の両脇の下を掬い上げ、私から引き剥がしてしまった。

 閣下は、子竜の私にするみたいに、ジジ様を愛おしげに抱き締めて、その大きな掌で優しく撫でるのだろうか。

 可愛いと、尊いと、褒め称えて天を仰ぐのだろうか――私以外のために。

 私は痛みに耐えるみたいに、ぎゅっときつく両目を瞑った。


「……っ、いや。嫌です、閣下……」


 今さっき押し止めたはずの思いが、あっけなく唇から溢れ出してしまう。

 ところが――



「はぁあああ……可愛い! まったく、パティは可愛いなぁ!!」

「えっ……」



 閣下に抱き締められたのは、ちんちくりんの子竜なジジ様ではなく、人間の姿をした私だった。

 ちなみに、どういうわけだかジジ様は少佐の腕に抱かれていた。

 思っていたのとは違う展開に、私はただただ目を丸くする。

 そんな私の頭頂部に、閣下はすりすりと頬を擦り寄せながら続けた。


「比較するものができたせいで、パティの可愛さがますます引き立ってしまったじゃないか。あー……可愛い! まったく……パティはいったい、どれだけ私を悶えさせたら気が済むんだろうね!?」

「閣下ー。比較物ってこの方のことですか? いや、パトリシア様とそっくりに見えますけど……」


 子竜の私も抱っこしたことのある少佐が、ジジ様を矯めつ眇めつ眺めて首を傾げる。

 私も少佐の言う通りだと思うのだが、閣下はたちまち彼を睨んで吼えた。


「ばっかもん、モリス! お前の目は節穴か! よく見ろ、そちらのルイジーノ様とやらから滲み出るあざとさを! その方は、自分が可愛いと確信して振る舞っていらっしゃるぞ!」

『うん、まあね。ぼくはこの通り、可愛いからね。異論は許さないよ』

「それに比べて、見ろ! パティのこの計算したところのない愛らしさを! 私に常日頃から溺れるほど可愛いを連呼されようとも、少しも驕ることのないこの慎ましさを!」

『パティはもうちょっと自信を持ってもいい、とおじいちゃんは思うけどね』


 力説する閣下に合いの手を入れるジジ様は何だか上機嫌だ。

 メテオリット家の娘であるアビゲイルがシャルベリで最初の生贄となり、さらにその手柄を当時の領主が横取りしたせいで、今もまだシャルベリが気に入らないと言っていたジジ様。

 そのため、現シャルベリ領主である閣下に対しても当たりが強いのではと心配していたのだが、杞憂だったろうか。

 私をぎゅうぎゅうと抱き締める閣下を見つめるその眼差しに、マーティナや家令に対峙した時のような剣呑さはなかった。


「私を骨抜きにしてしまうのは、いつだってパティだけだよ。たとえ、どんなそっくりな子がきたってその大前提が崩れるはずがない」


 私の耳元で、閣下がきっぱりとそう告げる。

 嬉しくて、誇らしくて、でもみっともなく嫉妬した自分が恥ずかしくて、私はぎゅっと閣下にしがみついてその胸元に顔を埋めた。


『あっはっは! おまえ、よっぽどぼくの孫が好きなんだねぇ?』

「そうなんです! 分かっていただけますか? だって、パティはこんなに可愛いんですよ!? ――ところで、おじい様とお呼びしても?」

『うーん……まあ、いいよ。許す。おまえには、もっといろいろ文句を言ってやるつもりだったけど、何だか圧倒されちゃったなぁ……』

「お褒めに与り光栄です」


 なんだかんだで、閣下とジジ様が意気投合した、その時である。

 突然、パキッ、という音とともに、洞窟の真ん中辺りにぶら下がっていた鍾乳石が一本根元から折れた。

 先ほど大きな竜となったジジ様が翼を羽ばたかせた際、その風圧を受けてヒビでも入っていたのだろう。

 鍾乳石は真っ逆さまに湖に落ち、ちゃぷん、と水を跳ねさせた。

 丸い波紋が広がって、そして消える。

 ふいに、ジジ様が口を開いた。

 

『ねえ、おまえ達……この湖の底にあるものを見たかい?』

「はい。もしや、あれは竜の……」


 閣下の答えを最後まで聞くことなく、ジジ様が子竜の小さな手をさっと振り上げる。

 とたんに湖の水が真ん中に集まり、巨大な水の玉となって宙へと浮かび上がった。

 水のなくなった湖の底にはやはり、さっき私が閣下と見た大きな骨が――翼のある、竜と思わしきものの骨が横たわっていた。

 少佐の腕の中からパタパタと飛び立ったジジ様は、その竜らしき骨の側に着地すると、ちいちゃな子竜の手で頭の辺りそっと撫でる。


『やあ、パトリシア。ごきげんよう』

「パ、パトリシア……?」


 両目をぱちくりさせる私を見上げて、ジジ様が笑う。

 そして、遠い昔を懐かしむように目を細めて言った。



『そう、この子の名前もお前と同じパトリシア――ぼくの、奥さんさ』



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― 新着の感想 ―
[一言] さすが閣下はブレませんな(笑) まさかご先祖様もパトリシアとは!
[一言] 同じ名前 運命を感じる
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