20話 僻地の領主同士
「あらあら、お揃いですこと。地下探検でもお楽しみになったのかしら?」
黒い外套を羽織りフードを被ったマーティナは、下の段にいる私達を見下ろして謳うように言う。
洞窟の壁に足場になりそうなものはなく、私達が自分達のところまで上ってこられないと分かった上での余裕の表情だった。
「よくも、いけしゃあしゃあと! こんなことをしてただで済むと思っているのか!」
「まあ。こんなことって、何かしら?」
「しらばくれても無駄だぞ!」
「ふふ、元気な坊やね。こんな洞窟の中で喚いたってどうしようもありませんのに」
マーティナの挑発に頭に血が上ったボルト軍曹が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
閣下がその肩を叩いて自分の後ろに下がらせたが、その際、ボルト軍曹にくっ付いている存在に気付いて、マーティナが眉を寄せた。
「アイアス? あなた、どうしてそこに……?」
アイアスがボルト軍曹を庇うように前へ出る。
マーティナはそれを忌々しそうに見下ろしながら吐き捨てた。
「恩知らずな犬ですこと。ご主人が死んでから二年余り、誰が飼ってやったと思っているのよ」
一方、先に扉を潜っていた少佐とロイも戻ってきて、上にいるマーティナ達を睨む。
閣下だけは平然とした様子で口を開いた。
「まずは、我々の当初の目的であった絵ですが、宝物庫で無事発見しました。こちら、陛下にお渡ししても問題ありませんね?」
「結構ですわ。そんな絵、何の価値もありませんもの。陛下に差し上げるなり、焼いて捨てるなり、お好きになさって」
『んっまー! 言ってくれるわね、そこの女! ちょっと下りてきなさいよっ!!』
閣下とアイアスの背に庇われたボルト軍曹の腕の中で、マーティナの絵が抗議の声を上げる。
突然響いた女性の声に、マーティナは訝しそうな顔をしてきょろきょろと辺りを見回していたが……
「ところで、着の身着のままでどちらに? ――ああ、もしや、すでに王国軍に屋敷が占拠されましたか?」
まるで世間話をするような調子で閣下が告げた言葉に、ぴたりと動きを止めた。
ぎろり、とマーティナが閣下を睨む。
マーティナがまんまと挑発に乗せられた瞬間だった。
「やっぱり、あの子ね? あの子が、王国軍を連れてきたんだわ!」
「ふむ、あの子とは?」
「閣下の奥様――パトリシアさんっておっしゃったかしら。まったく、お飾りの辺境伯夫人だと思って甘く見過ぎていたわ」
「……ほう?」
自分を嘲るようなマーティナの言葉を聞かされるのが辛くて、私は閣下の胸にぎゅっと顔を押し付ける。
そんな私の背中を、閣下は外套越しに撫でてくれた。
「それにしても、随分ご立派な奥様ですねぇ。旦那様とその部下を見捨てて、ひとりだけで逃げ出したんですもの」
「おや、見捨てただなどとおかしなことを。今まさに、妻は王国軍を呼びに行ったのだとその口でおっしゃったのに?」
マーティナの挑発に、閣下はおどけたように切り返す。
二人の間で、バチバチ、と火花が散ったように錯覚した。
うわ、閣下めちゃくちゃ怒ってる……、と小声で零したのは少佐だ。
けれども、閣下は私の背中を撫でながら落ち着いた声で続けた。
「その先に開いているのは、山脈を貫いて隣国にまで繋がっていると噂のトンネルでしょうか。あなたがそこを通って、前政権における次官の隠し財産や我が国の情報ごと隣国の反政府組織に与するつもりだというのも、本当ですか?」
「あら、全部ご存知ですのね。ええ、概ねその通りで間違いございませんわ。新天地で生活するとなると何かと入り用でしょう? 新しい職場には手土産だって必要ですしね」
マーティナは悪怯れる様子もなくころころと笑って答える。
かつて王宮勤めの役人であったマーティナが、どういう理由で次官の悪事に加担することになったのか。
そもそも、サルヴェール家に嫁いだのも、こうして隣国に密入国することを想定してのことだったのか。
いろいろと疑問は尽きないが……
「――しかし、祖国を捨ててまで持っていくにしては、随分と心許ない荷物ですね?」
閣下の指摘通り、マーティナ達が携えている荷物らしきものは、家令が背負っている麻袋くらい。
麻袋はずっしりとして重そうだが、前国王の在位時代三十年余りの間に次官が貯めたにしては、あまりにも慎ましい量だった。
とたんに、忌々しそうな顔をしたマーティナが閣下を睨む。
「おかげさまで。あなた達のせいで、宝物庫に保管していた分を運び出せなくなってしまったの」
「おや、我々のせいとは心外な。宝物庫の出入口を使えなくしたのは、我々ではありませんが?」
「無駄な議論にこれ以上時間を費やすつもりはありませんの。王国軍に追い付かれたら、元も子もないわ」
「はは、引き留めているのがばれてしまいましたか」
話を引き延ばして時間稼ぎをしていたことをあっさり認めた閣下に、マーティナが肩を竦める。
悔しいですけれど、と彼女は続けた。
「残りは餞別として置いていきますわ。その絵と一緒に陛下に差し出すなり、こっそり懐にしまうなり、お好きになさって」
「ご安心ください。金一粒さえも残さず、汚職の証拠として王国軍に回収していただくことを約束します」
「少しくらい、掠め取ってもばれないでしょうに」
「いいえ。妻に顔向けできないようなことは、決していたしません」
閣下がそう、きっぱりと答える。
直後、マーティナは眩しいものを見るような目をしてからぽつりと呟いた。
「清廉潔白な人……私もパトリシアさんくらいの年頃に、あなたのような男性と巡り合えていたら……そうしたら、もっと違う人生を歩めたのかしら……」
それは、ひどく切ない声だった。
ここまで、閣下と堂々と渡り合っていた人とは思えないほど、弱々しくさえあった。
しかしここで、耐え切れなくなった家令が口を挟む。
「マーティナ様、お早く! 王国軍がここを見付けるのも時間の問題かと!」
「……そうね。では、お名残惜しいですが失礼しますわ、閣下。ごきげんよう」
「おや、もう行ってしまわれるのですか? せっかく僻地の領主同士、話が合うかと思いましたのに」
「おあいにくさま。こんな僻地になんて、私はちっとも愛着ございませんの」
家令に急かされて、マーティナがトンネルへと向かう。
もはや、下の段にいる私達には見向きもしなかった。
ところが……
「――ルイジーノ?」
トンネルに入ろうとしたところで、ジジ様が付いてこないのに気付いて立ち止まる。
早くしろ! と家令がイライラした様子で急かすが、ジジ様はその場から動こうとしなかった。
ジジ様とはこれが初対面な閣下と少佐とボルト軍曹は、説明を求めるように一斉に小竜神を見る。
『……マーティナの愛人だよ』
「ああ、なるほど……」
とたんに、上の段を見る閣下達の目が生暖かくなった。
マーティナはそんな傍観者達の視線にも気付かないまま、せっかくトンネルの側まで行っていたのに踵を返す。
家令が、悲鳴のような声で彼女を呼んだ。
「何をしているの、ルイジーノ。早く行きましょう」
「悪いね、マーティナ。ぼくは行かないことにするよ」
「な、なに……? 何を、言っているの……?」
「ぼくね、今度はあの子のところにお世話になろうと思うんだよね。だから――おまえとは、ここでさようならだ」
そう言ってジジ様が指差したのは、閣下――その外套に抱き込まれていた私だった。




