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17話 秘密の扉



 サルヴェール家当主の寝室と一枚の扉で繋がっていたのは、こぢんまりとした書斎だった。

 壁一面に作り付けられた本棚にはぎっしりと書物が詰め込まれている。

 古い書物の匂いが閉め切った部屋の中に充満し、独特の雰囲気を醸し出していた。

 窓からは午後の日の光が緩やかに差し込み、小さな木の机と椅子を照らしている。

 今まさに私や閣下達が巻き込まれているサルヴェール家の騒動などとは無縁の、安穏とした静かな時間が流れていた。

 本当なら、ここで一息吐いて心を落ち着け、仕切り直したいところだ。

 けれども私に限っては、それは叶わなかった。

 何故なら――


『あわ、あわわわわわ……』

『パトリシア、しっかり』

「くうん……」


 大きな大きな犬が一匹、窓辺に鎮座していたからである。

 口の回りから目にかけては黒、それ以外は赤褐色の毛むくじゃらの、ロイよりも馬の大きさに近いんじゃないかと思うくらいとにかく巨大なそれは、私達が客間でマーティナと対面していた際に入ってきた犬だ。

 確か、前サルヴェール家当主――ボルト軍曹の父親の愛犬で、名前はアイアス。

 まったく懐かない、とマーティナが言っていたのを思い出す。

 それがじっとこちらを――そうでないと思いたいのは山々だが、ロイでも小竜神でもなく、私をじっと見つめているのだ。

 正直、生きた心地がしなかった。

 ジジ様の前で動けなくなった小竜神を、蛇に睨まれた蛙のようと称したが、今の私もまさにそれだ。

 ドクッ! ドクッ! ドクッ! と鼓動が異常なほど激しくなる。

 強烈な勢いで心臓から吐き出された血液が、凄まじい速さで血管の中を駆け巡った。

 全身に張り巡らされたありとあらゆる毛細血管の先端にまで、古来より受け継いだメテオリット家の血が行き届く。

 とはいえ、幸いと言っていいのかどうかは甚だ疑問だが、すでに子竜になってしまっている今は、私の身体がこれ以上変化を遂げることはなかった。

 アイアスの方も、じっと私を見つめてはいるものの、窓辺から動く気配はない。


『こんなところで立ち止まってちゃだめだ。閣下達を助けないと』


 私はそう自分に言い聞かせると、大きく深呼吸をして心を落ち着ける。

 そうして、極力アイアスを視界に入れないよう努めながら、改めて書斎の中を見回した。

 扉の対面の壁と、向かって左手の壁は一面本棚になっており、右手が窓になる。

 出入口は、表向きは私達が入ってきた寝室に続くものだけのようだ。

 さっき、ジジ様とマーティナが入って来た扉の方向を鑑みれば、廊下は左手に位置している。

 当主の私室は角部屋のため、扉の対角の壁の向こうに部屋はないはずだが、もしかしたら秘密の抜け道が隠されている可能性はあるまいか。


『動かせる本棚がないか、探ってみよう! ロイ、小竜神様、手伝って!』

「わんっ」

『わかった』


 本棚は前後に棚があり、それぞれが可動式になっていた。

 扉一枚隔てた寝室にいるマーティナに気付かれないよう、子竜の私とロイと小竜神が力を合わせて、慎重かつ迅速に本棚の位置を組み替えていく。

 やがて、カチ、と何かが嵌まるような音がしたかと思ったら、これまで横にしか動かなかった棚がぐるりと回転させられるようになった。

 さっそく、前後にある棚をずらしてそれぞれ九十度回すと――


『あっ……あった!』


 今まで見えなかった壁の一部が覗き、質素な木の扉が現れたのである。

 これで、閣下達を助けにいける。

 そう思った時だった。


「ぴっ!?」


 視界の端で山が動く。

 それまで、まるで置物のように微動だにしなかったアイアスが、突然のそりと立ち上がったのだ。

 そうして、のし、のし、とゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 私は恐怖のあまり後退り、隠し扉に背中を押し付けてブルブルと震えた。

 すかさずロイが、私を背に庇うようにしてアイアスと向かい合う。

 けれども、そうして並ぶとアイアスの巨大さが際立って、ますますおそろしくなった。

 いくらロイが強くて勇敢な軍用犬でも、あまりにも体格に差があり過ぎる。


『ロ、ロイ! だめだよ! 逃げてっ――!!』


 アイアスのことは恐ろしい。だが、ロイが傷付くことの方がもっとずっと恐ろしかった。

 私は無我夢中で前へと飛び出し、横っ腹に体当たりをするようにして、彼をアイアスの軌道から外す。

 その結果、真正面から至近距離でアイアスと向かい合うことになった私は――


『ひゃん!?』


 ぺろんっ、と長い舌で顎から額まで舐め上げられて……腰が、抜けた。

 へなへなとへたり込んだ私を、慌てて戻って来たロイが首根っ子を咥えて避難させようとする。

 けれどもそれを阻むように、正面にお座りをしたアイアスが私の頭の上にのしっと顎を載せた。


『ひぃ、ひぃん……』


 ついには泣きべそをかき始めた私に、ロイも小竜神もおろおろとしている。

 怖いやら訳が分からないやらで、子竜の小さな頭の中はそれはもう大混乱。

 今にも意識が飛んでしまいそうな心地だった。

 それでも何とか踏み留まれたのは、ひとえに閣下達を助けなければいけないという思いがあったからこそ。

 だって、今まさに私の背後には、閣下達がいる宝物庫に繋がるであろう扉が現れたのだ。

 気を失ってなんていられない。

 腰なんて抜かしている場合じゃない。

 涙は――


『閣下と再会した時のために、とっておかなくちゃ――』


 私は自分を奮い立たせると、ブルブルと頭を振ってアイアスの顎を振り払った。

 彼はあっさり私を解放したものの、目の前から動こうとはしない。

 かといって、私やロイや小竜神に襲いかかる気配もなかった。

 ただ、じっ、と何かを訴えるような目でひたすらこちらを見つめている。

 ビクビクしながらそれを見返していた私は、ふとあることに気付いた。

 アイアスが着けている黒い革の首輪――そのちょうど喉元の辺りに小さな銀色の飾りがぶら下がっているのだが、よくよく見るとそれが鍵のような形をしていたのだ。

 くうん、と彼が鼻を鳴らす。

 私は、はっとして背後を振り返った。

 そして、ここにきてようやく、隠し扉には小さな鍵穴があることに気付いたのである。


『もしかして……その、首輪にぶら下がっているのが、扉の鍵……?』


 おそるおそる尋ねた私の言葉を肯定するように、アイアスがずいっとこちらに首を伸ばしてくる。

 まるで、早く鍵を取れ、と言われているみたいだった。

 私は、ゴクリ、と喉を鳴らして唾を呑み込む。

 怖くて、怖くて怖くて仕方がなかった。

 やっぱり泣き出してしまいたくなったし、なんなら一目散にこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。

 それでも私は、一生分の勇気を振り絞ってアイアスへと手を伸ばす。

 犬への恐怖と閣下への思いを天秤に掛ければ、結局は圧倒的に後者が勝るのだから。


『閣下……少佐も軍曹も、迎えに行くから待ってて……!』


 ついに手に入れた鍵は、子竜のちっちゃな小指くらいの大きさにもかかわらず、いやにずっしりと重く感じた。



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[一言] この犬頭いいなぁ
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