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16話 哀れな落ちこぼれ



 サルヴェール家当主の部屋――つまり、現在はマーティナの部屋であろう三階角部屋。

 ジジ様の手によりそのバルコニーに上がった私とロイと小竜神は、大きな掃き出し窓からおそるおそる部屋の中を覗き込んだ。

 どうやら主寝室のようで、がらんとした広い部屋の隅に大きなベッドが一つ置かれている。

 幸い、窓の鍵が開いていたため、私達は難なく忍び込むことに成功した。

 宝物庫への秘密の抜け穴――その入り口となる隠し扉とやらを探し出し、一刻も早く閣下達を助けにいきたい。

 私達はその一心で、手分けをして部屋の中を捜索する。

 そんな中、ジジ様のせいでぐっと口数が減っていた小竜神がおずおずと声をかけてきた。


『パトリシアは……我を、嫌いになったか?』

『えっ?』


 唐突な質問に、壁際を探っていた私は思わず小竜神を振り返る。

 見るからに消沈した様子の子竜のぬいぐるみは、ボソボソとした声で続けた。


『我は……メテオリットの娘を――パトリシアの先祖を食らって力を手に入れた。それを……我はパトリシアに黙っていた』

『そ、そう……ですね』

『言えなかったんだ。だって……パトリシアに、嫌われたくなかったから……』

『小竜神様……』


 竜神の前身は、ただのケダモノであったという。

 理性も知性もなかったケダモノが、人間とそれ以外の動物を区別するわけがない。

 最初にアビゲイルを食べたのは、彼女がメテオリット家の娘であったからでも、シャルベリ領主に冷遇される後妻だったからでもない。

 ケダモノは単に腹が減っていて、その時目の前に獲物があったから食った、それだけのことだ。

 アビゲイルを食らったことによって雨を降らせる力を得たのは、まったくの偶然だった。

 それにジジ様の話によると、自らの血肉を竜神の前身に与えることを望んだのはアビゲイル自身。

 だから……


『アビゲイルの最期はとても悲しいですけれど、小竜神様が――竜神様が悪いわけじゃないと思うんです』


 そう答えた私を、小竜神が縋るような目で見上げる。

 ロイも側に寄ってきて、慰めるみたいに小竜神の顔をペロペロと舐めた。

 微笑ましい光景に、私はくすりと笑って続ける。


『だから、小竜神様のことも竜神様のことも嫌いになったりしませんし、もちろん閣下――シャルベリ家の皆さんにも負の感情を抱いたりしません。だって私、今のシャルベリが大好きですもの』

『パトリシア……』

『さあ、早く隠し扉を見付けて閣下達を助けに行きましょう。眷属の子は、小竜神様にとって大事なんでしょう?』

『うん……大事、だ。――アビゲイルが繋いだ命だから』


 その時である。

 突然、ガチャ、と音がして、扉の取手が動いた。

 びっくりして飛び上がった私とロイと小竜神は、とっさにベッドと床の間に潜り込む。

 扉が開いたのは、それと同時だった。


「――もう少し、もう少しで全て上手くいくはずだったのに! どうして、王都から軍人なんかが来るのよっ!!」

「まあまあ、落ち着きなよ。彼らは絵を探しに来ただけだろう?」

「絵なんて口実に決まっているわ! 現に、一番若い子なんていきなり宝物庫を見せろなんて迫ってきたんだもの! 私達の計画に勘付いて探りにきたんだわ!」

「でもさ、結局そいつら、宝物庫に閉じ込めちゃったんだろう? だったら、そんなに焦る必要はないんじゃないのかな」


 主寝室に入ってきたのは、ジジ様とマーティナだった。

 ジジ様はいらいらした様子のマーティナの肩を宥めるように抱きつつも、ベッドの下で息を潜めている私達にこっそり片目を瞑って見せた。

 それに気付かず、マーティナは爪を噛みながら続ける。


「男達は閉じ込めたけれど、一緒に来た女の子を逃がしてしまったわ! 鈍臭そうな箱入り娘だから、取るに足らないと思っていたのにっ!!」

「へえ……随分な評価だねぇ」


 ジジ様が、ちらりと気遣わしそうな視線を私に向けた。

 私はぐっと唇を噛み締めて、床を睨む。そうしなければ、泣き出してしまいそうだったからだ。

 さきほど、マーティナを善良なサルヴェール家当主と疑わずお茶の席を囲っていた時、大好きな姉を褒められて嬉しかった。

 私の緊張を解してくれた彼女の声は慈愛に満ちていて、掌は柔らかく温かかった。

 たおやかで、寛容で、機知に富んだマーティナの姿は、まさに私が理想とする大人の女性像そのもの。

 シャルベリ辺境伯夫人として閣下やシャルベリのために何ができるのか模索していきたい。

 そう告げた私を、彼女は立派だと褒めてくれたのだ。

 社交辞令もあるかもしれないが、お手本にしたいと思える相手に志を認めてもらえて素直に嬉しかった。

 それなのに……


「あの子の姉は、王宮でも一目置かれるような遣り手よ。でも、妹の評判なんて聞いたことないわ。出来のいい姉の陰にすっかり埋もれてしまったのね」

「ふうん……」

「あげく、シャルベリなんて僻地に嫁に出されてしまって――哀れなことこの上ないわ」

「哀れ、ねぇ……」


 私は床にぎゅっと額を押し付けて、ブルブルと震えていた。

 突っ伏したその後頭部を、ロイが慰めるみたいにペロペロと舐める。

 小竜神も子竜のぬいぐるみの小さな手で、私の背中をしきりに撫でた。

 悲しくて、悔しくて、ひどく惨めな気持ちになった。

 でも、それ以上に私の心を占めたのは、荒れ狂うような激しい怒りだ。


『シャルベリに嫁いだことは、哀れまれるようなことじゃない! 私は、閣下のことが好きになって、シャルベリが好きになって、そうして祝福されて嫁いだんだからっ!!』


 今すぐベッドの下から飛び出して、そうマーティナに言ってやりたかった。

 私は確かに、出来のいい姉の陰に埋もれていた落ちこぼれだけど、閣下はそんな私を認めて、選んで、愛してくれたのだ。

 哀れだなんて、何も知らない彼女に言われたくない。

 とはいえ、子竜の姿をうかつに晒すわけにもいかないし、何より今一番優先されるのは、閉じ込められた閣下達の救出である。

 そのためには、この主寝室からマーティナに出て行ってもらって、隠し扉を探し出さなければならない。

 こうなったら、ジジ様だけが頼りだ。

 早くマーティナをどこかへ連れ出して――そう、必死に念じていたにもかかわらず、とんでもないことになった。

 ジジ様とマーティナが、真っ昼間からベッドの上でおっ始めてしまったのだ。


(うわぁああああん!!)


 ギシギシ、とベッドが軋む。

 二人の息づかいやマーティナのあられもない嬌声を間近で聞かされることになり、私はまさしく顔から火が出そうだった。

 両手で耳を塞ごうと気休めにもならず、今ばかりは竜譲りの聡い耳を恨まずにはいられない。

 ところが、その耳がふいに情事以外の音を拾った。

 

 トン、トントン、トン、トントン


 一定の韻律で床を叩く音が聞こえ、私はぱっと顔を上げる。

 すると、ベッドの上から伸びたであろう手が、トントンと人差し指の先で床を突いているのが見えた。

 男性の――ジジ様の手だ。

 とっさにトントンと床を叩いて返すと、私が合図に気付いたことが伝わったのだろう。

 床を突いていたジジ様の人差し指が、どこかを指差した。

 じりじりとベッドの下を這ってジジ様の手に近付いた私は、彼が指し示す場所を見てはっとする。

 そこには、今さっきジジ様とマーティナが入ってきた廊下に続くものとは別の扉があった。

 やがて、ベッドの上の盛り上がりが頂点に達する。

 私は意を決してその下から飛び出し、ジジ様が指差した扉へと全速力で駆けた。

 耳に纏わり付いてくるマーティナの嬌声を、必死に振り払って、走る、走る、走る。

 ロイと小竜神も足音を潜めて付いてきた。

 そうして、飛び込んだ扉の向こうで――


『――ひっ!』


 私の足はたちまち竦んだ。

 大きな大きな犬が一匹、窓辺に鎮座していたからである。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] ジジ様、扉を教えてくれたのはナイスだとは思いますけど…パトリシアがいるのを知っているのにベッドの上でおっぱじめなくてもよかったのでは…? [一言] パトリシアがそういうのを聞いて平然と…
[一言] あ、話に出てた犬か
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