13話 マーティナの絵
『竜神様の化身!? それが接近した影響を受けて、こうして私の声があなた達に届くようになったってこと!? へええ、不思議ねぇ!!』
「不思議ですねぇ」
シャルベリの竜神に捧げられた六番目の生贄マーティナ。
五番目の生贄で叔母にあたるマーガレットと対で描かれたその絵は、様々な品物に混じって宝物庫の壁に無造作に立て掛けられていた。
マーガレットとお揃いの黄金の額縁はすっかり埃をかぶり、くすんだ表情はどこか物悲しく見えたものだ。
しかし、シャルロがハンカチで綺麗に拭ってやったとたんにそれは満面の笑みに変わり、青い瞳は明かり取りの窓から差し込むわずかな光を受けて生き生きと輝いた。
『あっらー、そうなのー! マーガレットに頼まれて私を迎えに? へええー、彼女元気?』
「ええ、それはもう。お一人でもしゃべり倒して今上陛下を睡眠不足に陥らせて差し上げるくらいには」
『あっはは! なにそれ! 楽しそうねぇ!』
「楽しそうですねぇ」
マーティナの絵は、それこそ水を得た魚のようにしゃべりまくる。
それに、一人だけ戦々恐々とする者がいた。
シャルベリの竜神ともその生贄達とも縁がなく生きてきた、ボルトである。
「ど、どうして絵がしゃべってるんですか? どうして、閣下はあんなに平然と会話をなさってるんですか!? 少佐も、どうして驚かないんですかぁ!?」
「いやー、もうシャルベリでは……というか、閣下ご夫婦の周りでは、ああいう摩訶不思議な現象は日常的茶飯事なんで。いい加減感覚が麻痺してきているっていうか」
「ぼ、僕……お化けとか、呪いとか、そういうのダメなんですうっ!!」
「あー、大丈夫大丈夫。呪われてたとしても、閣下だけだからねー」
ここまでの大人びた振る舞いはどこへやら。
ボルトはブルブルと震え、苦笑いを浮かべるモリスの背中に逃げ込んだ。
その間にも、シャルロとマーティナの絵の会話は続く。
「実は、正面の扉に鍵をかけられまして……おそらく隠されていたであろう奥の扉が開いたので進もうと思うのですが、どこに繋がっているのかご存知ありませんか? 妻を一人で敵陣に残してきてしまっているので一刻も早く外に出たいのです」
『あらまあ、それは一大事! 私はここではまだ新入りだから、先輩達に聞いてみるわね!』
先輩達、というのは、古くからここに収められていた品々のことだろう。
この宝物庫に眠るのは、かつては王家が所有していた古い時代の物ばかりである。
物は物同士、通じる言葉があるのか。マーティナ以外の物の声はとんと聞こえないものの、心無しか宝物庫の中がざわざわとした雰囲気になる。
ひええっ、と悲鳴を上げたボルトが、ついにモリスの背中にしがみついた。
『――ふん、ふんふん、なるほどねー。分かったわ、先輩方! どうもありがとう!』
「活路は開けましたでしょうか?」
『ええ、どうやら奥の扉の向こうにはまだ部屋が続いていて、そのずっと突き当たりに屋敷の方に通じる秘密の通路があるみたいよ。ずっと昔の家主は極稀にそこから出入りしたんですって』
「昔とは、サルヴェール家が屋敷を下げ渡される前のことでしょうか。その頃ここは王家の別荘だったはずですから、家主とはつまり当代の国王陛下。秘密の通路が有事の際の脱出用だとすれば、繋がっているのはおそらく国王陛下が寝泊まりをした主寝室、あるいは書斎か……」
ともあれ、塞がれた扉以外にも外に通じる箇所の存在が推測ではなくなったのだ。
シャルロはマーティナの絵を小脇に抱えると、蹴破った奥の扉の向こうへと足を進めた。モリスとボルトもそれに続く。
進むに連れて明かり取りの窓からの光が届きにくくなる中、周囲に積まれた〝先輩方〟の声を拾ったマーティナの道案内が頼りだったが、彼女のおしゃべりはそれだけに留まらない。
ねえねえ、と自分を抱えたシャルロに頻りに話し掛けた。
『その、一人敵陣に残してきちゃったっていう奥さん、どんな子?』
「この世の可愛いを凝縮して生まれたような、非常に尊い存在――もはや奇跡です」
『あっはは、真顔で言うわね! そんな奇跡の申し子を、どうしてこんなきな臭い所へ連れてきちゃったわけ?』
「そう、それなんですが……」
ここで、シャルロは後ろに続くボルトを振り返り、ひたりと見据えて問うた。
「そもそも、陛下はなぜ絵の回収などと、我々に別の名目を与えたんだろう。大捕り物に巻き込まれる危険性があるなら、パティはメテオリット家で待たせてもらったのに……。敵を欺くにはまず味方から、というやつだろうか。ボルトは何か知っているかい?」
「いえ閣下、申し訳ありません。陛下のお考えは僕には分かりかねます。ただ、閣下ご夫婦を必ずサルヴェール家までお連れしろ、と固く命じられました」
「ご夫妻を、ねえ……何だか、パトリシア様の存在も必須だったって感じに聞こえますね」
マーティナの絵に対していまだ警戒しているらしいボルトは、モリスを盾にしたままおずおずと答える。
それを聞いて眉間に皺を寄せたモリスの言葉に、シャルロも黙って頷いた。
宝物庫はとにかく広く、まだまだ先がある。
マーティナの絵も飽きもせずしゃべり続けた。
『それにしても心配だわねぇ。竜神様の化身とやらからあなた達が閉じ込められたなんて聞いたら、そのパトリシアちゃんはさぞ不安がっていることでしょう』
「そう! そうなんです! あー! どうして私は、パティを一緒に宝物庫に連れてこなかったんだ! あの時の自分を張り倒してやりたいっ!!」
「いやいや、閣下。連れてきたら連れてきたで、なんでこんな埃っぽい所に連れてきてしまったんだー、って絶対後悔してましたって」
とたんに頭を抱えてその場に踞るシャルロの背中を、モリスは容赦なく拳でゴンゴンと叩く。
相変わらず、上司を上司とも思わない扱いである。
そんな主従を目を丸くして見ていたボルトがぽつりと呟いた。
「叔母の言ってた通りだ。閣下は本当に、奥様を心底可愛がっていらっしゃるんですね」
そうして、確かにお人形みたいに可愛らしい方ですもんね、と続けたとたんである。
すっと立ち上がったシャルロが、彼を振り返って口を開いた。
「私がパティを心底可愛がっているのは確かだよ。だが、彼女が可愛がられるだけの人形のような存在だとは思わないでもらいたいんだ」
「え……?」
きょとんとするボルトに苦笑いを浮かべると、シャルロは再び歩き出す。
モリスは今度はボルトの背中をポンポンと叩いてから、上官に続いた。
「私も最初はね、パティが可愛くて愛しくて仕方がないものだから、本当に側にいてくれるだけでいいと思っていたんだ」
暗い宝物庫の中に、シャルロの独白の声が響く。
あれだけおしゃべりだったマーティナの絵さえも、口を噤んでそれに聞き入った。
「けれど、彼女はただ可愛いだけの存在じゃない。真面目で謙虚で、悩みながらも前を向いて歩いていこうとする頑張り屋さんだ。側に居てくれるだけでいいなんて、そんな失礼なことは口が裂けても言えないと思うくらい、一生懸命に自分の立場に向き合おうとしている」
パトリシアがシャルベリ辺境伯夫人として一人前になろうと日々奮闘していることに、シャルロもちゃんと気付いていた。
気負いすぎてはいまいかと、心配になる時も多々ある。
そんなに頑張らなくてもいい。君は、にこにこ笑ってくれているだけでいいんだ――なんて言葉が、シャルロの口を付いて出そうになったこともあった。
しかし、彼はぐっとそれを押さえ込んだ。
一見パトリシアを思い遣っているようだが、結局は彼女の努力も尊厳も踏みにじることになってしまうと気付いたからだ。
「パティを見ていると、この人の伴侶として恥じないように日々精進しようと思わされる」
そう言って振り返ったシャルロの顔には、力強い笑みが浮かんでいた。
暗闇に慣れ始めた目でそれを認め、無意識に足を止めたボルトの背中を再びポンポンと叩きながら、モリスも笑顔になって続ける。
「実際、パトリシア様の毎日はとーってもたいへんなんですよ。閣下の面倒を見がてらお姑様からシャルベリ辺境伯夫人の仕事を学び、閣下に邪魔をされつつ乳児の相手をし、閣下を背中に張り付かせてお茶会の手配をし、挙げ句の果てには閣下がベッドまで付いてくる――うわ、ちょっとお気の毒が過ぎる」
「おいまて、モリス! それだと、私がパティに迷惑をかけているみたいじゃないか!?」
「ははっ、迷惑だと思われていないといいですねー、閣下!」
「モリーーーース!!」
そんな二人のやり取りを、ボルトはぽかんとして見つめるばかり。
対して、それまで大人しくシャルロの話に聞き入っていたマーティナの絵がころころと笑う。
『素敵な子なのね、そのパトリシアちゃんって。会うのが楽しみだわ』
「ええ、私もあなたに彼女を紹介したいです――一刻も早く」
やがて一行の眼前に高い壁が立ち塞がる。
宝物庫の行き止まりかと思ったが、壁際にどっしりと立つ古い像――鎧を纏った屈強そうな兵士の像だが、顔が竜――の足の間に、人ひとり這って潜れるくらいの小さな扉を発見した。
しかしながらこの扉、押しても引いても開く気配がない。鉄製で、今度ばかりは蹴破るのも不可能なようだ。
どうしたものかと唸るシャルロ達に光明をもたらしたのは、またしてもマーティナの絵だった。
『そもそもは有事の際の脱出口だから、うっかり反対側から敵に潜入されないように出入口には細工が施されているんですって。この扉を開くには――ほら、上よ。上をご覧なさい』
マーティナの絵の言葉に、三人はそろって壁を見上げる。
そうして、門番の像の頭上高くに、その顔と同じ竜の顔の浮き彫りを発見した。
『壁に嵌まっているあれを押し込めば、留め具が外れて扉が開くんですって。そこの門番が言っているわ』
「なるほど、この像は門番でしたか。しかし……かなり長いものでないとあそこまでは届かないな……」
かつては門番の像が持つ長い槍が使われたそうだが、残念ながらすでに経年劣化により折れて短くなってしまっていた。
他に何か使えるものはないか、と三人の男達は手分けして周囲を探す。
そんな時、シャルロの目に留まったのは……
「これで、あの竜の浮き彫りを射れば――」
典礼用と思しき、豪奢な装飾の付いた弓矢だった。




