12話 宝物庫
薄暗くカビ臭い部屋の中、天井近くにある小さな明かり取りの窓からのみ、辛うじて光が差し込んでいた。
ガラスの向こうに広がるのは、抜けるような青空。
それに向かって高く高く飛んで行く、赤と黄色の鮮やかな小鳥の姿を、空と同じ色をした瞳が見送る。
「閣下ー、だめです。どうやら鍵をかけられただけじゃなく、何かを積み上げて出入口を完全に塞がれちゃってますね」
「そうか」
シャルベリ辺境伯にして辺境伯軍司令官シャルロ・シャルベリ、その腹心モリス・トロイア少佐、そしてアレニウス王国軍の少年軍曹ボルト・ウィルソンの三人が、サルヴェール家の宝物庫に足を踏み入れたのは、午後のお茶の時間の頃合いだった。
舞踏会を開けそうなほど広い部屋の中には、様々な品物が堆く積まれている。
何故かどんどん奥へと入っていくボルトに首を傾げながら、シャルロとモリスが手分けして国王陛下所望の絵を探し始めた時だった――ガチャン、と鍵が掛かる音が宝物庫に響いたのは。
気付けば、ここまで案内してきた家令の姿がなくなっていた。
「いったい何の真似でしょうね? 家令の独断という可能性は……」
「ないだろうな。家令が我々をここに案内したことは当主も知っているんだ。鍵をかけて閉じ込めておいて、どう言い訳する?」
「ということは、マーティナ・サルヴェールの指示ということになりますね」
「ああ、まさか、マーティナの絵を引き渡したくなくてこんな暴挙に出たわけではないだろう。他に何か理由があるのか――心当たりはあるかな? ボルト軍曹」
急にシャルロに話を振られたボルトが、びくりと肩を震わせた。
その肩を労るようにぽんぽんと叩いてから、シャルロが穏やかな声で続ける。
「我々は、あくまで陛下のご依頼によって絵を探しにきただけだが、君には案内役の他にも使命があったんじゃないだろうか」
思えば、宝物庫の捜索にこだわったのは、他でもなくボルトだった。
つまり、彼の一番の目的はマーティナの絵を見つけ出すことではなく、この宝物庫に入ることだったのではないか。
そう問うシャルロに、ボルトは観念したみたいに口を開いた。
「閣下のおっしゃるとおりです。黙っていて申し訳ございません。僕は――斥候役です」
「斥候……なるほど。とういうことは、王国軍の本隊が控えているということだね。隊の規模を尋ねても構わないかい?」
「はい。中尉率いる一個小隊総勢六十名が我々と同じ汽車でこちらに到着し、今はサルヴェール家の死角にて待機しているはずです」
「六十名を動員するとなるとなかなかの任務だ。差し支えなければ、マーティナ・サルヴェールに何の容疑をかけられているのか、教えてもらえるだろうか」
今から半年前、アレニウス王国では新国王ハリス・アレニウス即位に伴い、首脳陣がほぼ一新された。
前政権で汚職に手を染め私腹を肥やした連中は軒並み失脚。
厳しい断罪の末、財産は根刮ぎ没収されていた。
夜逃げ同然で王都から姿を眩ましたり財産を隠したりする者も続出し、シャルベリ辺境伯領でも逃亡者を領内に入れないために警備を強化している最中。
一方サルヴェール家は、失脚したとある次官の財産隠しに関与している疑いがあるという。
当の次官はすでに拘束されて現政権による取り調べが行われているが、巨額の財産の回収がなかなか進んでいない。
現当主のマーティナは、ほんの二年前まで彼付きの文官であったため疑われるのは必至。さらには財産隠し以外にも、彼女は重大な犯罪に関与している可能性があった。
「屋敷の背後にある山脈にトンネルを掘って、隣国への抜け道を作ろうとしている、と。我々は、この宝物庫を隠れ蓑にしているにではないかと踏んでおりました」
「なるほど。国境には検問が敷かれているから、そのトンネルを通して秘密裏に次官の隠し財産を国外に持ち出そうというわけか」
「それだけではありません。彼女はどうやら、あちらの反政府勢力とも通じているみたいなんです」
「反政府勢力……それは、また穏やかじゃないな」
アレニウス王国と南側で国境を接する隣国ハサッド王国とは長年友好的な関係にあり、現国王の妹で前国王の唯一の娘であるエミル王女が嫁いでいる。
そんな友好国の反政府勢力と、前政権の亡霊どもが共謀しては、碌なことが起こるはずがない。
アレニウス王国から流れた金や情報が、両国の友好関係や平和を脅かす火種になるのは必至で、国王としては何としても阻止しなければならないことだった。
「当初は、僕が前サルヴェール家当主の実子として、実父の墓に花を手向ける名目で訪ねることになっていたんです。叔父のウィルソン中尉と一緒に」
「だが、それだと遺産や家督を取り返しにきたと警戒される可能性があるね」
「はい、陛下や大将閣下もそうお考えになったのか、少し待てとおっしゃって……」
「そんな中、何も知らない私達が王都にやってきたものだから、利用してやろう、と」
サルヴェール家所蔵のシャルベリ由来の絵を求めてシャルベリ辺境伯夫妻が訪ねてくる、というのは不自然なことではない。
それに同行したボルトは、絵を探すふりをしながら隠しトンネルの場所を確認するのが仕事だ。
頃合いを見計らって合図を出し、満を持して本隊がサルヴェール家に突入する手筈となっていた。
「私達が閉じ込められているこの状況も、本隊がサルヴェール家に突入して家宅捜索するための口実になるということか。そして、陛下もこの事態を視野に入れていた、と」
「申し訳ございません」
「さっき、そこの通気孔を通して放った小鳥が突入の合図かい」
「お気付きでしたか……はい。あの派手な羽色が合図になります。僕が身動きが取れなくなった際にも飛ばすことになっているので、どちらにしろ間もなく本隊が突入してくると思います。しばしご辛抱を……」
ところがここでシャルロは、いや、とボルトの言葉を遮る。
「せっかくだが、ここで大人しく助けを待っているわけにはいかないな」
「な、なぜですか? 本隊がサルヴェール家を制圧してから出る方が安全ですのに」
「パティ――妻を、外に残してきてしまった」
「あ……」
はっとした顔をして口を噤んだボルトを他所に、シャルロとモリスが頭を突き合せる。
「我々をこの宝物庫に閉じ込めたところを見ると、問題のトンネルは別の場所にあるんでしょうね」
「しかし、マーティナ・サルヴェールは悪事がばれていることに勘付いているんだろう。トンネルが完成しているとしたら、こうして我々を押さえているうちに、荷物をまとめて隣国へ渡るに違いない」
「だとしたら、パトリシア様は万が一の際の人質にされる可能性がありますね」
「ああ……だが、人質とするからには、パティが安易に危害を加えられることはないだろう」
そんな二人のやり取りをボルトは黙って見つめていたが、やがておずおずと口を開いた。
「冷静でいらっしゃるんですね」
「うん?」
「閣下は、その……奥様にぞっこんだとイザベラ様がおっしゃっていたから。だから、もっと取り乱すのかと思いました」
「そうか、君の目に私は冷静に見えるか。だとしたら――私は取り繕うのに成功しているということだな」
えっ? とボルトが聞き返すのと、シャルロがぐっと両手を握り締めて吠えるのは同時だった。
「本当は! なり振り構わず暴れ回りたいくらいの気分なんだけどね! ああ、パティー!! 今すぐあの子のところへ飛んでいって抱き締めたいっ!!」
「閣下、どうどう。もー、最後までかっこ付けててくださいよー」
「冷静だと? 私が!? こんな状況でパティを一人にしているというのにっ!? ――そんなわけあるかっ!!」
「はいはい、分かります。分かりますよ、そのお気持ち。ロイが身を挺して守るとは思いますが――あ、すみませんね、軍曹。うちの閣下、奥様のこととなるととたんにポンコツになるんですよ」
ボルトはシャルロの変わり様に目をまん丸にし、何でもないことのように言うモリスの言葉に頷いて返すのがやっとだった。
彼が惚けている隙に、シャルロとモリスはこそこそと言葉を交わす。
「軍曹が放った小鳥にくっ付いて、小竜神様が外へ出た。パティに知らせにいくおつもりだろうが……」
「パトリシア様はいっそ子竜になって、どこかに身を潜めておいてもらった方が安全なんですがね」
「私達の動き如何では、パティに危険が及ぶ可能性もある。マーティナには、私達の動きを封じることに成功したと思わせておいた方が得策だろう」
「ということは、鍵をかけられた扉を蹴破って外に出るわけにはいきませんね」
そう言い交わした二人の視線は、宝物庫の奥――そこに隠されるようにひっそりとあった扉に向かう。
さっき、マーティナの絵を探している最中に、彼らが見付けていたものだ。
生憎、こちらにも鍵が掛かっていたが……
ガンッ……!!
いきなり足を振り上げたシャルロが、躊躇なく扉を蹴破った。
一発で鍵どころか蝶番まで外れて吹っ飛んだ扉に、びくりっとボルトが竦み上がる。
「正面から出られないならば、別の出口を探すまでだ。それもなければ、壁を破ってでも脱出するぞ。一刻も早く――本隊が突入して、焦った連中がパティに危害を加える前に」
「御意にございます」
軍服の襟を正したシャルロはモリスが頷くのを確認すると、居心地が悪そうに立っているボルトに向かって、冷静に聞こえる声でもって告げた。
「というわけで、我々は行くが。軍曹はここで本隊の到着を待って……」
「いえ! 僕も一緒に連れていってください! 閣下達を巻き込んでしまった以上、少しでもお役に立ちたいです!」
「いや、今回のことは君に責はない。軍という組織の中で、軍人は所詮手駒でしかないのだからね」
「それでも、ここに皆様を連れてきたのは僕です! 本隊と合流するまで――どうか、僕を閣下の部下としてお使いください!」
カツン、と靴を鳴らして、ボルトが一歩前に進み出る。
マーティナに警戒されないように王国軍の灰色の軍服は着てこなかった彼だが、格好はどうであれ、灰色の瞳に宿る意思の強さは立派な軍人のそれである。
シャルロはモリスと顔を見合わせてから、ふっと口の端を吊り上げた。
「頼もしいことだ。よろしく頼むよ――ボルト」
「はいっ!」
そうして、三人が蹴破られた扉を潜ろうとした時である。
『――ねえ。ちょっと、あなたたち。私も連れていってくれない?』
ふいに響いた声――しかも聞き覚えのない女性の声に、シャルロ達はぎょっとして立ち止まる。
小竜神や竜神の生贄の名を持つ人形達、そしてハリス国王陛下の寝室に飾られたマーガレットの絵のように、頭の中に直接響いてくる声だ。
こっち、こっち、と急かされつつ、慌てて辺りを捜索し直した男達は、やがて一枚の絵を発見した。
黄金の額縁に入った、長い黒髪をした若い女性の、ちょうど等身大くらいの上半身が描かれている。
その青い目がシャルロを映したとたん、にんまりと細められた。
『――ごきげんよう、シャルベリの子』




