11話 子竜と子竜
白い人に投げ捨てられた子竜のぬいぐるみ――小竜神は、池の畔の芝生の上に落ちて動かなくなっていた。
乱暴に扱われた衝撃によって憑依が解け、ただのぬいぐるみに戻ってしまったのだろうか。
だとしたら小竜神は、大本である石像が祀られているシャルベリ辺境伯領に戻ってしまったかもしれない。
そもそも、閣下達と一緒にサルヴェール家の宝物庫に入ったはずの小竜神が、どうしてここにいるのだろうか。
そんなことを頭の隅で考えつつも、私の意識は目の前の光景に釘付けになった。
『ねえ、おまえ。メテオリット家に生まれた子だよね?』
『わあっ!!』
ロイの向こうから伸びてきた手が、私の顔をぐっと掴む。
申し訳程度の鉤爪が付いた、赤子のそれのようにふくふくとして小さい――まさしく、子竜の私のものとそっくりな手だった。
『だ、だ、だれえーっ!?』
『誰って、ぼくだよ。今の今まで一緒にいた、白い髪の男さ』
『でも! そんな、ちんちくりんじゃなかったっ!!』
『いやいやいや、ちんちくりんはお互い様でしょー』
体長はだいたい小型犬くらいで、短い手足にぽっこりと丸いお腹。頭でっかちのちんちくりん。
ロイの向こうから現れたのは、鏡に映った私ではなく、生き写しみたいにそっくりな子竜だった。
私や姉のようなメテオリットの竜の先祖返りは、人間の時の髪の色が竜の身体の色に反映される。
そのため、ピンク色の髪をした私はピンク色の子竜になるのだが、今目の前にいる子竜の身体も、白い髪の男であると本人が言う通り真っ白い色をしていた。
『そもそも、ちんちくりんの何がいけない? ぼくはこんなに可愛いっていうのに』
ふふん、と鼻を鳴らして得意げに言う声は――頭の中に響いてくる声だが――確かに白い人のそれと同じだ。
白い人――いや、白い子竜は、ちっちゃな掌で私の両頬を包み込んだまま、金色の瞳を細めて嬉しそうに続けた。
『しかし驚いたよ。今になって、まさか子孫に会えるだなんてね』
『へ? 子孫……?』
『そうだよ。メテオリット家は、ぼくの娘とアレニウスの末王子から始まった一族だからね』
『ぼ、ぼくの娘って……?』
思ってもみない展開に、もはや私は相手の言葉を繰り返すことしかできない。
だって、まさか、そんな――今自分の目の前にいるのが、メテオリットの始祖たる竜の片割れだなんて。
ふいに、汽車の中でボルト軍曹から聞いた話を思い出す。
この土地でだけ真しやかに囁かれているという噂話だ。
――何でも、〝始まりの竜は今もあの地で生きている〟って言うんです
『ええええええっ!?』
『こらー、危ないよ』
驚きのあまり後ろに仰け反ろうとする私を、両頬を掴んだままの白い子竜がぐっと引き寄せる。
そうして、私をぎゅうぎゅう抱き締めると、お揃いのプクプクのほっぺをムニムニと擦り寄せながら感極まったように叫んだ。
『はじめまして、だね! ぼくの可愛い子孫ちゃん! おまえはぼくの、ひひ、ひひひひ、ひひひひひひ孫――あー、もう! 数え切れないから孫でいいや! はじめまして、おじいちゃんだよー!!』
『お、おじいちゃんって……ええええええっ!?』
ずっとずっと昔、アレニウス王国がまだできて間もない頃のことである。
初代国王の幼い末王子が、権力争いに敗れて失脚した人物によって攫われ、南の国境付近に広がる森の奥の洞窟に投げ込まれるという事件が起きた。
その洞窟には恐ろしい竜が棲んでいると言われていたのだ。
末王子を攫った者は、彼を生贄にして竜を仲間に引き入れ、自分がアレニウス王国を支配しようと企んだらしい。
『けれども、肝心の竜は王子を生贄としては受け取らなかった。それどころか彼を保護し、ちょうど卵から孵ったばかりだった自分の娘と一緒に大切に育てたんだ。そんな二人が長じて番い、メテオリット家を作った――まあ、ほぼ言い伝えの通りさ』
『はあ……では、ルイジーノ様は……』
『そんな他人行儀な呼び方をする子とは、おじいちゃんはお話をしません』
『うう、あの、えっと……ジ、ジジ様は……』
メテオリット家の祖先であるという白い子竜は、ルイジーノと名乗った。
本人は私に〝おじいちゃん〟と呼ばれたいようだが、さすがに恐れ多い。
何しろ相手は生粋の竜だ。
私みたいに何代も人間の血が入って、竜に変化できるだけの先祖返りとは訳が違う。
交渉の末、〝ルイジーノ〟の略称である〝ジジ〟と呼ぶことで何とか折り合いを付けてもらった。
そんなジジ様は、水を司る竜であるという。
さっき池で溺れた私を、水を割って助けてくれたのも彼だった。
ちなみに、番であったメスの竜――初代アレニウス国王の末王子を育てた母竜は、炎を操ったらしい。
そんな彼女の方はどうしているのだろうと尋ねた私に、ジジ様は小さく肩を竦めて言った。
『あの子はね、とうの昔に死んじゃったよ』
『……ごめんなさい』
『おや、どうして謝るの?』
『ジジ様が、悲しそうだから……奥様を亡くして、長い間寂しかったんじゃないですか?』
メテオリット家がアレニウス王家の末席となって、かれこれ千年近く経つ。
そんな気の遠くなるような長い時間をどうやって過ごしていたのかと問う私に、ジジ様は何でもないことのように言った。
『これといってやることもないからね。適当に食っちゃ寝して生きてきたよ』
『えええ……ずっと、ですか……?』
『あれは、いつの頃だったかな。ひょんなことから人間に化ける技を会得した後は、裕福な人間に囲われていい暮らしをさせてもらったよ。ほら、人間になったぼくってば、とんでもなく綺麗でしょう?』
『はい……それはもう、こわいくらいに……』
美しいジジ様に、これまで多くの人間が魅せられてきたという。
男も、女も、みんな自分に夢中になった、と彼はにんまりと笑う。
とはいえ、今のジジ様は作りものめいた美貌の男性ではなく、ちんちくりんの子竜である。
そんな彼と私は、池の畔に並んで座っていた。
水面を覗き込めば、まるで双子みたいにそっくりの、けれど色違いな子竜が仲良く映っている。
『まあそんなこんなで、今はサルヴェール家当主の愛人をやってるわけだけど』
『あ、愛人!? って、えっ? マーティナ様のですか!?』
『そうそう。まあ、そろそろ潮時かなと思っていたら、おまえ達が来たんだよね』
『えっと、潮時というのは……?』
その問いには答えず、ジジ様が私の額を撫でる。
小鳥がぶつかってできた傷は、ついさっきジジ様に口付けられて、きれいさっぱり消え去っていた。
『パティのこの姿は、きっとぼくからの隔世遺伝だね。メテオリット家に先祖返りが生まれているのは知っていたけど、まさかおまえみたいな子がいるなんて……うん、長生きしてよかったなぁ』
『わ、私も不思議な気分です。でも……』
姉や母やその他歴代の先祖返り達みたいな立派な姿の竜ではなく、自分とそっくりのちんちくりんの竜がいたなんて。
私は、長く生きた竜であり祖先であるジジ様に対して恐れ多いことだとは思いつつ、親近感を覚えずにはいられなかった。
『ジジ様に会えて、嬉しいです』
『うん、ぼくもだよ。おまえ、可愛いねぇ』
はにかむ私の頭を、ジジ様がにこにこしながらちっちゃな手で撫でてくれた。
『ところで――パティはあそこで死んだ振りをしているケダモノの眷属とどういう関係なんだい?』
『えっ、死んだ振りって……小竜神様!?』
芝生の上に放り出されていた小竜神を、ロイが私のところまで咥えてきてくれた。
慌てて抱き上げた子竜のぬいぐるみはプルプルと震えている。どうやらまだ憑依は解けていないようだ。
その背を撫でながら、私はここ半年あまりの間に自分の身に起きたこと――縁談のためにシャルベリ辺境伯領を訪れ、紆余曲折の末に閣下と夫婦になったことを話す。
とたん、ジジ様が素っ頓狂な声を上げた。
『はああ? シャルベリだって? おまえ、シャルベリに嫁いだの? うそぉ!?』
『う、嘘じゃないです。閣下……いえ、主人も、今日一緒にここに来ています』
『あー、そう……へえ……シャルベリ……』
『あの、ジジ様?』
ジジ様は短い腕を胸の前で組むと、むむむ、と眉間に皺を寄せて唸り始めた。
子竜の姿なので全然怖くはないのだが、シャルベリと聞いただけで何故そんなに難しい顔をするのか分からない。
戸惑う私の顔を、彼は金色の瞳でまじまじと眺めたかと思ったら、大きく一つため息を吐く。
そうして、私の腕の中にいる小竜神をじろりと睨んで、冷ややかに言った。
『まあ、いいや……それで、そこにいるケダモノの眷属? おまえも何か用があってここに来たんじゃないのかい? それがぼくの可愛い孫のためになるのならば、発言を許そう』
とたん、ようやく呼吸ができるようになったみたいに小竜神が大きく喘ぐ。
次いで私にしがみつくと、息つく暇もなく捲し立てた。
『た、大変だ、パトリシア! 眷属の子達が宝物庫に閉じ込められてしまった! 出入口に錠を下ろされて……』
『えええ? 閣下達が!? ど、どうしてそんなことに……』
思いも寄らない話に、私はあわあわと慌て出す。
さっき家令がマーティナに耳打ちした〝まずいこと〟とは、このことだったのだろうか。
けれども、閣下達の身に起こったことならば、どうして私に何も教えてくれなかったのだろう。
次々と湧き上がる疑問に、答えをくれたのは、ジジ様だった。
『ああ、それ。たぶんマーティナの仕業だね』
『えっ、マーティナ様? 誰かが間違えて鍵をかけてしまったんじゃなくて?』
『うんきっと宝物庫とやらに閉じ込めて口を封じるつもりなんだろう』
『く、くく、口を、封じる――!?』
私は、頭の中が真っ白になった。




