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9話 閣下の名代



 陛下ご所望のマーティナの絵は、結局サルヴェール家の屋敷内には飾られていなかった。

 そのため、閣下と少佐、及びボルト軍曹は、敷地内にあるという宝物庫を捜索することとなった。

 とはいえ、サルヴェール家がこの地域を治めるようになったのは、先々代の国王陛下の時代――せいぜい五十年ほど前のこと。

 それまでは王家の直轄地であり、サルヴェール家の邸宅となっているこの屋敷ももともとは王家の別荘であったらしい。

 宝物庫はそんな王家所有の時代から存在し、屋敷と一緒に中に収められた代物ごと当時のサルヴェール家当主に下げ渡されたものである。

 歴史的価値は高いものの希少性は低い――つまり、宝物としてはいまいちなものが大半なため、宝物庫とは名ばかり、実際はただの物置と化しているという。

 先々代の国王陛下は盤勝負の末にマーティナの絵を譲ったとのことだったが、それがはたして当時のサルヴェール家当主の希望なのかは定かではない。

 もらったはいいものの扱いに困って、物置――もとい宝物庫に放り込んだ可能性もあるだろう。

 しかしながら、随分久しく閉め切ったままの宝物庫は、埃もたまっていて空気が悪い。

 そのため、屋敷の方で待たせてもらうよう閣下から言いつけられた私は、少々……


「……」


 いや、かなり緊張していた。

 シャルベリ辺境伯夫人として――閣下の名代として、サルヴェール家現当主であるマーティナと二人で、庭園を臨む一階のテラスにてお茶のテーブルを囲むことになったからだ。

 私が粗相をしては、夫である閣下の顔に泥を塗ることになると思うと、カップを持つ手さえも震える。

 マーティナの絵から反応が返る可能性があるとのことで、小竜神まで捜索に付いていってしまったため、少佐が側に残していってくれたロイの存在だけが唯一の拠り所だった。


「まあ、それではパトリシア様は、メテオリット家のご出身でいらっしゃっるの? マチルダ様は、お姉様? あらあら!」

「あ、あの、姉をご存知なのですか?」


 おずおずと尋ねる私に、マーティナはもちろんと頷く。


「私も、サルヴェール家に嫁ぐまでは王都で役人をしておりましたので、遠巻きながらお姿を拝見することもございましたわ」

「マーティナ様も、王宮に勤めていらっしゃったんですね」

「ええ。ただし、私はマチルダ様とは違って、しがない下っ端でしたけれど」

「そんな……」


 自虐なのか謙遜なのか。判断のつかないマーティナの言葉に、私は反応に困った。

 けれども、当の本人は気にする風もなくにこやかに続ける。


「アレニウス王国もまだまだ男性中心の社会でしょう? そんな中で、少女の頃から男性の軍人と同じ軍服を纏い、参謀長閣下や大将閣下と堂々と渡り合うマチルダ様のご勇姿に、秘かに憧れていた女子も多いのですよ?」

「お、恐れ入ります!」


 大好きな姉のことを褒められたのが嬉しくて、応える私の声も弾む。

 すると、マーティナがころころと笑って言った。


「うふふ、やっと自然な笑顔を拝見できて、安心しましたわ。大事なお客様に寛いでいただけないなんて、当主の沽券にかかわりますもの」

「あ……申し訳ありません。お気を遣わせてしまって……」


 とたんに、私はたまらなく情けない気分になった。

 だって、閣下の名代を務めるどころか、一方的にもてなされるばかりではないか。

 ぐっと唇を噛んで俯けば、側に寄り添うロイが心配するみたいにクウンと鳴く。

 ところが、カップを握り締めた私の手を、ふいにマーティナのそれが包み込んだ。


「どうか、堂々としていらして? あなたは今、当家のお客様なのですから。それをもてなすのは、お客様を迎え入れた私の勤め。あなたを笑顔にできたなら、それは私にとってとても誇らしいことなのですよ」

「マーティナ様……」


 その声は慈愛に満ちていた。掌は、柔らかで温かい。

 たおやかで、寛容で、機知に富んだマーティナの姿は、まさに私が理想とする大人の女性像そのものであった。


「私は未熟で、マーティナ様や姉のようにはまだまだいきませんが……主人やシャルベリのために何ができるのか、模索して参りたいと思っております」

「ご立派でいらっしゃるわ。シャルベリ辺境伯閣下も、さぞ心強く感じておられることでしょう」

 

 きっと、社交辞令もあるだろう。

 それでも、お手本にしたいと思える相手に志を認めてもらえて、素直に嬉しい。

 おかげでいくらか緊張も解け、マーティナとの会話も弾んだ。

 ところが、お互いのカップが空になろうとした頃のことである。

 ふいに現れたサルヴェール家の家令が、マーティナになにやら耳打ちをした。

 

「ごめんなさい、パトリシア様。少し席を外してもよろしいかしら?」

「あ、はい。どうぞ……」


 盗み聞きをする気などなかったのだ。

 けれど、竜の先祖返りの聡い耳は、図らずも家令の囁きを拾ってしまった。


 ――まずいことになりました


 まずいこと、とは何だろう。何か問題が起きたのだろうか。

 しかし、万が一閣下達に関わることならば、私にも何かしらの説明があるはず。

 領地内の問題だとしたら、私のような部外者が出る幕はないだろう。

 家令とともに足早に屋敷の中に戻っていくマーティナを見送り、とたんに手持ち無沙汰になってしまった私は、隣に寄り添うロイの毛並みをゆったりと撫でた。

 犬は、相変わらず恐ろしい。それこそ、子竜となった自分よりもっとずっと小さい犬でもだ。

 たとえ翼は戻ろうとも、幼い頃に味わったあの恐怖が消えるわけではないのだから。

 それでも、今こうしてロイと二人っきりでも落ち着いていられるのは、私の中で彼が〝犬〟としてよりも〝友達〟としての存在感が勝った結果なのだろう。

 そう思うと、ロイの毛の感触さえも何だかとても尊いもののように感じた。

 そうして、彼の黒い毛をサラサラと手慰みに梳いていた時である。

 ふと私の脳裏に、ロイのそれとは対照的な真っ白い髪が甦ってきた。

 サルヴェール家に到着してすぐ、庭園のずっと端の方を横切るのを見かけた、あのやたらと美しい男性の姿である。


「あの人……誰だったのかな。使用人じゃないような気がするんだけど」


 ここで私は、改めて周囲の景色に目を向けた。

 眼前には、色鮮やかに花々が咲き誇る見事な庭園が広がり、右手のずっと奥にはさっき私達が潜ってきた門が、対して左手には大きな木が何本も並んで立っているのが見える。

 奇しくも、白い髪の男性を見かけたのは、その左手の木立の付近であった。

 どういうわけか、彼のことがひどく気になった私は、そっと席を立つ。そうして庭園へと踏み出した私に、ロイは当たり前のように付いてきてくれた。

 件の木立の袂には、水路があった。水はちょろちょろと音を立て、その先にある大きな池へと流れているようだ。

 そこに浮かんだ色とりどりの睡蓮に引き寄せられ、畔に立った時である。

 

「――きゃっ!?」


 バサバサッと激しい羽音が聞こえたかと思ったら、すさまじい勢いで何かが私のこめかみにぶつかってきたのだ。

 あまりの衝撃に、一瞬目の裏がチカチカし、頭の中で星が飛ぶ。

 けれども、それだけでは終わらなかった。


「ひえっ!?」


 ふいに殺気を感じて顔を上げたとたん、目に飛び込んできたのは一直線に突っ込んでくる鷲の姿だった。

 先に私にぶつかった何かを追ってきたのだろうか。

 その鋭い爪の切っ先がこちらに狙いを定めているのに気付き、恐怖に戦く。

 たちまち、胸の奥で心臓が大きく跳ね――


「だ、だめっ! こんなところで……っ!!」


 必死に抗うも、もはや私にはどうすることもできなかった。

 ドクッ! ドクッ! ドクッ! と鼓動が異常なほど激しくなる。

 強烈な勢いで心臓から吐き出された血液が、凄まじい速さで血管の中を駆け巡った。

 全身に張り巡らされたありとあらゆる毛細血管の先端にまで、古来より受け継いだメテオリット家の血が行き届く。


「ぴぃいい……!!」


 ドボンッ……、と鈍い音が辺りに響く。

 池に吸い込まれたのは、ピンク色の子竜だった。

 体長が縮んだおかげで鷲の軌道からは逸れたものの、そもそも一撃目で傾いていた体勢は立て直しようもなかったのだ。

 コポコポと空気の泡が水面に上がっていく音に混じって、わんわんとロイの吠え声が聞こえる。

 私は短い手足を必死に動かして浮上しようとするが、身体に引っ付いてきた衣服が邪魔をして侭ならない。

 もがけばもがくほど濡れた衣服が絡み付き、私は完全に混乱に陥ってしまった。

 ゴポポッ……と、一際大きな空気の泡が口から逃げていく。

 近くでドボンと音がして、池の中にロイが飛び込できたのが見えた。

 その間にも、身動きが取れず息もできなくなった私は、池の底へと沈んでいく。


(閣下……)


 遠のきかけた意識の中で、閣下の顔を思い浮かべた――その時だった。


 にわかには信じられないようなことが起こる。


 なんと、池の底に仰向けに沈んでいた私の目の前で水面がパタリと二つに割れ、青空が現れたのだ。

 ザアアアッ……音を立てて、みるみるうちに水が左右に捌けていく。

 気が付けば、私は水がなくなった池の底に転がっていた。


「わんわんっ! わんわんわんっ!!」

「ぴあ……」


 すぐさま駆け寄ってきたロイによって、ベロベロと顔中を舐め回される。

 私は慌てて起き上がろうとするものの、濡れた衣服がきつく身体に絡み付いてしまって身動きが取れない。

 池の水は、抜かれたわけでも、干上がったわけでもなかった。

 それを証拠に、池底に転がった私の両側には高い水の壁が突っ立っている。

 まるで、私とロイのいる場所だけ水が避けてくれているみたいな、摩訶不思議な光景だった。

 と、その時である。


「――そこの小さいの。大丈夫かい?」

「ぴっ!?」

 

 ふいに、頭の方から声が聞こえてきた。

 子竜の身体をびくんと跳ねさせた私は、とっさに首を捻って声の方を振り仰ぐ。

 はたしてそこにいたのは、サルヴェール家に到着してすぐ、庭園で見かけたあの真っ白い髪の男性。



「おや、驚いた。おまえ――竜の子かい?」



 私と目が合ったとたん、彼は姉みたいな金色の目を細め、作り物めいた美しい顔ににこりと笑みを乗せた。



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[一言] 竜の関係者ではあるっぽい
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