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7話 血の根源


 アレニウス王国の王都は国土の北寄りにある。

 一方シャルベリ辺境伯領は東寄りの南、メテオリット家の始祖たる竜が棲んでいたと言われる洞窟――現在サルヴェール家が治める土地に至っては南端に位置していた。

 どちらも王都から見れば南の方角だが、向かうにはそれぞれ別の汽車に乗る必要がある。

 というのも、シャルベリ辺境伯領とサルヴェール家がある南端の土地の間には固い岩盤に覆われた山脈が横たわっており、線路を通すことが難しいのだ。

 馬車を使っても山脈を大きく迂回しなければならず、時間も費用も多分にかかってしまう。

 一方、王都から西回りの路線ならば、サルヴェール家のある土地まで直通の汽車が出ていた。

 そういうわけで、私と閣下と少佐、それからロイと小竜神は、シャルベリ辺境伯領に一度戻るのではなく、王都から直接サルヴェール家を訪ねることにしたのである。


「血の根源を辿る新婚旅行っていうのも、なかなか乙なものだと思わない?」


 とか何とか言いながら、目の下に隈を作った陛下に急かされるようにして王城を後にした私達は、姉夫婦への挨拶もそこそこに、その日のうちに汽車に飛び乗った。

 一路南を目指す汽車の窓の外は、間もなく茜色に染まり始める。

 用意周到なライツ殿下が手配してくれたのが一等車両の広い個室だったおかげで、ロイをケージや貨物室に入れずに済んだのは幸いだった。ちなみに小竜神は、ぬいぐるみのふりをしてちゃっかり私の鞄に入っている。

 進行方向に向かって私と閣下が並んで座り、対面には少佐と、もう一人。

 この日初めて顔を合わせた人物が腰を下ろしていた。


「ボルト・ウィルソンと申します。シャルベリ辺境伯閣下のお噂はかねがね伺っておりましたので、お会いできて光栄です」


 はきはきとそう述べて閣下に握手を求めてきたのは、明るい茶色の髪をした少年だった。

 ウィルソンと名乗った通り、彼は閣下の姉イザベラ様が嫁いだウィルソン侯爵家の人間で、現在十七歳――私と同い年にしてすでに軍曹の地位にあるらしい。

 とはいえ、閣下や少佐に比べて華奢に見える身体に纏うのは、王国軍の将校の制服である灰色の軍服ではなく、黒いズボンとジャケット、白いシャツといった無難な外出着だった。

 それでも、堂々とした様子で閣下と握手を交わしたボルト軍曹は、灰色の瞳を私に向けてにこりと微笑む。


「奥様のこともよく存じ上げております。叔母が、熱心に語っておりましたので」

「ふむ、イザベラはなんと?」

「一家に一台ほしいくらいの愛くるしさ、だとか」

「ははは、お生憎様。うちのパティは唯一無二だ、と今度会ったら言ってやろう」


 ボルト軍曹は、ウィルソン侯爵家の長女――イザベラ様の夫である中尉の姉の一人息子で、現在はライツ殿下直属の部隊にいるらしい。

 そんな彼が、今回どうして私達のマーティナの絵探しに同行することになったのかというと……


「十歳まではサルヴェール家におりましたので、少しくらいはお役に立てると思います」

「それは心強いね。頼りにさせてもらうよ」


 彼の父親が、件のサルヴェール家の当主を務めていた人物だったからである。

 父親の不貞を理由に両親が離婚し、母親とともに王都のウィルソン家へ移り住んだのは今から七年前のこと。

 以降、母方の祖父や叔父達の背中を見て育った彼が、王国軍に入軍するのは自然の流れだったのだろう。


「先々代の国王陛下に重用されたにもかかわらず、現在サルヴェール家が王都に居場所がないのは、僕の母を――本家であるウィルソン家から迎えた嫁を蔑ろにしたせいでしょうね」


 そう言って肩を竦めるボルト軍曹には、生まれ故郷や実の父親に思い入れはないようだ。

 むしろ、愛人を取っ替え引っ替えしていたらしい父親に対しては嫌悪感さえ滲ませていた。

 しかしながら、現在サルヴェール家の当主を務めているのは、そんなボルト軍曹の父親ではないという。


「父は、昨年亡くなりまして、現在当主を名乗っているのはその前年に結婚した女性だそうです。元々は、王都から派遣されてきた役人だったとか」

「嫡子を差し置いて、後妻が当主の座に居座ってるってこと? それは、なかなか……」

「モリス、やめなさい。しかし、軍曹は現状に納得しているのかな?」


 少佐の明け透けな物言いを窘めつつ、閣下は年長者らしくやんわりとボルト軍曹の意思を確認する。

 というのも、血統が何より重んじられるアレニウス王国において、家督は基本的に世襲制をとっているからだ。

 当主が亡くなればその血を引く子供が、子供がいない場合は兄弟姉妹が跡目を継ぐのが一般的で、血の繋がりのない配偶者が当主の座に上ることはたいへん珍しかった。

 そのため、父親の再婚相手が生家を牛耳っている現状に、子供が不満を抱いていたとしてもおかしくない。

 けれど、当のボルト軍曹はあっけらかんと笑って首を横に振った。


「あはは、いいんです。僕自身、成人したらサルヴェール家に関する相続権は一切放棄するつもりでしたので。今回のような機会がなければ、一生サルヴェール家に足を運ぶことさえなかったかもしれませんしね。こう言っては何ですが、父にも生まれた家にも今更……」


 未練なんてない――そう言いかけたのであろう。

 ところが、少佐の足もとに伏せていたロイがふいに身じろいだとたん、ボルト軍曹は口を閉ざしてしまった。

 そのまま逡巡するみたいに灰色の目を泳がせる彼を、閣下が優しい声で呼ぶ。

 ボルト軍曹はロイに目をやったまま、実は、と口を開いた。


「王都に移り住む少し前に、犬を拾ったんです。けれど、サルヴェール家に置いてきてしまいまして……」

「なるほど、未練があったのを思い出してしまったかい」

「はい……当時、本家に告げ口されるのを恐れた父によって、母は半ば軟禁されておりまして……王都へ移る際は家人の目を盗んで夜逃げ同然で汽車に飛び乗ったんです。だから、犬は連れていけなくて……」

「そうか……それはたいへんだったね」


 十歳と言えば、私もミゲル殿下に翼を捥がれて犬へのトラウマを植え付けられた頃だが、ボルト軍曹もまた同じような時期に辛い体験をしたようだ。

 何だか他人事とは思えずぐっと唇を噛み締めれば、目敏くそれに気付いた閣下が宥めるように背中をポンポンしてくれた。

 

「もう、七年も経っていますから、もしかしたら僕のことを忘れてしまっているかもしれませんが……まだ元気でいてくれたらいいなと思っています」


 そう言って、ロイの背中を撫でてはにかむボルト軍曹の顔は、年相応に見えた。

 


 車窓から見える空は、いつの間にか茜色から群青色へと塗り替えられていた。

 汽車は遠く山際まで一面に続く小麦畑の脇をひた走る。

 王都からシャルベリ辺境伯領までとサルヴェール家まででは、直線距離にすると前者の方が圧倒的に近いのだが、後者に向かう西回りの経路の方が平野部が多いことから、汽車での所要時間はほぼ同じだという。

 国王陛下からの頼まれ事により、否応なくシャルベリ辺境伯領への帰還が遅れることになったため、閣下と少佐は汽車の中でも仕事の打ち合わせをする必要があった。

 必然的に、私はボルト軍曹の相手をすることになったが、同い年だと思うと幾分気は楽だった。

 

「たしか、シャルベリ辺境伯領には竜にまつわる伝説がありましたよね? 奥様は、竜って実在すると思われますか?」

「えっ!? あ、あの……どうでしょう……?」


 思わぬ質問に、私は鞄から頭を出していた子竜のぬいぐるみ――小竜神をとっさに手で隠しながら目を泳がせる。

 そんな私の怪しい動きを気に留めず、ボルト軍曹が続けた。


「サルヴェール家の周辺にも有名な竜の伝説があるんです。その竜が棲んでいたとされる洞窟が、ちょうど屋敷の裏にあったんですよ」

「初代国王陛下の末王子を助けたという、始まりの竜が棲んでいた洞窟ですか?」

「はい。古くなって崩れやすいから、と一切の立入りは禁止されていましたが」

「ボルト軍曹は、その……竜は実在すると思いますか?」


 同じ質問を返した私に、ボルト軍曹はうーんと悩む素振りを見せたが、やがて内緒話をするみたいに声を潜めて言った。


「サルヴェール家の話をすると母が嫌がるので、王都では誰にもしゃべったことがないんですが……実は、あの土地でだけ真しやかに囁かれている話がありまして……」


 思わず顔を寄せた私に、軍曹は思いがけない言葉を続けた。




「何でも、〝始まりの竜は今もあの地で生きている〟って言うんです――」



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