6話 五番目の生贄
半年前に即位した新国王陛下、ハリス・アレニウス。
その招待を受けた私と閣下、少佐とロイ、それから子竜のぬいぐるみに憑依して付いてきた小竜神は、先導するライツ殿下によって王宮の最奥にある国王の私室へ――しかも、寝室にまで通されてしまった。
歴代の国王が受け継いできたという寝室には、豪奢な天蓋付きのベッドとは対照的に、こぢんまりとした木の机と椅子が置かれている。
その机の上に無造作に転がされているのは、子供の頭くらいの大きさの透明な黄褐色をした塊――琥珀だ。
半年前の戴冠式と同時期、その琥珀を産出するアレニウス王国東部の森が、オルコット家から陛下に献上されていた。
かつてそこに住んでいた古代の竜――通称オルコットの竜の巨体が寿命を終えて木になるに伴い、血液が樹液になった末、それが石化したものが琥珀である。
とはいえ、オルコットの琥珀は年々産出量が減っていると聞いていたが、こんな大きなものもあったのか、と感心していると、ふいに強い視線を感じた。
ベッドの側の壁には、黄金の額縁に入った絵が飾られている。
描かれているのは、長い黒髪をした若い女性の、ちょうど等身大くらいの上半身だ。
驚くべきは、その絵の青い瞳がぱちくりと瞬いて――
『ごきげんよう、シャルベリの子』
「ひえ、しゃ、しゃべった……」
部屋の主である陛下よりも先に口を開いたことだった。
『あっらー! ねえ、ちょっと! その横のピンクの子が、ハリスの言ってた竜の子!? かぁわいいわねぇ!!』
「そうでしょうそうでしょう! どなたか存じませんが、お目が高い! こちらの可愛いパティは私の妻なんですよ!!」
「あーもー、閣下ー? パトリシア様を褒められて嬉しいのは分かりますが、そうほいほいわけの分からない物体と意気投合するのはどうかと思いますよ?」
どことなく閣下の三人のお姉様達を彷彿とさせる絵の女性は、頭の中に直接響いてくる声でもって〝マーガレット〟と名乗った。
そしてそれは、絵のモデルとなった女性――五番目の生贄として竜神に捧げられたシャルベリ領主の娘の名前だという。
「何代か前の国王がシャルベリを訪れた際に譲り受けてから、ずっとここにこうして飾られていたらしいんだけどね。ある朝、突然しゃべり始めてさぁ……ちょうど、戴冠式の翌朝のことだよ」
そんな陛下の言葉に、私は閣下と顔を見合わせ、それからロイの背中に引っ付いている子竜のぬいぐるみ――小竜神を見た。
というのも、二、三、四番目の生贄の名を持つ人形達が動き出したのが、この小竜神が首長竜のぬいぐるみアーシャに憑依してシャルベリ辺境伯家に滞在した後だったからだ。
そして、半年前の戴冠式の折り、閣下の甥であるエド君は晩餐会にこそ出席しなかったものの、後々聞いた話では従兄達に連れられて夜の王宮の庭を探検したらしい。小竜神が憑依した状態のアーシャを抱いたまま、である。
つまりは先の人形達と同様に、陛下の寝室に飾られた五番目の生贄マーガレットを名乗る絵も、その時に小竜神の影響を受けて動けるようになったのでは、と推測された。
『ハリスってば、この部屋には寝に帰ってくるだけで、本当につまらない男だわ! ろくな話し相手にもなりやしない!』
「もうね、こんな感じでうるさくてうるさくて……。いっそ、壁から外して倉庫にでも放り込んでやろうかと思ったんだけど……」
『私を邪険にしてごらんなさい! あなたが今まで言ってた恥ずかしい寝言、ぜーんぶしゃべっちゃうわよ!』
「やめてぇー」
マーガレットの容赦ない口撃に、陛下はほとほと困り果てている様子である。
心無しかやつれたように見える彼の横で、ライツ殿下が胡乱な目でマーガレットを睨んだ。
「俺は、とっとと火に焼べてしまえばいいと言ったんだがな」
『そんなことしたら、この城を道連れにしてやるわ! 私が描かれた年代よりも古いんだから、さぞかしよく燃えるでしょうね!!』
「……これが脅しで済む気がしなくて、手をこまねいている」
『ライツはハリス以上につまらないわねぇ。会話にまったく面白みがないわ』
散々な言われようである。
相手が絵では不敬罪に問うこともできず、国王陛下も王国軍大将閣下も形無しだった。
そんな彼らのやり取りを、私はぽかんとして眺めていただけだったが、隣に立っていた閣下がふいにはっとした顔をする。
「もしや、この絵を引き取らせるために我々を御召しになったので? いやいや、いやいやいや! いかに陛下の命とはいえ、それだけはお断りします! これ以上、小姑が増えてはたまりませんからね!!」
「さっき、即行意気投合していたくせにー。それに小姑って……君んち、お姉さん達は三人とも嫁いでシャルベリを出ているんじゃ……」
「そうなのです! せっかく姉達から解放されて平穏な日々を送っていたというのに、最近新たな姉みたいなのが三人――いや三体、うちに居座ってやがるんです!!」
「んんんん? えーっと、よく分からないけれど……どうやら君も大変みたいだね」
まるでお姉様達の生き写しのような人形達。
その所業を思い浮かべて頭を抱える閣下に、陛下とライツ殿下が顔を見合わせてため息を吐いた。
「シャルベリ家に引き取ってもらうのはどうやら難しそうだねぇ?」
「無理矢理押し付けてパトリシアにとばっちりでもいったら、マチルダが暴れかねんからな」
『ちょっと、人のこと厄介者扱いしないでちょうだい。傷付くでしょう。これまで見てきた歴代国王の痴態の数々を後世に語り継ぐわよ』
陛下やライツ殿下をつまらない男と扱き下ろしつつも、マーガレット本人はここから動く気はないらしい。
陛下はやれやれと肩を竦めると、代わりと言ってはなんだけど、と閣下に向かって続けた。
「一つ、頼まれてくれないかな。探してきてもらいたいものがあるんだよ」
「はて? 何でございましょうか?」
閣下の問いに答えたのは、陛下でもライツ殿下でもなかった。
『私と対で描かれた絵よ、シャルベリの子。前の前の国王が賭け事に負けて友人にあげてしまったの』
「なるほど。あなたと対で描かれたということは、そのもう一つの絵も元々はシャルベリにあったということですね。先々代のご友人というのは?」
今度の問いには、陛下が答えた。
「当時のサルヴェール家当主だよ。先々代とは乳兄弟らしくてね」
「サルヴェール家……たしか、ウィルソン侯爵家の傍系でしたでしょうか」
「そうそう。先々代が随分可愛がって、僻地ではあるけれど領地まで与えたみたいなんだ」
「それでは、お探しの絵は今もまだそのサルヴェール家が所有している可能性が高いということですね」
ウィルソン侯爵家は軍人を多く輩出する一族で、閣下のお姉様イザベラ様の夫である中尉は現当主の次男にあたる。
一方、その親戚にあたるサルヴェール家がアレニウス王家と懇意だったのはすでに過去の話で、現在その一族の中に王政に関わる者は誰もいないそうだ。
しかしながら、竜神の生贄がモデルであるマーガレットと対で描かれたということは、もしかして陛下が探しているという絵も……
そこまで考えてはっと顔を上げた私は、マーガレットの青い瞳とかち合う。
彼女はにこりと私に笑いかけてから、懐かしそうに言った。
『あの子の名前はマーティナ――マーガレットの次に竜神に捧げられた、六番目の生贄がモデルになった絵よ』
「六番目の生贄……」
シャルベリではかつて七人の生贄が捧げられ、六人目までの生贄は竜神に食われて大地に血の雨を降らせ、七人目だけは生きたまま連れ去られたと言い伝えられている。
聞くところによると、五番目と六番目は生贄が捧げられた間隔が短く、マーガレットとマーティナは伯母と姪の関係にあるらしい。彼女達の絵を描かせたのは、姉と娘を竜神に食われたマーティナの父親だった。
『遠い地にひとりっきりで、きっとあの子が寂しがっているわ』
「というわけで、マーティナを連れ戻せってうるさくて眠れないんだよね。睡眠不足が続くとさすがに仕事に支障をきたしそうだから、頼まれてくれないかな。絵がしゃべるなんて話、あまり大っぴらにできないし」
「元はシャルベリにあったものですから、私としても無縁ではありませんしね……モリス、調整できるか?」
「ご随意に」
うっうっ、とわざとらしく泣き真似をするマーガレットに、陛下はうんざりした様子でため息を吐く。
閣下は頼まれごとを引き受けるつもりらしく、とたんに仕事用の顔になって、少佐と予定の擦り合わせを始めた。
私はというと、閣下が留守の間は彼の代わりにシャルベリ辺境伯領を守らねば、と秘かに意気込む。
姉には気負うなと言われたが、早く一人前の領主の妻にならなければという思いは募る一方だった。
そんな中、ふいにぽんと頭に掌が乗せられる。
それが陛下の仕業だと分かって戦いていると、彼は私の頭をなでなでしながらにっこりとして言った。
「そうだ、パトリシアも一緒にサルヴェール家に行っておいでよ」
「えっ……?」
「おい、兄上! そいつを巻き込むなと何度言えば……」
ライツ殿下が諌めるように声を上げ、頭を突き合せていた閣下と少佐もぎょっとした顔をする。
ところが、陛下はなおも私の頭を撫でながら思いも寄らぬ言葉を続けた。
「だって、パトリシアとも無縁な話じゃないよ。――何しろ、君達メテオリット家の祖先である竜が住んでいた洞窟は、そのサルヴェール家の領地にあるんだからね」




