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3話 生贄の乙女



『『『むかしむかしのことです。何ヶ月も雨が降らないことがありました』』』


 竜に変化した姉や小竜神のように頭の中に直接響いてくる声が三つ重なる。

 アーマー中佐が閣下の執務室を出ていくと、それまでただの人形に扮していたシャルロッテとシャルロッタとシャルロットが動き出した。

 何を隠そう、彼女達も頼りになる子守り要員だ。

 すっかり寝入ったルカ君を私が窓辺に置かれた揺りかごに寝かせると、いそいそと集まってきて小さな白磁の手で優しく揺らし始める。

 すると、ようやくルカ君のむちむちの手から抜け出すことができた小竜神が、私の肩に慌てて避難してきた。

 

『一年が過ぎても、ひとしずくさえ雨は空から落ちてはきませんでした』

『大地は乾き、草木は枯れ、人も動物もばったばったと倒れていきます』

『いよいよ困った領主は、竜の神様に生贄を捧げて雨乞いをすることに決めました』


 揺りかごの中ですやすやと眠るルカ君を見下ろし、人形達が子守唄を歌うみたいに語るのは、シャルベリ辺境伯領で語り継がれる昔話であるという。


『生贄に選ばれたのは、領主の一番下の娘です。領主はその娘を目に入れても痛くないほど可愛く思っておりましたが、民のため、身を切る思いで彼女を捧げました』

『竜の神様がばくりと口にくわえて天に昇れば、鋭い牙が突き立った娘の身体から赤い雨が流れ落ち、乾いた大地をしとどに濡らします』

『我が子を失う悲しみに、領主の目から溢れたしずくもほとほとと大地に零れ落ちました』


 少女のように愛らしい声が、淡々と残酷な物語を紡ぐ。


『『『雨は三日三晩降り続け、その間領主の涙も止まることがありませんでした』』』


 シャルベリの大地に乙女達の血が降り注いだことも、それを悲しむ父親の涙が零れたことも、伝説ではなく実際にあった話である。

 それを、犠牲になった乙女達の名を持ち、しかも現実に涙を流した父親が作らせた人形達が語るとは……


「さすがに、身につまされるものがあるなぁ」


 執務机に頬杖をついてそう呟いた閣下の言葉に、私は同意せずにはいられなかった。

 竜神にその身を捧げたのは、当時のシャルベリ領主の娘達である。

 世が世なら、シャルベリ辺境伯となった閣下も――そして、いまやその妻となった私も、自分達の間に娘が生まれていれば犠牲にするよう迫られていたかもしれないと思うと、けして他人事ではなかった。

 もっと他人事ではないのは、娘達を食らった張本人である竜神――その石像の化身である小竜神だ。

 そのせいか、小竜神は生贄の乙女の名を持つ人形達を前にすると決まって、ばつが悪そうに、あるいは申し訳なさそうにしている。今も居たたまれない様子で、私の髪の中に潜り込んでしまった。

 最初に遭遇した時には、私や犬のロイの目には映るものの会話はできなかった小竜神。

 その後、私の翼を食べてバケモノに成り果てたミゲル殿下の犬を竜神が一吞みにしたのをきっかけに、閣下やお義父様といったシャルベリ家の血を引く人間に目視と念話が可能になった。

 さらには、閣下の甥エドワード・オルコットお気に入りのぬいぐるみ、首長竜のアーシャに憑依することで、少佐やお義母様達シャルベリ家の血を引く人間以外とも意思の疎通ができるように。

 それは、時を同じくして発現したシャルロッテ、シャルロッタ、シャルロットの生贄の乙女の名を持つ人形達も然りであった。

 そんな人形達は、生贄を食らった竜神の過去を悔やんでいるかのような小竜神を見ると、いつも鼻で笑う。

 そうして、自分達は名の由来である生贄達そのものではないけれど、と前置きしてから決まってこう続けるのだ。 


『シャルロッテもシャルロッタもシャルロットも、竜神に対して遺恨なんかないわ』

『あの時代にシャルベリ領主の娘として生を受けた責任を果たした、ただそれだけのことよ』

『納得して生贄になったんですもの。それなのに、食い殺した側が勝手に罪悪感に苛まれているなんて、おかしな話ね』


 最初はケダモノでしかなかった存在が、生贄を食らうことでいつしか心を得て、ついには神となった。

 心を得てしまった竜神は、それまで自分が食い殺してきた生贄の乙女達の無念に思いを馳せたのだろう。

 人形達を生贄の乙女達に重ねて作ったのは、娘を犠牲にせざるを得なかった当時の領主の後悔と悲しみ。

 そして、今の人形達をシャルロッテ、シャルロッタ、シャルロットたらしめているのは、竜神の中に根強く残る罪悪感であるという。

 ともあれ、シャルベリ辺境伯領の人々が竜神に生贄を捧げなければ水を確保できなかったのは、もうずっと過去の話。

 現在では山脈にトンネルを掘って人工河川を通し、北側から水を引いて南側を経由して海に流すようになっているため、貯水湖の水量は一定を保っている。

 そんなシャルベリ辺境伯領の命綱とも言える貯水湖において、年に一度開かれるのが竜神祭だ。

 一月後に迫ったその祭りの目玉は、貯水湖の中央にある竜神の神殿に生贄に見立てた女性を置き、それを迎えに行くという態で有志の男性達が湖岸から一斉に泳いで彼女のもとを目指す、という催しである。

 生贄の乙女役は、二十歳未満の未婚の女性が務めることになっており、アーマー中佐の話では今年は彼女の末妹が選ばれているらしい。


「しかし、もう竜神祭の時期か。今年も警備に大勢人員を割かないとなぁ」

「毎年、湖に飛び込んで溺れる酔っぱらいが続出するんですよねぇ。困ったものです」


 閣下と少佐が肩を竦めるように、もはや犠牲になった生贄の乙女達を慰めるためという大義名分は名ばかりの娯楽の祭典に成り果てている。

 当初は一番に神殿に辿り着いた者には幸運が訪れるという福を呼ぶ祭りだったが、乙女役が年頃なこともあって、いつの間にか優勝者は乙女役に交際を申し込めるというのが暗黙の了解になっているそうだ。

 それを聞いた私は、まさか、とおそるおそる尋ねる。


「優勝者に交際を申し込まれたら乙女役は必ず受け入れないといけない、なんてことはないですよね?」

「そんなことはない……はずなんだが。これまでを振り返ると、実際結構な確率で乙女役と優勝者がくっ付いているんだよなぁ」

「まあ、祭の最中ですから観衆はだいたい酒が入ってますからね。そういう連中に煽られて、その気がなくても一回はデートさせられるって話ですよ」


 お義母様が贔屓にしているメイデン焼き菓子店の店主バニラさんも一昨年乙女役を務め、その際の優勝者は現在彼女の夫となっているラルフさんだったらしい。

 彼らのように、竜神祭をきっかけに恋人や夫婦に至る者も多いという。

 ここでふと、少佐が悪戯そうな笑みを浮かべて閣下に話を振った。

 

「閣下、もしもパトリシア様が乙女役を務めることにでもなったらどうします?」

「そんなもん、私も出場してぶっちぎりで優勝するに決まっているだろうが! そもそも、だ! 竜神祭の乙女役は未婚と決まっているだろう!? パティはすでに、私の可愛い可愛い奥さんだから! 乙女役なんて、絶っっっ対! 許さないからなっ!!」

「はいはいはいはい、分かりました分かりましたから。もー、大きな声出さないでもらえます? ルカが起きちゃうでしょ」

「お前が縁起でもないことを言うからだろうがっ!!」


 とたんに、ふええっ、とルカ君の泣き声が上がり、閣下と少佐が慌ててお互いの口を塞ぐ。

 私はぐずり始めたルカ君を揺りかごから抱き上げると、おしゃべりな男性陣に向けて精一杯怖い顔を作って見せた。

 

「閣下も少佐も、お静かに。しー、ですよ!」

「ほら見ろ。モリスのせいでパティに怒られてしまったじゃないか」

「いや、怒られて嬉しそうな顔してんじゃないですよ」


 そんな時である。


「――パティ。パティはここにいるか」

「――は、はい!」


 ドンドン、と慌ただしいノックの音に続いて扉の向こうから掛かった声に、名を呼ばれた私は反射的に返事をする。

 それに驚いたルカ君がますます泣き出すのと、部屋の主である閣下の返事も待たずに扉が開いたのは同時だった。

 空になった揺りかごを占領して遊んでいたシャルロッテとシャルロッタとシャルロットが、慌ててもの言わぬ人形に扮する。

 ところが現れたのは、そんな人形達の事情も小竜神の存在も承知している人物――シャルベリ辺境伯位を閣下に譲って悠々自適の隠居生活を満喫しているお義父様だった。

 ルカ君の泣き声を聞いて、しまった、という顔をしたお義父様だったが、私を見つけるなり一直線に駆け寄ってくる。


「パティ、たった今王都から――メテオリット家から速達が届いたんだ。早く、開けてみなさい」

「あっ……は、はいっ!」


 お義父様が差し出した封書を目にしたとたん、私の心臓はドキリと大きく一つ高鳴った。

 私が閣下との縁談のために初めてシャルベリ辺境伯領を訪れた頃に妊娠三ヶ月と判明した姉――メテオリット家の現当主であるマチルダ・メテオリットは、すでに臨月を迎えている。

 いつ出産の知らせが届くかも知れない、と私が毎日ドキドキしながら手紙を待っているのを知っていたお義父様は、シャルベリ辺境伯邸の方に配達された速達を急いで届けてくれたのだ。

 差出人は姉の夫――王弟であり、王国軍参謀長を務めるリアム殿下。

 私は何とか泣き止んだルカ君を少佐に返すと、代わりに閣下に手渡されたペーパーナイフを握り占め、緊張で震える手で封を開く。

 そうして――


「う、生まれました! 姉の赤ちゃん! 元気な男の子だそうです!」


 堪え切れずに叫んでしまった私のせいで、またもやルカ君の泣き声が軍司令官執務室に響き渡った。

 

「あわわ……ルカ君、ごめん。ごめんね……」

「お気になさらず、パトリシア様。それより、おめでとうございます。甥っ子さんに会うのが楽しみですね」

「はい! 早く会って、だっこしたいです……っ!」

「あはは、パトリシア様はもう赤ちゃんのお世話も御手の物ですもんねー」


 手紙を抱き締めてソワソワする私に、少佐が手慣れた様子でルカ君をあやしながら微笑ましげな顔をする。

 ルカ君のことが可愛いのはもちろんだが、大好きな姉が産んだ甥にも、一刻も早く会いたくて堪らなかった。

 リアム殿下――兄様の手紙によると、一昨々日の早朝に産気付いてからまる二日を要する難産だったらしい。

 いろいろたいへんではあったが、とにかく母子ともに元気であるとのこと。

 そんな手紙を何度も読み返しているうちに、私は居ても立ってもいられなくなった。

 今すぐにでも汽車に飛び乗って――いや、いっそ子竜になって、自分の翼で飛んでいってしまおうか。

 かつては、ちんちくりんな子竜の自分が嫌で仕方がなかったはずの私がそんな衝動を覚えるまでになったのは、偏に閣下がどんな〝パティ〟をも肯定して愛してくれたからだ。


「おめでとう、パティ。ほっとしたね」


 今もまた、閣下の優しい声が私に祝福をくれる。

 それに、はいっと弾む声で返事をしようとして――私は、ふと我に返った。


「あ……」


 閣下の執務机に堆く積まれた書類の山を目にしまったからである。

 さらに、ふええっ、と少佐の腕の中からルカ君のぐずる声が聞こえ、今にも王都に向けて飛び立とうとしていた私の心の翼はへなへなと力を失ってしまった。

 シャルベリ辺境伯と辺境伯軍司令官を兼任する閣下の日常は多忙を極めている。

 その副官である少佐も然りで、彼の息子ルカ君には面倒を見る人間が必要だった。

 そして、私は閣下の妻であり、ルカ君のお守り要員でもある。

 加えて、シャルベリ辺境伯夫人としてまだまだ学ばなければならないことが多く、そう易々と実家に戻っている暇などあろうものか。

 パトリシア・シャルベリとなった私が優先すべきは、もはや王都のメテオリット家ではなくシャルベリ辺境伯領なのだ。

 そう思い至った私が逸る気持ちをぐっと押さえ込み、冷静なふりをして「とりあえず、お祝いの手紙を……」と口にしたのと同時だった。

 閣下が、パンッと両手を打ち鳴らしてこう言ったのは。


「――こうしちゃいられない」


 彼はボキボキと指を鳴らしたかと思ったら、ペンとインクを引き寄せ、書類に目を落としながら続けた。


「さて、真価を見せる時が来たぞ。私はやればできる男なんだ。そうだろう、モリス?」

「はいはい、そっすね」

「書類の処理と留守中の仕事の引き継ぎは夕方までに済ませる。お前は今日の王都行き最終汽車の席を確保してくれ。私と、パティの分だ」

「御意――と、言いたい所ですが。閣下、私という優秀な補佐官をお忘れではありません? 席は、私の分を含めて三つ確保してまいりますから」


 そんな少佐の言葉に、私はもとより閣下まで目を丸くする。


「いやお前、子供はどうするんだ。さすがに、奥方に負担をかけるようなことになるとパティが気に病む。今回ばかりは私とパティだけで……」

「実は先日母を味方に引き込んだので、数日ならルカを預けられそうなんです。それに、いつまでも父と仲違いしているわけにもいきませんしね。そういうわけなのでご隠居、うちの頭の固い父に一発ガツンと説教かましてやっていただけませんか?」

「そうだな。あいつもせっかくできた孫と触れ合えぬのは本意ではなかろうよ。任された」


 少佐の父親であるトロイア卿はお義父様の幼馴染であるという。

 いつの間にか、ルカ君は少佐の腕からお義父様の腕に移っていた。

 現役時代は我が子もろくに抱っこする暇がなかったらしいお義父様だが、ルカ君に顎髭を掴まれて眦を緩める様はまさしく好々爺といった風情だ。


「ほらほら、パティ。そんなところで惚けてないで……いや、惚けているパティもめちゃくちゃ可愛いが、とりあえず荷造りをしておいで。それから母さんを捕まえて、姉君ご夫妻へのお祝いの品を見繕っておいてもらえると助かるんだが?」

『あら、お祝いの品なら一緒に選んであげるわよ』

『私達、長くこの世にいるから目が肥えているの』

『女の子だったら、断然私達をお勧めするんだけどねぇ』


 お祝いの品と聞いて、ただの人形のふりをやめたシャルロッテ、シャルロッタ、シャルロットが俄然張り切り出す。

 ぺちゃくちゃと喋りながら抱っこをせがんできた人形達を一纏めに抱えたものの、私はいまだ戸惑いを隠せなかった。

 髪に潜り込むのをやめた掌大の子竜のぬいぐるみーー小竜神と、思わず顔を見合わせる。

 すると、閣下が優しく目を細めて諭すように言った。


「あのね、パティ。覚えておいてほしい。私は、私の妻となったことで君に何一つ喜びを我慢させるつもりなんてないよ」

「閣下……」

「それに、パティの喜びは私の喜びでもある。一緒に、可愛い甥っ子ちゃんを思いっきり愛でにいこうじゃないか」

「……っ、はいっ!」


 閣下の言葉が嬉しくて嬉しくて、私は人形達をぎゅうと抱き締めると、小走りに扉へと向かう。

 そうして、扉を開ける前に閣下を振り返り、満面の笑みを浮かべて口を開いた。


「閣下、ありがとうございます!」


 とたん、閣下が「はうっ!」と鳴いたかと思ったら、再び両手で顔を覆って天を仰いだ。


「パティ……とおとい……っ! 守りたい、その笑顔っ!!」


 そんなこんなで、姉出産の知らせが届いたその日の最終汽車に乗り、私は一路王都へと向かうことになる。

 閣下と少佐と、それからロイと小竜神も一緒に。


 そうして、おおよそ半年振りに戻った生家は――




「えええええ……!?」




 またもや半壊していた。




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― 新着の感想 ―
[一言] ああ…またお兄様の仕事が…(笑)
[一言] いつものか
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