シャルベリ辺境伯夫人のお茶会
『絶対、これよ! この真っ白いワンピースで決まり! パトリシアの清楚な雰囲気にぴったりだわ!』
『あらぁ、こちらの花柄のプリントドレスも捨てがたいわ。きっと庭園の華やかさにだって負けないと思うの』
『えー、でもここは一つ、大人っぽさを出すために、こっちの細身の赤いスカートなんてどうかしら?』
赤、白、黄色。クリーム色から空色、柄物まで。
シャルベリ辺境伯邸の庭園を彩る花々みたいに色とりどりなのは、私のクローゼットから引っ張り出されて床いっぱいに広げられた衣装達だ。
閣下と結婚式を挙げてからそろそろ半月が経とうとしているこの日の午後。
シャルベリ辺境伯邸ではお茶会が開かれることとなった。
その際に私が着る衣装を選ぼうとして、さっきからあーだこーだと賑やかなのは、お馴染み閣下の三つ子のお姉様達――ではない。
お姉様達は私と閣下の結婚式の後、二日ほどシャルベリ辺境伯邸に滞在し、散々私達夫婦を冷やかしてから満足した様子でそれぞれの自宅に戻っていったのだ。
それでは、今私の目の前で三者三様の主張を繰り出しているのが、何ものなのかというと……
「おいこら、そこの人形ども。まるで姉達を前にしているようで精神衛生上よくないから口を噤んでいてくれないか」
うんざり顔の閣下の言う通り、なんとなんと、まるで生きているみたいに見える精巧な人形――ビスクドール三体だった。
ふんだんにフリルが使われたお揃いの衣装を纏い、大きさは子竜になった時の私くらい。
閣下やお姉様達のそれとよく似た艶やかな黒髪で、ふっくらとした頬はピンク色。
薄い唇に愛らしい微笑みを湛えた、全く同じ顔が三つ並んでいる。
竜に変化した姉や小竜神のように頭の中に直接響いてくる声は、少女のように愛らしいものだが……
『はぁあああ!? 口を噤めですって!? お姉様に向かって生意気言うんじゃないわよ、シャルロのくせに!』
『あらあら、やぁねぇ。あなたったら、パトリシアが私達ばかり相手にするものだから妬いているの?』
『それより、紅茶とお菓子はまだかしら? まったく、気の利かない弟ね。そんなんじゃ、パトリシアに愛想を尽かされてしまうわよ?』
「生意気なのはそちらだし、パティはお前達より断然私に懐いているし、人形に茶菓子を出す義理なんてないし――そもそも! お前達の弟になった覚えなんぞ、これっっっっぽっちもないっっっっ!!」
容赦なく畳み掛ける様はまさしく三人のお姉様を彷彿とさせ、閣下は盛大に苦虫を噛み潰したような顔になっていた。
彼女達は、閣下のお姉様達が幼い頃、シャルベリ辺境伯邸の倉庫から見つけ出してきて遊んでいたものらしい。いや正しくは、〝人形を使って閣下で遊んでいた〟のだとか……。
どういうわけか、閣下のことを弟認定してしまっていて、その言動は三つ子のお姉様達そのもの。
とはいえ、彼女達に付けられたシャルロッテ、シャルロッタ、シャルロットというのは、かつて雨乞いのために竜神に捧げられた二人目、三人目、四人目の生贄の名前だという。
そもそもは今から数百年前、四番目の生贄となったシャルロットの父親である当時のシャルベリ領主が娘を悼んで作らせた、非常に質の良い高価な代物らしい。
そのため、後の時代には借金の担保にされたことまであるそうだ。
それぞれの眼窩には嵌まっているガラス製の瞳は、竜神の鱗やその先祖返りであるエド君のそれみたいに虹色に輝いている。
そんな彼女達も、作られてからこれまでの数百年間、ただの人形でしかなかったのだ。
にもかかわらず、こうして閣下のお姉様達ばりに賑やかに自己主張を始めたのには、きっかけがあった。
『ねえ、パトリシア。お茶請けはもうテーブルに並んでる? チョコは? ある?』
「はい、一通りは。あっ、小竜神様の分のチョコは別に用意してありますので、お茶会のテーブルからは取っちゃだめですよ?」
私の頭の上に乗っかったまま、どこかウキウキとした様子で話し掛けてくるのは、このシャルベリ辺境伯領の守り神ともいうべき竜神――それを象った石像の化身である小竜神だ。その好物はチョコである。
基本的には本体が安置されている神殿からあまり離れられないのだが、エド君が持っていた首長竜のぬいぐるみアーシャに憑依して、はるばる王都まで出向いたのは記憶に新しい。
シャルロッテ、シャルロッタ、シャルロットが動き出したのは、そんな小竜神の言葉を竜神の眷属であるシャルベリ辺境伯家の人々が理解できるようになったのと時を同じくする。
そのことから、小竜神の存在が身近になったことが、人形達に何らかの影響を与えたのではないか、と考えられていた。
アーシャへの憑依をきっかけに、以降様々なものの身体を借りて行動範囲を広げている小竜神は、ここ最近では裁縫上手なお義母様――結婚を機に〝奥様〟から〝お義母様〟に呼び方を改めた――手製のピンクのぬいぐるみをもっぱら宿主としていた。
何を隠そうこの掌大のぬいぐるみ、子竜となった私の姿を模したものである。
私からするとちんちくりんな自分の姿を見せ付けられているようで、この状態の小竜神と接するのはたいそう複雑なものがある。
とはいえ、今日ばかりは卑屈になんてなっていられないのだ。
というのも、この日のお茶会は、新しくシャルベリ辺境伯夫人となった私の主催なのだから。
アレニウス王家の末席に連なる生家において、当主を務めた母や姉がお茶会を開くのを手伝ったことは何度もあるが、自分で主催するのはこれが初めてのこと。
茶葉選びからそれに合うお菓子の手配、テーブルを設置する場所から使う食器まで、お茶会の主催者にはありとあらゆる仕事があった。
茶葉は王都の姉から送ってもらった王家御用達のフルーツフレーバーティー。
紅茶にオレンジとブルーマロウ、マリーゴールドの花弁をブレンドした爽やかな香りの逸品である。
前シャルベリ辺境伯夫人であるお義母様に相談しつつ、お菓子はお茶のオレンジの風味によく合うチョコレートの他、数種のケーキを馴染みのメイデン焼き菓子店に頼んで用意したし、厨房を借りて自分でスコーンとクッキーも焼いているところだ。
テーブルも、薔薇の生垣を行った先――この時期、最も花が見頃な池の畔の東屋に設置してもらっている。
残るは、すっかり後回しになっていた自分の装いを整えるだけなのだが……
『だーかーらー! 白にしとけば間違いないんだってばー!』
『あらぁ、最初から無難なものに逃げていては、程度が知れますわよ?』
『絶っっっ対、赤がいいわ! 情熱的な赤でマダム達に鮮烈な第一印象を与えるのよ!』
「白? 花柄? 赤? ――うう、選べない! パティには全部似合ってしまうに決まっているじゃないか!!」
『『『シャルロは黙ってて!!』』』
「解せん」
私室のクローゼットを開いたとたんに押しかけてきたのは、各々主張を譲る気のない人形達。
残念ながら、私の全部を肯定してしまう閣下の意見もあまり参考にならない。
頼みの綱だったお義母様は、予定よりも随分早く訪ねてきた招待客――シャルベリ辺境伯領中央郵便局長の奥様の相手をしてくれているため、相談に伺うことも憚られた。
そうこうしている間にも、刻一刻とお茶会の時間が迫ってくる。
いい加減に衣装を決めてしまわなければ、と焦りを覚えた私は、とっさに目に入ったものを手に取った。
優しいクリーム色で、襟と袖口だけ白い生地で切り替えられた上品なワンピースだ。
「パティ、それに決めたのかい?」
「あ、はい……姉が、私に似合うと言って持たせてくれたものなので……」
生まれた時からずっと一緒にいた姉が言うんだから、きっと間違いないだろう。
そう思いながらも、私はワンピースを身体に当てて、どうでしょうか、と閣下を見上げた。
「どうもこうも。生憎私は、パティに関しては称賛の言葉以外持ち合わせていないんだが? 長くなるけど、聞くかい!?」
「あ、ありがとうございます。大丈夫です」
一方、それぞれの勧める衣装が選ばれなかったことに、人形達は不満を隠し切れない様子だったが……
「パティが自分で決めたことだぞ。文句があるというなら、私が代わりに聞こう」
そう言って庇ってくれた、真っ黒い軍服に包まれた閣下の背中が頼もしい。
早くその隣に並ぶに相応しい人間になりたい、と私が決意を新たにした時だった。
バーン、といきなり扉が押し開かれたのだ。
かと思ったら、フサフサの尻尾をフリフリしながら、黒い長毛種の犬が部屋の中に飛び込んでくる。
ロイだ。
さらに、その飼い主が続いた。
「あー! 閣下! 見付けた! やっぱりここにいたっ!!」
「は? モリス!? お前、上司の奥さんの私室に断りもなく上がり込むとはいったいどういう了見だ!」
「閣下こそ! 決済期限ギリギリの書類放り出してトンズラするとは、いったいどういう了見なんですかっ!!」
「ん……? 決済期限ギリギリの書類? ふむ、そんなものあったかなぁ?」
とぼける閣下に、少佐の顔面が凄まじいことになる。
私は足もとに擦り寄ってきたロイの頭をビクビク撫でながら、慌てて口を開いた。
「しょ、少佐、ごめんなさい! 私がもたもたして閣下を引き留めてしまっていたから……」
「いえいえ、パトリシア様は気に病まないでください! 悪いのはぜーんぶ閣下なんですから! それより、不躾にもお部屋にお邪魔してしまって申し訳ありませんね。無礼ついでに、ここでこのまま閣下働かせまくってもいいですか? 何ぶん、一刻を争いますので!!」
「は、はい。もちろん……」
「わーい、ありがとうございますー! さー、閣下ー!! とっとと書類に目を通して手を動かしてくださいってんですよオラオラオラオラ!!」
「モリス、お前最近柄が悪いぞ」
そんなこんなで、私は荒ぶる少佐に首根っこを掴まれた閣下に後ろ髪を引かれつつも隣の衣装部屋で着替え、頑張って! と送り出してくれた人形達に手を振ってから庭園へと急いだ。
目指すのは、薔薇の生垣で囲まれた小道の先。
招待客が家令に案内されてくる前に、テーブルの最終確認をしなければならない。
今日集まるのは、すでに到着している郵便局長夫人をはじめ、もともとお義母様とは古い付き合いの気心の知れた相手ばかりである。
私も全員と面識があり、どの方も穏やかで優しいご婦人ばかりと承知しているのだが……
『パトリシア、随分と緊張しているんだね』
「だって、小竜神様……閣下の奥さんとして、初めての仕事ですもの」
頭の上に乗っかったまま付いてきた小竜神の言葉に、私はぐっと両手を握り締める。
「――閣下の顔に泥を塗らないように、ちゃんとしなくちゃ」
自分に言い聞かせるように続けた、まさにその時だった。
「わふんっ!!」
「ひえっ!?」
突然、薔薇の生垣の中から現れた何かが、私目がけて飛びかかってきたのだ。
いや正しくは、頭の上にいた子竜のぬいぐるみを目がけてだったようだが、少々飛距離が足りず、結局私と額同士をごっつんこする羽目に。
その黒々とした円らな瞳には、ポカンとした私の間抜け面が映り込んでいた。
飛びかかられた勢いのまま、私は薔薇の生垣を掠めて地面へと倒れ込む。
そんな私を下敷きにした犯人は、口の回りから目にかけては黒、それ以外は赤褐色の毛むくじゃら――犬だった。
しかも、びっくりするほどに大きな子犬である。
いや、〝大きい〟と〝子犬〟は何だか矛盾しているようだが、実際あどけない顔付きにもかかわらず、その体は成犬であるロイよりも大きいくらいだったのだ。
おそらく超大型の犬種なのだろう。
驚きのあまり、いやに冷静にそんなことを考えていた時だった。
子犬のピンク色の舌が、ペロンと私の鼻先を舐めたのは――
「ひうっ……」
私の胸の奥で、心臓がピョーンと跳ねた。
ドクッ! ドクッ! ドクッ! と鼓動が異常なほど激しくなる。
強烈な勢いで心臓から吐き出された血液が、凄まじい速さで血管の中を駆け巡った。
全身に張り巡らされたありとあらゆる毛細血管の先端にまで、古来より受け継いだメテオリット家の血が行き届く。
後は言わずもがな。
「こらっ! 勝手に走っていっちゃだめだろう!」
やがて息急き切ってやってきたのは、若いシャルベル辺境伯軍の軍人だった。
「ほら、行くよ。お前の飼い主になる中尉殿がお待ちかねだ……って、うわ、重!!」
若い軍人は大きな子犬をどっこらしょっと抱え上げると、シャルベリ辺境伯邸の向こうにある軍の施設の方へと歩いていってしまう。
その場に残されたのは、無惨にも散った薔薇の花弁と……
「ぴい……」
『ああ……パトリシア……』
クリーム色のワンピースに埋もれたちんちくりんの子竜だった。
その周りを子竜のぬいぐるみに憑依した小竜神が、おろおろぐるぐる、走り回る。
私はしばし呆然と自分の身体を見下ろしていた。
ところが、先祖の竜譲りの聡い耳が近付いてくる足音を捉えたことにより、はっと我に返る。
同時に、私はさあっと音を立てて全身から血の気が引くのを感じた。
この小道の先にあるのは本日のお茶会の会場である。きっと、時間よりも早く到着した招待客が向かっているのだろう。
けれどもこんな子竜の姿では、客人をもてなすどころではない。
しかもである。
子犬に押し倒された拍子に薔薇の生垣でひっかけてしまったのか、せっかく選んだワンピースまで袖口の縫製が大きく解れてしまっていた。
乱れた衣装とちんちくりんの子竜では、お茶会の主催はもとより、客人の前に出ることさえできない。
(どうして、上手くいかないんだろう……私はやっぱり、いつまで経っても落ちこぼれのままなのかな……)
大事な時に限って子竜になってしまう自分が情けなくて、悔しくて。
閣下と出会ってから少しずつ薄れていたはずの卑屈な心が、ぐんと大きく頭を擡げてくる。
目の前の光景がじわりと滲んだ。
『パ、パトリシア……』
おろおろする小竜神に、大丈夫、と強がることさえできず、私はどんどんと俯いていく。
パタパタと零れた涙が、姉の選んでくれたクリーム色のワンピースに吸い込まれた――その時だった。
「――パティ!!」
すぐそこまで近付いていた足音に混じって、私を呼ぶ慕わしい声が響いた。
弾かれたように顔を上げた子竜のまん丸の瞳に映ったのは、土煙を上げる勢いで走ってくる閣下の姿。
私は両手で涙を拭うと、一心不乱にその腕の中に飛び込んだ。
「ぴい! ぴいいっ!!」
「おーよちよち、びっくりしたね! いや、こっそりベランダから見守るだけのつもりだったんだけどね。生垣ぶち破って一直線に君に向かって走る犬を見付けてしまったものだから、居ても立ってもいられなくなってね」
「ぴいいい……?」
「ああ、大丈夫、大丈夫。モリスが持ってきた書類ならちゃんと捌いたよ。私はやればできる男なんだ」
招待客のものだと思っていたのは、私の危機にいち早く気付いて駆け付けてくれた閣下の足音だった。
閣下はべそべそ泣く私の顔を大きな掌で拭うと、軍服の上着を脱いで包んでくれる。
そうして生垣の陰に隠れ、子竜の唇にちゅっと優しくキスをした。
「閣下、わたしっ……」
おかげで私は人間の姿に戻ることはできたものの、衣装を台無しにしてしまって、今から私室に戻って着替えていては招待客を待たせてしまうことになるだろう。
不甲斐無い自分に、またもや目の前が滲んでしまう。
ところが、そんな私の頭を右手でポンポンと撫でた閣下が、こんなこともあろうかと、と笑って左腕を指し示した。
そこにあったのは、綺麗な空色の――閣下の瞳の色のワンピース。
さっき、人形達が床に広げた中にあったうちの一着だ。
両目をぱちくりさせる私に、閣下は少々照れくさそうに続けた。
「パティにはどんな色のどんな衣装でも似合うと思っているのは本当だけどね。願わくは私の色を纏ってもらいたいというのが本音だったんだ。パティ自身の意見を尊重したくて、さっきは引いたけど……」
「閣下……」
「思い掛けず好機が巡ってきたね。今日は、私の選んだ衣装を着てくれるかい?」
「……っ、はい!」
ワンピースの後ろのリボンは、閣下が丁寧に結んでくれた。
少し乱れた髪を優しく手櫛で整え、目尻に滲んでいた涙をそっと親指で拭ってくれた彼が、ほう、と一つため息を吐く。
「ああ、可愛いなぁ……よく似合っているよ、私のパティ」
そう、しみじみと呟いて、ワンピースと同じ色の両目を細める閣下を見ていると、私の中にみるみると誇らしい気持ちが湧いてきて、卑屈な気持ちの頭をぐっと押さえ込んでくれた。
閣下の肩の上では、うんうん、と小竜神も満足そうに頷いている。
さっきのクリーム色のワンピースに決めた時は、姉が選んでくれた衣装だから自分に一番似合うだろうと思っていた。
けれどもそれは、以前の私――パトリシア・メテオリットの話。
大きくて美しい姉の翼の下から抜け出して、自分のちっちゃな翼で必死にシャルベリ辺境伯領まで――閣下のもとまで飛んできたちんちくりんの私は、パトリシア・シャルベリとなったのだ。
そう思うと、さっきまで着ていた衣装よりも、閣下が着せてくれたこの空色のワンピースの方がずっとしっくりくるような気がした。
「――おや、一番客だ。パティ、大丈夫かい?」
「は、はい」
そうこうしているうちに、邸宅の方からお義母様とその車椅子を押す郵便局長夫人がやってくるのが見えた。
再び緊張に固まる私を、軍服の上着を羽織り直した閣下が一度ぎゅっと抱き締めてくれる。
「大丈夫、自信を持ちなさい。パティが今日の客達をもてなすために奮闘していた姿は、私も、父も母も、その他この家で働いてくれている皆も、ちゃんと見ていたよ」
「でも、もし……肝心のお茶会でちゃんと振る舞えなかったら……」
それまでの努力なんて、結局は無意味なのではないか。
そう言いかけた私の唇に、閣下は長い人差し指をすっと当てて言葉を遮った。
「一流の人間というのは、テーブルに並んだものを見ただけで、そこにどれほどの心配りがなされているのか感じ取れるものだよ。そして、今日のご婦人達は、母お墨付きの一流の方々ばかりだ」
「私……ちゃんと、皆様を楽しませることができるでしょうか……」
「できるさ。けれど、そのためにはパティも楽しまなければいけないよ?」
「私も、ですか?」
きょとんとする私の髪を両手でもう一度整えた閣下が、顔を上げて小道の向こうを見る。
どうやら、お義母様と郵便局長夫人もこちらの存在に気付いたらしい。
慌てて彼女達に向かって会釈をする私の頭上に、それにしても、と閣下のため息混じりの声が落ちてきた。
「パティの手作りお菓子でもてなされるなんて、羨ましい限りだね。どうして、私は今日のお茶会に招待してもらえなかったんだ」
「それは、あの……今日は女性ばかりをお呼びしたので」
「ドレスを着れば参加できるとかでは?」
「えっと、そういうのはない……です。ごめんなさい」
思わず閣下がドレスを纏っている姿を想像し、吹き出してしまいそうになった私は、慌てて話題を変える。
「お菓子でしたら、閣下の分もちゃんと焼いていますよ。この後、執務室に届けてもらえるよう厨房の方にお願いしてありますから、お仕事の合間に少佐と召し上がってくださいね」
「それは楽しみだ。モリスに分けてやらないといけないのが、少々納得いかないが」
「ふふ、そうおっしゃらずに仲良く食べてください。私も閣下がおっしゃるように、お義母様やお客様と一緒にお茶の時間を楽しんできますので」
「そうか。それじゃあ、今日は寂しく野郎同士でお茶にするとしようか。小竜神様も一緒にどうですか? チョコもありますよ」
『チョコがあるなら行く』
相変わらずチョコに目がない小竜神が、閣下の肩から頭の上へといそいそと移動した。
それを見て、私は閣下と顔を見合わせて笑う。
おかげですっかり緊張は解れ、代わりにうきうきとした気持ちが私の胸いっぱいに広がっていった。
シャルベリ辺境伯夫人として、私が満足な振る舞いをできたかどうかは分からない。
けれども、お義母様も郵便局長夫人も、その後続々とやってきた客人も、我が子に対するような優しい目で私を見守り、最初から最後まで笑顔で過ごしてくれた。
閣下やシャルベリ辺境伯領の方々の優しさに包まれて、私はこの日、シャルベリ辺境伯夫人として小さいながらも一歩、踏み出したのである。




