28話 結婚式の始まり
「絶対、これでしょ。この淡いミント色のドレスで決まりよ。パティちゃんの清楚な雰囲気にぴったりだわ」
「でも、レモン色だって捨てがたいわよ。こっちの方が断然パティちゃんの髪の色に合うと思うの」
「えー、でもでも、意外性をついてこっちの黒いドレスなんてどうかしら。大人っぽくてドキドキしない?」
床いっぱいにドレスを広げてあーだこーだと賑やかなのは、お馴染み閣下の三つ子のお姉様、カミラ様、イザベラ様、レイラ様だ。
私が結婚式のお色直しで着替えるドレスを選んでくれるのはいい。
ただ、問題なのは――
「あの、お姉様方……もうすぐ出発しないと、お式の始まる時間に間に合わないんですけど……」
私と閣下の婚約、新国王陛下の戴冠式、シャルベリ辺境伯位の譲位と立て続けに行われてから、一ヶ月。
この日、ついに私と閣下の結婚式が行われる。
ちなみに、お姉様方はすでに三日前からシャルベリ辺境伯邸に子連れで集結していて、結婚式の段取りにも散々口を出していた。
結婚式が行われるのはシャルベリ辺境伯領に一つだけある聖堂で、現在私達がいるシャルベリ辺境伯邸からは馬車に乗って移動する。
聖堂の控え室で花嫁衣装に着替える予定の私は、一足先に衣装とともに出発することになっていたのだ。
それなのに、いざ衣装を積み込む段階になって、急にお姉様方がドレスを選び直し始めてしまった。
「「「ムリムリムリムリ! 全然時間が足りないわ! 最低でもあと一時間は悩ませてちょーだいっ!!」」」
「えええ……」
「「「だって、せっかくの結婚式ですもの! 妥協なんてしたくないわっ!!」」」
「で、でも……」
一文一句違わない三重奏には、何度相手にしてもたじたじとしてしまう。
そんな私を庇うように、閣下が口を開いたのだが――
「姉さん達、いい加減にしてくれないか。妥協も何も、そもそもあなた達の結婚式じゃないだろうが」
これが、いけなかった。
「はぁあああ? そんなの分かってるわよ! 何、分かり切ったこと言ってんのよ!?」
「私達のためじゃなく、パティちゃんのために、妥協したくないって言ってるのよ?」
「やっぱりあの時、ああしていればよかった、こうしていればよかったって、後悔しないようにね!」
「「「私達みたいに!」」」
つまり、お姉様方は三人が三人とも、それぞれの結婚式を振り返ると不満や後悔があるということだ。
そのため、三重奏でまくしたてられた閣下本人だけではなく、結婚式に参列するために前日入りをしていた彼女達の夫にまでとばっちりが行って、全員仲良く胃の辺りを押さえて黙り込んだ。
そんな中、ガタッと椅子を引く音が響く。
「――最低でも一時間、式の開始を延ばそう」
椅子から立ち上がってそう言い放ったのは、私の姉マチルダだった。
妊娠四ヶ月が過ぎて、少しお腹が膨らんで妊婦らしくなってきた姉は、これまでのような軍服の正装ではなくゆったりとしたドレスを着ている。上品なワインレッドが、艶やかな黒髪によく似合っていた。
とはいえ、ドレスを着ていようと軍服着ていようと、姉は姉だ。
閣下のお姉様方の提案に賛成なのか、独断で受け入れようとする。
「もう、お姉ちゃんまで! だめだよ、参列者の方々にも都合があるのに!」
「だって! 今日は、私の可愛い可愛いかわいーいパティの結婚式なのよ? 最も優先されるべきはパティでしょう!? 他の連中の都合なんて知ったことじゃないわっ!!」
「「「そうよそうよー」」」
姉の暴論にお姉様方が諸手を挙げて賛同する。
この無敵と無敵の結託に対抗するにはどうすればいいか。
私は頭を捻った末、この場で最も地位の高い人物を縋るように見た。
「兄様……」
「そんな目で見ないでおくれ、パティ。お兄ちゃんだって、できることなら止めてあげたいけれど、マチルダが言い出したら聞かないのは君も知っているだろう? 何なら、私から参列者に謝っておくよ」
王国軍参謀長にして、新国王陛下の弟であるリアム殿下――兄様でもお手上げならば、万事休す。
姉を加えて再開したドレスの選び直しを眺めて、私は諦めたようなため息を吐いた。
すると……
「おかあさんも、おばさんたちも、パティちゃんのおねえさんも、パティちゃんを困らせちゃだめでしょう? 今日は、パティちゃんのけっこんしきなんだよ?」
突如あどけない声が、そう鋭く最強姉連合に切り込んだ。
声の主は、オルコット家の一人息子エド君こと、エドワード・オルコット。
両手を腰に当て、栗色の眉をキリッとさせたエド君は、ぽかんとして顔を上げた母と叔母達と私の姉を見回して続けた。
「それから、おじかんときまりごとはちゃんと守りましょう。――おとなでしょう?」
「「「はあい、申し訳ありませんでしたぁ!!」」」
「――くっ、正論!」
五歳児からのお説教に、お姉様方は平伏し、私の姉は大人げなく悔しそうな顔をした。
結局、ドレスを選び直そうという話は白紙に戻ったが、所狭しと広げられた色とりどりのそれを見ていると、このまま片付けてしまうのが少しだけ惜しくなる。
さりとて、この中から今すぐ自分に似合うものを選べ出せるとも思えなかった私は、エド君に話を振ってみた。
「ねえ、エド君。エド君だったら、どのお色がいいと思う?」
「ぼく? ぼくはねぇ、えっとねぇ……この色!」
「わあ、きれい。お空の色だね?」
「うん、それと、シャルロおじさんのおめめの色だもの。ぜったい一番、パティちゃんににあうよ!」
とたんに、閣下が両手で顔を覆って天を仰いだ。
「この子は! 天使かっ!!」
*******
私と閣下の結婚式は、時間通りに粛々と始まった。
王都の大聖堂ほどではないが、シャルベリ辺境伯領唯一の聖堂も随分と立派な作りになっている。
そんな中で決定的に違う点は、前者の装飾で象られていたのがメテオリットの竜であったのに対し、後者のそれは竜神がモチーフになっていることだ。
開け放たれた天窓の向こうには、雲一つない青空が見えた。
この日、私達の結婚式を進行するのは、シャルベリ辺境伯領に常駐する司祭ではなく、そのずっと上の上司に当たる人物。一月前に、新たな国王の頭に冠を載せる役目も務めた司祭の頂点、大司祭だった。
メテオリット家との誼みに加え、閣下が息子の妻の弟であるという縁から、直々に申し出てくれたらしい。
その大司祭と閣下が待つ祭壇まで、私は父に手を引かれて歩いていく。
思えば、姉が家督を継いで以降、南部の別荘地で悠悠自適の隠居生活を送っている両親と顔を合わせるのは、随分と久しぶりだ。
我が家では母や姉の尻に敷かれまくって存在感の薄かった父だが、さすがはメテオリットの竜の先祖返りを嫁にしただけあって胆は据わっている。ガチガチに緊張する私を、堂々とエスコートしてくれた。
反対に、最前列に陣取った母と姉の顔面は、私が入場してきただけですでに涙で大洪水を起こしていた。
それに苦笑いを浮かべる兄様と大爆笑している仲人役の叔父、呆れ顔の長兄と次兄、私の手を閣下に引き渡した父を加えたメテオリット家が祭壇に向かって左側に並ぶ。
一方、右側のシャルベリ家の最前列には旦那様と奥様が座り、二列目には閣下の弟のロイ様とその恋人アミィさん、その後ろにオルコット家、クラーク家、ウィルソン家と続いていた。
エド君は両親に挟まれて座っている。
父親のセオドア様は、三代前の脱税に関して無罪放免となったばかりか、琥珀の森林を献上したことで新国王陛下からの覚えもめでたいと地元での評判が上がったらしい。
閣下に手を引かれて祭壇の前に立とうとした私は、ふいにエド君――ではなく、その膝に抱かれた存在と目が合った。
「あっ……」
首長竜のぬいぐるみアーシャが、短い前足をそろりと振って私に合図をする。
ボタンでできた瞳は、心無しかキラキラと輝いて見えた。
もちろん、ただのぬいぐるみが自分で動くはずがない。
「閣下、小竜神様が……」
「うん、パティにご執心の様子だったから、きっと列席なさると思っていたよ」
聖堂は貯水湖から少し離れている。
そのため、小竜神はまたもやアーシャに憑依してエド君についてきたのだろう。
思わず顔を見合わせる私と閣下を、大司祭の優しい声が誘う。
「新郎新婦、前へ」
参列席から注がれる温かな視線を背中に感じつつ、いよいよ結婚式が始まる。
そう思った刹那のことだ。
バンッ! と大きな音を立てて、聖堂の入り口扉が開いた。
「その結婚、お待ちになって――!!」
その声に、ぱっと後ろを振り返った私は愕然とする。
息を切らしてそこに立っていたのが、思いがけない――いや、忌憚なく言えば二度と会いたくなかった相手。
ミリア・ドゥリトルだったからだ。




