24話 可愛いの凝集
「ひとまず、馬車に乗りたまえ、シャルベリ辺境伯軍司令官。中で――この状態のパトリシアが人目に付かない場所で話そうじゃないか」
「御意にございます――王国軍大将閣下」
私を片手で押さえ込んだまま閣下に向かって顎をしゃくって見せた白い軍服の人物は、アレニウス王国軍大将ライツ・アレニウス。
新国王陛下の弟であり、私の姉マチルダにとっては義理の兄に当たる人物だ。
王族であるため、当然メテオリット家の秘密――自分が今まさに片手で押さえ込んでいるちんちくりんの子竜が、パトリシア・メテオリットだということも承知していた。
ライツ殿下は折り重なって気を失っている二人の役人を馬車の外に蹴り出すと、空いた座席にドスンと腰を下ろす。
役人達と入れ代わるように馬車の中に乗り込んだ閣下はその向かいに腰を下ろし、おろおろするエド君も隣に座らせた。
私はというと、いまだにライツ殿下に猫の子みたいに首根っ子を掴まれている。
閣下が来てくれたことでひとまず抵抗をやめていたが、ライツ殿下が再びエド君に目を向けたことではっとした。
「さきほど本人とパトリシアにも言ったが、その子供の身柄は王国軍が確保す――いって!」
「みいいっ!!」
「パトリシアッ! いててっ……こら、噛むなっ!!」
「ぴみいいっ!!」
必死に身を捩って、ガブリッと自分を掴んだ白い軍服の腕に噛み付く。
私から手を離したライツ殿下が、食い込んだ牙を外そうと腕を振った。
その拍子に吹っ飛んだ子竜の身体を、すかさず閣下が受け止めてくれる。
閣下は私とエド君を膝の上に抱えるようにして腕の中に閉じ込めると、向かいで軍服の乱れを直したライツ殿下をすっと見据えた。
「恐れながら、どういう理由でエドワードを確保しようとなさるのか、お聞かせ願えますでしょうか?」
「オルコット家にて過去巨額の脱税が行われていた容疑が固まった。よって、一族全員が捜査対象となる。子供といえども、例外ではない」
ライツ殿下の厳しい言葉に、エド君が不安そうな顔をする。
オルコット家にまつわる事件については寝耳に水の閣下は、驚きつつもエド君の背中を宥めるように撫でた。
「脱税容疑……一族全員ということは、この子の両親の身柄も確保なさっているということでしょうか?」
「セオドア・オルコットとカミラ・オルコットについても、現在王国軍で事情を聞いているところだ。その他の親族もな。ところで、一家の護送を命じていた部下から、オルコット家が何者かに荒らされた形跡があるとの報告があったが……」
役人達はエド君の父親が行方を眩ましたと言っていたが、王国軍に確保されていたらしい。彼と話し合うために単身オルコット家に戻ったカミラ様も一緒のようだ。
父親がエド君を捨てて一人で逃げた、なんていう役人達の言葉は嘘だった。
それにほっとしつつも、私とエド君は顔を見合わせる。
ライツ殿下に問われた、オルコット家が荒らされた理由に心当たりがあったからだ。
「ぴいっ! ぴいぴい!」
「パトリシア、ぴいぴいじゃ分からんぞ。エドワード・オルコット、何か知っているのか?」
「この馬車の人たちが、琥珀をさがしていたって。ぼくのうちの家宝だって言って」
「なるほど。屋敷の中を引っくり返しても見付けられなかったから、こうしてお前達を攫ったというわけか」
ここで、役人達が探し求めていたであろう琥珀――〝竜の心臓〟とともに、首長竜のぬいぐるみアーシャを落としてきてしまったことを思い出し、たちまちエド君の虹色の瞳に涙の幕が張る。
ところが、それはすぐに引っ込むことになった。
『泣くことはないよ、エドワード。アーシャはここにいる』
「――アーシャ!!」
ひょいっ、と突然閣下の上着の中から現れたのは、リュックに詰め込まれた子竜の代わりに道に落とされたアーシャだった。
しかし、ただのぬいぐるみでしかないはずのそれが、自分で動いて言葉を発するということは……
『こ、小竜神様!?』
『ごきげんよう、パトリシア。無事でよかった』
アーシャにはシャルベリ辺境伯領の竜神――その石像の化身である小竜神が憑依して王都まで付いてきていたらしい。
シャルベリ辺境伯領を発って二日余り、そんな素振りも見せなかったというのに。
とはいえ、私とエド君は素直に再会を喜んだ。
「何という、可愛いの凝集……」
膝の上でぎゅっと抱き合う私とエド君とアーシャに憑依した小竜神に、閣下が一気に顔を綻ばせる。
アーシャを裏通りで拾ったのは、なんと私の次兄だったという。
この時期、たまたま王都から離れた町で仕事をしていた建築家の次兄は、予定より少々遅れつつも私と閣下に会いに王都に戻ってきたところだった。
大聖堂の方向から歩いてきていた彼は、エド君が馬車に押し込まれる現場を目撃。その時点では私が事件に関係しているとは知らなかったが、その場に残されたロイが匂いでメテオリット家の人間であると気付いたのだろう。
ロイはアーシャを咥えて次兄に突撃し、同じく私の縁者と気付いた小竜神が正体を明かして助けを求めた、というわけである。
アーシャに憑依することで、シャルベリ辺境伯領の竜神の眷属以外の者にも認識できるようになっていたのが幸いした。
とはいえ、アーシャとも小竜神とも完全に初対面の次兄は、さぞ驚いたことだろう。
それは、今まさに感動の再会の場に居合わせているライツ殿下にも言えることだった。
「何だそれは……珍妙な生き物には、パトリシアで見慣れたと思っていたが……」
「ぴっ!」
「恐れながら、殿下。パティは珍妙ではなく希有なのです。こんな愛らしい子、他にどこを探してもおりませんでしょう?」
「ああ、怒るな怒るな、パトリシア。シャルベリ辺境伯軍司令官がそれに惚れ込んでいるのも分かったから。まったく……調子が狂うな」
ライツ殿下は苦笑いを浮かべると、種明かしと称してようやく事の次第を話し始めた。
「セオドア・オルコットは、三代前の隠し帳簿を探し出し、全てを携えて王国軍に出頭したんだ。カミラ・オルコットとともに、俺の直属の部下であるウィルソン中尉を通してな。中尉の妻は、カミラの妹だ。悪徳役人に当たって役人が信用できなかったから身内を頼ったのだろう」
「それでは、セオドア殿ご自身は役人と共謀して脱税を隠そうとしたわけではないのですね?」
「ああ、あれは賢明な男だ。一度でも役人の要求を飲んでしまえば、さらにそれをネタにゆすられると分かっていたのだろう。連中の手が家族に及ぶのを恐れ、琥珀の権利を手放しても構わないから、どうか妻子を保護してくれと懇願してな」
「そうでございましたか……」
エド君の両親であるセオドア様とカミラ様は、悪徳役人に見つからないよう列車ではなく馬車を使って王都を目指し、新国王陛下誕生に沸く人々の喧騒に紛れて王国軍の施設に駆け込んだ――それが一昨日の朝、つまり私達が王都に到着する少し前の話だ。
ライツ殿下がすぐさま箝口令を布いたため、ウィルソン中尉の妻であるイザベラ様や、昨日エド君を預かったレイラ様だって、カミラ様が王都にいることさえ知らなかった。
セオドア様とカミラ様は、現在王国軍に保護されて無事だという。
つまり、そもそもライツ殿下率いる王国軍は、エド君を捕まえにきたのではなく保護しにきたのだ。
そうとは知らず、頭突きをしたり噛み付いたりしてしまった自分に、私は今更ながら血の気が引く思いだった。
しかしながら、疑問も残る。
額が大きいとはいえ、脱税くらいの事件でわざわざ王国軍大将が先陣を切るだろうか。
そんな思いが私達の顔に浮かんでいたのだろう。ライツ殿下は肩を竦めてその理由を説明してくれた。
「不正を正すはずの役人がさらなる不正を働こうとした事実に、兄上――陛下がたいそうご立腹でな。しかも相手は、ミゲルが前回迷惑をかけまくったシャルベリ辺境伯家の縁者ときた。とにかく、迅速かつ徹底的に問題を解決せよとの仰せだったため、俺が直々に拝命したというわけだが……」
そこで、ふいに言葉を切ったライツ殿下だったが、どういうわけかニヤリと笑って続けた。
「まあ、おかげでこうして、パトリシアの竜の姿を見られたのだからよしとしよう」
「ぴ……?」
「翼が戻ったという話だったから、この目で確かめてみたいと思っていたが……まさか、こんなに早く機会が巡ってくるとはな」
「ぴい!?」
急に機嫌がよくなったかと思ったら、私の両脇の下に手を入れて、閣下の膝の上から持ち上げてしまった。
そうして、幼い子供にするみたいに高い高いをしながら、満面の笑みを浮かべて言う。
「いいなあ、パトリシア。マチルダみたいに物騒なのはご免だが、お前くらいのお転婆ならちょうどいい。さっきの頭突きはなかなか効いたぞ? どうだ、婚約なんざ破棄して俺の所に来ないか? 毎日退屈させないぞ?」
「ぴゃあっ!?」
とんでもないことを言い出した相手に、私は両目を剥いた。
そんな私を、閣下は早々に奪い返して軍服の上着の中に隠してしまう。
「恐れながら。いかに殿下とはいえ、彼女だけはお譲りできません」
すると、ライツ殿下は自分の膝の上に肘を付いて顎を載せ、下から閣下を見上げるようにして意地の悪い笑みを向けた。
「そうは言うがな、シャルベリ辺境伯軍司令官。あんた、随分面倒な女に粘着されて、今朝もパトリシアに嫌な思いをさせたそうじゃないか?」
「は……」
「それを、あのマチルダが許すとは思えんがな? 今頃、あんたとの婚約を許したのは早計だったと、リアムと一緒になって撤回の算段をしているかもしれないぞ?」
「……」
ライツ殿下の言葉に、閣下は痛いところを突かれたようにぐっと口を噤む。
その気配を彼の軍服の上着の中で感じた私は、堪らなく不安になった。
ところが、次に閣下が口を開いたとたん――形勢は逆転する。
「なるほど。殿下は確か、諜報活動を専門とする直属の部隊をお持ちでしたね」
「……ん?」
「その部隊の人間がメテオリット家の中にもいる――そういうわけでいらっしゃいますね?」
「……おっと?」
つまり、ライツ殿下がメテオリット家に間者を潜ませている、と閣下は言っているのだ。
面倒な女——ミリアの突撃を受けた今朝のメテオリット家の騒ぎを知っているということは、確かにその可能性は高い。
王家の末席に連なり、かつ王国軍の参謀長を務める実の弟が住まう家にまで密偵を送り込まねばならないなんて――新政権が置かれた殺伐とした状況をありありと感じずにはいられなかった。
けれども、閣下はそれを利用するつもりらしい。
「ところで、殿下? マチルダ様は、このことをご存知なのでしょうか?」
「……しまった、墓穴を掘ったな。俺が間者を送り込んでいること、マチルダには内緒にしてくれよ。あいつは沸点が低いからな。バレたら、食い殺されてしまう」
「ええ、殿下がパティを諦めてくださるのでしたら、ご随意にいたしましょう」
「へえ? この俺を脅そうっていうのかい?」
不穏な会話に居ても立っても居られず、私は閣下の上着の中からもぞもぞと顔を出した。
そんな私の頭を、この場の雰囲気に似つかわしくないほどゆったりとした手付きで撫でながら、閣下はきっぱりと言い放つ。
「無礼は承知しております。ですが、殿下が権力を振り翳して彼女を――私のパティを奪おうとなさるのでしたら、それを阻止するためにあなた様を陥れるのも辞さない覚悟でございます」
何があっても私を手放さない――そう言外に宣言した閣下の言葉に胸が熱くなる一方で、王弟及び王国軍大将に対する不敬極まりない台詞に血の気が引く。
赤くなったり青くなったり、忙しい私の顔色をライツ殿下はしばらくじっと眺めていたが……
「あー、よせよせ、よしてくれ。マチルダに関しては洒落にならん」
そう言って、降参とばかりに両手を上げた。
その背後の窓の向こうでは、馬車を御していた役人が拘束され、御者台には灰色の軍服を着た軍人が座った。
ライツ殿下が外へ蹴り出した二人の役人も、叩き起こされて連行されるようだ。
「それでは、パティのことはきっぱり諦めてくださるということでよろしいですね?」
「俺のところにきたら、パトリシアを退屈させないんだがなぁ」
念を押す閣下に、ライツ殿下はとぼけた調子で冗談なのか本気なのか分からないことを言う。
それに、閣下はついに業を煮やしたようだ。
「――僭越ながら!」
いきなり軍服の上着を脱いだかと思うと、私の子竜の身体を包み込む。
そして、ぐっと顔を近づけてきたと思ったら、次の瞬間――
「ぴっ!?」
柔らかなものが私の口の先に触れた。
すぐ目の前の閣下の瞳に映った子竜のびっくり顔が、人間の私のそれと掏り替わる。
ライツ殿下とエド君がぎょっとしているのを気配で感じた。
そんな中で、閣下だけは一人落ち着いて、むしろ楽しそうに言う。
「私だって、毎日退屈なんてさせていませんよ。――そうだよね、パティ?」
「――そっ、そうっ! ですっ! ねっ!!」
私は、真っ赤な顔してやけくそになって叫んでいた。
そんな私と、ぽかんとした表情のライツ殿下とエド君。
ぬいぐるみに憑依したまま傍観する小竜神。
そして、一人上機嫌な閣下。
一同を乗せて、馬車は再び走り出した。




