23話 竜の心臓
大聖堂の敷地内には、大司祭を始めとする高位の司祭が屋敷を構えており、その広さは王城にも匹敵すると言われている。
そのため、隣接しているといっても、メテオリット家の門から大聖堂の門までは随分と距離があった。
メテオリット家も大聖堂も表の大通りに正門を向けている。
一方、裏門から出た私とエド君とロイは、そのまま裏通りを通って大聖堂の裏門を目指していた。
ようやく戴冠式を終え、昨日までの賑わいが嘘のように、王都はひっそりと静まり返っている。
あちこちで睨みを利かせていた王国軍の警備兵も、今朝は姿が見えなかった。
人通りの少ない道を私とエド君は手を繋いで歩き、その後ろをロイがぴったりと付いてくる。
そうして、いよいよ大聖堂の裏門が見えてきた頃だった。
突然、路地から一台の馬車が飛び出してきたのだ。
「わあっ、危ないっ!!」
私はとっさにエド君の手を引いてその場から飛び退いたものの、勢い余って転んでしまう。
それでも必死にエド君を腕の中に抱き込んで、彼が固い石畳に叩き付けられるのだけは防いだ。
けれども、次の瞬間――
「――ひっ……!!」
顔の真横を、凄まじい音を立てて馬車の車輪が通った。
まさしく、初めてエド君とシャルベリ辺境伯領の町を歩いたあの時と同じ状況だ。
今回も、あと寸分でも車輪の通る位置が逸れていたら、私の頭は踏み潰されてしまっていただろう。
喉の奥で悲鳴が上がり、胸を突き破って外に飛び出すんじゃないかと思うくらいに心臓が激しく跳ねた。
この後の展開は、嫌でも分かる。
石畳の上をゴロゴロ転がりつつ、私の身体はみるみる小さくなった。
腕に抱き込んだエド君が、パティちゃん! と悲鳴を上げる。
やがて、通り脇に立つ街路樹にぶつかってようやく止まる。その瞬間、彼よりも小さくなった身体で身を挺して守った自分を、またしても褒めたい気分だった。
「――ぴっ!!」
ゴチンと固い街路樹の幹に頭をぶつけて、目の前にチカチカと星が飛ぶ。
ロイが慌てて駆け寄ってくる気配もした。
ところが、ここからの展開が前回とは異なっていた。
私達にぶつかりそうになった馬車は、そのまま走り去るのではなく、馬の嘶きとともに停車したのだ。
さらには、バン! と勢い良く馬車の扉が開き、中から男が二人飛び出してきたではないか。
エド君が機転を利かせて、首長竜のぬいぐるみアーシャと代わって私をリュックに詰め込んでくれたおかげで、彼らに子竜の姿を目撃されずに済んだが――
「いたぞ、あの子供だ!」
「捕まえろ!」
あろうことか、男達はエド君を抱き上げて馬車の中に押し込んでしまったのだ。
「やめて! はなしてっ!!」
エド君の悲鳴が聞こえる。
わんわんと、けたたましくロイの吠え声も響いた。
私はリュックの中で必死にもがいたが、エド君がしっかりと口を締めてしまったのか、外に出ることができない。
そうこうしているうちに、キャンッとロイの悲鳴が上がる。
それを合図にするかのように、ビシッと馬にムチを入れる音が響いて馬車が走り出した。
*******
馬車の中は、殺気立っていた。
エド君を馬車に押し込んだ二人と、御者台にいる一人――合計三人の男は、どうやら後がないらしい。
「お前のひいひい祖父さん、随分と強欲なじじいだったらしいじゃないか」
「しらない」
「世の中、知らないじゃ済まないんだよ。罪の代償は子孫のお前達が払うんだ。まあ、お前達もその強欲じじいが築いた財でいい暮らしをしていたんだから、同罪だよな」
「ぼくは何もしらない」
男達が腹いせみたいに幼いエド君に語った話によると、エド君のひいひいおじいさん――三代前のオルコット家当主が巨額の脱税を行っており、この度の政権交代に際してそれが明るみになろうとしているというのだ。
とはいえ、その事実はまだ公には知られていない。というのも、エド君を攫った三人の男こそがオルコット家の脱税容疑を捜査していた役人であり、オルコット家の所有する琥珀に目が眩んだ彼らは、一家の罪を摘発するよりも隠蔽に手を貸すことで長く甘い汁を吸おうと企んだからだ。
とんだ、悪徳役人である。
男達――役人達は、三代前の悪事を晒されたくなければ、琥珀なり金なりを融通するよう、エド君の父親である現当主セオドア・オルコットを脅していたらしい。
「それなのに、お前の父親と来たら、帳簿を持って姿を眩ましやがった!」
「セオドアは、息子のお前を捨てて一人で逃げたんだよ! まったく、ひどい父親がいたもんだ!」
エド君の父親は、結局役人達に金を払うことも琥珀を譲ることもなく、現在行方知らず。
そうこうしているうちに、別の件を捜査していた役人がオルコット家の捜査にも介入する事態になって、役人達が不正を働いていたことの方が先に明るみになってしまったというのだ。
前政権の腐敗に対する新国王陛下の厳しい姿勢を目の当たりにしていた彼らは、自分達も粛正の対象になるのを恐れて国外への逃亡を決意。その資金を手に入れようと目を付けたのが、オルコット家の琥珀――それも、特別な琥珀の存在だった。
「オルコット家の跡継ぎには、代々お守りとして大粒の琥珀――通称〝竜の心臓〟が贈られるそうじゃないか。それを売れば、相当な金になるはずだ」
「なあ、お前。持ってるんだろ? 大人しくそれを渡せば、命までは取らないさ」
役人達の言葉に、私ははっとした。おそらくは、エド君もだろう。
リュックを抱き締める彼の手が、ビクリと小さく震えた。
役人達の言う〝竜の心臓〟とは、おそらく首長竜のぬいぐるみアーシャのお腹のポケットに入っていた琥珀の塊のことだろう。
エド君はアーシャを宝物だと言っていたが、父親が本当に彼に与えたかったのは、琥珀の方だったに違いない。
「しらない。ぼくは、何もしらない」
エド君が固い声でそう答える。リュックごと私を抱き締める小さな手は可哀想なほど震えていて、胸が痛かった。
そんな健気な五歳児に対し、ちっ、と役人の一人が舌打ちする。
かと思ったら、いきなり外側からリュック越しに尻尾の辺りを鷲掴みにされて、私は悲鳴を上げそうになった。
「リュックの中に何か入っているじゃないか! ここに、〝竜の心臓〟を隠してるんだろう!」
「ちがう! ただのぬいぐるみだよ! さわらないでっ!!」
「生意気なガキだな! いいから寄越せって!」
「やめて! やめてやめて! この子にさわらないでっ!!」
エド君が、私の入ったリュックを奪われまいと必死に抵抗する。
けれども、五歳児の腕力が大人のそれに敵うはずもなく、私はリュックごと役人の手に渡ってしまった。
やめてやめて! と叫んで暴れるエド君を、もう一人が押さえているようだ。
役人達が彼に乱暴なことをしまいか、私は不安で不安でたまらなくなった。
そんな中、ふいにリュックの口が開く気配がする。
「さあ、出てこい! 金のタネ!!」
そう言って、嬉々として突っ込んできた役人の手に、私は迷わずガブッと噛み付いていた。
ぎゃあっ! という悲鳴とともに手が引っ込む。
その瞬間、私は勢いよくリュックから飛び出して、役人の前頭部に思いっきり頭突きをお見舞いした。
「な、何だ? 何ごとだ? え、ピ、ピンク――!?」
リュックを抱えていた一人が昏倒すると、ぎょっとしたもう一人――エド君を押さえていた役人が私を認識する前に、同じく強烈な頭突きを撃ち込む。
目を回した役人達は、折り重なるようにして座席の上に倒れ込んだ。
私とエド君は、その向かいの座席で身を寄せ合う。
「パティちゃん、だいじょうぶ?」
『く、くらくらする……』
馬車は、まだ走り続けている。
幸いというべきか否か、御者を務めるあと一人は、仲間二人が昏倒したことに気付いていない様子だった。
「どうしよう、どうしよう……アーシャ、おとしてきちゃった。ロイも、だいじょうぶかな……」
『泣かないで、エド君。どうにかしてこの馬車を降りて、一緒に探しに行こう。ロイもきっと大丈夫だよ。あの子、強くて賢いもの』
子竜になった私をとっさにリュックに詰め込んだところで攫われたエド君は、その拍子にアーシャを手放してしまっていた。
別れ際に、キャンという悲鳴のような鳴き声を聞いていただけに、ロイのことも心配だ。
虹色の瞳に涙を滲ませるエド君を励ましつつ、私はどうやって走り続ける馬車から逃げ出そうかと考えを巡らせていた。
その時である。
「わあっ!?」
『ひえっ!?』
鋭く馬が嘶いたと思ったら、馬車が急停車した。
その衝撃によって、私もエド君も前に吹っ飛ばされる。
向かいの座席に折り重なっていた役人達の身体がクッションになったおかげで、大事には至らなかったのは幸いだった。
そのまま役人達を踏台にして、私とエド君は馬車の前方に取り付けられた窓からそっと御者台を覗く。
すると、戦慄く御者役の背中越しに、道いっぱいに立ち並ぶ騎兵隊の一団が見えた。
『あの灰色の軍服……王国軍だ』
「ぼくらを、助けにきてくれたの……?」
私とエド君が顔を見合わせていると、一団の先頭でただ一人白い軍服を纏っていた人物が、馬から降りてつかつかと馬車の方に歩み寄ってくる。
そうして、御者台の悪徳役人を拘束する――かと思われたが、ブルブル震える彼の横をさっさと通り過ぎ、いきなり馬車の扉を開いたのだ。
ぎょっとする私達をじろりと眺めると、その人はにこりともせずに口を開く。
「エドワード・オルコットに間違いないな。身柄を確保する」
「えっ……」
「ぴっ!?」
王国軍がエド君の身柄を確保する。
それを聞いたとたん、さっき役人達が言っていた言葉が私の頭を過った。
三代前のオルコット家当主の罪の代償を、子孫のエド君達が払わねばならない。
悪事で築いた財でいい暮らしをしていたのだから、エド君達も同罪だ――と。
このままエド君は王国軍に拘束されて、顔も知らない高祖父の罪を償わされるというのだろうか。
まだたった五歳の彼を、そんな理不尽な目に合わせていいのだろうか。
――答えは否だ。
「ぴいっ!」
「――っ、いって!」
気付けば、私はこの日三発目の頭突きを発動していた。
馬車の中に半身乗り込んでいた白い軍服の人物の額に、ゴチンッ! と一際強烈なのをお見舞いする。
おかげでこちらも盛大に星が飛んだが、なにくそ。
白い軍服の人物が開いたのと反対の扉からエド君の手を引いて外に飛び出そうとした。
ところが――
「こンの、ちびっこめ! やってくれる!!」
「きゃん!」
「やめてっ! パティちゃんをいじめないでっ!!」
首の後ろを大きな手で掴まれたと思ったら、たちまち馬車の中へ引き戻される。
そのまま片手で座席へうつ伏せに押さえ込まれ、私は思わず子犬のような悲鳴を上げた。
真っ青になったエド君が、私を助けようと白い軍服の腕にしがみつく。
それに慌てた私がジタバタと暴れ、押さえつけようとする白い軍服の人物の手には力が入り、その腕にしがみついたエド君も必死になる。
悪循環の繰り返しで収拾が付かない――そう思われた時だった。
「――妻をお放しください」
ふいに聞こえたその声に、私も白い軍服の人物もエド君も、ピタリと動きを止める。
首だけ振り返って見上げた馬車の窓の向こうには、王国軍の灰色とは違う黒い軍服――閣下の姿があった。




