22話 シャルベリ辺境伯夫人失格
ドンドン! ドンドンドン!
扉を叩かれる度に蝶番がミシミシと悲鳴を上げた。
「パァティイィィイッ!! 出てきてえええっ! お姉ちゃんにお顔見せてよおおっ!!」
「パァティイィィイッ!! 出てきてくれえええっ! マチルダが扉を壊す前に頼むよおおっ!!」
扉の向こうからは、私を心配する姉と扉を心配する長兄の二重奏が聞こえる。
「……パティ」
姉と長兄の声に掻き消されそうになりながらも、途方に暮れたように私を呼ぶ閣下の声もした。
けれどもこの時の私は、それに応える余裕なんてなかったのだ。
ミリア・ドゥリトル。
彼女がメテオリット家の門を叩いたのは、私がその名前を耳にした晩餐会の翌朝のことだった。
何でも、前日に行われた戴冠式に出席した知り合いから、暴漢を取り押さえた閣下の武勇伝を聞かされたのだとか。
そもそも閣下が王都に来ていることさえ知らなかったらしい彼女は、居ても立っても居られずに、彼が滞在していると聞いたメテオリット家にやってきたらしい。
とはいえ、数百年も前から代々メテオリット家に仕え、一家と秘密を共有している家令が、そう容易く部外者を屋敷に立ち入らせるはずもない。
結果、固く閉じた門の前でミリアがひたすら閣下の名前を連呼する、という迷惑極まりない事態に陥っていた。
「パティというものがありながら愛人を作ろうなんて、あんたいい度胸ね?」
「冗談でもよしてください。天地がひっくり返ったってあり得ない話です」
苛立つ姉に応対する閣下の声も珍しく尖っている。
閣下の話によると、ドゥリトル家が没落し、生家のマルベリー侯爵家からの援助も期待できない状況となったミリアは、恋文というよりも救済を求める手紙を度々送ってきていたらしい。
元々は、自分を捨てたマルベリー侯爵家を見返すためにクロエに成り代わってシャルベリを訪れたが、閣下本人と対面してすっかり好きになってしまったというのだ。愛人でもいいから側においてほしい、と手紙には毎回熱い想いが切々と綴られていたという。
「それで? あの女を愛人にすることにしたの? 趣味が悪いわね」
「あり得ない話だと申し上げました。私は金輪際、彼女と関わるつもりはありませんでしたし、最初に手紙を受け取った際に、断りの返事を書こうとしたのです。ただ――」
閣下がミリアの手紙を拒否しようとするのに、思い掛けず待ったがかかった。
というのも、先にミリアと縁談の話が上がっていた宝石商が、実は前政権の汚職にも大きく関わっていると睨まれていたのだ。その証拠集めの一貫で、ミリアも何か情報を持っているのではないか、それを閣下への手紙でほのめかすことはないか、と泳がされることになったらしい。
彼女の手紙は全て、王国軍の専門部署が検閲し、閣下を装って返事を書いて宝石商の情報を聞き出そうとした。
閣下は、検閲済みの手紙はそのまま破棄してもらってかまわないと伝えていたものの、妙に律義な担当者がミリアの手紙を毎回彼に転送してきたという。
「ミリア自身は拘束されてはおりませんが、身内が重罪を犯したため監視対象となっています。王都から出ることが許されていないため、シャルベリを訪れて私達の前に現れることはない、と油断していました……」
扉の向こうの閣下が、苦々しい声でそう呟く。
結局、ミリアからは何の情報も得られなかったものの、別件によって宝石商は拘束されて、現在は厳しい取り調べの最中であるという。
「ミリアが捜査対象であることは他言無用でした。だから、パティにも何も伝えられなかったのです。ミリアから手紙が来ていたこと自体を知らせなかったのは、彼女によい印象がないのは明らかでしたし、何より余計な心配をかけたくなかったから」
誓って、やましい気持ちはなかった。
そう告げる閣下の言葉にも気持ちにも、嘘がないのは分かっている。
疑う気持ちさえ、微塵も起きない。
でも、それでも――
「……言ってほしかった」
「パティ!?」
大臣の娘から粉をかけられていたことを兄様に内緒にされて、怒って泣いた姉の気持ちが、今になってようやく分かった。
「言ってほしかった、です。ミリアさんにこんな風に言われたって。でも、靡いたりしないよって。全然心配ないよって。ちゃんと報告してくださった方が、きっとずっと安心できたのに……」
「す、すまない、パティ! 彼女のせいで、君の顔が曇るのを見たくなかった! ただそれだけなんだっ!」
「もー、だから言ったでしょ、閣下。余計な気を回しては裏目に出ますよって。だいたい女心を理解するなんて、閣下には百万年早いんですから」
閣下の焦った声に、呆れたような少佐の声が続く。
とたんに私は、何でも閣下と情報を共有している少佐が羨ましく、嫉妬した。
そんな自分が堪らなく嫌いだった。
子供みたいに拗ねて駄々を捏ねて閣下を困らせて……シャルベリ辺境伯夫人になんてふさわしくない、と笑われても文句は言えないだろう。
篭城なんて一刻も早くやめて、あの扉を開いて閣下に謝らなければ……
そう思った矢先のことだ。
「何はともあれ、門の前で騒いでいるあの迷惑女を追っ払うのが先でしょ。ちゃんと責任を果たしてからでないと、パティには会わせてあげないわよ」
「……っ、ごもっとも。けりを付けて参ります」
姉に促されて、閣下はミリアを追い払いに門へ行ってしまった。
「パァティイィィイッ!! 今のうちに出てきてえええっ! お姉ちゃんにだけお顔見せてよおおっ!!」
「パァティイィィイッ!! 今すぐ出てきてくれえええっ! 冗談抜きで壁がやばいから頼むよおおっ!!」
今度は壁の向こうから、姉と長兄の二重奏が始まる。
壁にヒビが入っているように見えるのは、気のせいではないらしい。
「これ、パティは絶対出てきにくいだろう……」
ここにきて初めて口を開いた兄様の言う通り、私は完全に出て行く機会を逃してしまった。
どうしよう、と一人おろおろしていると……
――コンコン
ふいに、小さく窓を叩く音が聞こえる。
はっとして顔を上げれば、窓ガラスの向こうにエド君と犬のロイが立っているのが見えた。
私は慌てて駆け寄って窓を開ける。
エド君はお馴染み首長竜のぬいぐるみアーシャが詰まったリュックを背負い、ロイは首輪だけでリードはない状態だった。
「エ、エド君……ロイ……どうやってここに?」
「リアムさまが、ここからならパティちゃんに会えるよって教えてくれたの」
私が篭城していたのは、幼い頃から使っていた自室で、裏庭に面した一階にある。
表から回ってくるには庭が入り組んでいて分かりにくいが、どうやら兄様がエド君とロイを案内したらしい。
どうりで、ついさっきまで姉を窘める兄様の声が聞こえなかったわけだ。
「パティちゃん」
エド君が私の両手をぎゅっと握る。ロイは、その隣にお座りをした。
エド君の虹色の瞳と、ロイの黒々とした瞳が、私を真っ直ぐに見上げる。
「パティちゃん、一人で悲しいのはだめだよ。だって、ぼくたち、おともだちでしょう?」
「くうーん……」
「ほら、ロイも悲しいって。ぼくもロイも、パティちゃんがたいせつだから、悲しいときはそばにいたいよ」
「エド君、ロイ……」
私は両手を広げて、彼らをぎゅっと抱き締めた。
自分からロイに触れられたことに驚いたが、それよりも彼の艶やかな毛並みと、エド君の柔らかな栗色の髪に頬を押し付けて愛おしさに震えた。
ところが、その時。
「……っ!」
ベランダとは逆の方向――門の方から女の金切り声が聞こえてきて、私はビクリと身体を震わせる。
どうやら、ミリアは簡単に引き下がる気がないようだ。何やら、悲鳴のような声で言い募っているのが聞こえ、私は耳を塞ぎたくなった。
それを見兼ねたエド君が、私の手を引いて外へと誘う。
「ねえ、あの人がいなくなるまで、お隣にいようよ。ぼくのいとこ達といっしょにあそんでいよう?」
「う、うん……」
メテオリット家の隣は大聖堂の敷地で、そこには現大司祭クラーク家も居を構えている。
私はエド君の提案に乗り、熱りが冷めるまでお隣に避難させてもらおうと、こっそり裏門から外へ出た。
それが、まさかあんなことになろうとは――
私もエド君も、おそらくロイだって、思ってもみなかった。




