20話 晩餐会と噂話
「あれは、大臣にぶら下がって不正を働いていた子爵の息子だよ。成人したら、自分も楽に金を稼げると期待していたのに、大臣から始まって芋蔓式に父親までもが失脚して、梯子を外された気分なんだろうね」
まあ、知ったことじゃないけど。
そう笑って、閣下のグラスに自分のグラスをチンとぶつけたのは、この日アレニウス国王となったハリス・アレニウス陛下その人だった。
戴冠式において不届き者を取り押さえたことに関し、閣下が改めて陛下から感謝を伝えられたのは、その夜の晩餐会でのこと。
晩餐会は、王城の大広間に場所を移して執り行われていた。
アレニウス王家の末席に連なるとはいえ、王城自体に足を踏み入れたことは数えるほどしかない私は、豪華絢爛な大広間の様子に圧倒されっぱなしである。
ちなみにエド君は、従兄弟達と一緒に今夜はクラーク家でお世話になっている。
晩餐会といっても立食式のパーティーのようなもので、招待客は自由にテーブルを行き来して社交に励んでいる。
そんな中、陛下は上座に用意された大きなソファにゆったりと腰を下ろし、周辺各国からの来賓に挨拶を済ませた後は、爵位の序列にかかわらず、自分のために動いた者達を呼び寄せて、一人一人と丁寧に言葉を交わしていた。
子爵家の息子がナイフを持って花道に飛び出し、それを閣下が取り押さえて警備兵に引き渡すまで、掛かった時間なんてほんのわずかだっただろう。にもかかわらず、陛下はあの時自分を守ろうと花道に飛び出した人間を全て把握していたらしい。
そうして、最後に閣下を呼んだのは、手ずから彼のグラスにワインを注いでより厚く謝意を伝えたかったのと、今日という日に至る過程で、末弟ミゲル殿下がシャルベリ辺境伯領に行おうとした暴挙を直々に詫びるためであったらしい。
「末の弟が申し訳ないことをしたね。シャルベリ辺境伯領と民には大きな被害はなかったと報告を受けているが、間違いないかい?」
「はい。あの時傷を負ったのは私の部下のみで、幸い全員回復してすでに職務に復帰しております。陛下がお気に病まれるようなことは何一つございません」
「そうか。それを聞いて安心したよ。ところで……」
ふいに、陛下の青い瞳が私を捉えた。
閣下と並んで、上座の手前に置かれたソファに腰を下ろしていた私は、その視線にドキリとする。
改めて見ても、陛下は二番目の弟である兄様ことリアム殿下にとてもよく似ていた。
顔付きも口調も優しげで、物腰も非常に柔らかい。
対して、まったくと言っていいほど似ていないのが前国王陛下の次男、王国軍大将を務めるライツ殿下だった。
一見のほほんとした兄とは対照的に、キリリと厳しそうな顔付きのライツ殿下は、番犬よろしく陛下の脇に立って周囲に睨みを利かせている。
そんな彼がふと、父親譲りの金色の短い髪をかき上げ、呆れたように言った。
「兄上。あまりそれをじろじろ見ていると、またマチルダの反感を買うぞ。ミゲルの件で、ただでさえあれに恨まれているんだ。食い殺されないよう、自重してくれ」
「こわいこわい。ねえ、パトリシア。もうちょっと私に対して寛大になってくれるよう、君からお姉さんに頼んでもらえないかなぁ」
「おい、やめろ。妹を唆したなんて知ったら、即行その首を刎ねにくるぞ」
「うわあ、パトリシア、今のなし! まったく……身内が一番こわいなんてねぇ」
この時、姉はというと、少し離れた場所で兄様や宰相閣下と一緒に来賓客と談笑していた。
今の陛下とライツ殿下の会話、おそらくは彼女の聡い耳に届いているだろう。
私がそれを教えるべきか否か悩んでいると、ともあれ、と陛下が会話を仕切り直した。
「マチルダが怒るのも無理はないんだ。ミゲルの件では、パトリシアに随分辛く理不尽な思いをさせてしまった。すまなかったね」
「いえ……」
「申し訳ないついでに言っておくよ。これから先、同じような選択を迫られた場合、私は迷わず公益を取るだろう。正直なところ、アレニウス国王としての私にとっては、メテオリット家はあろうとなかろうと困らないからね」
「……っ、は、はい……」
優しげな顔のまま、陛下が淡々と告げる。
必要とあらば、この人はメテオリット家を容赦なく切り捨てるであろうことがひしひしと伝わってきた。
陛下を、薄情だなんて思わなかった。
私情に囚われ過ぎて国政を腐敗させた前国王陛下という悪例もあるのだ。
それに、姉みたいに立派な竜ならまだしも、私みたいなちんちくりんの子竜が祖国の役に立てるわけもないし――と、長年抱えてきた卑屈な気持ちがまたもや頭を擡げそうになった。
私は唇を噛み締めて、膝に置いていた手でぎゅっとスカートを握り締める。
すると、ふいに隣から伸びてきた閣下の手が、私の拳をそっと包み込んでくれた。
そんな私達を見て目を細めた陛下が、でも、と続ける。
「私個人としては、パトリシアには幸せになってもらいたいと思っている。今日の戴冠式に呼んだのは、ミゲルの件を謝罪したかったのももちろんあるけれど、それよりも何よりも、君が婚約したって話を小耳に挟んだからだよ」
「はい……」
「姉さんの後ろに隠れて俯いてばかりだったパトリシアが、唯一無二の伴侶を得て幸せになろうとしていること――私は遠縁のお兄さんとして、この上なく喜ばしく思う」
「陛下……勿体ないお言葉です……」
先ほどとは一転して、陛下の慈愛に溢れた言葉に、私はじんと胸が熱くなった。
一方で、ずっと白けた顔をしたままのライツ殿下が吐き捨てる。
「お兄さんじゃなくて、おじさんだろ?」
「――え? いやいや……だって、この子の上のお兄さんと同い年だし! そもそも、夫になる彼とだって同い年だよね? ねえ、君! どう思う!?」
「お兄さんでよろしいかと」
「ほらぁ!」
「ほらぁ、じゃないわ」
とたんに始まった、閣下を巻き込んだ陛下とライツ殿下の軽妙なやり取りに、私はひたすら目を白黒させていた。
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立食式とはいえ、大広間のあちこちにはテーブルや椅子も用意されていた。
ゆっくりと食事を楽しみたいとか、酔って足もとが覚束無いなど、様々な人が利用している。
そのうちの窓辺近くに置かれた二人掛けソファに腰を下ろし、私は賑わいの絶えない大広間を見回した。
次期シャルベリ辺境伯として、この度の戴冠式に出席していた閣下には、あちこちから声が掛かった。
戴冠式で暴漢を取り押さえて注目を浴びた上、先ほどは新国王陛下にじっくりそれを労われているのを、大広間中の人々が見ていたのだ。
純粋に親交を深めたいと思う者から下心のある者まで殺到し、閣下は一躍時の人となっていた。
しばらくの間、私も顔面に愛想笑いを貼付けてその隣に立っていたのだが、社交界に慣れていないために徐々に疲れを感じ始める。
それに目敏く気付いた閣下は私をこのソファに座らせて、少し休んでいるように言ってくれたのだ。
その際、彼が給仕からもらって持たせてくれたカクテルにちびちびと口を付けながら、ほうとため息を吐く。
陛下に言われた通り、私はこれまで強くて美しい姉の後ろに隠れて俯いてばかりいた。
メテオリットの竜の落ちこぼれだと自分を疎んじていたし、何よりどんな拍子に子竜姿になってしまうかも知れないため、家族以外の相手に気を許すのが怖かったからだ。
けれども、閣下と結婚してシャルベリ辺境伯夫人となるならば、そうも言っていられなくなるだろう。
閣下の優しさに甘えて、こうしてのんびり座っていてはいけないのではないか――そんなことを思い始めた矢先のことだった。
「――ねえ、ご覧になりまして? 次期シャルベリ辺境伯閣下」
ふいに閣下の名前が聞こえてきて、私はドキリとした。
発信源は、少し離れた場所でテーブルを囲う妙齢の三人の女性達である。
閣下の名を出した女性の顔を、思わずまじまじと見てしまう。
相手は私の視線に気付かぬまま、ほんのりと頬を赤らめて続けた。
「戴冠式での、あの勇ましいお姿……惚れ惚れしましたわぁ」
「王国軍高官の白い軍服もよろしいですけれど、あの方の黒い軍服姿も素敵ですよね」
「辺境伯領って聞くとどんな田舎かしらと思うけれど、あの方にでしたら嫁いでもいいかも……」
きゃっきゃと楽しそうにはしゃぐ女性達を眺め、私はわずかに優越感を覚えた。
だって、彼女達が誉めそやす人物と、私はすでに婚約を交わしているのだ。
けれどもそんな気持ちは、続いて聞こえてきた言葉によって容易く萎んでしまうことになる。
「ミリアさんがあれほどご執心なのも分かるわね」
思いがけない名前が耳に入った。
いや、忌憚なく言えば、二度と聞きたくなかった名前だ。
とはいえ、ミリアなんていうのはそうそう珍しい名前でもないし、自分が思っている人物の話題ではないかもしれない。
そんな私の期待を嘲笑うように、女性達は声を弾ませて続けた。
「養父でいらっしゃるドゥリトル子爵は内乱罪に問われて、ドゥリトル家は爵位を取り上げられてしまったのでしょう?」
「以前縁談の話が持ち上がっていた宝石商の方も別件で逮捕されてしまわれて……当然、ミリアさんの縁談も完全に断ち消えたって話よ」
「生家であるマルベリー侯爵家も、クロエさんが起こした不祥事のせいで評判はがた落ちですものね。ミリアさんを家に戻す余裕もないでしょう」
ミリア・ドゥリトル――双子の姉であり、閣下と最初縁談の話が上がっていたクロエ・マルベリーを騙ってシャルベリ辺境伯邸に現れ、閣下に結婚を迫った人物である。
大人の勝手な事情で幼少期に養女に出されたり、うんと年上の成金男と無理矢理結婚させられそうになったりと、同情すべき事情はあるものの、私としてはどうにも好きになれない相手だった。
既成事実をでっち上げようと、執務室のソファで閣下に押し倒されたように見せていた、あの光景は未だに忘れられない。
ミゲル殿下をけしかけてシャルベリ辺境伯領を強奪しようとしたドゥリトル子爵の企みは、曲がりなりにも王子が関わる不祥事のため事件の詳細は公にされていない。
そもそもミリア自身はまったく関与していなかったため、罪を問われることはなかったものの、ドゥリトル家の養女という理由から、王国軍の監視下にはあったらしい。
それでなくても、彼女は最終的に閣下にきっぱりと拒絶され、素性を偽っていたこともばれて王都に強制送還されたのだ。
にもかかわらず、いまだに閣下に執着している――しかも、噂好きの女性達のような第三者がそれを知っているとは、どういうことなのだろうか。
相変わらず私の視線に気付かぬまま、女性達の会話はなおも続いた。
ドゥリトル家の爵位が剥奪され、マルベリー侯爵家からの支援も期待できない現状では、ミリアも今夜のような王侯貴族が主催する晩餐会やパーティなどといった正式な社交界への参加が難しい。
その一方で、個人が催すお茶会やサロンには積極的に参加しているらしい。
そこで、閣下への思いを赤裸々に語り、さも自分と彼が両思いであるかのように振る舞っているという。
「外堀でも埋めているおつもりかしらね」
「うふふ、いやだわ。見苦しい」
「罪人の娘に成り下がった自覚がないのかしら?」
ミリアに対する女性達の評価は厳しかった。どうやら、閣下と両思いだなんて嘯いている彼女の言葉を信じてはいないようだ。
しかし、それにほっとしたのも束の間だった。
「でも、健気なところもおありですのよ。何でも、一日と置かず、次期シャルベリ辺境伯閣下に宛てて恋文を送ってらっしゃるんですって」
私はひゅっと息を呑む。
ミリアが閣下に恋文を送り続けていたなんて、まったく知らなかったからだ。
この時ふと、私の脳裏にはバラの香りが浮かんだ。
エド君を連れて三人でシャルベリ辺境伯領中央郵便局を訪れた際、若い局員から渡された手紙の束のうちの一通――閣下が差出人名を見てわずかに顔を顰めた手紙から香ったものだった。




