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19話 戴冠式



 雲一つない空に、祝砲が響き渡った。

 この日、アレニウス王国に新しい国王陛下が立つ。

 前国王陛下の長子であるハリス・アレニウス新国王陛下は閣下と同じ三十歳。

 私の姉の夫である、二番目の弟リアム殿下と同じ銀色の髪と青い瞳の美しい人で、優しげな雰囲気もよく似ていた。

 その頭にこれから載せられる黄金の冠の真正面には、血のように真っ赤な宝石が埋め込まれており、それをまるで卵を抱くように持つ一匹の竜のモチーフが刻まれている。

 王冠だけではない。

 戴冠式が行われている大聖堂には、柱にも窓枠にも天井画にも、極めつけは祭壇にまで、そこかしこに竜の姿を象った装飾があった。

 それらをぐるりと見回して、隣に立っていた閣下が私の耳元に囁く。


「こうして改めて見ると、アレニウス王国にとってつくづく竜は身近な存在に思えるね」

「そうですね」


 ずっとずっと昔――アレニウス王国がまだできて間もない頃、初代国王陛下の幼い末王子が攫われて竜の巣に投げ込まれるという事件があった。

 けれども、末王子は竜に食われるどころか保護されて、やがて兄妹のように一緒に育った竜の娘と番ったという故事が語り継がれている。

 この異類婚姻譚は実話なのだが、現在ではもっぱら、人々に王家をより神聖視させるために利用されている。

 大聖堂に竜を象ったものが多いのもそのためであり、その他、歴代の国王達が竜を従えているような絵画も多く描かれ、アレニウス王家の権威を象徴するのに一役も二役も買ってきた。

 とはいえ、実際のところ、竜の娘と番った末王子の子孫はメテオリット家であり、末王子の長兄の子孫であるアレニウス王家には竜の血は一滴として入っていない。現在のアレニウス王国があるのは、メテオリットの竜の恩恵ではないのだ。

 だからこそ現実主義者の新国王陛下は、前政権の不甲斐無さに業を煮やした一番目の弟――王国軍大将ライツ殿下にクーデターを起こさせるのではなく、玉座を明け渡す代わりにミゲル殿下に恩赦を与えろという前国王陛下の要求を呑んだのである。

 ミゲル殿下は、七年前に私の翼を捥いだ張本人だった。

 私という、アレニウス王家の末席にぶら下がっているだけの家の一個人よりも、速やかな国家の平定を優先したのは、治世者としては正しい選択だったに違いない。

 とはいえ……


「おやおや、姉君はよほど新国王陛下がお気に召さないらしいな」

「もう、お姉ちゃんったら……不敬罪にでも問われたらどうするの……」


 祭壇の前まで歩いてきた新国王陛下を見つめる姉の顔は、不機嫌そのものだった。

 それを窘めるように肘で突いているのが兄様ではなく、王国軍大将ライツ殿下だったものだから、私はますますハラハラしてしまう。

 ついに祭壇の前に立った新国王陛下を、両側に並んだ参列者達が花道を作る形で見守っている。

 祭壇に近い場所には新国王陛下の兄弟やその伴侶が陣取り、以降は爵位や役職によって順番が決められていた。

 そのため、次期シャルベリ辺境伯夫妻としてこの度の戴冠式に呼ばれた私と閣下は、姉夫婦とは随分離れた位置に立つ。


「エド君は、大丈夫でしょうか?」

「なに、心配ないだろう。レイラとイザベラが一緒だし、年上の従兄弟達もいるからね」


 私達のいる所からでは姿は確認できないが、司祭の名門クラーク家と軍人一家ウィルソン伯爵家にそれぞれ嫁いだ叔母二人と四人の従兄弟とともに、エド君もまた今日の戴冠式に出席していた。

 そうこうしているうちに、いよいよ新国王陛下の頭に王冠が載せられる。

 その大役を担うのは、今代の大司祭。司祭を多く輩出するクラーク家の現当主で、閣下の姉レイラ様の舅に当たる人物だった。

 彼と面識があった私は、こそりと閣下に囁く。


「あの方……大司祭様は、王家とメテオリット家以外で唯一、私や姉が竜の姿になることを知っていらっしゃいます」

「えっ、そうなのかい? それはつまり、クラーク家だけが特別に、ということなのだろうか?」

「いえ、クラーク家がというのではなく、大司祭という役職が特別なんだそうです。何でも、メテオリット家の始祖である末王子と竜の子供を王家に受け入れるよう進言したのが当時の大司祭様だったらしく、そのご縁で」

「なるほど……では、大司祭様のご子息も、彼に嫁いだレイラも、今のところはメテオリット家の事情を把握していないということだね」


 メテオリット家の始祖は、人間の姿をしていたという。

 けれども、私達先祖返りがそうであるように竜の姿をとることもあったため、それを畏怖する者も多かった。

 そんな中で、全面的にメテオリット家の始祖を擁護したのが、その時の大司祭である。

 当時、新興国家に過ぎなかったアレニウス王国において、太古より続く神々への信仰は今よりもずっと真摯であり、人々はより敬虔だったため、大司祭の発言力は強大だったのだ。ちなみに、無類の爬虫類好きだったとも言い伝えられている。

 その大司祭がいかに竜に好意的であったのか、大聖堂のそこかしこにある竜のモチーフの他、建物の位置関係を見ても明らかだ。

 メテオリット家の屋敷は、当初は大聖堂の敷地内――現在はその隣に位置していた。

 ついに、大司祭から王冠を載せられた新国王陛下に、続いて真っ黒いビロードのマントが授けられる。

 竜になった姉の翼のようなマントを彼の肩に羽織らせるのは、前国王陛下の弟である宰相閣下だ。

 前政権から引き続き続投する彼のような者は珍しく、新政権ではほとんどの要職の人事が一新されるという。

 現実主義で革新派の新国王陛下は、爵位や財力にかかわらず、優れた人材を積極的に登用している。逆を言えば、身分の上に胡座をかいていたような貴族連中は、容赦なく職を追われることになる。

 それゆえ、祭壇に近い位置に立つことを許された高位の家柄でも、鬱々とした表情で新国王陛下の誕生を眺めている者も少なくはなかった。

 おかげで、姉の不機嫌顔がさほど悪目立ちしていないのは幸いだが、お祝いムード一色な市井の人々との差異に戸惑う。

 居心地の悪さを覚えた私が、無意識に半歩後退った――その時だった。


「――えっ?」


 ふいに、花道へと躍り出た者があった。

 私と閣下が立つ場所よりいくらか祭壇から離れた辺りからだ。

 辺境伯は爵位の順番でいうと侯爵と伯爵の間に位置する。件の人物が出てきたのは、ちょうど子爵達が集まる一角だった。

 子爵家の当主にしては若い男だ。私とそう変わらないくらいで、成人しているかどうかも怪しい。

 何より、その手に抜き身の短剣を握り、祭壇の前に立つ新国王陛下の背中目がけて花道を走り出したものだから、周囲は騒然となった。

 祭壇の近くにいたライツ殿下がサーベルの柄に手をかけつつ花道へと飛び出し、宰相閣下は甥である新国王陛下を背中に庇うように立つ。

 さらには、この日目出度く立ったばかりの国王陛下を凶刃から守ろうと、列から飛び出してくる者が何人もあった。

 けれども、事態を収拾したのは他でもない。

 私の隣にいた、閣下だった。


「――パティ、下がっていなさい」


 閣下はそう言って私を花道から離すと、わああっと意味をなさない声を上げて駆けてきた男の方へと踏み出した。

 黒い軍服を身に纏っていかにも軍人然とした相手の登場に、男が一瞬怯む。

 その隙を見逃さなかった閣下は、すかさずナイフを持った男の手を掴んで捻り上げた。

 ぎゃっという悲鳴とともにナイフが取り落とされると、足を払って男を床にうつ伏せに倒す。

 そうして、後ろ手に押さえつけて動きを封じた所で、ようやく近くにいた警備兵が駆け付けたのである。

 驚くほど、あっという間に方が付いた。

 閣下の鮮やかなまでの手腕に、騒然としかけた大聖堂が感嘆のため息に包まれる。

 にもかかわらず、閣下は男を警備兵に引き渡すと、何事もなかったかのように列に戻ってしまった。

 それを皮切りに、新国王陛下を守るために花道へと飛び出していた面々も元の立ち位置に戻る。

 本心というのはとっさの行動にこそ表れるものだ。

 即位に際して大粛正を敢行し、多くの敵を作った新国王陛下だったが、それでも彼を身を挺してでも守ろうとする者が大勢存在することが証明された一幕であった。

 最後に列に戻ったライツ殿下が、ようやくサーベルの柄から手を離す。

 すると、王冠と国王のマントを身に纏った新国王陛下が参列者達を振り返り、柔らかな笑みを浮かべて言った。


「――みんな、ありがとう。シャルロ・シャルベリ次期辺境伯、大儀だったね」


 戴冠式の最中に、新国王陛下に名指しで謝意を賜る。

 またとない、栄誉であった。




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― 新着の感想 ―
[一言] おおー!シャルロやるな! パティが子竜にならなかったのが寂しいが(笑)
[一言] 閣下すげぇ
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