13話 最初の眷属
「ごめんね、パティちゃん。びっくりさせちゃった?」
『う、うう、うん……大丈夫……』
幸か不幸か。
子竜化したおかげで、私もエド君同様、扉の隙間に入れるようになった。
扉の向こうは階段になっていて、どうやら霊廟の地下へと繋がっているようだ。
階段脇の壁の上部には明かり取りの小窓があり、照明がなくても足もとを見るには困らなかった。
トントンと軽快に降りていくエド君を、私はよちよち必死に追い掛ける。
七年振りに復活した翼がちゃんと背中にあるのだが、それを羽ばたかせるにはいささか狭い空間だった。
やがて階段を降り切った先に、またもや扉が現れる。
「秘密基地みたいだっ!!」
『エエエエド君っ!?』
はしゃいだ声を上げたエド君が、私が止める間もなく取手を掴んでそれを開いた。
ギイッ……と、蝶番が軋んだ音を立てる。先ほどとは違い、今度の扉は全開になった。
そうして、その向こうを覗き込んだ私とエド君は、同時に両目をぱちくりさせる。
『……なに、ここ』
「だれかが、住んでいたのかな?」
扉の向こうは、こぢんまりとした部屋になっていた。
木を貼った床の上にラグが敷かれ、真ん中に机と椅子が一脚ずつ置かれている。
壁際には、ドレッサーやチェスト、ガラス戸の付いたキャビネットとともに、ベッドが一つあった。
天井は高く、階段と同様に明かり取りの小窓から日の光が入る設計になっているらしく、地下にも関わらず存外明るい。
何より、気になったのは……
「この椅子……ぼくにぴったりだね?」
とことこと部屋の中に入っていったエド君が、ラグの真ん中に置かれていた椅子に腰掛ける。
五歳の彼にぴったり――つまり、それは子供用の小さな椅子だった。
椅子だけではない。その前にある机も、壁際のドレッサーやチェスト、そしてベッドまでも子供用の小さなものだ。机の上には、積み木がお城のような形に積まれたまま埃を被っている。
そんな中でキャビネットだけは異様に背が高く、ガラス戸の向こうにはびっしりと古びた本が詰まっていた。
まさか、竜神の生贄を祀る霊廟の地下に部屋が、しかもどう見ても子供部屋があるなんて思ってもみなかった私は、呆然として立ち尽くす。
その間も、部屋の中を歩き回って検分したエド君によって、浴室や手洗いといった水回りに繋がる扉も発見され、この地下で何者かが生活していた可能性がいよいよ強まってきた。
そして、部屋の調度を見る限り、その何者かは年端もいかない子供である確率が高い。
何だか嫌な予感がして、私がごくりと唾を呑み込んだ時、あっ、という声が耳に入った。
「ねえ、パティちゃん。これ、なんだと思う?」
エド君が、小さな机の上で積み木のお城の下敷きになっていた紙を引っこ抜いて見せてくれる。
紙の上には、様々な色を使って太くて長いロープのようなものが描かれていた。
最初はそれが何なのか分からなかった私だが、絵とエド君の瞳を見比べたとたん、はっと息を呑む。
『これ……もしかして、竜神様……?』
幼い子供が描いたように見える、虹色の鱗を持つシャルベリ辺境伯領の竜神の絵――
そう考えたとたん私の脳裏に浮かんだのは、最初に竜神の力の一端を持って生まれたという赤子の話だった。
七人目の生贄が竜神に連れ去られて百年が経った頃のことだ。
再び大干ばつに見舞われたシャルベリの領主は、自分の身重の娘を泣く泣く八人目の生贄として捧げようとした。
ところが、夢枕に立った七人目の生贄と思しき娘のお告げに従い、翌朝枕元に落ちていた虹色の鱗を煎じて娘に飲ませたところ、たちまち産気付いて虹色の瞳を持つ赤子を産んだ――これが、シャルベリ辺境伯家が竜神の眷属となる始まりである。
この赤子が産声を上げたとたんに雨が降り出し、以降その子が泣く度にシャルベリの大地は潤ったという話だ。
これだけ聞けば、シャルベリにとって赤子は救世主だ。
とはいえ当時、実際にその子に向けられた感情は、はたして好意だけであっただろうか。
摩訶不思議な力を敬うとともに、周囲は赤子を竜神と同様に畏れたのではあるまいか。
竜神の生贄となった乙女の話自体は、シャルベリ辺境伯領で伝説として一般にも語り継がれているというのに、竜神の力でもって祖国を救った赤子のことが語られていないのは、当時のシャルベリ家がその存在を隠したからではないか。
(もしかしたら、霊廟の地下に隠されたこの部屋は、その子が閉じ込められていた部屋なんじゃ……)
そう思い至ってしまった私は、たちまち居たたまれない気持ちになった。
そんな時である。
「パティちゃん、見て! こっちに、まだ扉があるよ!」
『えっ……?』
部屋の中を見て回っていたエド君が、チェストの後ろに小さな扉があるのを発見した。
うんしょ、うんしょ、と五歳児と子竜で力を合わせてチェストを移動させる。
扉は、霊廟の裏に隠されていたものや、この地下部屋の入り口のものよりもずっと小さく、それこそエド君や子竜姿の私でないと潜れないほどだった。
当然のようにそれを開いたエド君が、四つん這いになって真っ先に潜り込む。
不思議とこの時、私は少しも警戒心を覚えずに彼に続いた。
お互いに無言のまま、真っ暗闇の中を四つん這いで進んでいく。
しばらくして、立って歩けるだけの高さがある場所に出ると、私達は自然と手を繋いだ。
「ぼく、なにも見えないや。パティちゃんは?」
『ええっと……狭い通路がずっと続いているのは分かるんだけど、その先までは……』
「そっか。でも、このまま行けばいい気がする。――行こう」
『うん……』
メテオリットの竜の血を引く私は、ある程度なら暗闇でも目が利く。
エド君の方はそうでもないようだが、この暗闇に不安を感じている様子は一切なかった。
それどころか、まるで何かに吸い寄せられるように闇の中を進んでいく。
そうして、どれほどの距離を歩いた頃だろうか。
私達の足は、やがて上りの階段に差し掛かる。
長い長いそれをひたすら上っていくと、ようやく闇が薄らぎ始めた。
階段を上り切った先には、霊廟の地下の子供部屋にてチェストで隠されていたものと同様の小さな扉があって、それがわずかに開いて光が差し込んでいるようだ。
耳を澄ませば、かすかに人の話し声も聞こえてきた。
「――ですから、戴冠式の終了に合わせてですね、この辺りから祝砲をあげようと思うんですよ」
「あいにく私は当日留守にするので、祝砲の指揮は辺境伯軍の誰かに一任しておこう」
「あと、花火も上げようと思っているんですよ」
「花火、なあ……祝砲もそうだが、王都の陛下にまで届かないと思うが……」
私はエド君と顔を見合わせる。
聞こえてきたうちの一方が、聞き馴染みのある声――閣下の声だったからだ。
「当日は、貯水湖の周辺にたくさん露店を出して、お祭りみたいにする予定です。いやはや、楽しみですなぁ」
「それはそれは……シャルベリには父が残ることになったから、祝砲の合図は父が行うということでよろしいか?」
「もちろんです。長くお役目を務められたご領主様が有終の美を飾るのに相応しい催しに致しましょう。とっておきのワインをしこたま用意してお待ちしておりますとお伝えください」
「父を労ってもらえるのはありがたいが、酒はほどほどにな」
もう一方の声の主は、この日の午前中に閣下と会合の予定が入っていた商工会長だった。
閣下と商工会長は、私とエド君がシャルベリ辺境伯邸の庭園に出る前に、裏門の方から連れ立って町へ出ていったはずだ。
面識のない商工会長の声がするからか、さっきまでのようにいきなり扉を開くことはなかったエド君の代わりに、私が取手に手を掛ける。
そうして、おそるおそる開いた扉の隙間から、眩しさに目を細めつつ覗き込んだ先には、ずんぐりとした誰かの足があった。閣下のものではあり得ないので、彼と話していた商工会長の足だろう。
商工会長はこちらに背を向ける形で立っているため、私達が顔を出したことに気付く様子はない。
一方、その向かいに立っていた閣下は、私とエド君と目が合ってぎょっとした顔をした。
「しょ、商工会長! そういえば、この裏に鳥が巣を作っていたと思うが、あれは今どうなっているんだろうな!?」
「ああ、ありましたねぇ。ふむふむ、祝砲に驚いて卵を落としでもしては気の毒ですな。ちょっと見て参りましょう」
商工会長がその場を離れたとたん、閣下は猛然と駆け寄ってきて扉を全開にする。
そうして、有無を言わさず私とエド君を引っ張り出すと、両腕に抱え込んだ。
「パティ? エド!? どうして、こんな――祭壇の下から出てくるようなことになったんだ!?」
『さ、祭壇……?』
私とエド君が辿り着いた扉は、祭壇の足もとにあった。
と言っても、最初に入ったシャルベリ辺境伯邸の敷地内にある霊廟のそれではない。
私達はなんと、貯水湖の真ん中にある竜神の神殿の祭壇まで来てしまっていたのだ。
つまり、シャルベリ辺境伯邸の敷地内にある霊廟と竜神の神殿は地下で繋がっているということになる。
「ぴいい……」
「ぴいい、じゃ分からないよ、パティ? エド、パティは何て言ってる!?」
「はわわ、って言ってる」
ふと、何かの気配を感じて顔を上げると、祭壇の側に置かれた竜神の石像が――それにくるりと巻き付いた小竜神の姿が目に入った。
その青空とも閣下の虹彩とも似た色の双眼は、静かに慈愛を讃えてエド君に――小さな竜神の先祖返りに向けられている。
それを目の当たりにした瞬間、私ははっとあることに思い至った。
最初に竜神の先祖返りとして生まれた赤子は、その摩訶不思議な力に畏怖を抱いた大人達によって、私が想像したような不遇を強いられていたのかもしれない。
あの霊廟の地下に作られた子供部屋で、いったいいつまで過ごすことになったのだろう。
けれども、きっとその子は一人ぼっちじゃなかった。
私とエド君が通ってきた地下通路を通って、こうして小竜神――竜神に会いに来たのではなかろうか。
かつては心のないただのケダモノだったシャルベリの竜は、生贄の乙女を食らったことで神となり心を得た。
そうして、やがて小さな眷属に寄り添ったのかもしれない。




