12話 生贄のための霊廟
「おかあさん……ちゃんと、おとうさんとお話できたかなぁ……」
ベッドに仰向けに転がってそう呟くエド君に、私はただ相槌を打つことしかできなかった。
カミラ様がシャルベリ辺境伯領を発ったその日の夜。
枕と首長竜のぬいぐるみを抱えて部屋を訪ねてきたエド君を、私は自分のベッドに迎え入れていた。
オルコット家では子供部屋で一人で眠っていたらしいが、慣れない屋敷に一人残されて不安だったのだろう。
祖父母に甘えなかったのは、足の不自由な奥様と、彼女を甲斐甲斐しく介助する旦那様に遠慮したのかもしれない。
叔父である閣下を頼らなかったのも、この日の昼間に自分を町へ連れていく時間をとったため、今夜は遅くまで仕事であることを理解しているから。
弱冠五歳にして周りの空気を読んだ行動をするエド君がいじらしく、私は自分にできることなら何だってしてあげたいと思った。
「ぼくのおかあさん、強いのよ。おとうさんとおかあさんがケンカをすると、いつもおかあさんが勝つんだ」
「あはは……私のうちと同じだ。うちも父より母の方が強かったし、姉夫婦も姉の方がずっと強いよ?」
「じゃあ、パティちゃんも? パティちゃんも、シャルロおじさんより強い?」
「えっ!? ま、まさか……そんなこと、ないと思うんだけど……」
ぬいぐるみのアーシャを真ん中に、ベッドに横並びに寝転んで他愛のない話をする。
そのうち、すうすうと穏やかな寝息が聞こえ始め、私はほっと頬を綻ばせた。
シャルベリ辺境伯領に来て以来、エド君の体調はすこぶる良好だった。
別種の竜の縄張りであるオルコット家の土地を離れたことの他、自身の起源に影響を与えた竜神の膝元に身を置いたこと、何より小竜神に存在を認識され少なからず加護を与えられたことが大きく関係しているようだ。
私は、エド君の胸の辺りまで上掛けを掛けてやりながら、隣に寝かされたアーシャを眺めた。
ぽっこりとしたお腹にはポケットがあって、エド君曰く琥珀の塊が入っているらしい。
この琥珀というのは、そもそも太古の昔に寿命を終えたオルコットの竜の血液が樹液となり、長い年月をかけて石化したものだ。当然ながら、別種の竜の先祖返りであるエド君の身体に不調を来す原因にもなっていた。
エド君の父親は、きっとよかれと思ってそれを持たせたであろうに、皮肉な話である。
幸い、アーシャに憑依した小竜神の腹に一度取り込まれたことによって、力関係はシャルベリ辺境伯領の竜神優位に反転。その結果、アーシャのお腹の琥珀はエド君に害を与えることはなくなっていた。
私が、そんなアーシャにも上掛けを掛けていると、ふいにコンコンと控え目なノックの音が響く。
次いで、扉の向こうから聞こえた声に、私はエド君を起こさないように気を付けながら、そっとベッドを降りた。
「――閣下、お疲れ様です」
「こんな時間にすまないね、パティ」
扉を開くと、軍服を着たままの閣下が立っていた。
小雨でも降っているのか、上着に少し水滴が付いている。
「エドの部屋を訪ねたらもぬけの殻だったから、もしかしたらパティのところかと思ってね」
「ちょうど、今し方寝付いたところですよ」
「そうか……パティに懐いているのをいいことに、すっかり子守りを任せてしまってすまないね」
「いいえ、エド君は全然手が掛からないですし、弟ができたみたいで可愛いですよ」
おそらくはエド君のことが心配で、仕事を早めに切り上げてシャルベリ辺境伯邸に戻り、その足で彼の部屋を訪ねたのだろう。
エド君を客室に連れて戻ろうとする閣下を、私はせっかくよく眠っているのだから、今夜はこのまま自分のベッドに寝かせておくと言って止めた。
とたんに、閣下が何だか複雑そうな顔をする。
不思議に思って、どうしたのかと尋ねると……
「私がおかしなことを言っても、笑わないかい?」
「その台詞……つい先日も聞いたような……」
「実は、エドに嫉妬している」
「やっぱり!」
ぎょっとした私を、閣下が覆い被さるようにして抱き竦める。
そうして、唸るような声で――それでも、エド君を起こさないよう声を抑える配慮は忘れずに続けた。
「パティが他の男と同衾するなんて、心穏やかでいられるわけがないだろう!? 私だって、まだ碌にしたことがないのにっ!!」
「ど、どうき……添い寝ですっ! それに、他の男って言っても、エド君はまだ五歳……」
「今は五歳でも、十五年経てば二十歳だよ! 子供の成長は早いんだ! ロイを見ていたから知っているっ!!」
「その台詞も先日聞きましたよねっ!?」
こんな風に、大人げない台詞を繰り返しながら私をギュウギュウと抱き締めていた閣下だったが、しばらくするとエド君の様子を見に来た旦那様に窘められ、首根っこを掴まれて回収されていった。
*******
翌日も、シャルベリ辺境伯領の空は朝から雲に覆われていた。
この日の午前中、奥様は月に一度の定期検診を予定しており、旦那様もそれに付き添うことになっている。
閣下も閣下で会合の予定が入っていたため、私はエド君をシャルベリ辺境伯邸の敷地内で遊ばせることにした。
「パティちゃん、この先には何があるの?」
ふいに立ち止まったエド君がそう問う。
シャルベリ辺境伯邸の表門から屋敷にかけて広がる見事な庭園の中は、薔薇の生垣に囲まれた通路が幾何学模様を描くように造られていた。
エド君が指差したのは、そんな通路と交差している小道の先。
そこに何があるのか把握していなかった私が答えに窮している間に、エド君の足は小道へと踏み出していた。
私は慌てて後を追う。何しろ、エド君の面倒を見れるのは、今日は私一人きりなのだ。初日に散歩に付き合ってくれた犬のロイさえいないのだから責任重大である。
小道は薔薇の生垣に囲まれた通路よりもずっと狭く、さらに迷路のように複雑に入り組んでいた。
にもかかわらず、エド君の歩みに迷いはない。まるで何かに吸い寄せられるように進んでいく彼の小さな背中を、私はひたすら追い掛けるのだった。
やがて辿り着いた小道の終点には、木製の簡素な門があった。ただし、鍵はかかっていないようだ。
エド君に続いて門を潜れば、目の前には緑に囲まれたフォリーのような建造物が現れた。
ドーム状の石造りの屋根を支えるのは、女性を象った七本の柱だ。彼女達をその場に縛り付けるみたいに巻き付いた蔦が年季を感じさせた。
そうして、建造物の中央に小さな祭壇があるのを認めた私は、はっとする。
「ここ……きっと、霊廟だわ」
「れいびょう……?」
シャルベリ辺境伯領の竜神は、六人の生け贄の乙女を食らい、七人目を連れ去ったと言われている。
アーシャに憑依して語った小竜神の話が真実ならば、彼女達の命がただのケダモノだった竜に神と成り得る力を与え、人間はそれを崇めると同時に畏れたのである。
生け贄として選ばれたのは全員、その時代時代のシャルベリ家当主の娘だ。
そのため、犠牲となった娘達を悼み祀るための霊廟が、シャルベリ辺境伯邸の庭園の一角にひっそりと建てられているという話を、私は以前旦那様から聞いたことがあった。
「ふうん……お墓かあ……」
「シャルベリ家の血を引くエド君はともかく、私が入ってよかったのかな……?」
屋根を支える七人の女性は、おそらく生贄となった乙女達を象っているのだろう。
閣下と婚約したとはいえ、今はまだメテオリットの姓を名乗る自分は場違いではなかろうか。
一人あわあわと慌てる私をよそに、エド君は霊廟の中をあちこち見て回り始める。
そうして、祭壇の後ろに回り込んだと思ったら、あっ、と突然大きな声を上げた。
何ごとかと駆け寄った私に、彼は虹色の瞳を輝かせて振り返る。
「パティちゃん、見て! ここ、とびらがあるっ!」
「えっ、どこどこ? 祭壇の後ろ? どうして、そんな所に……」
エド君の言う通り、祭壇の後ろにひっそりと扉が作られていた。しかも、扉の前には、まるでそれを隠すみたいに木の板が立てかけられていた。
エド君がなぜその存在に気付けたのかは謎だが、とにかく板を取り払って扉の取手に手をかけた彼は……
「あっ、ひらいた! パティちゃん、ひらいたよ! 入ってみるね!」
「えっ!? 入ってって……エエエ、エド君!? ちょっ……待ってぇ!?」
私の制止も虚しく、意気揚々と中に入っていってしまう。
慌てて追いかけようとしたものの、蝶番が錆び付いてしまっているのか、扉は小さな子供が通れるくらいの隙間しか開かなかった。
誰か、力の強い人を呼びに行って扉を抉じ開けてもらわなければ。
けれど、エド君を一人残したままこの場を離れていいものか。
「ど、どうしよう……どうしよう……」
何度も立ち上がったりしゃがみ込んだりを繰り返し、おろおろとしていた私だったが……
「――ひいっ!?」
突然、扉の隙間からにゅっと出てきた手に足首を掴まれて、心臓がひっくり返りそうになった。
とたんに、メテオリットの竜から受け継いだ血が、強烈な勢いで全身の血管を駆け巡り始める。
こうなってしまっては、もう為す術はない。
「ぴい……」
私が身に着けていた衣服が、全て霊廟の床に滑り落ちてしまう。
その中からもぞもぞと顔を出し、情けない声を上げたのはピンク色の子竜だった。




