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9話 シャルベリ辺境伯領中央郵便局



『親愛なるマチルダ様へ

 お元気ですか。時々子竜になってしまいますが、私は元気です』


 手紙の書き出しは、相変わらず自虐的な一文になってしまった。

 閣下の三人のお姉様達がシャルベリ辺境伯家に里帰りした翌日のこと。

 私は閣下に告げた通り、戴冠式と晩餐会に招待されたため、二人でメテオリット家にも寄りたいということを王都にいる姉宛ての手紙にしたためていた。

 その際、閣下を家族に紹介するつもりなのだが、近くに住んで大工をしている長兄はともかく、いつもあちこち飛び回っている建築家の次兄は前もって知らせておかないとなかなか顔を合わせられない。

 そのため、次兄を捕まえておいてほしい旨も記しておいた。

 そうして、私は隣で待ち構えていた相手に書き終わった手紙を託す。


「封筒に入るように、三つに折ってもらってもいいかな? エド君」

「うん、いいよ」


 昨夜の夕食と同様に賑やかに朝食をいただいて、軍の施設へ出勤していく閣下を見送った後、私はエド君と行動を共にしていた。

 エド君は、私が子竜の姿になることを母親のカミラ様にも内緒にしてくれたようだ。

 なんとなくその方がいいかなと思って、と弱冠五歳で空気が読めてしまうのに、ただただ感心させられる。

 便箋と封筒には、奥様と散歩がてらに庭園で摘んで押し花にしたミモザをあしらい、ほんのりと優しい香りを添えた。

 封をしていない封筒を持ったまま、私はエド君と一緒にシャルベリ辺境伯邸を裏口から出る。

 シャルベリ辺境伯邸の裏には小さな噴水を真ん中に抱えた中庭が広がっており、その先に軍の施設があった。

 シャルベリ辺境伯邸と軍の施設は、まるでお互いの背中を守るみたいに、それぞれ表門と裏門に玄関を向けて建てられているのだ。

 中庭を突っ切って軍の施設までやってきた私は、扉の脇に背筋を伸ばして立っていた若い衛兵に会釈をする。

 慌てて敬礼する衛兵に、エド君も小さな手で敬礼を返す姿が微笑ましかった。

 衛兵が開いてくれた扉から中へ入り、最上階である三階まで階段を上る。

 そうして、真ん中にある一番大きな扉をノックすれば、中から聞き覚えのある声が誰何した。

 私とエド君が名乗ると、すぐにコツコツという靴音が近づいてくる。

 そうして扉を開いて顔を出したのは、さっきノックに応えた少佐ではなく――


「いらっしゃい、パティ、エド。二人とも中にお入り」


 満面の笑みを浮かべた閣下だった。

 部屋の中央には大きなソファセットがあり、閣下の執務机は奥の壁際にどんと置かれている。

 閣下はエド君を膝に抱いて執務机の前に座ると、私の姉宛ての手紙に封蝋を落として封をする。

 そうして、竜神を象ったシャルベリ辺境伯軍の印璽をエド君に捺させてやった。

 上手に捺せたな、とエド君の栗色の髪を撫でて褒める姿からは、彼が羨ましいと散々大人げない発言を繰り返していた昨日の閣下の姿なんて想像も付かないだろう。

 時刻は午前十時を過ぎた頃。

 封書を完成させた閣下は、パンと一つ手を打ち鳴らすと、エド君を膝から下ろして立ち上がる。そして、愛用のサーベルを腰に提げながら、少佐に向かって声をかけた。


「さて、モリス。パティとエドと一緒に手紙を出しに行ってくるが、問題はないだろう?」

「そうくると思いました。いいですけど、今日は午後一で会議がありますから、そんなにゆっくりはできませんよ? お手数ですが、昼食までに閣下を連れて帰ってきてもらっていいですか? パトリシア嬢」

「あ、はい。分かりました」

「おい、モリス。なぜパティに言うんだ」

「パトリシア嬢にお願いしといた方が確実だからに決まってるでしょ。あ、ついでにロイの散歩もお願いします」


 相変わらず上司を上司とも思わない少佐によって犬のロイのリードを預けられた閣下は、上司使いが荒いとかなんとか文句を言いつつ、私とエド君を連れて執務室を後にした。



 *******



 シャルベリ辺境伯領の本日の天気は晴れ。

 閣下の瞳の色みたいに澄んだ青空に、薄く雲が棚引いている。

 天気を司るという竜神様のご機嫌は悪くないようだ。

 先頭を行くロイのリードは、エド君が持っている。その背中には、首長竜のぬいぐるみアーシャの入ったリュックが揺れていた。

 私と閣下は、そんなエド君の後ろを並んで歩く。

 昨日はさほど気にしていなかったが、町のあちこちで辺境伯軍の軍服を見かけることから、シャルベリ辺境伯領が王都からの逃亡者に神経を尖らせているのが窺い知れた。

 そんな中、軍司令官閣下直々にという贅沢過ぎる警護で私がやってきたのは、シャルベリ辺境伯邸の表門を出て大通りをしばらく西に下った場所にあるシャルベリ辺境伯領中央郵便局。

 午前十時半までにここへ姉宛ての手紙を預ければ、正午発の汽車に間に合うため、翌日の朝一番に王都に届くはずなのだ。

 レンガ造りの建物にはあちこちに蔦が這い、一目で年代物だと分かる。

 扉の上には、馬に跨がった郵便配達員をモチーフにした鉄細工の看板が掲げられていた。

 街灯の支柱にロイのリードをくくり付けて扉を潜れば、相変わらず中は人でごった返していた。


「――おやおや、シャルロ様。いらっしゃいませ。これはまた、奥方の他にも可愛らしいお連れ様がいらっしゃるではありませんか」


 すぐさま閣下を見つけて声をかけてきたのは、腰の曲がった白髪の老人――郵便局長だった。

 丸い老眼鏡をずらしてまじまじと眺めてくる彼に、エド君は慌てて私の後ろに隠れる。

 

「そんなにじろじろ見ては子供が怯えてしまうだろう。その子は姉の、カミラの子だよ」

「これは失礼。カミラ様といえば、確かオルコット家にお嫁に行かれた……里帰りしておいでですか?」

「私とパティの婚約を知って、昨日からシャルベリに来ているんだ。レイラとイザベラもな」

「おやまあ、それはそれは……シャルロ様、お気持ちお察しいたしますよ」


 シャルベリ辺境伯家と付き合いの長い郵便局長は、三つ子のお姉様達に振り回されていた閣下の苦労を知っているような口ぶりで苦笑いを浮かべた。

 一方エド君は、初めて入ったという郵便局の内部に興味津々だ。

 壁一面を覆う仕分け棚とそこにびっしり詰まった大量の手紙。ずらりと並んだ窓口に、忙しく働く郵便局員。

 ほとんど家から出ることができなかったという彼からすれば、全てが珍しいのだろう。

 虹色の瞳をキラキラ輝かせる彼に、私は閣下と微笑みを交わした。

 そんな時、ふいにこちらに気付いた若い局員が、腕貫をした手で手紙の束を抱えて窓口の向こうから駆けてくる。


「ちょうどよかった! シャルロ様宛てに、いくつか手紙が来ておりますよ!」

「こ、こらっ! それは夕方の集配でシャルベリ辺境伯邸にお届けする分じゃないかっ!!」

「だって、局長。せっかく御本人がいらしてるんですし……それに、どうせなら早くお渡しした方がよくないですか?」

「だからって、お前さん……」


 部下の合理的な主張に、郵便局長は珍しく難しい顔をする。 

 閣下はまあまあとそれを宥めて、結局若い局員から何通かの手紙の束を受け取ったのだが……


「……またか」

「閣下?」


 そのうちの一通に目を留めて、わずかに顔を顰めた。

 とはいえ、私が不思議そうに見上げると、すぐさま微笑みを浮かべて、何でもないよと首を横に振る。

 そうして、閣下は他の手紙と一緒くたにして軍服のポケットに仕舞い込んだ。

 その時、ほんのりと――それこそ、メテオリットの竜の先祖返りの嗅覚だからこそ拾ったような、わずかなバラの香りが、何故だか私の胸をざわつかせた。



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― 新着の感想 ―
[一言] まだアタックしてくる女がいるのか?
[一言] お。ラブレターですかの?(笑)
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