8話 家族の有り様
夕食はいつもと同じ、シャルベリ辺境伯邸一階にある食堂に用意されていた。
とはいえ、今宵は一気に四つも席が――つまりこれまでの倍に増えて随分と賑やかだ。
私と閣下が到着した時には、他の方々は全員、すでに席に着いていた。
そんな中、私と顔を合わせるやいなや立ち上がって口を開いたのは、カミラ様とエド君の母子だった。
「「さっきはごめんなさいっ!!」」
いきなりのことに、私は閣下の隣で面食らう。
すると、「おかあさん、がんばって」とエド君に励まされたカミラ様が駆け寄ってきて、私の両手をぎゅっと握り締めて畳み掛けた。
「子供だなんて言ってごめんなさい! メイデンさんちの手伝いを貶めるようなことを言ったのも、全然、まったく、本意ではないのっ!!」
「あっ……は、はい……」
「あと! 夫の親戚にいい子がいるっていうのも、真っ赤な嘘だから! どうか! どうか、シャルロを捨てないであげてええええっ!!」
「わ、わわ、分かりましたっ!」
カミラ様の言葉がショックではなかったと言えば嘘になる。
けれど、即座にそれを否定し、なおかつ私の存在を全力で肯定してくれた閣下のおかげで、今はもうまったく気に病んではいなかった。
そのため、私がたじたじとしつつもあっさりと謝罪を受け入れれば、とたんにぱああっと顔を輝かせたカミラ様が両手を広げて飛び付いてきた。
「ありがとううううっ!!」
「ふぎゅっ!」
「あっ、カミラずるい! 私も!」
「えー! じゃあ、私もーっ!」
何故だかレイラ様とイザベラ様まで便乗して抱き着いてくる。
その結果、豊満な胸の谷間に三方から囲まれて、私はアップアップと喘ぐはめになった。
「やめろやめろっ! パティを潰す気かっ!!」
慌てて閣下が救い出してくれなかったら、本気で危なかったかもしれない。
私を腕の中に保護した閣下に、お姉様達はブーブーと文句を言うも、最終的にその場を収めたのはエド君だった。
「おかあさんも、おばさん達も、おちついて。おとなでしょう?」
「「「あっ、はい……」」」
今宵のメインディッシュ、食卓の真ん中にドンと置かれた塊肉の塩釜焼きは、三つ子の姉妹の好物らしい。
塩釜を割って肉を切り分けるのは旦那様の役目だ。
肉に擦り込まれた黒胡椒とローズマリーが豊かに香り、切り口が美しいロゼ色に仕上がった逸品である。
「だってだってだって、羨ましかったんだもんっ! こっちは旦那と破局するかもしれないっていうのにさあ? こーんな可愛いお嫁ちゃんを見つけてるなんて、不公平じゃないっ!? シャルロのくせに!」
「まあ、気持ちは分かるわ。私だって母様からの手紙を見た時は、辺境伯就任を控えて体裁を整えるためにいやいや政略結婚でもするんだと思ったのよ? それが、実際は相手の子にベタボレじゃない! シャルロのくせに!」
「外面だけは憎たらしいくらいに完璧だけど、中身はただのヘタレだもんね。それなのに、よくぞ王都のお嬢様に婚約を承諾させたものよね! シャルロのくせに!」
「……姉さん達は、私を何だと思っているんだ」
旦那様がせっせと切り分ける肉を、ワインと一緒に次々と口に放り込みつつ、お姉様方はまさしく言いたい放題。
その歯に衣着せぬ物言いに、閣下が心底うんざりとしたような顔をする。
いつも彼女達から三人掛かりで寄ってたかってこてんぱんにされていたという、閣下の涙ぐましい日々が目に浮かぶようだった。
奥様は、そんな娘達と息子の様子を微笑ましそうに眺めつつ、甲斐甲斐しくエド君の食事の世話をしている。
旦那様も、賑やかな食卓に苦笑いを浮かべていたが、ふと表情を改めて閣下に向き直った。
「そういえば、王都からの使者はどうした?」
「客室を用意してもてなそうとしたのですが、明日の朝には王都に戻っていなければならないとおっしゃるので、汽車の駅までモリスに馬車で送らせました」
「蜻蛉返りとは、随分と忙しないな。要職にある方だったのか?」
「王国軍大将であらせられるライツ殿下直属とのことでした」
この日、閣下のお姉様達がシャルベリ辺境伯邸に到着する直前、王都から使者がやってきていた。
ちょうど、私がメイデン焼き菓子店を手伝っていた頃のことだ。
早々に王都に戻っていったという使者は、一通の書状を閣下に直接手渡していた。
しかも、その封蝋に捺された印璽というのが、アレニウス国王家のものだったのである。
現在の国王家を取り仕切っているのは、王太子である国王陛下の長子ハリス殿下だ。つまり、閣下に届いた書状の差出人は、間もなく新しい国王陛下となられるハリス殿下ということになる。
「それで、王太子殿下からは何と?」
「急遽、私とパティを次期シャルベリ辺境伯夫妻として戴冠式と晩餐会に招待したいと仰せです。何でも、ミゲル殿下の件に関し、直接会って謝罪したいと」
「なるほどな……しかし、今、私もお前もシャルベリを離れるというのは、さすがに考え物だな……」
「そうなんですよね……」
閣下と旦那様が揃って難しい顔になった。
政権交代に伴う大粛正が進行中の王都では、不正で肥やした私腹を暴かれるのを恐れ、地方に逃げ込もうとする輩が後を絶たない。そんな中、閣下と旦那様――シャルベリ辺境伯領の要が二人とも留守にするのは、いささか不安が残る。
そのため協議の結果、新国王陛下の戴冠式と晩餐会には閣下と私が出席し、旦那様はシャルベリ辺境伯領にて留守を預かることになった。
閣下が苦笑いを浮かべて私に向き直る。
「王都のごたごたを憂いて、パティをシャルベリに置いていった姉君の決断を踏みにじるようで申し訳ないが……」
「いいえ、王太子殿下からのご招待とあっては、お断りするわけにはいきませんもの」
とはいえ、自分に断りもなく勝手に私を王都に戻したとして、姉がまたハリス殿下に憤慨、かつ兄様に八つ当たりしそうな予感がして、あはは……と乾いた笑いが零れた。
そうこうしているうちに塩釜焼きの肉がなくなって、食卓には食後のデザートが運ばれてきた。
見覚えのあるそれらに、私は思わずあっと声を上げる。
リンゴのシブーストにベイクドチーズケーキ。ラズベリーのムース、ラフランスのタルト、イチゴのシャルロットケーキ、紅茶のシフォンケーキ、それからチョコレートケーキが二つ――私が化粧箱に詰めた、メイデン焼き菓子店のケーキ達だった。
私の前には、イチゴのシャルロットケーキが置かれた。底と側面にビスキュイ生地を並べた中にババロアを流し入れ、その上にたっぷりのイチゴを飾った可愛らしいケーキである。
隣に座った閣下の手元は、メイデン焼き菓子店一推しのチョコレートケーキ。それをワインのお供にしながら、そうだ、と彼が口を開いた。
「せっかくの機会だから、メテオリット家にお邪魔してもいいだろうか。差し支えなければ、姉君以外のご家族にも直接婚約の報告と挨拶をしておきたいんだが」
「うちの事情をご存知な閣下でしたら、お招きしても大丈夫だと思います。姉に先触れしておいてもいいですか?」
「是非そうしておくれ。俄然、王都に赴くのが楽しみになってきたね」
「はい」
突然、閣下を生まれ育った家に案内することになって、私は楽しみなような照れくさいような心地になった。
ところが、向いの席で奥様と並んでケーキを頰張っているエド君を見たとたん、たちまちそんな気持ちは萎んでしまう。
家族会議の結果、カミラ様とエド君は、しばらくの間シャルベリ辺境伯邸に滞在することになった。
オルコット夫妻の離婚はまだ成立していないものの、エド君を連れて家出同然に飛び出してきたらしいカミラ様は、今は夫の顔を見たくないという。
私と閣下が婚約し、新たに家族になろうとしている一方で、カミラ様とエド君は家庭崩壊の危機に瀕しているのだ。
自分の幸せを手放しで喜べない雰囲気に、私は人知れずため息を吐くのだった。




