7話 大人げない発言
「うう〜……」
「こらこら、隠れないで」
子竜から人間の姿に戻った私は性懲りもなく、またもぞもぞと上着の中に潜り込もうとする。
閣下はそんな私をひょいと持ち上げて膝に載せ、赤くなった額にちゅっと唇を押し当てた。
「いきなり子守りを任せてしまってすまなかったね。それで、子竜の姿になった原因は何だったんだい?」
「その……水路脇の側道から馬車が飛び出してきたのに驚いてしまって……。小さい子を連れていたのですから、もっとよく周囲に気を配っておくべきでした」
「いやいや、ともかく無事でよかったよ。もしかして、エドには子竜の姿を見られてしまったかな?」
「は、はい。でも、彼のおかげで人目に付かずに帰って来られたんです」
私は閣下の膝に抱かれたまま、小竜神から聞いた話も含めて一連の出来事を打ち明けた。
オルコットの竜に関しては閣下も詳しく知らないそうで、それがシャルベリ辺境伯領の竜神の眷属であるカミラ様やエド君に影響を及ぼしていたというのも初耳だったらしい。
さらには、エド君が弟のロイ様と同じ竜神の先祖返りだということも、私に聞いて初めて知ったとのこと。
エド君が生まれた際、閣下はオルコット家まで祝いに駆け付けたらしいのだが、その時はまだ目も開いておらず、瞳の色を確認できなかったそうだ。
「カミラはエドの瞳の色に気付いていただろうが……まあ、姉達はもともと竜神という存在自体に対して懐疑的だからな」
「お姉様方は、竜神様を信じていらっしゃらない、ということですか?」
「信じていないというよりは、信じたくないのかもしれないね。彼女達もシャルベリ家の娘だ。世が世なら、誰か一人が生贄に出されていたかもしれないなんて聞かされたら、竜神を否定したくもなるのだろう。それでなくても、あの三人は自分の目に映るものしか信じないからなぁ……」
「……カミラ様の前に、子竜姿を晒さなくてよかったです」
生まれ育ったシャルベリ辺境伯領の竜神も信じたくないらしい閣下のお姉様達に、はたして他の竜の先祖返りである私が受け入れてもらえるのだろうか。
とたんに不安になってきた私とは別に、閣下も難しい顔をしていた。
「ところで、うちの軍が暴走馬車を追っていたと言ったね? あとで担当の者から詳しい話を聞くつもりだが……北の側道から出てきたということは、王都方面からシャルベリに入ってきたと見て間違いないな」
「トンネル向こうの検問で何かあったんでしょうか?」
新国王陛下の戴冠式を間近に控え、お祝いムード一色の国民とは対照的に、現在王宮内は殺伐としているらしい。
というのも、前国王陛下の弟である宰相が続投する以外は、ほとんどの大臣に更迭や降格が言い渡されているからだ。
傀儡と化した前国王陛下の時代、ほしいままに私腹を肥やしていた連中に対し、新国王ハリス・アレニウス陛下は一切の容赦をしないと宣言していた。
それは決して脅しではなく、逆らう者は弟であるライツ・アレニウス殿下率いる王国軍が次々と処分していっている。
そのため、後ろ暗いところのある者達が、王都から地方へ逃れようとする事例が後を絶たないらしい。
そんな中、周囲を高い山脈でぐるりと囲まれたシャルベリ辺境伯領は、中央の目が届きにくいことを理由に潜伏先に選ばれやすい傾向にあった。
閣下が軍司令官を務めるシャルベリ辺境伯軍はそれを警戒し、ここ数日南北のトンネル向こうに検問を設けて余所者の侵入に目を光らせていたのだ。
この日、私が遭遇した暴走馬車には、もしかしたらそんな検問を搔い潜ったか強行突破してきた王都の人間が乗っていたのかもしれない。
「ごたついている王都よりは安全だという理由で、せっかく姉君が泣く泣くパティを置いていく決断をしてくれたんだ。それなのに、君をシャルベリで危ない目に遭わせたとあっては申し開きが立たないね。今後しばらく、外出は私が一緒の時だけにしよう」
「はい……」
閣下は、膝の上に横向きに座らせた私の頭頂部に頬をくっ付けて、ふう、と一つため息を吐いた。
そのまま無言でスリスリと頬を擦り寄せられる。
「閣下、あの……どうしたんですか?」
「いや……うん」
歯切れが悪い返事に首を傾げた私は、彼の腕の中でもぞもぞと動いて向かい合わせになるように座り直す。
そうしてじっと見上げると、閣下は観念したかのように口を開いた。
「……私がおかしなことを言っても、笑わないかい?」
「えっと、笑わない方がいいのでしたら、笑いません」
「うん……いや、面白かったら笑ってくれてもいいんだけどね?」
「えええ……もう、どっちなんですか」
むうっと顔を顰める私に、閣下はもう一度深々とため息を吐くと、思いも寄らないことを口にした。
「――実は、エドに嫉妬している」
「えっ……嫉妬、ですか? エド君に? それは、一体どうして……」
「だって、エドは子竜のパティの言葉が分かるのだろう!? 羨ましいに決まってるじゃないかっ!!」
「か、閣下!?」
シャルベリ辺境伯領の竜神の先祖返りであるエド君は、子竜の私とも小竜神とも会話することができる。
それが羨ましくて嫉妬する、なんて子供みたいな発言をした閣下は、今度は真正面から私をぎゅうぎゅうと抱き締め始めた。
私はその背中に両腕を回して宥めるように撫でながら、でも、と口を開く。
「会話なんてできなくても、閣下には子竜になった私の言いたいことがちゃんと伝わっているじゃないですか」
不思議と閣下は、ぴいぴいと鳴くばかりの子竜の意思を正しく汲み取ってくれるのだ。
何よりも言葉にするまでもなく、私が閣下を好きだということは、彼のキスで人間の姿に戻ることによって証明されているではないか。
私はそう言外に告げたかったのだが……
「それでも、聞きたいんだよ。パティの言葉を余すところなく、全部この心に留めておきたいんだ」
耳元に切ない声で囁かれ、たちまち胸がキュンとする。
ところが、それで終わらせてくれないのが閣下だった。
彼は一転して唸るような声で、それに、と続ける。
「私が聞けないパティの言葉を、他の男が聞いているのだと思うと――正直、めちゃくちゃ嫉妬する」
「ほ、他の男って……エド君、まだ五歳ですよ?」
「今は五歳でも、十五年経てば二十歳だよ! 子供の成長は早いんだ! ロイを見ていたから知っているっ!!」
「閣下、落ち着いて……!」
閣下は面食らう私を抱えたまま、大人げない発言を繰り返し——
「――生まれて初めてだ。自分が竜神様の先祖返りとして生まれなかったことが残念だと思ったのなんて」
最後にそうぽつりと、彼の口から零れ出た言葉がやけに印象に残った。
そうこうしているうちに、夕食の準備が整ったと家令が知らせにやってくる。
素肌の上に閣下の軍服の上着を羽織っただけだった私は、シャルベリ辺境伯家のお姉様達と改めて対面するため、慌てて自分の部屋に戻って身支度を整えるのだった。




