5話 オルコットの竜
(……あれ? 真っ暗?)
意識を取り戻した時、私はどういうわけか暗闇の中にいた。
しかも、身体を丸めていないといけないようなひどく狭い場所だ。
竜の血を引く先祖返りとはいえ、普通の人間と変わりなく母親のお腹から生まれたので実際は分からないが、卵の中というのはこんな感じではなかろうか。
「ぴぃ……?」
私は小さな鉤爪が付いたピンク色の手でジンジンと痛む額を撫でつつ、記憶の糸を手繰り寄せる。
確か、エド君とロイとともにシャルベリ辺境伯邸を出てきたのは、太陽が西の空に傾き始める頃合いだったはず。
一体いつの間に夜になってしまったのだろうか。
そんな風にぼんやりと考えている内に、私は自分のいる空間が何やら一定のリズムで揺れていることに気付いた。
暗闇に目が慣れるにつれて、周囲を覆う壁が布であるというのも分かってくる。
頭上を見上げれば、わずかに光が差し込む隙間を見付けた。
私はもぞもぞと立ち上がって、やたらとふかふかで安定の悪い足場に踏ん張ると、その隙間に顔を突っ込んでみる。
とたんに目に飛び込んできたのは、綺麗な夕焼け空だった。
どんよりと灰色をしていた重そうな雲はいつの間にか消え、頭上は一面、茜色に染まっている。
私は両目をぱちくりさせながら、キョロキョロと辺りを見回し――
「ぴっ!?」
すぐ真後ろに栗色の丸い頭を見つけてぎょっとする。
その気配に気付いたのだろう。ぱっとこちらを振り向いたのはエド君だった。
「ダメだよ、かくれてて! 見つかっちゃう!!」
「ぴ!?」
とたん、後ろ手に伸ばされたエド君の小さな手によって、私は再び暗闇の中に押し戻されてしまう。
そうしてようやく、自分が置かれた状況を把握するのだった。
子竜になって気を失っていた私は、エド君が首長竜のぬいぐるみアーシャを詰め込んでいたリュックの中に入れられていたらしい。おそらくは、この子竜の姿が衆人の目に触れないようにという配慮だろう。
リュックの底の方がふかふかしているのは、私がさっきまで着ていたワンピースも詰め込まれているからだった。
今さっきリュックから顔を出した際、エド君が片腕にアーシャを抱え、もう片方の手が掴んだリードの先にロイが歩いているのを確認している。
どうやらロイが先導して、シャルベリ辺境伯邸へと戻っている最中のようだ。
子竜化してしまった今の私にできるのは、大人しくエド君のリュックの中で息を殺すことだけ。
五歳の子に世話をかけてしまった自分が情けなく、膝を抱えてうじうじしている内に、無事シャルベリ辺境伯邸に到着したようだ。
シャルベリ辺境伯家の家族会議はまだ終わっていないのか、エド君は出迎えた家令によって客室に案内される。
ロイも、どうやらそのまま一緒に部屋に入ったようだ。
家令が退室すると、急いで靴を脱いでベッドに飛び乗ったエド君が、ようやくリュックの口を開けてくれた。
両脇に手を入れて抱き上げられた私は、彼と顔を突き合わせてお互いに両目をぱちくりさせる。
「ほんとに! ほんとに、パティちゃんは竜なんだねっ!?」
『エ、エド君! 目が、虹色……!?』
「――えっ!?」
『――えっ!?』
目の前の虹色の瞳がまん丸になる。
――そう、虹色なのだ。エド君の瞳は、シャルベリ辺境伯領の竜神の鱗と同じ色をしていたのである。
シャルベリ辺境伯家は、かつて竜神に生贄を捧げていた領主の一族の末裔であり、ある時竜神の鱗を授けられたことによってその眷属となっていた。
そんなシャルベリ辺境伯家には、極々稀に竜神の力を受け継いだ先祖返りが生まれる。
彼らは、私達メテオリットの竜の先祖返りのように竜に変化することはないものの、竜神と同じく天気を操る力を持つという。
私が唯一知る竜神の先祖返りは、閣下の弟であるロイ様だけだった。
ところが、その甥っ子にあたるエド君も、竜神の先祖返りの特徴である虹色の瞳を持っていたのだ。
さらに、驚いたのは……
「パティちゃん、竜になってもおしゃべりできるの!?」
『エド君、私が何をしゃべっているのか分かるのっ!?』
エド君は、子竜となった私の言葉を理解できるらしい。
もしかしたら、竜神の先祖返りであることが関係しているのだろうか。
私とエド君は両手を握り合い、お互いの顔をまじまじと見つめる。
すると、ベッドの脇に大人しくお座りしていた犬のロイが、自分も混ぜてとばかりに間に顔を突っ込んできた。
さらには……
『ごきげんよう、パトリシア』
『えええええっ!? しゃ、しゃべってるっ!?』
ロイとは反対側から、私とエド君の間に顔を突っ込んできたのは、エド君が父親からもらった宝物だという首長竜のぬいぐるみアーシャ。
最初に見せてもらった時はただのぬいぐるみでしかなかったそれが、短い四本足で立って自分で動いている上に、パカパカと口を動かして言葉を発したものだから、私は思わず後ろにひっくり返りそうになった。
『……って、この声! まさか、小竜神様!?』
『いかにも』
「アーシャが、パティちゃんをリュックにかくしたらいいって教えてくれたんだよ」
エド君曰く、私が街灯の支柱にぶつかって気を失った直後、小竜神が北の水門から颯爽と現れたそうだ。
眷属であるばかりか先祖返りであるエド君には、その姿も言葉も当然認識できていたため、小竜神は人々が暴走馬車の大捕り物に夢中になっているうちに子竜姿の私を隠すよう促してくれたらしい。
そうして、ひとまずロイに先導させてシャルベリ辺境伯邸に帰そうとしたものの、気を失った私と小さな眷属が心配なのでついていきたくなった。ただし、小竜神自身は竜神の石像がある貯水湖の神殿から遠くは離れられない。
どうしたものかと悩んだ結果……
『エドがちょうどいい器を持っていたから、憑依してみたら、できた』
『してみたら、できたって……』
ふんすふんすと鼻息を荒げて得意げな様子の小竜神に、私の口があんぐりと開いた。
『けれどこの身体……何だかお腹の辺りがザワザワするような……』
「ザワザワ? おなかのぽっけに、琥珀のかたまりが入ってるけど……」
『琥珀か。そう、オルコットの……なるほど……』
「何が、なるほどなの?」
ひとり納得した様子の小竜神に、私とエド君は顔を見合わせて首を傾げる。
すると、小竜神はぽっこりしたお腹を撫でながら昔話を始めた。
『オルコットの家があるアレニウス王国の東の地には、太古の時代に竜が住んでいた。ちょうどこのアーシャみたいに首の長い、シャルベリの竜神よりもメテオリットの竜よりも、ずっとずーっと古い時代の竜だよ』
オルコットの竜の巨大な身体は、寿命を終えれば木になったのだという。血は樹液となり、それが石化したものがオルコットで産出される琥珀の正体である。
『オルコットの竜は滅んで久しいけれど、その遺骸が残っている以上はそこはまだ彼らの縄張りのまま。だから、別種の竜もその眷属も、だいたいは土地との相性が悪い』
私が初めてシャルベリ辺境伯領に来た時に何となく居心地悪く感じたのも、メテオリットの竜とは別種の竜の縄張りだったからだ。
幸い、シャルベリ辺境伯領の竜神が好意的だったため、私は事無きを得たが……
『――もしかして』
はっとした私は、エド君を気にしつつ小竜神に尋ねる。
『カミラ様になかなか子供ができなかったのって、彼女がシャルベリ辺境伯領の竜神の眷属だったからでしょうか?』
『可能性は高いと思う。エドが生まれつき身体が弱かったというのも、シャルベリの竜神の血とオルコットの竜の残骸が反発し合っていたからかもしれないね』
それでも、エド君は生まれた。
つまり、長い年月を経て、オルコットの竜の影響力が弱まってきているということだ。
同時に、オルコットの竜の残骸である琥珀の残量が少なくなっているということも意味していた。
それに関しては、幼いエド君にも心当たりがあるらしい。
「〝琥珀は限りがある資源だから、それに頼りきっていてはオルコット家の未来はない〟――おとうさんやおじいちゃんはそう言って、別のおしごとをがんばっていたみたい」
『だから、近年は金融業の方に力を入れていらっしゃったんですね……』
小竜神の説明によれば、シャルベリ辺境伯領に来てからエド君の身体の調子がいいというのも偶然ではないだろう。シャルベリ辺境伯領ではオルコットの竜の影響はまったく受けないのだから。
それはきっと喜ばしいことなのだろうが、彼がシャルベリ辺境伯領に来たそもそもの理由は、両親の間で持ち上がっている離婚問題だ。
父親の言葉を思い出して、急に恋しくなったのだろうか。
おとうさん……と呟いてぐっと唇を噛み締めた彼を、私はどうやって慰めればいいのか分からなかった。




