3話 三人のお姉様
現シャルベリ辺境伯には、閣下より二歳年上の三つ子の娘達がいた。
次女のレイラ様は、代々大司祭を輩出している名門クラーク家の長男に嫁いだ。
八日後に行われる戴冠式で、新国王陛下の頭に冠を載せる大役を務める現大司祭は、彼女の夫の父親である。
また、三女イザベラ様は、軍人一家ウィルソン侯爵家の次男に嫁いでいる。
夫は、王国軍大将ライツ殿下直属の部下として新国王陛下からの信頼も厚い中尉の地位にあった。
レイラ様とイザベラ様はともに王都に住んでいるため、普段も頻繁に行き来があるらしい。
一方、長女カミラ様はというと、アレニウス王国東部の大地主、オルコット家の当主夫人に収まっている。
オルコット家が所有する森林地帯は良質の琥珀を産出することで有名で、それを売って築いた財産を元手に、近年は金融業を営んでいるそうだ。
そして、エドと呼ばれていた小さな男の子の名は、エドワード・オルコット。
現在五歳になる、カミラ様が生んだオルコット家の跡取り息子だった。
「まあまあ、エドワード! 会いたかったわ! おばあちゃんに、よーくお顔を見せてちょうだい!!」
「はい……」
エド君を迎えたシャルベリ辺境伯夫人――奥様は、それはもう大喜びだった。
というのも、彼はもとより三人娘の里帰りは、そもそも前もって知らされたものではなかったからだ。
いきなり帰ってきて何ごとだ、と言いつつもどこか嬉しそうなシャルベリ辺境伯――旦那様に、レイラ様が左隣にあった黒い軍服の背中をバンッと叩いて口を開いた。
「――うっ」
「何ごとだって言いたいのは私達の方よぅ! だって、母様から手紙が来たと思ったら、シャルロが婚約したっていうんですものっ!」
続いてイザベラ様も、右隣にあった黒い軍服の背中をバンッと叩いて畳み掛ける。
「うぐっ……」
「そうそう! ぜーんぜん浮いた噂を聞かないから、この子一生独身の仕事人間になるんじゃないかって思ってたのにっ!」
ねー!? と顔を見合わせる彼女達に左右から挟まれて、黒い軍服こと閣下はうんざりとした顔をした。
バンバンと無遠慮に叩かれたその背中は、心無しか猫背になっている。
私と閣下が正式に婚約を交わしたのは一昨日の朝のこと。
奥様はその旨を三人の娘達に宛てた手紙にしたため、同日の午後一の集配に託したのだ。私と閣下が王都に戻る姉夫婦を汽車の駅まで見送ったのも、この日の夕刻である。
そうして、奥様の手紙が王都のクラーク家とウィルソン家、東部のオルコット家にそれぞれ届いたのは、昨日の午前のことだった。
閣下の婚約に驚いたお姉様達は、里帰りを即決。その日の最終汽車に飛び乗ったというのだから、彼女達の行動力には脱帽する。
しかも示し合わせたわけでもないのに、シャルベリ辺境伯領とトンネルで繋がった隣町の汽車の駅で合流してしまうのだから、三つ子のシンパシー恐るべし。
レイラ様とイザベラ様に至ってはもはや奇跡だ。予約もせずに飛び乗った汽車で、偶然席が隣同士だったらしい。
「それにしても、可愛い子ねぇ。私より、うちの息子の方と年が近いっていうのはちょっと複雑だけど! ところで、メテオリット家って確か、大聖堂の隣にお屋敷があったわよね?」
「そうそう、リアム殿下の奥様が当主を務めている家よね? 私、お姉様にご挨拶したことがあるかもしれないわ!」
バンバンと、しきりに閣下の背中を叩きながら、レイラ様とイザベラ様がはしゃぐ。
私は自分への好意的な言葉に安堵する一方、閣下が乱暴に扱われる光景にハラハラしてしまう。
それでなくても、三人のお姉様達――閣下が女性不信を発症する元凶達の登場に、私はおおいに戸惑っていた。
そんな中、ふいに長女カミラ様が口を開く。
シャルベリ辺境伯邸にて改めて私と対面を果たしてから、他の二人と対照的に無言だった彼女。
その第一声は、思いも寄らぬものだった。
「――シャルロがついに身を固める決意をしたというから、いったいどんな素敵な人なのかと思ったら……やあね、まだ子供じゃない」
えっ、という声が、私の口から零れ出しそうになった。
カミラ様はそんな私を上から下までじろじろと眺めてから、残念そうなため息を吐いて続ける。
「それに、菓子屋の店員に身を窶してヘラヘラと愛想を振りまくなんて……次期シャルベリ辺境伯夫人の自覚が足りないんじゃないかしら?」
その言葉にショックを受けた私の心臓が、ドクンと大きく騒ぎ出す。
だって、メイデン焼き菓子店を訪れて、随分可愛い店員さんがいるじゃない、と最初に笑顔を向けてくれたのが、カミラ様だったからだ。
それを知っているレイラ様とイザベラ様は、真ん中に挟んだ閣下の左右の腕にそれぞれ抱き着いて顔を見合わせている。
旦那様と奥様も、いきなり私の駄目出しを始めたカミラ様に困惑している様子だった。
にもかかわらず、カミラ様はさらに続ける。
「それより、私の夫の親戚にいい子がいるの。ずっとシャルロにお似合いだと思っていたのよね。才色兼備な上、財産だって持っているのよ。今からでも遅くないわ。この子との婚約は解消して……」
ひゅっと息を呑んで言葉を失う私とは対照的に、さすがにこれには一同どよめき立った。
「「ちょっ、ちょっと、カミラ!? 何言ってるの!?」」
「カミラ、口を慎みなさい」
「カミラ? どうしちゃったの!?」
レイラ様とイザベラ様は完全なる二重奏を奏で、旦那様は厳しく、奥様は悲鳴のような声でカミラ様の名を呼ぶ。
それでも、まだ何ごとか続けようとした彼女に、私がぶるりと身体を震わせた時だった。
「――断る」
凛とした声がその場に響く。閣下の声だ。
いつからそうしていたのだろう。はっとして顔を上げた私は、彼の空色の瞳が自分を一心に捉えていたことに気付いた。
閣下は左右の腕に抱き着いていたお姉様達を振り解くと、カツカツと靴音を鳴らしてこちらへとやってくる。
縮こまって震えていた私を自由になった両腕で守るように包み込み込んで、でも、と口を開いたカミラ様に向かってきっぱりと告げた。
「断ると言っている。私が結婚したい相手はパティだけだ。彼女以外は考えられないし、考えるつもりもない。パティと引き換えにしてでも得たいものなど、あるものか」
ドクン――私の心臓が、さっきとは違う理由で大きく跳ねる。
そのままドキドキと疾走しそうになった鼓動は、閣下の掌に背中を撫でられることによって宥められた。
ほっとする私を抱いたまま、閣下はなおも毅然とした言葉を続ける。
「カミラの申し出は、余計なお世話どころか迷惑以外の何ものでもない。独り善がりもいい加減にしてくれないか」
「なっ……」
「パティは立派なレディだし、メイデン焼き菓子店の手伝いだって、バニラ達が困っていると知って率先して請け負ってくれたんだ。それなのに、子供だの身を窶すだの、不躾にもほどがある。パティ自身を侮辱することも、また特定の職業を貶めることも、断じて許さない。即刻、謝罪と撤回を要求する」
「なに……なによ……」
次期シャルベリ辺境伯らしい威厳に満ちた閣下の態度に、カミラ様は見るからにたじたじとなる。
もしかしたら、お姉様達に頭が上がらなかった弟の変わり様に、心がついていかないのかもしれない。
かつては一緒になって閣下で遊んでいたらしいレイラ様とイザベラ様も、目を丸くして顔を見合わせた。
私はというと、いつになく怒気を孕んだ閣下の厳しい声に緊張を覚え、思わず目の前の軍服の胸元に縋り付く。
とたん、閣下はそんな私をぎゅうぎゅうと抱き締めたかと思うと、そもそもっ! と叫んだ。
「パティのこの愛らしさを前にして、よくもあんな意地の悪い言葉を吐けたものだな! ヘラヘラ? ニコニコの間違いだろうがっ!! パティに微笑みかけてもらえるなら、私は一日に何度だってその店に通うさっ!!」
「あっ……この子ったら、パティちゃんにぞっこんだわー」
「つまんないことしたわね、カミラ。馬に蹴られるわよー」
さっきまでの威厳はどこへやら。
私の頭にスリスリと頬を擦り付ける閣下に、レイラ様とイザベラ様が苦笑いを浮かべる。
彼女達は、私と閣下に対しては「おめでとーおめでとー」とパチパチ手を叩いて祝福しながらも、カミラ様には非難の目を向けた。
私達の仲を最初から応援してくれていた旦那様と奥様は言わずもがな。
「寄ってたかって、なによっ……」
自然と、カミラ様は孤立無援となった。
それを察した彼女は顔を真っ赤にして閣下を睨み据え、居直りかけたのだが……
「ごめんなさい! ごめんなさいっ! おかあさんを、おこらないであげてっ!!」
それまで奥様の膝の上で口を噤んでいたエド君が、突然閣下の前に飛び出してきて叫んだ。
彼は小さな身体でカミラ様を庇うように立つと、震える声で続ける。
「おかあさんは、うらやましいだけなんだ。シャルロおじさんがしあわせそうだから……」
「え……?」
その場の視線は自然とエド君の後ろに立つカミラ様に集まった。
とたん、彼女がわっと顔を覆って泣き出す。
かと思ったら、困惑する周囲をさらなる混乱に落とし入れるようなことを口にした。
「私――夫から離縁を告げられたのっ!!」
「「えええええっ!?」」
レイラ様とイザベラ様の二重奏を皮切りに、シャルベリ辺境伯家は騒然となった。




