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閣下のパティ見守り大作戦 後編


「――それで、局長はなんと?」


 どうやらロイが先導しているらしく、パトリシアは迷いのない足取りで進んでいく。

 彼女の背中から目を離さずに問うシャルロに、隣を歩くモリスが答えた。


「なんでも、局長のひいおじいさまの形見の懐中時計が止まってしまったそうですよ。それが発覚した時にたまたま居合わせたパトリシア嬢が、局長に代わって時計屋へ修理に持って行くと申し出たみたいです」

「ううっ……パティ! なんて、いい子なんだっ!!」

「局長もいたく喜んでいらっしゃいましたよ。まあ、話が長くなりそうだったんでぶった切ってきましたけど」

「お前は血も涙もない子だな。お年寄りには優しくしてあげなさい」


 局長がパトリシアを向かわせた時計屋は、北のトンネルに繋がる水路の沿道を、大通りから数えて六つ目の角を曲がった路地にある。

 彼女がその路地へ入って行くのを見届けたシャルロとモリスは、一つ手前の路地から先回りをして見守ることにした。

 途中、たまたま通りがかった仕立屋の店主より、今朝方勝手口から店内を覗いていたという不審な男の情報が寄せられる。


「閣下、もしかしたら、先ほど中尉から聞いた空き巣狙いと関係があるかもしれませんね」

「ああ、そうだな。これ以上被害を出さないためにも、午後からこの界隈を巡回する部隊を増員しよう。部隊長には中尉を任命して――」


 シャルロとモリスがそんな相談をしながら、裏道を使って時計屋のある路地の奥に先回りする。

 そして、とことこと歩いてくるパトリシアとロイの姿を正面に捉える位置に陣取った直後のことである。


 ――バンッ!


 時計屋の隣にある宝石店の扉が勢い良く開き、中から飛び出してきた男とパトリシアがぶつかりそうになった。

 幸い、素早く反応したロイが間一髪のところでリードを引っ張って事なきを得る。

 それにほっとしつつも、シャルロはさっと軍司令官の顔になって声を潜めた。


「モリス、路地の入り口に先回りしろ。件の空き巣狙いかもしれない」

「承知しました」

 

 来た道を猛然と駆け戻っていくモリスを見送り、シャルロも路地へと足を踏み出す。

 必然的にパトリシアと鉢合わせすることになるだろうが、致し方あるまい。

 宝石店から出てきた男は薄汚れた服装の上、布で顔を覆って目元だけ出している状態だった。

 風貌だけとっても怪しいことこの上ない。とてもじゃないが、高価な品物ばかりを扱う老舗宝石店の客には見えなかった。

 しかも、まるで逃げるみたいに一目散に路地を駆けて行く。

 進行方向に先回りした駿足のモリスと挟み撃ちにすべく、シャルロが男の背を追い掛けようとした――その時だった。

 開けっ放しになった宝石店の扉から、トコトコトコと黒くてふわふわのぬいぐるみみたいな生き物が現れる。

 そして、胸を押さえて立ち尽くしていたパトリシアの足の間をするりと通り抜けた。


「ひぅっ……!!」


 とたん、引き攣ったような悲鳴とともに、遠目でも分かるほどパトリシアの身体がびくんと跳ねる。

 それに気付いたシャルロが駆け出そうとした時にはもう、パトリシアが立っていた場所には、母お手製のワンピースが脱ぎ捨てられたみたいになっていた。

 この時になってやっと、宝石店の店主が外に飛び出してきて、どろぼー!! と叫びながら男を追い掛けていく。

 そんな飼い主に見向きもせずフンフンと鼻を鳴らしているのは、黒くてふわふわのぬいぐるみみたいな生き物――宝石店の看板犬だ。ワンピースに顔を突っ込もうとするそれを、前に立ち塞がったロイが懸命に阻んでいた。

 よくよく見れば、ワンピースがプルプルと震えている。

 その下でパトリシアが――ピンク色の可愛い子竜になってしまった彼女が不安に圧し潰されそうになっているのは容易に想像できた。

 シャルロは今度こそ駆け寄って、ワンピースごと彼女を抱き上げる。

 次いで、首輪からリードを外してやったロイに、軍用犬としての命令を下した。


「――追え、ロイ。犯人を確保せよ」

「わん!」


 ロイが猛然と駆け出す。

 一方、声を聞いて、自分を抱き上げたのがシャルロであると気付いたのだろう。

 慌ててワンピースを掻き分けて顔を出したパトリシアは、彼の顔を見たとたん、ただでさえ大きな瞳をさらにまん丸にした。


「ぴゃぴ、ぴぴぴぃ……」


〝閣下、どうしてここに……〟

 パトリシアは念話を使えないものの表情は雄弁で、言いたいことは大体分かる。

 シャルロは彼女の額に自分のそれをコツンとくっ付けると、自分がここにいる理由を告げることにした。

 ただし、お使いの供に選ばれなかったのが悔しくて後を付けていた、なんて馬鹿正直に言うつもりはない。


「モリスと町の見回りをしていたんだ。そうしたら、パティがこの路地に入って行くのが見えてね。当初の予定と違うから、何かあったのかと……追い掛けてきて、正解だったな?」

「ぴい……」


 パトリシアは小さく鳴いて、甘えるようにシャルロの襟元に顔を埋めてきた。

 彼女が気になって仕方がないらしい宝石店の看板犬が、シャルロの足下でぴょんぴょんと跳ねている。 

 身体の大きさだけ見れば、子竜と変わらないほど小さな犬だ。

 それでも、幼い頃に犬に翼を食いちぎられたトラウマを抱えるパトリシアにとっては恐ろしいのだろう。

 にもかかわらず、もっとずっと大きくて、しかもトラウマの元凶となった犬に似たロイを懸命に受け入れようとしていたのだと思うと、シャルロは彼女がいじらしく、またたまらなく愛おしかった。


「焦らないでいいんだよ。パティが自分を嫌っているわけではないことも、自分と仲良くなるためにトラウマを克服しようと努力していることも、ロイはちゃんと分かっているからね」

「ぴ……」

「ゆっくりでいいんだ。ゆっくりロイに馴染み、シャルベリに馴染み――そうして、パティがいつかこの地を自分の故郷のように慕わしく思ってくれると、私はとても嬉しい」

「ぴい」


 シャルロの襟元に顔を埋めたまま、パトリシアがこくりと頷く。

 ビロードみたいな柔らかな肌からは、人間の彼女のストロベリーブロンドと同じ甘い匂いがした。

 その丸い後頭部に、シャルロはそっと唇を押し当てる。

 ちょうどその時、泥棒らしき男が路地を出る一歩手前で、正面からモリスが現れた。

 怯んでよろけた男の背中に、ロイが飛びかかって地面に引き倒す。

 これにより、捕物は無事終わりを迎えたのだった。



 


 時計屋に局長の懐中時計を預けると、シャルロは早々にシャルベリ辺境伯邸へと戻ってきた。

 午前中の仕事は片付けていたので、軍司令官の執務室ではなく、屋敷にある私室に向かう。

 外套の中に隠していたパトリシアは、いつの間にかすうすうと寝息を立てていた。

 自分の腕の中で安心しきったように眠る子竜が可愛くてならず、シャルロはしばらくその寝顔を眺めていたが、トントンとノックする音が聞こえたため、彼女を自分のベッドに寝かせて扉を開く。

 訪ねてきたのはシャルロの父で、その手には母に持たされたらしいパトリシアの着替え一式があった。


「せっかく町に出たのに、騒動に巻き込まれるとは……パティにはかわいそうなことをしたな」


 事情を把握しているらしい父はそう呟き、大きなベッドに埋もれて眠る小さなパトリシアを眺めて眦を緩める。

 厳格な印象の強かった父は、パトリシアを迎えてすっかり雰囲気が柔らかくなった。

 とはいえ、交代が間近に迫ってはいるものの、今はまだ彼がシャルベリの領主である。

 パトリシアから視線を外したとたんにシャルベリ辺境伯の顔になると、軍司令官を務めるシャルロに向き直った。


「宝石店に盗みに入った男は、やはりここ数日犯行を重ねていた空き巣狙いだったようだ。中尉が余罪を吐かせて、被害者達に裏付けを取っている」

「そうですか。今回の捕物はロイのお手柄ですね。たくさん褒美をやらないと」


 男はそもそもシャルベリ辺境伯領の住民ではなく、最近こちらにやってきたばかりの王都出身者だという。

 そう前置きしてから、シャルロの父は難しい顔をして続ける。

 

「新しい国王陛下が立ち、政権交代がなされたことによって、王都で生き辛くなった者も少なくはないようだ。そういう輩が今後、シャルベリに流れてくる可能性も考えておかなければならない。――シャルロ、しっかり頼むぞ」

「承知しました。中央のごたごたに煩わされるのはもうご免ですからね。南北のトンネルの警備を強化して、不穏分子は徹底的に排除していきましょう」


 軍部寄りの新国王は、前政権で宰相を務めた叔父を続投させつつも、権力の上に胡座をかいていた大臣どもを軒並み罷免しているらしい。失脚して王都に居場所を奪われた元爵位持ちも少なくないと聞く。

 周囲に聳える山脈によって他の都市から隔離されているシャルベリ辺境伯領は、新政権に仇なそうという連中が潜伏するのに誂え向きだろう。

 とはいえ、シャルベリ辺境伯がアレニウス王家から私兵団を持つことを正式に許可されているのは、そういう輩を排除するためでもある。

 それに……


「シャルベリをパティが安心して住める場所にしておかなければ、あの血気盛んな姉上が彼女を取り返しに来かねないですからね」

「取り返しに来たら、お前はパティを姉上に返すつもりはあるのか?」

「ないですね!」

「ないんかい」


 満面の笑みを浮かべて即答したシャルロは、生まれて初めて厳格な父から突っ込みを入れられた。

 竜とは総じて一途で、また番に執着する生き物なのだという。

 メテオリット家の現当主であり、始祖の再来と謳われるパトリシアの姉マチルダから聞いた話だ。

 シャルロは弟のロイのような虹色の瞳を持ってはいないが、竜神の眷属には違いない。自分の中に渦巻くパトリシアに対する強い執着と独占欲を自覚する度にそう感じた。


「パティ……あー、可愛いなぁ……食べてしまいたい……」

「それは言葉の綾だろうな? まさか、本当に食おうと思ってはいまいな?」

「本当に食いそうになったら止めてください」

「冗談に聞こえないんだが?」


 ベッドの縁に腰を下ろし、飽きもせずにパトリシアの寝顔を眺める。

 そんなシャルロに父は呆れたような顔をし、人間の姿に戻るまでゆっくり寝かせてやれと忠告してから、部屋を暗くするためカーテンを閉め始めた。

 心拍数の急激な上昇をきっかけに子竜化するパトリシアは、その逆、心拍数が落ち着き正常な状態が一定時間維持できるようになると人間の姿に戻る。

 心を許された相手がキスすることによって竜を人の姿に戻すという裏技もあるが、これは意識のある時に限った方法だ。

 とにかく今は、父の言う通りパトリシアを静かに寝かせてやるべきだろう。

 そう思ったシャルロは、どうにかこうにか視線を逸らす。

 彼女が可愛くて、見ているとどうしてもちょっかいを出したくなってしまうからだ。

 ところが、ふと窓の外に目を向けたシャルロが独り言を呟いた時だった。

 

「おや、急に雲が出てきた。今日の予報では一日晴れだったと思うが……どうやら一雨きそうだな」

「――ぴっ!」


 可愛らしい声が聞こえたと思ったら、いつの間にかパトリシアが目を覚まし、ベッドの上に身体を起こしていた。

 眠りは浅かったのだろう。依然として子竜姿の彼女は、今にも雨が降り出しそうな空を見上げると、みるみるうちに青ざめた。

 かと思ったら、次の瞬間――


「ぴゃいっ!!」

「――んん!?」


 ぴょんとシャルロの首元に飛び付いてきて、無防備だった彼の唇に子竜のそれを押し付けたのだ。

 まるでぶつかり合うみたいな、色っぽさの欠片もないキスだった。

 それでも見事人間の姿に戻ったパトリシアは、ベッドに置いてあった衣服をぱぱっと身に着けると、部屋を飛び出していってしまう。

 その場に残されたのは、呆然とするシャルロと……


「うむ……最近の子はなかなかに大胆だな……」


 一番奥の窓辺でカーテンを引こうとしていた彼の父だった。

 パトリシアはおそらく、シャルロ以外の人物が部屋にいたことにも気付いていなかっただろう。

 結局カーテンを開け直したシャルロの父は、パトリシアが出て行った扉を見つめて微動だにしない息子に、恐る恐る声をかける。

 

「おい、シャルロ……?」

「……」

「おーい、息をしているか? しっかりしろ?」

「……っ、はっ! しまった! びっくりし過ぎて記憶が飛んでしまった!! せっかく、パティからしてくれた初めてのキスなのにっ!!」


 お使いの帰りに竜神の神殿に寄る、とパトリシアは北の水門の前で小竜神と約束を交わしていたらしい。

 シャルロがそれを知るのは、彼女がシャルベリ辺境伯邸に帰ってきてからだった。

 竜神は天気を司ると言われている。

 それは小竜神にも言えることで、彼の喜怒哀楽はシャルベリ辺境伯領の天気に少なからず影響を及ぼした。

 シャルロとキスをするという裏技によって、子竜から人間の姿に戻ったパトリシアは、チョコレートを山盛り抱えて竜神の神殿に急行し、何とか小竜神の機嫌を持ち直させた。チョコレートは彼の好物であるという。

 その甲斐あって、シャルベリ辺境伯領の人々の洗濯物が想定外の雨で台無しならずに済んだ。

 パトリシアはそれにほっとするばかりで、自分からシャルロにキスをしたことなんてすっかり忘れていたようだ。


「まったく……パティはいったい、私をどれだけ悶えさせたら気が済むんだろうね!?」


 だから、表門を入ったとたんにシャルロに捕まって、キスのやり直しを迫られるなんて、彼女にとってはきっと想定外だっただろう。

 おそらく、またもやそれを目撃していた若い門番にとっても想定外だったに違いない。

 シャルロが人目も憚らず抱き締めたパトリシアの胸の奥では、またもや子竜になってしまいそうなほど、彼女の心臓がドキドキと高鳴っていた。




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― 新着の感想 ―
[一言] ロイは優秀だなぁー! それに比べて… 『ぴっ!ぴぃぃ…』
[一言] 甘あああい!
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