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14話 王都からの書状


 ローテーブルの上には、私が作ってきたスパイスクッキーの他にも様々なお菓子が並んでいる。

 私を執務室に誘ったことをきっかけに、閣下の女性不信が解消されることを期待する奥様からの差し入れだ。

 その中にあったトリュフを一つ、自分で食べると見せかけて閣下と少佐の目を誤魔化し、口ではなく肩のあたりに持っていく。

 なにしろ私の肩には、ぷかぷか宙に浮いているのに飽きたらしい小竜神が、背後から顎を載せて寛いでいるのだ。彼のチョコレート好きは健在である。

 少佐も閣下に促されてソファに腰を下ろし、犬のロイはその足もとに伏せをした。

 私からは、ちょうどローテーブルで隠れて見えない位置だ。

 おかげで、犬への恐怖心に煩わされずに、少佐が淹れてくれたお茶を楽しむことができていた。

 そんな中、私の真向かいに座っていた閣下が、空になったカップをテーブルに戻す。

 彼は少佐からのおかわりの申し出を断ると、私に向き直って口を開いた。


「せっかくのお茶の時間に無粋な話を持ち出してすまないが――パトリシア、王都で生まれ育った君を見込んで、一つ相談したいことがあるんだ」

「あ、はい。私でよろしければ、何なりと……」


 閣下の改まった態度に、私は緊張を覚えつつ姿勢を正す。

 閣下の隣に座った少佐に驚いた様子はないので、どうやら私がこうして執務室でのお茶に誘われたのは、その相談とやらのためだったのだと合点が行った。

 女性不信克服の兆しか、とはしゃいでいた奥様には少しだけ申し訳ない気持ちになる。


「パトリシアがシャルベリに着いたのは午後だったが……あの日の午前中、実は王都から不審な書状が届いてね」

「不審な書状……えっと、それはどういったものでしょう。差出人がどなたなのか、伺っても?」

「個人名は書かれてなかった。ただ、アレニウス王国軍統括室から、とあったんだ。ほら、パトリシアの姉上は軍属だろう? 君も、何か知っているかと思ってね」

「王国軍統括室、ですか……」


 私はカップをテーブルに戻すと、両手を膝の上に置いた。

 マチルダ・メテオリットの妹として意見を求められているのだとしたら、迂闊なことを口走って姉の顔に泥を塗るわけにはいかない。

 私は慎重に口を開いた。

 

「私は姉の仕事には関知しておりませんので、閣下にご満足いただける答えができるかどうかは分かりませんが……王国軍統括室は確かに実在する部署です。けれど、正式な書状を送るなら、責任者なり担当者なりの名前があってしかるべきだと思います」

「確かにそうだね」


 私の答えに、閣下は一つ頷いてから少佐に目配せをする。

 そうして、少佐が彼の執務机の引き出しから取り出してきたのは、何の変哲もない真っ白い封筒だった。

 表にはシャルベリ辺境伯宛てとだけ書かれていて、封蝋には差出人を識別できるような印璽がない。

 それだけなら不審というほどでもなかったかもしれないが……


「〝シャルベリ辺境伯は速やかに領有権をアレニウス王家に返上すべし〟だそうだ」

「えっ、領有権の返上!? まさか、そんな……」


 書状に書かれた内容は、とてもじゃないが看過できるものではなかった。

 曰く、南北のトンネルが開通して久しく王都との往来も容易になった現在、シャルベリ辺境伯領を自治区とする必要性はなくなった、というのが領有権の返上を求める理由らしい。

 シャルベリ辺境伯位は、他の爵位と同様に基本的には世襲制で、アレニウス王家がそれに異を唱えたことは建国以来一度もなかった。

 閣下のシャルベリ辺境伯就任に関しても、これまでの慣習に従い、国王陛下宛てに代替わりの旨を書簡で報告するだけで完了するはずだったのだ。

 通常ならば、折り返し陛下のサインが入った任命状が届く。

 しかし、今回王都から送られてきたのは、一方的な権利剥奪の通知だったという。

 それを聞いた私は、困惑した思いで首を横に振った。


「シャルベリ辺境伯家から領有権を取り上げようなんて――そんな話題、王都では噂でも聞いたことがありません」


 シャルベリ辺境伯領が自治区となったのは、高い山脈に囲まれて他の都市との行き来が困難であったことに起因する。

 そのため、トンネルの開通によって孤立が解消された現在は、確かにシャルベリ家に自治権を与え続ける必要はないかもしれない。

 しかし、シャルベリ辺境伯領の平穏を継続させるためには、その統治者がシャルベリ家の人間でなければならない、確固たる理由があった。

 私は、自分の肩に顎を置いている小竜神にちらりと視線をやってから、心の中で呟く。


(だって、シャルベリ家は竜の――シャルベリ辺境伯領を支配する竜神の眷属だもの)


 王都でそれを知っているのは、国王陛下に近い極一部の王家の人間と、竜を始祖に持つメテオリット家の者だけだ。

 つまり、竜神の眷属から竜神が棲む土地の領有権を奪おうなんて御門違いな書状を送ってきたのは、そんなシャルベリ辺境伯領の由縁を何も知らない輩――おおよそ国有地の領有権に口出しできるような立場にない人物であると推測された。

 私は閣下や少佐と額を突き合わせて、ローテーブルの上に広げられた書状を覗き込む。


「〝新国王陛下ご即位に先立ち、アレニウス王家直系の後任者に領有権と私兵団を無条件で差し出すべし〟って……そもそもアレニウス王家直系の後任者って誰なんでしょう? 直系というからには、現国王陛下の御子達を指すのだと思いますが……」

「第一王子殿下は間もなく国王となり、第二王子殿下は王国軍大将、第一王女殿下は友好国へと嫁ぎ、第三王子殿下が王国軍参謀長……確かパトリシアの姉上の上司だったな。それから、現王妃から生まれた王子がもう一人いたはずだが、彼は病弱で城から一歩も出られないと聞く。そんな御子達に、シャルベリのような辺境地を統治する余地があるとは思えないね」

「そもそも、後任者の名前さえ知らされないで、こちらが納得するとでも思っているんでしょうか。怪しんでくれって言っているようなものですよ」


 内容を読み上げて疑問を口にする私に、閣下が淡々とした口調で答え、少佐はその横でいかにも胡散臭そうに書状を睨んでいる。

 この時にはようやく肩から離れていた小竜神が、ロイのしっぽにちょっかいを出しているのを視界の端に捉えつつ、私はさらに不審な点を指摘した。


「サインがありません。国王陛下のサインがどこにもないなんて、おかしいです。万が一、これが正式な命令書だとしても……」

「そんな重要な書類に陛下の決裁がないなんて考えられない、か。確かに」


 閣下は私の意見にうんうんと頷いて同意する。

 もしもシャルベリ辺境伯領がアレニウス王家の直轄となるならば、現在閣下が軍司令官を務めるシャルベリ辺境伯軍は王国軍に統合されることになるだろう。

 そうすると、王国軍内部でも各部隊や部署の再編成が必要になってくるはずで、それが参謀長の側にいる私の姉の耳に入らないはずがないのだ。

 私は書面から顔を上げ、向かいに座った閣下を真っ直ぐに見つめて言った。

 

「私をこのシャルベリ辺境伯領に送り出したのは姉です。以前閣下にもお話した通り過保護な姉ですので、程なく統治者が変わると分かっているようなややこしい場所に私をやるとは思えません。――よって、この書状はやはり正式なものではないと私は思います」

「そうか……うん、確かに。可愛い妹を、地位も権力も失う予定の家に嫁にやろうなんて普通は考えないだろうね。私が姉上の立場であっても絶対にしない」


 閣下は私の言葉に至極納得した顔をすると、気を取り直すみたいに自身の両膝をポンと叩いた。


「ありがとう、パトリシア。私もこの書状を怪しいとは思っていたんだが、君がきっぱりと否定してくれたおかげで確信が持てたよ。悪戯と陰謀の両方で警戒しつつ、一度王国軍統括室に問い合わせしてみるとしよう」

「はい、そうなさるのがよろしいかと。もしも差し支えなければ、手紙で姉に相談してみましょうか? そろそろこちらに置いていただいて半月になりますので、近況報告の手紙を送ろうと思っていたところなんです」

「それは、心強い。是非ともお願いするよ。件の書状の差出人が王国軍統括室にいないとも限らないんだ。問い合わせの手紙を握り潰されてしまっては元も子もないからね。書状の写しを作るから同封して、姉上と、可能ならば参謀長閣下にも確認していただきたい」

「承知しました。そのように、手紙に綴っておきます」


 新国王の即位を来月に控え、アレニウス王国は今、転換期にある。

 現国王は穏やかな人柄だがあまり政治に明るくなく、特に新しい王妃を迎えて以降は宰相を務めるすぐ下の弟に頼きりだという。

 一方、新しい国王となることが決まっている王太子は、海の向こうの異国に留学していた経験もあり、政治に対して意欲的な革新派。

 宰相の叔父よりも王国軍大将を務める実弟の方と馬が合うため、国王となった暁には後者が重用されるだろうと言われている。

 体制が大きく変動するのだから、権力を巡って多かれ少なかれ騒動が起こるのは想像に難くない。

 新国王の即位に続いてシャルベリ辺境伯の位を受け継ぐことが決まっている閣下のもとに、こうしてきな臭い書状が送られてきたのも、その余波なのだろうか。

 閣下は少佐にお茶のおかわりを要求してから、にこりと飾らない笑みを浮かべた。


「いやはや、パトリシアみたいな年頃の女の子に、ここまで突っ込んだ意見をもらえるとは正直思わなかったな」

「閣下、料理のことといい、勝手に決めつけるのはよくないと思います」


 私が冗談めかして膨れっ面をしてみれば、ははは、と閣下が声を立てて笑う。

 そういえば、彼が声を立てて笑うのを見るのは初めてのことだ。

 向かいの席からまた閣下の手が伸びてきて、宥めるみたいに私の頭を撫でた。


「すまない、パトリシアの言う通りだ。せいぜい、参考までに話を聞こうとしただけなんだが、これは嬉しい誤算だな。パトリシアがいてくれて、よかった」


 閣下の優しい声が耳を打つ。

 私は頬が緩むのを見られたくなくて、慌てて俯いた。

 子供扱いされるのは本意ではない。閣下に妹みたいに思われたいわけでもない。

 シャルベリ辺境伯領に来たのだって、自分の意思じゃなかった。

 それでもこの時、パトリシアがいてくれてよかった、と閣下に言ってもらえたことが、私は素直に嬉しかった。

 自分の拙い意見でも、彼の役に立てるのだと思えば誇らしい。

 おかげで一時とはいえ、自分が落ちこぼれの子竜であることを忘れることができたのだった。

 


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