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12話 閣下の苦手なもの


 一度ならず二度までも、空から突然降ってきた子竜姿の私に、旦那様はさぞ驚いたことだろう。

 それでも、紙切れに書かれた〝ママニワ、ハーブ〟の意味をすぐさま理解し、私を上着に包んで小脇に抱えたまま大急ぎで庭園へ飛び出した。

 おかげで、日が完全に落ち切ってしまう前に、車椅子の奥様を無事回収することができたのである。

 再び旦那様と奥様の私室に匿われた子竜姿の私は、拙い筆談と身振り手振りを交えて、犬のロイに連れ去られてからのいきさつを語った。

 閣下が首輪を取り出したくだりで、奥様が「あらまあ」と苦笑いをする一方、旦那様は少しだけ逡巡してから口を開く。


「なあパティ、これは提案なんだが……シャルロにも、お前さんの秘密を打ち明けてはどうだろうか。その方が、ここでは過ごしやすいと思うんだが」


 その意見はもっともだと思いつつ、私はこの時、答えを保留にした。

 理由はやはり、メテオリット家の先祖返りが竜の姿をとるという秘密を、部外者にはできる限り知られるべきではないからだ。

 閣下に私との縁談を進める気が無い以上、私が彼と一緒に過ごすのは、叔父が戻ってくるまでの残り半月余り。それっきりになる可能性のある相手に打ち明けるには、一族の秘密はあまりにも特殊である。

 さらに、人間パトリシアの前と子竜パティの前とで閣下の態度がかけ離れ過ぎているのも問題だ。

 この日はメイデン焼き菓子店でばったり出会したのをきっかけに、シャルベリ辺境伯邸までの道程を閣下と二人並んで歩き、これまでになく多くの会話を交わす機会に恵まれた。

 その後、旦那様と奥様を交えたお茶の席でも、閣下の表情は終始穏やかだった。

 子竜姿で接した時ほどではないにしろ、初めて素に近い彼に出会えたような気がしたのだ。

 それなのに、あなたがデレデレしながら赤ちゃん言葉で話しかけていたのは、実は私だったんですよ、なんて言われたら――私が閣下なら、きっと穴があったら入りたい気持ちになるだろう。

 閣下からすれば騙されたように感じるかもしれない。

 そう思うと、私はすぐさま旦那様の提案に頷くことができなかった。

 そんな私に対して、閣下から思いがけない申し出があったのは、この翌朝のことである。

 朝食の席に現れた彼は、目の下にうっすらと隈を拵えていた。


「おはよう、パトリシア」

「おはようございます、閣下。あの……随分とお疲れのようですが、大丈夫ですか?」

「ああ、うん……昨夜は遅くまで探し物をしていてね。結局見つけられなかったんだが……」

「さ、探し物、ですか……」


 目頭を揉みながら物憂げなため息を吐く閣下から、私は目を逸らした。

 彼の言う探し物が、ピンク色の子竜――つまり、私であるのは明白だったからだ。

 少佐とロイを伴って、シャルベリ辺境伯邸の敷地中を探しまわっていたらしい閣下は、昨夜は夕食の席にも現れなかった。だから彼は、私も食卓に着いていなかったことを知らない。

 図らずも二人して食べ損ねた料理長ご自慢のローストチキンのタラゴンソース添えは、サンドウィッチの具となって今朝の食卓に上っていた。

 タラゴンの香味が利いたソースとチキンの肉汁が、トーストしたパンの表面にじわりとしみた逸品だ。

 いまいち食欲がなさそうな閣下はそれをちまちまと齧っていたが、ふと顔を上げて私を見る。

 そして、唐突に告げた。


「そうだ、パトリシア。今日の午後、君の都合さえよければ、私の執務室にお茶を飲みに来ないか?」



 *******



「素敵素敵! シャルロが、女の子を執務室に招待するのなんて初めてのことだわっ! ねえ、旦那様っ!!」

「……んっ! ぐふっ……そ、そうだな……」


 朝食を終えた閣下を見送った後、奥様はそれはもう大はしゃぎだった。

 彼女にバンバンと背中を叩かれ、パンを喉に詰まらせそうになりながらも律儀に返事をする旦那様に、私は慌てて水の入ったカップを差し出す。

 ところがそのカップ――いや、私の手を掴んだのは、旦那様ではなく奥様の方だった。

 奥様は、両目をキラキラさせて身を乗り出してくる。

 

「シャルロってば、見ての通り仕事人間でしょう? 執務室は、いわばあの子の城なの! そんな場所に誘ったってことは、パティに心を開き始めた証拠よっ!!」

「え、ええっと……?」


 奥様のあまりのはしゃぎように、私はたじたじとしてしまう。

 ちなみに、閣下からのお茶の誘いは、奥様が勝手に了承の返事をしてしまっていた。

 軍司令官執務室が閣下の城だというのは、まあ理解できる。

 私が子竜姿で二度連れて行かれたあの部屋では、部下は腹心の少佐だけを置き、随分と気を許した様子だったのだ。

 少佐に対する砕けた口調や、子竜化した私へのあけすけなデレっぷりが、閣下があの部屋でいかに気を緩めているのかを物語っている。

 とはいえ、閣下ほどの地位と年齢なら、これまで懇意になった女性が――それこそ、恋人の一人や二人いそうなものだ。

 実際、すらりとした長身に黒い軍服を纏った閣下は、シャルベリ辺境伯邸に勤める若いメイド達の間で絶大な人気を誇っており、彼に秋波を送っている者も少なくはない。

 それなのに、私がただ一度閣下の執務室に招かれたくらいで、どうして奥様はこんなに喜ぶのだろう。

 首を傾げる私に、水を飲んで落ち着いたらしい旦那様が、こほんと一つ咳払いをしてから説明してくれた。


「シャルロはな……ああ見えて、実は女性不信の気があるんだ」

「えっ、女性不信? 閣下が、ですか?」

「普通はなかなか気付かないだろう。うまく取り繕っているからな」

「えええ……」


 閣下には、二歳年上の姉が三人いた。彼女達は三つ子で、それぞれシャルベリ辺境伯領から嫁いで十年近く経つという。

 そして、閣下が女性不信を発症したのは、ひとえにこの三人の姉達が原因だった。

 運悪く姉達が人形遊びを始める頃合いに生まれてしまった閣下は、恰好のおもちゃとなった。

 お世話をしたい盛りの彼女達に全力で弄り倒され、時には取り合いになって身体を引き裂かんばかりに三方向から引っ張られる日々。実際手足を脱臼したこともあったというから、姉達の乱暴さは推して知るべしだろう。

 やがて閣下も成長して体格が良くなると、三人掛かりで来られても腕力でなら負けなくなった。

 ところが、今度は口が達者な姉達が結託して、容赦ない口撃が繰り出されるように。

 おかげで閣下は、姉達がそれぞれ結婚のためにシャルベリ辺境伯領を出て行くまで、ずっと彼女達に頭が上がらなかったという。

 姉達の脅威に晒され続けた二十年余りの年月が、女性とは物騒極まりない生き物だというトラウマを閣下に植え付けてしまったのだ。

 弟のロイ様を溺愛したのは、彼が初めてできた同性の兄弟であり、唯一の仲間だと思ったからだろう。

 自分の二の舞にならないよう、姉達の魔の手から小さな弟を必死に守ろうとする閣下の姿はいじらしかった。

 旦那様と奥様は、そうしみじみと語った。


「か、閣下……おいたわしい……」


 思わずそう零した私に、旦那様と奥様が顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。

 当時、シャルベリ辺境伯と軍司令官を兼任して多忙だった旦那様に家庭を顧みる余裕がなかったことや、奥様がとにかく大らか過ぎたことも、姉達の横暴を増長する原因となった。

 そのため旦那様と奥様は、閣下の女性不信に少なからず責任を感じているようだ。

 とにかく、と私の手を握り直した奥様は、鼻息も荒く続けた。


「バニラやアミィだって、シャルロの執務室に招かれたことなんてないわ! それなのに、今回パティに声をかけたってことは、あなたに心を許し始めた証拠よっ!!」

「いえ、私が時間を持て余していると思って、気を遣っていただいただけなんじゃ……」

「気を遣ってお茶に誘うなら、わざわざ執務室を指定する必要なんてないでしょう?」

「じゃあ、その……妹、みたいに思って……?」


 閣下の女性不信が、メイデン焼き菓子店のバニラさんやリンドマン洗濯店のアミィさんに適用されないのは、軍の失態のせいで父親を亡くした彼女達を支えてやらねばという思いが強いからだろう。

 閣下にとって彼女達は、弟のロイ様同様、守るべき妹みたいな存在なのだ。

 けれども私は、閣下に妹扱いされたくなかった。

 昨日メイデン焼き菓子店からの帰り道、幼子をあやすみたいな優しい手付きで頭を撫でられながらそう感じたことを思い出す。

 途中で口を噤んだ私に何を思ったのか、奥様はさらにテーブルの向こうから身を乗り出してきた。

 

「もしかしたら、シャルロが女性不信を克服する糸口になるかもしれないわ。シャルロの将来のため、ひいてはシャルベリ家の安泰のために――パティ、どうか力を貸してちょうだいっ!!」

「お、重いっ……責任重大過ぎですよぅ……」


 かくして、私は奥様の巨大な期待を背負わされた上、人間の姿のままでは初めて、閣下の執務室にお邪魔することと相成ったのである。



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