落ちこぼれ子竜の奮闘1
コミカライズを記念しまして、番外編をお届けします。
第一幕(書籍版の第一巻)直後の設定で書いております。
楽しんでいただけると幸いです。
「終業時刻を迎えると同時に、軍司令官執務室に突入する」
私の耳がその言葉を拾ってしまったのは、王都に戻る姉夫婦を隣町の駅まで見送りに行った日の夕刻のことである。
この前日、私は姉夫婦や仲人の叔父に立ち合われて、シャルロ・シャルベリ辺境伯軍司令官閣下と正式に婚約を交わした。
結婚式まではまだ日があるものの、政権交代を控えてごたついている王都よりは安全だろうということで、そのままシャルベリ辺境伯領に留まることになったのだが……
「こんな大それたこと……本当にわしにできるだろうか」
「おいおい、ここまできて怖気付いてどうするんだ!」
「そうだぞ! できるかできないかではなく、やるんだよ!」
シャルベリ辺境伯邸と軍の施設に挟まれた中庭に立つ大きなオリーブの木。
その袂で、黒い軍服の一団が額を集めている場面に遭遇する。
覚悟を決めたような物言いからして、只事ではないだろう。
「やっと、我らの悲願を叶える時がきたんだ」
「これでもう、思い残すことはない」
「若い者には任せておけんからな」
「そうとも。これは、我らのような年寄りの役目よ」
シャルベリ辺境伯軍の黒い軍服を身に纏う、四人の男性達。
見たところ、閣下のご両親よりもさらに年上だろうか。
私がシャルベリ辺境伯領に来て一月になるが、閣下やその腹心であるモリス・トロイア少佐以外の軍関係者とは交流がなかったため、あいにく彼らの地位も所属もわからない。
しかし……
「シャルロ様は鋭いからな。悟られぬように準備を進めるのは、思いのほか骨が折れたわい」
閣下を敬称ではなく名前で呼ぶ軍人は、先代から仕える限られた面々だという話だ。
つまりは、シャルベリ辺境伯軍の古参の軍人達が、何やら目論んでいるということになる。
(と、とにかく閣下に! このことを閣下に知らせないと……っ!)
彼らが何のために軍司令官室への突入を決行しようとしているのか。
閣下に、いったい何をするつもりなのか。
見当もつかない私は、取るものも取りあえず、閣下の執務室に向かって駆け出したのだが……
「ぴいっ!?」
その勢いは、すぐさま削がれることになる。
というのも、軍の施設に辿り着く前に子竜の姿になってしまったのだ。
いきなり垣根から飛び出してきた小型犬に驚いて。
「ぴ……ぴい……」
小型犬は、閣下のお母様──奥様の茶飲み友達である老婦人が連れてきたものらしい。
ブルブル震える子竜の匂いをしきりに嗅いでいたが、飼い主の呼び声を聞きつけるとあっさり去っていった。
私は抜け殻となった衣服を何とか垣根に隠したものの、その直後、先ほどオリーブの木の袂で密談していた一団が通りかかる。
とっさに、近くの建物に身を隠したのだが──
「ブルルルルッ」
「──ぴゃっ!?」
なんとそこは、シャルベル辺境伯軍の厩舎だった。
それぞれの馬房で寛いでいた軍馬達は、突然転がり込んできたピンク色のちんちくりんに興味津々。
「ぴゃ……ぴゃああ……」
前後左右から、大きな顔が突きつけられる。
藁敷きの上に尻餅を突いた私は、ガチガチに固まってしまった。
ガコン!
ふいに、厩舎の奥の方で大きな音が上がる。
すると、私を鼻先で小突いていた馬達が一斉に首を引っ込めた。
(な、なに……? 何事っ……!?)
戦々恐々としながらも、音がした方に目を向けた私は、次の瞬間ひゅっと息を呑む。
一際大きな軍馬が、のしのしとこちらに向かってくるのが見えたからだ。
先ほどの大きな音は、彼が馬房の仕切りを蹴破ったものだったらしい。
「ぴ……ぴ……」
相手のあまりの巨体に、落ちこぼれ子竜は腰を抜かしてしまった。
七年ぶりに戻った翼で飛んで逃げればいいようなものだが、そんな気概も起きない。
半泣きになった私は、ズリズリとお尻を擦って後退るばかりだ。
その姿がよほど哀れに見えたのか、軍馬は少し離れたところで立ち止まる。
黒鹿毛で、額には星と呼ばれる白斑があった。
長いまつ毛の下から覗く瞳は、閣下のそれと似た空色で……
(こ、ここ、この子は確か……閣下の愛馬の、ヘルム号!)
そう思い至ったところで、私ははっとする。
(そ、そうだ! こんなところで腰を抜かしてる場合じゃなかった! 軍人さん達の密談の件を、閣下に知らせないとっ!)
心の中でそう叫んだ私は、短い足を叱咤してどうにかこうにか立ち上がる。
しかし、厩舎を飛び出そうとしたところで、いくつもの足音が近づいてくるのに気づいた。
それは厩舎のすぐ側まで迫っており、このままでは不特定多数の人々に子竜の姿を目撃されてしまうだろう。
(ど、どど、どうしようーっ!)
真っ青になって右往左往する子竜を、馬房の中の軍馬達が面白そうに眺めている。
そうして、ついに厩舎の入り口に人影が差し掛かった、その時だった。
「ぴゃあいっ!?」
ふいに首根っこを摘まれて、体が浮き上がる。
そのまま弧を描くようにして宙に放り投げられた私は、とっさに翼を羽ばたかせた。
ところが、着地したのは小麦色の藁敷きではなく、黒味がかった赤褐色の絨毯の上。
「……ぴい?」
それが、閣下の愛馬ヘルム号の背中だと気づいたのは、彼が猛然と厩舎から駆け出した後だった。
「うわー! 馬が……!」
「閣下の馬が脱走したぞーっ!」
足音は厩舎係達のものだったらしく、箒を手にわーわーと追いかけてくる。
私は私で、振り落とされないよう、目の前の黒いたてがみを必死に掴んでいた。
幸いだったのは、サラサラの長いたてがみが大きく靡いて、行き交う人々の目から子竜の姿を隠してくれたことだ。
ヘルム号は、中庭の小道を凄まじい速さで疾走する。
しかし、厩舎係達が追いついてこないと見るや、今度は軍の施設へと首を向けた。
(も、もしかして……私が閣下のもとに急いでいると察して……?)
つい先日、成れの果てを連れてシャルベリ辺境伯領に来襲したミゲル殿下を迎え撃つ際、私は子竜の姿でヘルム号と顔を合わせた。
元来、竜の姿に転じるメテオリット家の先祖返りは、馬のような警戒心の強い動物とは相性が良くない。
しかしヘルム号はあの時、閣下の懐に抱えられて背中に乗った私を嫌がる素振りも見せなかったのだ。
(そもそもちんちくりんの子竜なんて、歯牙にも掛けられないんだろうけどっ!)
なにしろ彼は、鎧で武装した重騎兵も乗せられるよう品種改良された、とりわけ体が大きく力持ちな軍馬である。
簡単に踏み潰してしまえそうな小さいのがあわあわしているのを見かねてか、こうして主人たる閣下のもとへ運ぼうとしてくれたのかもしれない。
とはいえ……
「ぴいい! ぴゃいいい! ぴゃああああ!」
ドッ、ドッ、と力強く地面を蹴って爆走する巨体に、中庭は騒然となる。
私はというと、馬にまたがっているなんて言うのはおこがましい。
たてがみを握りしめて振り落とされないようにするのがやっとだった。
しかもヘルム号は、軍の施設を目前にしても速度を緩める気配がない。
(えええ!? ま、まさかこのまま建物の中にまで突っ込む気なの……!?)
とまれー! と叫んだ若い衛兵が、果敢にも──いや無謀にも、入り口を死守しようと立ち塞がる。
(だ、だめっ……危ない! ぶつかる──!)
私が心の中で悲鳴を上げた時だ。
若い守衛を押しのけて、黒い軍服の人物が飛び出してきた。




